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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
二章
20/208

閑話 Cendres de Reve 【2】

 セントラルタワーから出たクロエは北風の冷たさに心地良さを覚えた。

 施設内は暖房が効き過ぎていて頭がぼんやりとしてしまった。生き返るような気持ちでクロエは灰色の空から落ちてくる雪を手の平に受け止めた。

 クロエが生き返る一方で、冬が苦手らしいヴィンセントは忌々しいという顔をしている。


「寒いの苦手なんですか?」

「好きな人っている?」

「私は夏の暑さに比べれば好きです」

「僕は夏が良いな」


 一番好きなのは林檎の花の咲く春、次に好きなのは林檎が実る冬だ。

 クロエが夏は苦手だと言うと、ヴィンセントは夏が好きだと答えた。


「冬が好きなのって子供だよね。レヴィくんとかレヴィくんとかレヴィくんとか」

「あれ、レヴィくん寒いの嫌いじゃなかったですか?」

「そうだっけ?」

「いつもヒーターの前にいますし、寒い寒いと言ってますよね」


 夏を好む人が多いというのは確かだ。

 【アルケイディア】で夏は短い実りの時期だ。若者なら夏を好いて当然だろう。長く冷たい冬は寧ろ忌むべきものだ。

 考えながら歩く内にいつもの中央公園に差し掛かり、そこであるものを見付けたクロエは目を瞬かせた。


「レヴィくん、ルイスくん!」


 街灯の下で、一つの傘を巡って言い争いをしている少年たちがいた。

 焦茶と薄茶の髪という組み合わせも特徴的だが、二人はお洒落なのだ。そんな二人が並んでいると――しかも言い争いをしていると――目立つ。

 駆け寄ると二人ははっとしたように争いを止め、レヴェリーはルイスから傘を奪うとクロエにそれを渡した。


「どうして二人がここに?」


 受け取った傘をどうしようかと悩みつつ、奪い合うくらいならいっそ差さないか、皆で一緒に入れば良いと考えたクロエは傘を二人の上に傾けながら訊ねた。


「ヴィンスに呼び出されたんだよ」

「ヴィンセント様、どういうことです?」

「エルフェさんもいないことだし、たまには皆で外食しようと思ってね。君も家事ばかりじゃ疲れるだろう?」


 口では酷いことを言いながらも実は内心で気遣っていてくれたのか。クロエは感激だ。

 けれども。


「というか、君の作る微妙な料理にそろそろ飽きてきた。家畜の餌みたいな味がするんだよね」


 だったら貴方は家畜の餌を食べたことがあるんですか。クロエは本気でそう問いたくなり、懸命にその衝動を鎮める。

 そんなことを口に出せば精神的に殺される。一日の内に二度も死を味わいたくないクロエは言葉と衝動を必死に呑み込んだ。その代わりに、ヴィンセントに期待した自分が愚かだったと己を呪う。


(……でも、まあ良っか)


 考えてみると皆と外食なんて初めてだ。皆で食事をすることを考えると何だか楽しい気分になって、クロエはヴィンセントの暴言を水に流すことにした。






 まるでお伽話に出てくる宮殿のような入り口が目を引く、ファルネーゼ料理店。

 中流階級による中流階級の為のカジュアルレストランは、シックなインテリアによって落ち着きながらもゴージャスな雰囲気を放っている。


こんばんは(ボナセーラ)! 最初の料理は何になさいますか?」


 慣れない雰囲気にそわそわしていると、給仕がメニューを持ってやってきた。

 ファルネーゼ語が読めないクロエはジャイルズ語のメニューを用意してもらった。


「僕は貝のリゾット」

「オレは抜く。それほど腹空いてねーし」

「ではオレも」

「私も抜きます」


 ファルネーゼ料理は前菜、第一の皿、第二の皿と添え物、最後にデザートやコーヒーという頼み方だ。ここは大衆食堂なので、第二の皿とデザートといった組み合わせも可能である。


「分かりました。メインはお肉とお魚のどちらに?」

「今日のお勧めは何?」


 ヴィンセントの問いに、子羊のフィレはいかがですかと給仕は言う。


「じゃあ、それで」

「オレはミックスサラダ添えでカツレツ」

「私は……このムール貝のクリームパスタを」

「鮭の塩焼きをお願いします。量は半分にして下さい」


 肉好き、クリーム好き、魚好きと、四人の好みが表れたメインディッシュのセレクトだった。


「お飲み物は何が宜しいでしょうか?」

「ルイスくん、赤と白どっちが好み? というか赤ワインで良い?」

「構いませんけど……」

「赤ワインを一リットルと、ミネラルウォーター半リットル貰うよ」

「すぐにご用意致します」


 給仕はメニューを手に颯爽と去る。

 クロエがその背を視線で追っていると、向かいに座るルイスがヴィンセントに向けてこう言った。


「一リットルも誰が飲むんですか。オレはグラスで良かったんですけど」

「残ったら僕が飲むから良いよ」


 ヴィンセントは大食らいの上に酒豪だ。普通、酒好きは食事の手が疎かになるものだが、彼はどちらもしっかりと食べる。細身という訳でもないが、がたいが良い訳でもないので一体何処に入るのかクロエには謎だ。

 酒の話題には付いていけないクロエは改めて店内を眺める。

 【クレベル】中心部から北へ少し行ったところにあるファジョーリ通り。そこにあるファルネーゼ料理の店に一同はやってきた。

 ファルネーゼ料理とはパスタやピザといったもので、ジャイルズ人にとっても身近な料理である。広いダイニングフロアにある三百の席はどれも埋まっている。外で順番待ちをしたことからも、とても人気があることが窺えた。ボックス席はソファの背もたれが高いので他の客の声や視線はあまり気にならない。

 やがて運ばれてくる料理。


良い食欲を(ブオンナッペティート)


 ファルネーゼではデ・シーカで「頂きます」と食前の挨拶するように、「良い食欲を」と言って食べ始める。

 炭酸水(ミネラルウォーター)をグラスから一口飲んだクロエはフォークを手に取った。


「とても美味しいです!」

「へえ、下民にも食事の味は分かるんだ?」

「ヴィンセント様に嫌味を言われても食欲が落ちないくらいに美味しいです」

「やっぱり性格悪くなったよね、メイフィールドさん」


 真横から飛んでくる嫌味によって胃が縮んでも、するりと入っていく。クリームパスタは絶品だった。

 捻りを利かせた受け答えをするクロエの様子にやれやれと嘆息したヴィンセントはグラスを取った。


「なあ、ルイ。そっち味見させて」

「マナー違反だよ、レヴィくん」

「んだよ、細けえなー」


 カツレツにサラダという自分の皿がありながらも片割れの皿を狙うレヴェリーを、ヴィンセントは咎めた。

 クロエや双子が過ごした施設だと食事を取り替えたりするのは日常茶飯事だが、ファルネーゼでの食事は、各自が頼んだ料理をしっかり食べるのがエチケットだ。皿の取り替えや摘み食いはマナーに反する。


「どうせここはカジュアルレストランですし、咎める人もいませんけどね……」


 ルイスはレヴェリーが他人の皿を狙う癖を知っているのか、鮭のソテーを切り分けると皿に運んだ。

 ただでさえ少ないソテーが半分以上も寄越されたのを見てレヴェリーも吃驚する。


「お前もこっちのいるか?」

「レヴィ、オレが肉嫌いだと知っているよね」

「安肉なら食う癖に」

「うるさいな。ごちゃごちゃ言うなら返して貰うよ」

「分かったよ」


 鮭の塩焼きを一口食べたレヴェリーは「お前の好きそうな薄味だ」と言って、渋面を作った。

 レヴェリーとルイスは基本的に好みは似ているのだが、肉好きと魚好きというところで正反対だ。それは好き嫌いというよりは、味の濃淡の好みらしい。

 【クレベル】で暮らしているレヴェリーは濃い味のジャンクフードに慣れていて、【ロートレック】で暮らしてきたルイスは薄味のシューリス料理に馴染んでいる。十年近く離れていた二人にも差異があった。

 けれど、こうして並んでいる姿を見るとやはり二人は兄弟だ。

 レヴェリーは右利きでルイスは左利きなのだが、食事の時は互いの手が邪魔にならないように座ったりと暗黙の約束があるらしい。揉めることは多くても気遣い合っている。そんなところが素直で可愛らしいとクロエは思う。


「エルフェさんがいないのが残念ですね」

「そうか? エルフェさんがいないからこその外食じゃねーの?」

「あの人がいたら延々批評を聞かされて味を楽しむ余裕ないしなあ」


 和やかで楽しい席にエルフェがいないことを残念がるクロエに、レヴェリーとヴィンセントは渋い顔をした。


「批評、ですか?」

「あの人も一応料理人の端くれだからさ、何でも食べるけど他人の作ったものにはうるさいんだ。エルフェさんに日々の食事に批評を付けられないだけ、君はとても恵まれているんだよ」

「エルフェさんってヴァレンタイン社のもの買う時もうるせーよな」

「ヴァレンタインとレイヴンズクロフトは【ロートレック】の双極壁だからね。色々あるんじゃない?」

「良い材料だって分かってんなら、変なこと気にしないで使えば良いのにな……」

「あの、エルフェさんのお家って凄いんですか?」

「レイヴンズクロフトといったら、ヴァレンタインと並ぶ二大侯爵家だよ」

「ええ!?」


 つい大きな声を出してしまい、クロエは慌てて口を押さえた。


「学校で勉強してないってことは、メイフィールドさんは五等爵の仕組みも知らない訳か」

「済みません……」


 クロエが落ち込むと、ヴィンセントは仕方ないなと前置きをして説明してくれた。


「まず【エデン】に皇帝がいる。その皇帝を支える二大公爵家が【レミュザ】にいて、その下には三大侯爵家と五大伯爵家がある。あとは子爵と男爵が沢山だね」


 最上層部【エデン】と、上層部上部【レミュザ】。そこは下層部生まれにとって想像の付かない世界だ。


「ええと……侯爵家は双璧なんですよね。でも三大侯爵家とか言いませんでした?」

「クラインシュミットは十年前に、ね」


 ヴィンセントが含みを持たせて言うので何かと考えてみれば、クラインシュミット家はレヴェリーとルイスを引き取ったという家だった。クロエは藪を突いた思いになる。


「メイフィールドさんは眠ってたから知らないかもしれないけど、当時はかなり大きな事件だったね」

「政治犯だとか噂あったけど実際どうなんだよ?」

「レヴィくん、どさくさに紛れて探らないでくれるかな。約束を忘れた訳じゃないだろう」


 ルイスとは違い、争いの道を選ばないレヴェリーは顔を青くして首を振る。そんなレヴェリーをからかい、甚振るようにヴィンセントは話を続けるのだ。


(ローゼンハインさん、もう少し考えても……)


 レヴェリーとルイスにとっては傷を抉られるような内容だ。部外者のクロエでさえも胃が痛くなる。

 傍でそんな会話が交わされているというのに口を挟まないルイスを窺うと、彼は窓から外を眺めていた。

 ルイスは殆ど料理に手を付けていない。ワインを飲んで、ずっと明後日の方を見つめている。


「考え事しながら食うの止めろよ。消化に悪いし、酔うぞ」

「……そうだね」


 酒だけを煽る片割れの様子にレヴェリーも気付いて咎めるが、ルイスは心ここに在らずだった。

 ヴィンセントと嫌味の応酬をしたり、レヴェリーと喧嘩をしたりと子供っぽいところもあるが、ルイスは現実感がなくなる時がある。

 ここにいながら別の場所にいるような不思議な人だとクロエは感じていた。

 しかし、病んでいるのだとヴィンセントは言う。精神的に死んでいる時だから関わるなと言う。

 クロエも猛烈に一人になりたくなる時がないでもないので、ルイスをできる限りはそっとしておくが、その反面でそういう時にこそ助けが欲しいものではないかと思う。

 【平気だけど、大丈夫ではない】。いつだかクロエはルイスにそう言われた。それは彼自身にも当て嵌るのではないだろうか。

 家族の死という冬に憑かれたような彼はやはり一人でいてはいけない。


「雪が好きなの?」

「……別に好きじゃない」


 紫色の双眸が映すものを追いながらクロエは訊ねた。

 店から零れる琥珀色の光を受けて雪が輝いている。その様は蜂蜜の中をくるくると回る気泡を思わせた。

 途切れる会話にめげそうになりながらも、何故か責任感と使命感のようなものを感じてしまっているクロエは頑張って続ける。


「ねえ、ルイスくんはムーンライトマリンって見たことある?」

「海の月?」

「セントラルタワーにある水晶なんだけど凄い綺麗なの」


 クロエは今日ヴィンセントと見た、不思議な色を湛えた水晶の話題を振った。

 あの水晶は【上】の仕事に関係もあるようだったので、ルイスも何か反応を返してくれるだろう。そう予想したクロエであったが、返ってきた言葉は予想外のもので、思わず絶句することとなった。


「ああ、あれはキミの目の色に似ているね。世界的な宝と言われるのも分かるような気がする」

「え……と……」


 とても恥ずかしいことを真顔でさらっと言ってくれた。

 果たして、世界的な宝物と似た色という例えは褒め言葉なのか貶し言葉なのか。遺産のように古臭いという意味だとしたら切ないが、宝のように美しいという意味で言われていたら。


「……クロエさん?」


 ルイスはこういう性格なので、特別な意味がある訳ではないのだろう。どちらにしてもクロエにとっては複雑で、上手く言葉を返すことはできなかった。


「ルイ、お前なあ……」

「へえ……」


 加害者なのにしれっとしているルイスに、レヴェリーとヴィンセントは胡乱な視線を向けた。


「レヴィも先輩も何ですか」

「君って天然誑し?」

「何を言っているのか意味が分かりません」


 ヴィンセントは揶揄めいた口調で言うけれど、その声には棘がある。

 ルイスは珍しく驚いたように目を見開き、心底分からないという顔をした。


「素面のようだね。社交界で黄色い声が飛び交う訳だ」

「こいつ、昔からこうなんだよな……」


 ヴィンセントもレヴェリーも呆れきっていた。


「別に変な意味で言った訳じゃない。オレは芸術とか良く分からないから例えが思い付かなかっただけです」


 ある意味、酷い言い様だがクロエは恨むに恨めなかった。

 ルイスが美しさを感じられないということが分かった瞬間だったから。

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