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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
一章
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眠りの森が見せた夢 【4】

 夕日の射し込む部屋で、ただぼんやりと過ごす。

 レヴェリーとエルフェは昨日から家を空けている。【Jardin Secret】はこの日、休業となった。掃除を終わらせた後、暇になったクロエは移ろいゆく空を見上げていた。


「いつまで続くのかな」


 もう少しでここで目覚めてから二ヶ月が経つ。未だに何も思い出せないクロエはそのことに対して焦りを感じ始めていた。

 ヴィンセントやレヴェリーと話したり、エルフェに頼まれて店のちょっとした手伝いをしている時は気が紛れるのだが、こうして一人になると色々と考えて落ち込んでしまう。悩んでいる所為か眠りが浅く、怖い夢を見たりもする。不安は増していくばかりだ。

 この小さな庭でのささやかな幸せは、皆が良くしてくれることか。


「それなのに私は……」


 外の風でも浴びようかと思った。冷たい北風に当たれば少しは身が引き締まるかもしれない。

 クロエは誰もいない店内を通り抜けてそのまま外への扉を開けようとする。


「何してるの、君」


 扉を押し開けようとした腕を、何処から現れたか知れないヴィンセントに掴み取られ、そのまま引き寄せられる。奇しくも抱き合うような格好になってしまい、クロエは慌てて彼の胸を押し戻した。

 しかし、その抵抗が仇となってかヴィンセントは捕らえるようにクロエの背に腕を回した。

 耳朶に吐息が掛かるのを感じる。えも言われぬ感覚に、悪寒にも似たものが込み上げてきてクロエは足がもつれた。そうしてくらりとよろめくもののヴィンセントの手に支えられ、倒れることはまぬがれる。


「何してたの」


 耳のすぐ傍で、とても低い声が聞こえた。


「……えと、その……外の空気を吸いたいなと思いまして……」

「駄目だよ、君はまだ病人なんだから。君が倒れたりしたら僕は悲しいよ?」


 悩ましげに囁きながら髪を梳くその手付きに、クロエは呆気に取られた。抱擁を受けたこともそうだが、異性からこのようなことをされたのは初めてだ。例え、記憶があったとしても【初めて】だ。

 この状況は一体何なのだろう。

 輝くばかりの美貌を持つ青年に気遣われ、抱き止められる。こんな状況に陥っては夢を見てしまう女性も少なくないのではないだろうか。だが、クロエの意識は冴えている。


「また倒れたら大変だから、出るなら中庭にしなよ」

「私は平気――」

「さあ、一緒に中庭に出よう」


 クロエの動揺をみとめた上で、ヴィンセントは鮮やかに無視した。

 外に出るな、と無言で脅されているように感じたのは気の所為か。

 クロエは肩越しに疑惑の目を向けたが、ヴィンセントはまるで気付かないように腕を引いた。






 西に傾いた夕日が二人を照らす。赤く溶けた光は冷たい風に揺れるその髪までも同じ色に染める。

 クロエの黄昏空のような金髪も、ヴィンセントの十六夜月のような金髪も。

 落陽に照らされて常ならぬ雰囲気を漂わせるヴィンセントの姿をクロエはそっと窺った。

 先ほどの強引な振る舞いには驚いた。女性の扱いに慣れている様子にもどきりとしたけれど、これほどの完璧な容姿を持っている人なら良い仲の女が一人や二人、存在しても可笑しくはないだろう。

 だが、何故かヴィンセントからはそういう雰囲気を感じない。そういった生々しさを感じない。

 不思議な人だとクロエは思った。彼とこうして二人きりで向き合うことは珍しい。この際だ、すっかり機会を逃していた事柄を訊ねてみようとクロエは口を開く。


「ローゼンハインさんは絵を描くんですか?」

「絵……? 急に何で?」

「随分前ですけど、お部屋を掃除した時に画材があったので」

「机の上にあったから驚いたけど君だったんだ。……なに、まさかスケッチブックの中を見たの?」


 ヴィンセントは問いながら口の端を緩く吊り上げる。

 微かに声色の温度が下がったのを感じ、クロエは息を呑んだ。


「み、見てません……!」

「そうだよね、君は人の持ち物を勝手に物色できるような悪い子じゃないよね」


 頭一つ分の身長差があるので、顔を上げない限り視線が合うことはない。しかし、彼は許さない。ヴィンセントは長い足を折り、その場に跪く。彼に手を取られたクロエははっとした。

 身長の差を考慮したのか、それとも別の意味があるのか、ヴィンセントは膝を折ったまま顔を上げた。そして緑の瞳を優しげに細めて笑う。


「勝手に見ちゃ駄目だよ……?」


 見たら殺しちゃうかも。

 冗談にしては笑えない言葉に、震えが止まるほどに気圧された。

 クロエは緑の瞳をきらきらと輝かせるヴィンセントに、天使の顔に隠された凶悪な本性を垣間見た気がした。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 ある日の夜、クロエは猛烈な喉の渇きを感じて寝台から抜け出した。

 クロエは二階の奥にある角部屋を与えられている。この階にはヴィンセントの部屋もあるので起こさないようにしなければと足音を殺して一階へと降りてゆく。


「あいつのこと、いつまでああしておくつもりだよ?」


 扉越しに咎めるような少年の声が聞こえ、クロエはドアを押し開けようと伸ばした手を咄嗟に下ろした。


「可能な限りは面倒を看る。それが俺たちの責任だろう」

「うわ、何その言い方」

「元はといえば誰の所為だと思っている?」

「はいはい、済みませんね」


 レヴェリー、エルフェ、ヴィンセント。三人揃っているようだ。

 こんな深夜に集まって彼等は何のことを話しているのだろうか。


「オレが言いたいのは誰の所為とかの話じゃねえよ」

「というよりもあの娘、もう思い出しているかもよ」

「何だと? ヴィンス、どういうことだ」

「この前、凄く怯えた目で見られた」


 立ち聞きするのは良くない。はしたないことだ。

 けれど、クロエは彼等が話している内容が気になった。


「それはヴィンスが苛め倒しているからじゃねーの?」

「そういうのとは違うよ。草食動物特有の目というかね……」


 冷めた声だった。優しさも厳しさも伝えない、人間味のない声だった。表情が見えないからこそ無情さに拍車が掛かっている。

 これは本当に、あの笑みを絶やさないヴィンセントが出す声なのだろうか。いつかの夕暮れ時に感じた薄ら寒さをクロエは再び感じていた。


「スケッチブックを自分のものだと思い出してはいないみたいだけど、気にしているし」


 薄ぼんやりしている癖に勘だけは良いよね、メイフィールドさんって。

 自分の名前が出てきたことに、クロエは心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。


(スケッチブックが私のもの?)


 聞いたことが耳から抜けていかず頭の中をぐるぐると回った。目眩と吐き気を伴う不快感が込み上げてきて、クロエは頭を押さえた。

 ああ、頭が痛い。いけないことを聞いてしまった気がする。

 立ち聞きなんて悪いことをした罰だろうか。いや、罰というよりもこれは――――。


「いざとなったら――」

「ヴィンス!」

「物騒なことを言うな」

「いや、まだ何も言ってないんだけど」


 これ以上はきっと聞いてはならないことだ。クロエは足音を立てないように細心の注意を払って部屋へ戻った。

 喉の渇きよりも気持ちの悪さが胸の奥から込み上げてきて、倒れ込むようにして横になった。

 じくじくと胸を苛む感触を振り払うべく、早く眠りについてしまおうと考える。

 もしもこれが夢ならば覚めてくれるかもしれない。きっと夢だ。これは悪い夢なのだ。クロエは希望と不安を抱きながら目を閉じた。

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