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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
八章
202/208

番外編 鶫がいなければ黒歌鳥を食べる ~side Faust~

青い鳥は鳥籠の中に【9】後の話になります。

 独断専行――秩序を乱す行為には罰が与えられる。ルイスを独房に容れたように、ファウスト自身も組織から謹慎処分を命じられた。

 ファウストは直接手出しはできないが人を頼ることはできる。十年クロエのメンテナンスを担当していた看護師に治療を任せた。

 退院前日の夕刻、診療所の事務室にエルフェを呼び出した。


「今はショック状態だ。家族が側に付いていた方が良い」


 クロエを無理に外出させるようなことをするなと言い含める。

 エルフェは【止まり木】だ。巣でも籠でもない、理想的な傍観者である。

 しかし、傷付いた足で枝にとまるのは難儀だ。今は巣であって貰いたいというのはファウストの考えでもある。


「落ち着くまでどれくらい掛かる?」

「時間の話じゃない。時の癒やしなんてまやかしだとお前も知っているだろう」


 事件に巻き込まれた人間がすぐに立ち直ることなどはない。

 心に付いた傷が生涯癒えない者もいる。殆どはそうだろう。暴力の被害者たちは懸命に顔を上げて生きている。今回の事件はそういう被害者を大勢出したのだ。


「暫くは一人で外出もできない筈だ。お前たちで支えてあげなさい」

「そうか……、承知した。俺は兄さんが謹慎処分というのは納得がいかない」

「秩序を乱したのだから当然だろう?」

「メルシエとクロエを見殺しにすることが正しいなど馬鹿げている」

「道理に合わない……そうだね。でも、【非死人】の娘と【騎士】の女ならば仕方ないんだよ」


 連れ去られたのは死人扱いの混血と死ぬことが仕事の騎士だ。【上】がディアナの身柄を渡してまで対策を講じることはなかった。


(レイフェルが組織を去ろうとしているのはこの件もあるのでしょうね……)


 復讐者と呼ぶのも不愉快なあの犯罪者たちはやり過ぎた。

 正直、煉獄で罪を清めろとも思えない。秩序を重んじるエルフェがファウストの非道な仕打ちを咎めないのも正義があちらにないからで、少なくともルイスもそこまでは理解しているはずだった。

 だというのにファウストが診療所にクロエを運んだ時にルイスから向けられた目には非難の色があった。命令違反を理由に独房に閉じ込めた恨みも混ざっていたか。

 ルイスは己と似た境遇の者たちが起こした事件で精神の安定を欠いた。【夢】が揺らぎかねない事態だった。


「虐げられ続けた人間はどうなる?」

「潰れてしまうという話かい」


 世界を呪い、隣人を憎み――目に入る全てに敵意を向ける。

 ファウストの脳裏に焼き付いているのは教会に通う少女だ。エルフェは続けた。


「組織を抜けた後のディアナには助けがなかった」

「不幸だと思うよ。ただ、差し伸べられた手を拒むのもあの女性ではないかな」

「確かにそうだが、全くいないのと一人でもいたのでは違うんだ」


 そうか、と応えつつ内心否定する。


(……お前は【赤頭巾】の成れの果てを見ていないから希望を持つのですよ)


 ファウストの知るディアナは金を力と考える人間だった。

 ファウストは組織を抜けたディアナと【バルニエ】で会っている。二十数年前――クロエが三、四歳の頃だ。

 彼女は下層部下部の掃き溜めで客を取っていた。

 当時教会にいたファウストは別段ディアナとは親しくはなかったが、弟の仲間だったということもあり幾らか話をした。


『わたし、お母さんに花を突き返されたことあるんだよね。その時、思ったよ。余裕ないの嫌だなぁって』


 決まり悪さも感じさせない態度で、ディアナは心に余裕があるのは金持ちばかりだと笑った。


『わたしは子供がくれた道端の花をありがとって受け取りたいんだ。だから、お金がいっぱい要る』

『我が子の為というなら真っ当な手段で稼ごうとは考えないのですか?』

『その言い方、傲慢で嫌だな。わたし、死刑囚で裏切り者なんだよ。まともなんてどこにもない』

『貴女の旦那様は何をなさっているのです』

『元貴族さんだからねー。なかなか下々の暮らしには馴染めないみたい。可哀想だよね』


 夫が頼りにならないということをあっけらかんと語る。


『あの人が悪いって責めてるんじゃないよ。……わたしがアンセムさんの立場だったら、上手くできないって思うもん。自分を橋の下に突き落とした人を恨んで、それしか考えられなくなっちゃう』


 立ち上がりスカートの埃を払ったディアナは赤い唇を噛み、それから愛想笑いを作る。


『そんなだからさ。欲しいものある時はわたしがお金、稼がなきゃ』


 経歴を問わずに雇う店もあった。【ベルティエ】や【バルニエ】ならばあるはずだった。

 ディアナが本当に不幸なのは、手早く稼ぐ方法を知ってしまったことだ。


『物資の支援なら教会がしていますよ。助けを求める者が異なる信仰を持っていたとしてもです。貴女は私たちにとっては敵という――』

『放っといてくれないかな。聖母サマに負んぶ抱っこされる気はないし、ファウストくんがわたしを助ける理由もないでしょ? それともそっちの意味で助けてくれる?』

『貴女は金の話ばかりだ』

『貧しくても幸せなんて嘘だもん』


 ディアナは温もりを与える存在を台無しにしてしまう。

 そして、ファウストは底の抜けたバケツに水を注ぐほど余裕のある人間ではなかったのだ。

 ファウストとディアナのような存在から見て真っ当な人間であるエルフェは、まともだからこそ闇を理解できない。


「俺はクロエをディアナのようにする訳にはいかない」


(覆轍を踏む? そうなるはずもない)


 何せクロエはヴィンセントとディアナを許すような女神様だ。

 ……いや、この言い方は皮肉が過ぎる。

 善良な彼女は周囲の人間の想いを汲もうとする。気遣いや愛情を無碍にすることを良しとはせず、己を犠牲にする道を選ぶはずだ。

 親の罪という背負う必要もない苦労を肩に乗せて潰されるクロエをファウストは見ていられないと感じる。

 クロエはこう言って良いのだ。自分と親は違う、と。

 もしクロエがディアナから逃れることを望むのならファウストは協力を惜しまない。


(子供にとってそれが難しいというのは分かりますよ)


 親から逃げるということは親からの愛を自ら断つことだ。虐待を受けて逃げない子供というのはこれができない。いつか相手が変わる、自分が悪い。そんな理由を作って耐えてしまう。

 かつてヴィンセントに負わされた傷を忘れたように振る舞おうとするクロエを見て、ファウストは哀れむと同時に胸騒ぎを覚えた。

 その不安は間違いではなかった。

 クロエのような存在は、復讐を果たして幸福な人生を取り戻すルイスの障害になる。


「……幸福にならなくては」


 クロエのしていることは幸福探しだ。

 殴られても骨折していないから良いとか、食事にありつけたら冷えていようと構わないとか、あばら屋でも雨風凌げるだけましだとか。その思考をする人間は不幸の只中にあっても現状よりも悪い事態を想像し、今が恵まれていると己に言い聞かせる。そんなまやかしの幸福にどうしてルイスを付き合わせようなどと思えるのだろう。


「ファウスト兄さん?」

「子供たちは幸福にならなくてはいけないと言ったんだよ」


 道もないような雪原で、不幸の中の幸せ探し。冗談ではない。

 ファウストはまともな社会性を持つ人間の表情を顔に貼り付け、先ほどのエルフェの言葉に同意するように語った。


「子供が子供らしく在れない社会はあってはならないし、最も近くにいる大人を頼れない状況も異常だ。……クロエさんは優しい子だ。自棄になって過ちを犯すということはないにしても、必要以上に思い詰めるだろう。そういう意味では我々大人が彼女の間違いを正さなくてはいけないね」


 クロエの未来を思ってのことなのか、自らの目的の為なのか。嘘と本心が混ざった言葉に異を唱える者はいない。

 エルフェは負い目からこちらを疑うことはなかった。レヴェリーもこちらがルイスの為と語る限り協力させることができる。惑うルイスには餌を与えたら良い。復讐に駆り立てるような甘い毒を飲ませよう。


(幸福になりたいのなら拒絶しなさい)


 クロエは加害者ではない。けれど今のままでは被害者でもない。

 滑稽な道化でいたくなければ、身の振り方を考えるべきだ。

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