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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
八章
194/208

番外編 明日が雨だとしても ~side Chloe & Louis~

青い鳥は鳥籠の中に【1】後の話になります。

 兎角するうちに秋がきた。

 短い秋にしたいことは幾つもあった。

 気候が良い間にピクニックに行きたい。春より密かに考えていた、かねてよりの望みをクロエがルイスに伝えることができたのはつい先日だ。

 テーシェルの薔薇園に隣接するように、檸檬の丘、ハーブガーデン、芝生公園などがある。この辺りは観光向けの農園施設のようになっている。ピクニックに適しているのは芝生公園だ。


「ここにしましょうか」


 木漏れ日の射し込む場所に麻の敷布を広げる。

 クロエはルイスからブランケットとクッションを受け取り、居心地の良い空間を作る。ルイスは虫除けのキャンドルを興味深そうに眺めながら、敷布の上に落ち着く。

 緑色の芝生が陽光を浴びて煌めいている。

 クロエは大事に抱えてきたバスケットから食器を取り出した。


「ぶどうジュースとレモネードと温かい紅茶、どれが良いですか?」

「キミが重そうにしていた理由はそれか」

「お菓子食べるときにお茶も欲しいですし」


 熱々の紅茶を魔法瓶にたっぷりつめてきた。

 ルイスがジュースと言うので、ボトルからカップに注ぐ。


「ルイスくんが食べられそうなものはレヴィくんにしっかり聞いてきました」

「訊かれたらリクエストくらいしたよ」

「それじゃ何を持ってくるか分かってしまうじゃないですか」


 外でご飯を食べようというのに、先にメニューが分かってしまうのはつまらないとクロエは思う。


「因みに何食べたかったんですか?」

「マスカットのサンドイッチ」

「ごめんなさい。キウイと苺のサンドイッチです……」


 フルーツサンドイッチの具材としてマスカットの存在を忘れていた。


「葡萄のジュース、持ってきてくれただろ」


 落ち込んだ癖に、その一言ですぐに頬がゆるんでしまうのだから我ながら単純だ。

 ランチボックスにつめてきたのはサンドイッチにパスタなど。昼食も勿論大切だが気合いが入っているのは何と言っても菓子だ。

 サンドイッチを分けながらクロエは本日の一押しの説明をする。


「プリンタルトとプレッツェルはエルフェさんが作ってくれたんですよ」

「聞きたくなかった」

「えー」

「友人と出掛けて、手製の料理かと思えば父親が作ったと言われる気分を想像して欲しい」

「うーん……? パウンドケーキは私が作りましたよ」

「それを貰う」

「プリンタルトは?」

「……あとで、気が向いたら」


 オレンジと紅茶のパウンドケーキを皿へ置く。

 レヴェリー作のクッキーのことはあとで言おうとクロエは決めた。


「贅沢だなぁ……」


 紅茶を飲んでクロエはしみじみと呟く。

 好きなものだけをつめたランチも、家族が作ってくれた菓子も、長閑な景色も。

 芝生だけしかないというのも良いものだ。勿論、紫陽花や野バラなんていうものが傍らにあればそれはそれで素晴らしいのだけれど、伸びやかに拡がる芝生だけの空間はただただ開放的で気持ちが良い。


「レヴィくんもくれば良かったのに」

「レヴィはオレたちといるより、ヴァンたちと遊んでいる方が楽しいと思う」

「そうなんですよね。レヴィくん最近友達のことばっかりで」

「良いことだよ」


 ピクニックに行くと決めた夜にレヴェリーを誘ったところ断られてしまった。その代わりというようにクッキーの差し入れをされたので、クロエはこの場にレヴェリーもいたらもっと楽しかったのではと思わずにはいられない。

 バニラとココア生地が可愛らしい模様のクッキーを口に運ぶとほろりと溶ける。バニラとバターの香りが口いっぱいに広がって何とも幸せな気分になった。


「私が起きる前、レヴィくんが悪い子だったって聞いてもちっとも想像つかないんです」


 エルフェやメルシエを困らせた不良だった――悪い仲間がいたというのは未だに信じられない。


「レヴィ、自分のこと話さないだろ」

「ルイスくんには話したりするんです?」

「どうだろう」


 ルイスは魔法瓶から注いだ紅茶を冷ます為に置き、レヴェリーが作ったクッキーを食べる。


「双子は互いに考えていることを言わずとも分かっているんだというだろ」

「はい。通じ合っているというか、そういうのがあるのかなって思ってます」

「昔からオレとレヴィは相手のことが分かった試しがない」


 喧嘩を沢山したというその告白は意外だった。

 クロエは漠然と、幼い双子は両親の元で仲良くしていたと想像していた。ぎくしゃくしてしまったのは事件のことがあったからなのだろう、と。

 ルイスの声が穏やかなのでそれを否定的に捉えていないことが伝わってくる。


「あんまり嫌そうじゃないですね?」

「嫌ではないよ。双子らしくないと言われるのは嬉しいくらいだ」


 生まれた瞬間からずっと隣にいる存在が理解できないというのは悲しいことのように思えてしまうが、双子の片割れであるルイスはそうではないらしい。


「寧ろ同じだと思われるのが嫌で、敢えて同じにしないようにしていたこともあった」

「例えば?」

「レヴィは父親とキャッチボールしたり外に出掛けたけど、オレは家で母親とピアノを弾いていた。普通の親なら何か言いそうなものだけど何も言われなかったな」

「それはご両親の理解があったんですよ。不平等にしないように二人一緒にって思っちゃいますもん」


 クラインシュミット夫妻は双子を平等に扱うからこそ、個々を尊重したのだろう。

 ルイスが苦笑いするのでクロエはあることを言う。


「ルイスくんからレヴィくんの話を聞けるの嬉しいな」

「そんなに面白い話でもないだろ」

「知らないこといっぱいあるから、話が聞けて嬉しいんです」


 ルイスはレヴェリーとの関係をつまらない話だと言うが、クロエはどんな話でも彼等を知れたら楽しい。レヴェリーからルイスの話を聞くのも楽しかった。

 二人は話さずとも分かり合っているなんていうことはない。ただ、お互い尊重した結果別々の方向を見ている。それを知ることができたのは嬉しかった。


「変なことじゃないなら答えるよ」

「じゃあ、ピクニックってしたことありました?」

「誰かとふたりでくるのは初めてだよ」


 初めて。

 初めてなら、重大だ。


「うっかり、エネルギー使うようなこと聞いてしまった気がします……」

「菓子なら沢山ある。プリンタルト二つ食べても良いよ。オレはパウンドケーキを貰うから」

「私に押し付けようとしないで下さい」


 クロエはエルフェの作ってくれたプレッツェルをつまみながら考える。


「私が代わりに話せるような話……」

「帰ってからスケッチブックを見せてくれてもいい」

「だめだめ。だめです」


 クロエは葡萄ジュースを注ぐ。おかしな興味は押し流すべきだ。

 紅茶が冷めずにまだ飲めないルイスはそれを受け取った。


「キミの名前の由来は?」

「由来は分かりませんが父がつけてくれたみたいです。お母さんはエリカとつけたかったんだって言ってました」

「どちらも植物に因んだ名だ」

「お父さんは演劇が好きだったからそこから取ったのかなって」


 クロエというのはありふれた名前だ。かつて人気のあった名前でもある。母が目覚めたら由来を知っているか訊いてみたい。


「レヴィくんとルイスくんの呼び方は小さいときからなんですか?」

「ああ。呼びづらいから気付いたらこうだった」

「そうなんですね。……あ、そうだ。この際だから嫌いな野菜、全部教えて下さい」

「言っても出すだろ」

「トマトは好物の人が多いから仕方ないです」

「トマトといえば、レヴィも食べられなかったのに今は好んで食べているのが信じられない」

「きっと環境に適応したんですね。ヴィンセントさんのせいですきっと……」


 嫌いだったトマトが好きに変わるまでに一体どんなドラマがあったのか。きっとろくでもないことに違いない。

 普段通りのとりとめない話を、いつもとは違う場所でする。

 長閑な景色の中で色んな話をした。おしゃべりの合間に菓子をつまんでいたせいでつい食べすぎてしまったような気もする。

 クロエは持ってきたクッションを膝に置いて、姿勢を崩す。


「横になったら」

「お昼寝ですか?」

「昼食のあとの午睡は贅沢だ」


 ルイスは折り畳み傘を開くとバスケットに立て掛けて、日除けを作ってくれた。

 横になるなんてはしたないと思いながらも、あたたかい場所でうたた寝をするという魅惑的な状況には逆らえない。華胥(かしょ)の国で遊ぶ誘惑に負けた。かぶっていた帽子を避けて、敷布に身を横たえると芝生のにおいがした。

 あたたかくて幸せな時間だ。クロエはまどろんだ。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 クロエは気持ち良さそうに昼寝をしていた。

 本当に眠っていた訳ではないのだろうけれど、うとうとしている時が一番心地好いのだ。

 本の頁に木漏れ日が当たって模様を描いている。

 ルイスは本を置いて、カップに手を伸ばす。二杯めの紅茶が程よく冷めていた。

 先ほど食べたオレンジ味のパウンドケーキは驚くほどに美味しかった。また作ってくれるようにあとで伝えようと決める。

 ルイスは昔から食事の時間は苦手だった。嫌いなものを我慢して飲み込むことも、誰かと会話をすることも、あまり量を食べられない身体も全てが嫌だった。最近はそういう意識が薄れたような気がする。花火の日に食べた綿あめもとても新鮮に感じたことを思い出す。

 ルイスはぼんやりと景色を眺める。見渡す限り芝生しかない。

 芝生の緑と、秋の空の色。傍らに蜂蜜の色。

 彼女といると世界が美しいものに見える。例えば、苦手と感じる夕刻の時間も穏やかで心地好いとさえ思う。

 帽子で隠れていて今まで気が付かなかったが、クロエの編み込みの髪には先日贈った髪留め(バレッタ)があった。

 本当に、言い訳ができない。


『天気が良かったらピクニックに行きませんか。お弁当持っていって外で食べましょう』


 自然の中でご飯を食べてのんびりしたいというクロエの提案。

 普通のように思えるかもしれないがこれまでの彼女の人生を思えばとても贅沢で、それはルイスにとっても同じだった。

 己の立場を思う度に罪悪感に駆られた。容赦のない過去は、幸せな時間を許してくれそうにない。

 けれど、そもそも自分達が悩み、苦しんでいるものの原因は自分が悪いことではない。家のことも親のことも、そう生まれてしまったのだから仕方がない。

 そういうものからこうして離れて、全て取り払って、思うことは何なのか。

 自分が欲しいものは何なのか。

 この場所で欲しいものがあるのか。

 何もなかった。

 傍にいて欲しい人は微睡んでいたし、もう一人の大切な人は友人らと楽しく過ごしているはずだ。

 願うのは天気が崩れず、穏やかに時間が過ぎること。

 こうして思い悩むことだって今日の趣旨に反する。クロエは食事をしてのんびり過ごしたいと望んだのだ。ルイスは冷めた紅茶を一口飲み、読みかけの本をまた開いた。






 日が暮れるのが随分と早くなった。

 傾き始めた太陽はあっという間に沈み、空が夕焼けに染まる。

 帰り道でクロエは足を止める。見上げる木には黄色の花(ミモザ)が咲いていた。


「これは春の花じゃないのか?」

「剪定する時期によっては二回咲くんですよ」


 季節外れだからすぐに終わってしまうだろう花。

 夕陽に照らされた花は眩しいほどに鮮やかだ。


「春に……もっと良い季節にキミと出掛けられたら良かった」


 その頃のルイスは周りが見えなくなっていたし、クロエとの関わりも拒絶していた。なんと愚かなことをしたのだろう。

 ミモザ、ポピー、スターチス、薔薇、そして林檎の花。クロエが好みそうな植物の見頃は春だ。

 いざ彼女と共にいようとしても草木が枯れてゆく秋だ。

 これから夜が長くなって、気温も下がっていく。辺りが雪に包まれたら外出ができないような日だってあるだろう。

 彼女の横顔を窺うと目が合った。


「別に花じゃなくても良いんですよ。今はどんなことでも楽しくて、舞い上がってしまって」


 クロエは恥ずかしそうにして帽子を下げた。

 白い大きな帽子に青いネリネの花のコサージュが留めてあって、その陰で彼女の頬は少しだけ赤く染まっている。


「オレも同じだよ。――キミといると楽しい」


 【天気が良かったら】と彼女は言った。けれど、例え雨でも自分は出掛けたいと思うのだろう。

 雨の日が苦手だという彼女の記憶を塗り替えたいなどという想いはない。ただ、自分がそうしたいというだけの身勝手な感情だ。これまで指の間から取りこぼしてきたものを悔いる以上に、この一時に幸福があった。

 貴方といる時間が幸せなのだとまだ言うことができない代わりに、楽しいのだと偽りのない心を伝える。


「楽しいが一緒だと嬉しいですね」

「そうだね」


 ルイスはクロエの言葉に頷く。

 花火の夜に言いたかった言葉があった。言えなかった言葉があった。

 菜の花畑の傍らで打ち上げられた花火を見たあの夜。夜空に咲く大輪の花以上に、きらきらと輝く彼女の顔から目が離せなくて手をずっと繋いでいた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。共にいられる時間は貴重だし、手もずっと繋いでいられはしない。幸福は有限という訳ではない。だが、無限でもないのだ。

 言葉を伝えられないことを苦しいと思ったのはあれからだ。


「さっきコスモスが咲いているのが見えた。近いうちにまた来よう」

「はい」

「いつにしようか?」

「いつだって良いですよ。明日でも、明後日でも」

「雨の日でも?」

「ルイスくんと一緒なら、雨でも」


 そうして、未来(つぎ)の話をする。

 将来(みらい)の覚悟が半端な自分を変えなければいけないと思う。彼女に【月でも良い】なんて言わせてしまうようでは駄目だ。

 クロエが思うよりもずっと、ルイスはクロエのことが大切だった。肝心なことを言葉にしていないとはいえ、彼女を不安にさせてしまうのは、やはり自分が言葉足らずなのだろう。

 楽しいとか、心地好いとか、美味しいとか、嬉しいとか、伝えなければいけないことは沢山ある。


「オレも、雨の日もキミといたい」


 夕焼けの中でクロエははにかむように微笑った。

 そんな彼女の表情を、可憐だと感じた。

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