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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
三章
28/208

猫かぶりの灰かぶり 【3】

※この話は流血表現が含まれます。閲覧にはご注意下さい。

 ティーブレイクとは、午後にちょっとした菓子を食べながら取る短い茶の時間のことだ。

 しかし、お喋り好きの医者に誘われたクロエはかなり長い時間を拘束される羽目になってしまった。

 雪の降り積もる街路を駆け抜け、漸く家に着いた時には時計の短い針は五の数字を指していた。クロエは急いで夕飯を作り始める。

 今日の夕食はトマトファルシ、オニオンスープ、バゲットだ。

 まずはパテを作ろうと野菜を貯蔵庫(パントリー)に取りに行ったクロエは、戻ってくるなりレヴェリーに声を掛けられた。


「今日の夕飯って何?」

「トマトファルシだよ」

「へー……」


 生返事をするレヴェリーは雑誌を片手に、テーブルの上のノートに何かを書き込んでいる。

 クロエは野菜を持ったままソファの後ろに立ち、そっと様子を窺った。

 【とっておき!彼に作りたい極上スイーツ】。そんな題名の雑誌には今月半ばにあるイベントの特集記事があり、レヴェリーはレシピを書き写しているようだった。


「彼に作るの?」

「はあ!? 何でそっちいくんだよッ!?」

「え……だってその雑誌に彼に作りたいってあるから」


 思い切り恨みがましい目で睨んでくるレヴェリー。


「違えし! これエルフェさんの本だよ。題名が微妙だけど意外と参考になるんだってさ」


 見ると、彼に作りたいシリーズの雑誌は四巻まで揃えられていた。


(そういえば、ジルベール先生も持っていたような)


 女性向けの雑誌なのでクロエも記憶に残っている。あのヴァレンタインの従者兼主治医のジルベールが弟との話題作りに買ったという本もこのシリーズだ。


(お菓子好きの弟さんがいるなら、エルフェさんと気が合うんじゃないかな)


 エルフェはどうにもジルベールを嫌っている素振りがあるので、菓子の話題で仲良くなったら良いのではとクロエは考える。エルフェはレイヴンズクロフトの末子のようだし、同じく末に近い生まれのジルベールとは気が合いそうだ。

 人の感情や関係は単純ではないと知りながらも、縁があるのだから皆には仲良くして欲しいと思うクロエだった。


「もしかして、ショコラトルデーの計画?」


 二月には男女共に菓子や花を贈り合って、愛や日頃の感謝を伝える日がある。

 昨今はショコラトルデーとも呼ばれていて、チョコレートを贈るイメージが強くなってきているが、本来どんな贈り物をするという決まりはないのだ。

 もしやその計画を立てているのかとクロエが訊ねると、レヴェリーは二つ答えを言った。


「それもあっけど、勉強もしないとやべーかなってさ」

「お菓子のレシピを頭に入れておけってやつだっけ。でも勉強ならエルフェさんがいる時が良いんじゃない?」


 そうすれば疑問点があってもすぐ質問できるし、エルフェにも「怠けてないで勉強しろ」と小言を言われることもない。そういう意味でクロエが言うと、レヴェリーはぷいと顔を背けてしまった。


「嫌だね、そんなん」

「どうして?」

「勉強とかオレの柄じゃねえだろ。ぜってーヴィンスとルイに嫌味言われるぜ」

「そうかな」

「そうだよ。エルフェさんだって【今日は槍が降るな……】とか真顔で酷えこと言うに決まってる!」


 自分が努力する姿を他人に見せようとしないレヴェリーは、気恥ずかしくて親に隠れて善行をする子供のように見えてクロエは微笑ましく思えた。


(レヴィくん、頑張っているんだね)


 何かを言えばきっとレヴェリーは否定するだろう。だから口には出さない。

 クロエは勝手に納得して心の中で感心していると、その思いが顔に出て表情が緩んでしまっていたのか、レヴェリーはばつが悪そうにノートを閉じてしまった。


「夕飯作んなら手伝うけど」

「うん、じゃあお願い」


 クロエはレヴェリーにトマトの中身をくり抜く作業を手伝ってもらうことにした。






「あんまりやり過ぎると皮が破けるから気を付けてね」

「……あー…………」

「大丈夫。破けても中の具に使えるから!」

「お、おう!」


 手先が器用そうに見えてレヴェリーは不器用だ。ただ要領自体は良いので、数をこなせばクロエ以上のスピードで野菜の皮を剥いたりもする。

 初めの頃、ジャガイモの皮を剥かせた時も一個目は中身がなくなるやら流血騒ぎになるやらで大変なことになった。

 レヴェリーにとっての一つ目は実験台だ。クロエも最初の一つは生贄に捧げる気持ちで手伝ってもらっているので、潰れたトマトはすぐにボールに入れ、新しいトマトをレヴェリーに渡した。


「レヴィくん、スプーンは左手だよね」

「ああ、昔怪我した時の癖なんだよな」


 レヴェリーが言う怪我とはクラインシュミット惨殺事件のことだ。

 レヴェリーはその時に利き腕を怪我しているようで、スプーンだけは左手で使う癖があった。


「ルイスくんも左利きだから、二人して左利きなのかと思ったよ」

「あいつは左利きっつーか両利きだよ。目立ちたくない時は右手使うし」

「そうなんだ」

「ピアノとかヴァイオリンやってるから両方使えるようになってたっぽいな」

「昔から習い事していたんだね。レヴィくんは何かしてなかったの?」

「オレは親父とキャッチボールとかそっち系だったなー」


 それは何気ない世間話。

 本当に何ということもない会話だが、この家でそれができるのはレヴェリーだけだ。

 ヴィンセントは年中言っていることが物騒で世間話など到底できる状態ではないし、ルイスもあまり自分からは話したがらない。ジルベールに忠告を受けずとも、クロエは彼等に踏み込めはしないのだ。


「ご両親はどんな方……ご、ごめん」


 つい流れでそう訊いてしまい、クロエは後悔した。

 家族のことに触れないのは、施設育ちの暗黙の了解のようなものだ。特にレヴェリーとルイスは実親を知らず、里親も事件で亡くしている。家族の話題は触れられたくないはずだ。

 けれどレヴェリーは気にした様子もなく、答えてくれた。


「それくらい良いって。オレのお袋はパワフル系で親父は腹黒系だったな」

「パワフルと腹黒……」

「お袋は若かったから元気有り余ってた。オレ等引き取った時、確か十八だったような」

「じゅ、十八歳!? お父様はお幾つ……?」


 十八といえばレヴェリーと同じ年齢になる。クロエも貴族の女性の結婚が十六、七なのは知識として知っているが、十八で子供を持っていると聞くと衝撃を受けずにはいられなかった。


「お袋と六歳差だから二十四だなー」

「お、お若いね……」

「んで、親父は人食ったように万年にこにこ笑っててその裏で色々腹黒いこと考えてる奴っつーか。例えるとヴィンスみたいな? いや、あいつよりは性格悪くなかったかな……。使用人もあんまいなかったから、貴族というより普通の裕福な家の夫婦って感じの人たちだった」


 考えてみれば養父はヴィンセントと年齢もタイプも似ているとレヴェリーはげんなりする。

 だけど、彼の目は懐かしさに揺れていた。


「クロエん家はどんな感じだった? 勿論、答え辛いんだったら訊かねえけど」

「ううん、大丈夫。私のところもお母さんが弾けていたかな」


 クロエの母親――ダイアナは明るい人だ。

 元気で明るくて、押しが強い節介焼き。そんな母はきっと駄目な父を支えてやりたくて一緒になったのだろう。結局支えられずに家族はばらばらになってしまったのだが、クロエは恨み言を言うつもりはなかった。

 辛い記憶の方が多いことには多い。けれど、全てが辛かった訳でもない。幸せな時もあったのだ。


『お母さん特製のアップルクーヘンの出来上がり~。アップルティーと一緒に食べましょ』

『うん、クロエが紅茶の用意するね!』


 林檎の森でもいできた林檎を甘く煮付けたものをバウムクーヘンの生地に練り込んだ、とっておきのアップルクーヘン。冬の特別な菓子を、父に喜んでもらいたくて二人で作った。

 飲んだくれでいつも怒っていた父もその時だけは美味しいと言って食べてくれた。


「色々あったからあんまり昔のことは思い出したくないって思っちゃうけど、考えると懐かしいね」

「そうだなー……」


 そうしてぽつりぽつりと昔の話をしながら調理を終え、トマトファルシをオーブンに入れてタイマーをセットした頃、玄関ホールで物音がした。


「エルフェさんとルイスくん帰ってきたのかな」

「ルイの奴、門限余裕で破ってるな」

「エルフェさん付いてるんだから大目に見なきゃ」


 お帰りなさい、と出迎えようと扉を開ける。

 その瞬間、飛び込んできたものにクロエは呼吸を忘れる。


「え――――」


 一瞬、雨で濡れているのかと思った。

 黒衣なので【それ】は目立たなかった。だが、雪白の肌に浮かんだ【それ】は間違いなく緋の色をしていた。

 クロエは咽せ返るような鉄錆の香りを吸い込んだ。


「ちょ、ま……お前等、何で血まみれなってんだよ……」


 レヴェリーもクロエと同様にぎょっとした様子で頬を引き攣らせている。


「……少々、油断してな……」


 様はない。

 自嘲するように言ったエルフェは壁に手を着き、そのまま膝から崩れてしまう。


「エルフェさん!?」

「エルフェさんっ!!」


 クロエとレヴェリーは駆け寄る。

 青冷めた顔で胸を押さえたエルフェの指の間から血が滴り落ちる。飛び込んでくる鮮烈な緋に目眩がした。クロエは吐き気を堪えようと視線を動かして、そこでもう一つの影に気付く。


「ルイス、くん……」


 恐る恐る見上げると、ガラス細工のような双眸と視線が合った。

 白い顔を緋で汚した姿は酷く痛ましい。ルイスはエルフェよりも浴びている血の量が多い。夜闇の中でなければ、とても帰ってこられなかっただろうという有り様だった。


「オレのはただの返り血だから……、レイフェルさんの手当てを」


 ルイスはそう言うと、皆の脇をすり抜けて廊下の奥へ消えた。

 擦れ違い様、ツンと鼻を刺す血臭にクロエは再び目眩がした。だが、ここで震えている訳にはいかない。


「レヴィくん、お医者さん呼んで」

「……あ……、ああ……」


 きっと自分たちだけでは手に負えない。そう判断したクロエはレヴェリーに医者を呼ぶことを頼み、応急手当てをする為の準備を始めた。






(傷は心臓より高く……。で、でもこの場合どうすれば良いの……?)


 一応出血は止まったが、この傷は素人では手の施しようがなかった。

 エルフェは胸の真ん中から脇腹に掛けてを斬られていて、太刀傷など見たこともないクロエがどうしようもないのは仕方のないことだ。しかし、応急処置すらできない自分が歯痒くて、情けなくて、何よりもエルフェが心配で泣きたくなってくる。

 泣くものかと目許を拭った袖も血をたっぷりと吸って汚れていて、クロエは辛くなる。


「そんな顔をするな。麻酔を打ったから、それほど辛くはない」

「……麻酔……」

「ああ……、戦闘の必需品だからな」


 そう言ってもエルフェの顔は蒼白だ。普段は健康的な白さを湛えた頬が今はただ青く、眉間も辛そうに寄せられている。


「ごめんなさい」


 謝る涙目のクロエを見て、エルフェは弱ったように吐息をついた。


「俺たち【上】の人間は自己治癒力を高める処置を受けている。この程度では死なないから安心しろ」

「処置、ですか……?」

「縫合などしなくとも、五日ほどで塞がるだろう」


 【上】の駒として易々と死ねるようにはできていないから安心しろとエルフェは語ったが、それはクロエの不安感を煽るだけであった。


「そういう意味ではルイスの方が重傷だな……。あいつはレヴィが診ているのか?」


 自己治癒力を高めるという処置を受けていないルイスの方が重傷だという言葉に、クロエは首を捻った。


「レヴィくんならお医者さんとローゼンハインさんに電話していますけど、重傷って……」

「すぐにルイスの手当てをしてやれ。俺を庇って何ヶ所かやられている」

「で、でもルイスくん怪我してないって――」


 そこまで思い出して、はっとする。返り血だとは言ったが、怪我がないとは言っていない。

 ルイスは自分が辛い時ほど人を突き放すタイプの人間だ。きっと大丈夫でなくても平気と言う。今朝方のことがあるのに、どうして気付かなかったのだろう。


「わ……私、様子見てきます!」


 クロエはエルフェに「寝ていて下さい」と言い残すと、部屋を出た。

 ぱたぱたと足音が遠ざかる音を聞きながらエルフェは二度目の溜め息をつく。


「あれは適わないな……」


 彼女と同じ顔だ、と彼は人知れず呟いた。

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