番外編 あの双眸が拭い去れない ~side Raphael~
青い鳥は鳥籠の中に【8】直後の話になります。
火薬の匂いをさせたままクロエの前に立つなという批難を受けたエルフェは、お前は薬液の匂いが酷いという言葉を呑み込んだ。
クロエとメルシエが浚われたあの日、ルイスに何があって銃を使ったのか、抗命した部下に兄がどのような罰を与えたのか。エルフェは聞き及んでいたが、クロエの心の負担を増やすだけなので何も言わずに部屋を出た。
明かりの落ちた廊下を歩いていく。メルシエの病室の前にはレヴェリーが立っていた。
レヴェリーはルイスと同じ目をしている。
「エルフェさんってクロエのお袋好きだったのかよ」
「その話はどこから出てきた?」
「……忘れた。ピンク頭だっけ」
ろくに話したこともない娘にそんなことを言われる筋合いはない。ヴィンセントの勘違いのせいで、メルシエとアンジェリカからも誤解を受けていることにうんざりする。
「ただの憧れだ」
「憧れ? 曖昧な言い方で誤魔化そうとしてねぇ?」
「好感を持っていたのは事実だ」
若い日のエルフェはディアナが自由に見えて、憧れた。
実際ディアナは自由だったのだ。
ディアナは法を犯している。法を守らないということは法にも守られないということだ。人を殺めて、恨まれ、また殺し。自由故に守られることもなく、己の力を頼りに生きていた。ディアナが組織の仕事の裏でしていたことをエルフェが知ったのは随分後だ。
その時点では軽蔑はなかった。
彼女は彼女なりに筋を通して生きている。ゆえに彼女はいつも輝いて見えた。強く、自由な女性。そう感じていたからこそ、彼女の娘のクロエが不自由に生きていることに落胆して、同情混じりに家に置いていた。
『親のいない子供の面倒を看ていると聞いて来てみればやっぱりそう。レイフェルのそれは持っている人のゆとり。偽善だわ。それはね、薔薇の香りをしていても腐った生ゴミなのよ』
腹違いの姉の言う通りだ。
エルフェがクロエへ最初に向けたのは哀れみだった。冷淡な同情だ。
だが、一年も暮らせば情も湧く。
遠い昔に消えてしまったディアナよりも、ここにいるクロエへ比重を置くのは当然のことだ。
だから病室でディアナが花瓶を振り上げた時、エルフェがクロエを庇ったのは年長者としての責任感などではない。何故自分の子供を傷付けるのだという、はっきりとした敵意だ。
『エルフェくんなんで……っ! なんでそいつ庇うの!?』
敵意にディアナも反発し、厭悪を示した。
クロエは静かに泣いて、このことを誰にも言わないでくれと懇願した。あの時にエルフェの中で決まったのだ。
もうこちらの世界にはいるべきではない、と。
残酷だと薄情だと言われようとも、今更だと呆れられようとも、身勝手だと詰られようとも、クロエのいる側に立とうと思った。
「過去形かよ。……じゃ、文句言っても怒んないよな」
そんなことの確認か。
もしこちらがディアナ側に立つようならレヴェリーは言葉を呑み込んだのだろうか。紫の目は怒りに染まっている。
「なんでクロエとメルシエさんこんな目に遭うんだよ。何も関係ねぇだろ」
「そうだな」
「クロエはずっと放っとかれたんだぞ。置き去りにして、ほっといた奴が親……? クロエがそれでも好きだっていうのもオレは意味分かんねえけど、そいつのせいで不幸になるのはもっと意味分かんねえ」
他人の手で母親と引き離されたレヴェリーだからこそ、自ら母親を降りたディアナへの嫌悪は強くなる。
「クロエもメルシエさんもそいつのこと絶対責めないんだろ。ふざけんなよ……」
レヴェリーは数日寝食をまともにとれていない顔色をしていた。クロエとメルシエに起きたことでレヴェリーがどれだけ精神をすり減らしたのかを改めて知る。
レヴェリーの怒りは正しいものだ。
例え復讐が正当なものだとしても、それは当事者のディアナまでだ。クロエに危害を加えた時点で、被害者は加害者と同じ立場に落ちている。
だが、追い詰められた被害者遺族の気持ちが当事者にしか分からないのも事実だ。
診療所の廊下までクロエの泣き声は響いていた。