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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
四章
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番外編 世界で一番美しいのは ~side Vincent~ 【2】

 太陽のない朝、月のない夜。

 昼でも燭台の明かりがなければ暮らせないような暗い場所が、ヴィンセントの生まれた世界だ。


「父さん……」


 不思議な話だが、父親が二人いた。

 ヴィンセントが父親と呼ぶ相手は実の兄。実の父親は、ヴィンセントが父親と呼ぶ人物のまた父親だ。つまりは母親が夫の父親と関係を持ってできた子供がヴィンセントだった。

 この世界では珍しいことという訳でもなかった。個体数が少ない集落では家族婚・兄妹婚は普通だ。従姉妹も実の父親との間に子を作った。

 優秀な能力を残す為には近しい者を掛け合わせた方が効率が良い。そんなものは常識だった。

 しかし、ヴィンセントは【普通】や【常識】というものに飽きてしまった。


「いや、兄さん……お休み」


 飽きたから、殺した。

 寝込みを襲い、斧で首を落としてしまった。


「ヴィンス、どうして……!」

「どうしてだろうね。父親が二人もいるとややこしいからかな?」

「……あ……あぁ…………」

「俺、頭悪いからさあ。面倒なことって嫌いなんだよね」

「ゆ、ゆる……し、て…………」

「でもさあ、食い扶持が減って楽になるんじゃない? 母さんとクラウンだけなら遺産を切り崩して暮らしていけるだろうし、暫くは父さんと兄さんの肉を食べれば良いしね」


 ここでは人肉を食べるなど普通のことだ。

 死者を埋葬するという概念はない。肉は塩漬けにして、痛み易い内容物は炒めて保存の利くようにする。そして骨は砕いて血のワインと共に頂く。

 それは決して死者を冒涜している訳ではない。死者は生者の肉体の一部となって共に生きていく、というのがここの宗教だった。

 故にここの民は宗教的に価値観の合わない者たちから野蛮人や異教徒――【外法】と呼ばれている。

 三百年も生きる時点で普通の人間ではないのだから、弾かれるのも宗教の違いだけでもないだろう。ここで暮らす民はかつて地上で起きた争いの時に生み出された、人であって人ではない生き物だ。


「父さんと兄さんを殺したってのは流石に世間体が悪いかな。俺、出て行くよ」

「ヴィンス……」

「母さん、今までお世話になりました。それじゃあ、さようなら」


 縋り付いてくる母と別れの包容を交わすと、ヴィンセントは興味を失ったとばかりに突き飛ばす。


「……に、にいさま…………」


 よろめく母に駆け寄った弟は怯えた目でヴィンセントを見上げた。

 金髪碧眼の恵まれた容姿をした弟はこの自分を兄と慕ったが、慕われれば慕われるほどにヴィンセントは殺意が湧いた。自分より美しい弟が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

 父と兄を殺したのは、恵まれた弟への復讐というのもあった。


「クラウンも母さんと一緒に元気でね。大きくなったら母さんに楽をさせてあげるんだよ」


 老いていくばかりの母の世話を弟に任せ、ヴィンセントは生まれた家を出た。

 行き先は決まっていなかった。ただこの世界から出て行こうと思った。

 つまらない世界から抜け出して、面白いことを見付けよう。

 残りの生を面白可笑しく過ごしたい。気が狂いそうな退屈から解放されたい。こんな場所で飢えて死ぬのは御免だ。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



「ねえ、お兄さん。お花、要らない?」


 甘い声に振り向くと、赤い外套に黒いドレスという出で立ちの娘がいた。

 花が綻ぶような屈託のない笑みにヴィンセントも優しく微笑み返す。


「花? 幾ら?」

「んー、お兄さん、お金持ちそうだから3000ミラ!」

「へえ、人の見た目で価格変えるんだ? 面白いね。良いよ、買ってあげる」


 商売人として整えているのか怪しいぼさぼさの金髪に、その癖やたらときらきらした碧眼。服装は流行りのものとは程遠く、野暮ったいその雰囲気からしてお世辞にも美人とは言えない。

 つまらない顔をしている割には、面白いことを考えたものだ。

 花屋に行けば百分の一の額で買えるような花を高値で売り付ける厚顔さにヴィンセントは完敗だった。


「ありがと!」

「はい、どうも」


 笑顔で受け取った花を笑顔で握り潰し、笑顔のまま靴底で踏み潰してやった。

 潰れた花をゆっくりと見下ろした後、娘は無表情でヴィンセントを見上げた。


「女が粋がるんじゃないよ」

「……は…………」

「お前さ、身の程を弁えろって言われない? 言われるよね、そんなに生意気だと。女って男を喜ばせてこその生き物だよね? なのにお前は何なわけ?」


 髪を引っ張りながら教育的指導を施すと、娘は肩を震わせた。

 そう、これで良いのだ。卑しい女は男の下にあるべき生き物だ。このような娘だって従順であれば少しくらいはマシに見えるだろう。これは娘の為の教育でもある。自分は今とても良い行いをしている。そうして優越感に浸っていたヴィンセントを悲劇が襲う。


「男の何が偉いんだ、この×××野郎!!」


 女の口から出てはいけないような言葉が聞こえたと思った瞬間、何かが脇腹に潜り込んだ。

 見事な回し蹴りだった。

 めり、と肋骨が軋む恐ろしい感覚に、ヴィンセントはその場に膝から崩れ落ちる。


「……お、お前…………」

「うふふ、お大事に~」


 娘は艶やかに笑うと花籠の中の花をヴィンセントにぶちまけ、踵を返した。

 残された赤い花が風に吹き飛ばされる。からころと石畳の上を転がって艶やかな姿を晒している。

 悲惨で美しかった。


「何だよ、あの女」


 それからヴィンセントは得体の知れない感情に悩まされることになる。

 一日経っても、一週間経っても、二週間経っても、一ヶ月経っても、あの娘の顔が忘れられなかった。

 それほどまで根に持っているのか。それほどまでに執念深いのかと自分のことながら呆れた。だが、仕方ないと思う。卑しい女に足蹴にされたのだから腹を立てて当然だ。これは正当な怒りだ。

 そうして自分を誤魔化していたが、あとから思えば一目惚れだったのだ。

 忘れられない娘との再会は、それから半年後のことだ。






 赤い外套の娘との再会は思いもしない場所だった。

 再会した時はただひたすらに衝撃を受けた。

 半年経っても忘れられないくらいに腹立たしい女だ。会った瞬間に殺さなかったのが嘘のようだった。


「新しくチームね。君はまあ良いけど、女なんて足手纏いにしかならない気がするな」

「いや、あの女は俺たちよりやり手だ」

「知り合いなんだ?」

「以前何度か組んだことがある」


 借りているアパルトマンの隣同士ということで親交のあるヴィンセントとエルフェは外法狩りだ。

 ヴィンセントが【外法】でありながらもその立場にいるのは、【上】に【命を取らない代わりに忠義を誓う】と約束させられているから。大貴族の御曹司であるエルフェがここにいるのは、家の事情で裏社会に組さなければならないから。

 身分も立場も違う二人だがそれ故に触発されることも多く、友人をやっていた。


「俺は警備員みたいなことはやりたくないんだけどな……」

「狩りたいのなら出てきた奴を狩れば良いだろう」

「そうタイミング良く出てくるものかな」

「門番の死亡率は一番高い」

「じゃあ、期待するよ」


 今までヴィンセントは捕らえた外法の処分に携わっていたが、処刑という職業上任期が決められている。

 五年という期間を勤め上げたので、これからは同僚たちと肩を並べて門番をすることになる。

 三人から五人でチームを組み、最下層部【アヴァロン】の門を交代で見張るという地味な仕事。だがエルフェが言うように、あの門を突破するなど外法にとっては造作もないことだ。

 飢えで気が可笑しくなった外法が食糧を得ようと隔離区域を飛び出し、まず最初に目に付く人間を襲う。門番の死亡率が高いというのはそういうことだ。


「そろそろ時間かな」


 処刑人から門番への転身なんて萎える限りだ。せめて組む相手は面白い人間であって欲しい。

 つまらない気分のまま待っていると部屋の扉が開かれた。


「こんにちは」


 ノックもせずに開閉した扉を潜ってきたのは、妙齢の女性。

 蜜柑色の髪にライムグリーンの服という出で立ちも目を引くが、それよりも目立つのが頭から膝までを覆う赤い外套だ。

 外套のフードをすっぽりと被っているので表情は分からない。

 女はフードを被ったまま言葉を発した。


「今日から君たちと一緒に働かせて貰います、ダイアナ・アシェリー・フロックハートです。長い名前は嫌いなので、ディアナで構いません。どーぞ宜しくお願いします」


 声は高くもなく低くもなく少年のような印象を持っていて、舌足らずな抑揚から幼くも聞こえる。形式的な挨拶をしたディアナは下げていた頭を上げる。その拍子にフードが落ちる。

 ばさりと散る長い髪と、露わになった顔を見てヴィンセントは胸が冷たくなるのを感じた。


「ああ……」


 何と言って良いのか分からなかった。感嘆詞を漏らすのが精一杯だった。

 この半年間忘れられなかった忌々しい女がまた目の前に現れたのだという冷たい感動があった。

 じっと目を眇めたヴィンセントに、ディアナもあのことを思い出したのか指を差す。


「……うっわ……DV男だ……!」

「誰がDVだ、阿婆擦れ女」

「じゃあ暴力男だ!」

「じゃあとか適当に付けるなよ」


 確かに意地悪はしたが、家庭内ではない。それに本当に凶暴なのはあちらだ。こちらは髪を引っ張っただけなのに肋骨に罅を入れられたのだ。

 何故こいつと組まねばならないのだと二人が睨み合っていると、エルフェが呑気に訊ねた。


「知り合いだったのか?」

「ちょっとね……」

「聞いてよ、エルフェくん! この男、わたしのお花を踏み潰した挙げ句、わたしの髪引っ張ったの!」

「ヴィンス、女性にもっと紳士的になれないのか」

「へえ、エルフェさんはその阿婆擦れの味方なんだ?」

「阿婆擦れじゃありません、ディアナですー!」


 わざとらしくエルフェの背に隠れたディアナは舌を出す。その子供染みた振る舞いにヴィンセントはこれ以上なく脱力した。

 人間換算すると二十歳――外法にとっての三年は人間の一年だ――のヴィンセントから見ても、ディアナは子供だった。身体は成長していても中身が残念な出来だった。

 このような子供と真剣に争うのは大人げない。

 大人として譲歩してやろうと、狭い心を無理矢理広げたヴィンセントは嘆息で話を流した。

 だがヴィンセントが引いたにも関わらず、ディアナは失礼な言葉を投げ付ける。


「ふーん、君が騎士ね。まあ、【フェレール】にいるんだから上の関係者だとは思ったけど世も末だね」

「は……?」

「君みたいな暴力男が人を守る仕事なんてぞっとしないよ。【アルカナ】ってそんなに人手不足なのかなあ」


 容姿だけなら穏和そうな雰囲気を持っているが、彼女は好戦的だった。ディアナは恐れも知らない様子で言いたいことを並べ立て、すっきりしたのか満面の笑顔になる。


「まあ、チーム組んだからには協力するけどね。わたしの足引っ張らないでよねー」

「どっちの台詞かな、それは」


 売り言葉に買い言葉。互いに一歩も譲らないヴィンセントとディアナは果たして仲が良いのか悪いのか。この中で唯一の常識人で良心でもあるエルフェは、頭が痛そうに嘆息する。

 こうしてヴィンセント、エルフェ、ディアナによるチームが結成された。

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