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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
八章
188/208

青い鳥は鳥籠の中に 【2】

 ある日の夕刻、クロエは【Jardin Secret】にあるものを持ち込んだ。


「エルフェさん、できました!」

「今回はピスタチオケーキか」

「はい。ラズベリーとピスタチオのケーキをイメージしてみました」


 クロエの手にはケーキの形をした小さなフラワーアレンジメントがあった。

 三角や円にカットしたスポンジに染料で色を付け、プリザーブドフラワー、パール、レースなどでケーキに見立てたアレンジメントだ。

 遊びで作ってリビングに置いていたところエルフェが面白く思ったようで、喫茶店のレジ横に置かれることになった。売り物ではなかったのだが、欲しいという客がいたことでクロエは一つ引き取られる度に新しいアレンジメントを作っていた。


「八個目だっけ」

「うん」

「売れてんじゃん。もっと作ったら良いんじゃね?」


 レヴェリーが物珍しそうにラッピングされたアレンジメントを眺める。


「材料費で殆ど元は取れていないだろう」

「趣味ですし、それを誰かに気に入ってもらえるなら嬉しいんです」


 エルフェの言うようにこのアレンジメントはプリザーブドフラワーの金額のようなもので、飽くまでも趣味の範囲を出ないものだった。

 だが、元々フラワーアレンジメントを作ることが好きだったクロエは嬉しいのだ。

 また誰かに喜んでもらえたら良いと思いながら、今回も置かせてもらう。


「ところでレヴィくん、休みの日に手伝いなんて珍しいね? ルイスくんに頼まれたの?」


  ルイスが欠勤なので代わりを勤めているのかと考えていると、レヴェリーは小声で言った。


「外にいる子、めっちゃ可愛い」

「すごい美人さんだよね」

「この辺り住んでるのかなー」


 面食いのレヴェリーが可愛いと言うことが頷ける美女がテラス席にいた。

 パステルブルーのトレンチコートというシンプルな格好の彼女は、コーヒーだけ頼んで広場を眺めている。時折観光客の男性に声を掛けられていたが笑顔で受け流していた。

 かれこれ数時間は滞在している彼女はまだ席を立つ様子はなかった。


「あの、プライベートの話なんですけど今良いですか?」


 エルフェは時計を見やる。閉店時間はとうに過ぎていた。

 テラス席の客が立てばすぐにでも清掃を始めるところだ。エルフェも閉店時間を過ぎてからの私語を咎める様子はなく、クロエに先を促した。


「近くの薔薇園で音楽会があるんです。エルフェさんとレヴィくんも行きませんか?」

「ルイと行けば良いじゃん」

「皆もどうかなって。メルシエさんも誘うのはどうでしょう。そうだ、アンジーちゃんも!」

「いやいやいや、その面子だとオレ余計嫌だから。身内と花なんか見ても楽しくねぇ」

「演奏とご飯もあるよ」

「だからさー……」

「ビアンカさんの方が良かったかな……」

「オレの胃を殺してくるような奴限定なの……?」


 双子と面識がある女性にその二人が浮かぶクロエだったが、レヴェリーは勘弁しろと言わんばかりだ。

 花を見ることがそれほどつまらないと言うのか。それとも言葉通り面子が気に入らないのか。クロエはレヴェリーが乗り気になるようなものはないかと考える。


「何で皆でとか言い出すんだよ。エルフェさんに許可貰って二人で行きゃ良いじゃん」

「私、皆と暮らして一年なの」

「そんなに経つっけ」


 クロエが長い眠りから醒めたのが夏の終わり。

 そう、あれから一年の時が流れたのだ。

 十年もの間、クロエを住まわせていたエルフェたちにとっては意識しないことでも仕方がない。


「お礼になるか分からないけど、皆で出掛けたら楽しいかなって」

「そもそも礼なんて言う必要なくね? クロエはヴィンスの犯罪に巻き込まれた被害者みたいなもんだろ」

「その通りだな」

「エルフェさんまで!」

「正直、クロエとヴィンスがフツーに話してるのって怖いと思うわ」

「エルフェさんだってヴィンセントさんと普通にしているし」

「俺はあいつと絶縁していたがな」


 ディアナが姿を消してからクロエを見付けるまでの十数年、エルフェとヴィンセントに交流はなかったのだという。エルフェはヴィンセントに勘違いで刃物を向けられ、とばっちりでメルシエも人生を歪められている。交友を断たれて当然だろう。

 クロエにとってこの一年は楽しいことばかりではなかった。レヴェリーの指摘は尤もだ。しかし百歩譲ってヴィンセントが憎むべき加害者だとしても、エルフェとレヴェリーは恩人だ。

 磨いていたカップを棚に置いたエルフェはクロエに言った。


「礼というならシチューでも煮てくれ」

「エルフェさん……」

「兎に角、礼とかいうのはなし。ルイとヴィンスにもその話はしないこと! 良いな?」


 チーズをたっぷり入れたキャセロールもとリクエストをしながら、話は仕舞いだとレヴェリーは掃除用具を取りにいった。

 そろそろ客にも閉店を告げる頃合いだろう。クロエがホルダーに伝票を挟んでいると、外で声が上がった。


「やっと帰ってきたわね」


 クロエは店内から様子を窺う。女性客の近くにルイスが立っていた。


「……どうして貴方がこちらに?」

「ここにいるって聞いて張り込んでいたの」

「待ち伏せされる理由が分からないのですが」

(ルーナ)の誘いを断るなんてどういうつもりかと思ったら、色々大変なご様子ね」

「ユリシエ――」

「ユ・エ! 私はユエよ。敬称を付けてもぶつんだから」


 ぴしゃりと言い放った彼女はにこりと愛想の良い笑みを唇に乗せる。


「とりあえずカフェのおかわり下さい」

「閉店時間です」

「じゃ、店の外で良いわ。ディナーに丁度良い時間だしね」

「従者の方は?」

「そんなの一々連れてこないわよ」

「何を考えているんですか」

「家出している人に言われてもねー」


 からかうように軽い口調でルイスの追求をかわす彼女は頬杖をつき、待ちの姿勢を取る。

 店内へきたルイスは「少し出てきます」とエルフェに断りを入れ、クロエには夕飯を要らないと言った。

 お帰りなさいを言う前に再び外出を告げられたクロエはぽかんとする。


「顔見知りか?」

「公爵家のご令嬢です」

「門限は気にしなくて良い。失礼のないようにしてくれ」


 貴族の階級に詳しくないクロエは分からないが公爵とは五等爵の第一位である。ルイスは勿論、エルフェも最優先にしなければならない存在だった。

 クロエの手から伝票ホルダーを受け取ったルイスは特上コーヒー三杯という注文内容に、諦めたように支払いをする。【Jardin Secret】での一日分の給金が消えた瞬間である。

 クロエは何と言って良いか分からず、エルフェと共に無言で彼を見送った。






 この国で公爵の称号を持つ存在は二家ある。

 【レミュザ】に居を構えるロセッティーナ家とアルヴァース家。

 当代のアルヴァース公爵家に女児はいないので、あの女性は恐らくロセッティーナの姫君だろうと検討をつけたエルフェは生きた心地がしないとぼやいていた。

 夕飯を要らないと言われたのでルイスの帰宅を待っている必要はなく、彼もそうされると困るということはクロエも分かっている。普段通りに寝支度をして、眠気が訪れるまで読書をしようと詩集を捲っていると階段を上る音が聞こえてきた。

 時刻は二十一時。それほど遅くない時間である。


(私には関係ないこと!)


 彼が誰と外出しようが、その相手がとびきりの美女だとしても自分には関わりのないことだ。

 何も気にしていない振りをしながら詩集を読み続ける。まるで内容が入ってこない。素直になれという言葉と、恥を知れという言葉が心の中で攻防を繰り広げていた。

 そして、クロエは壁を叩いた。


「どうかしたのか」

「莫迦なことを言っていると笑っても良いです。私、どうしても気になってしまって」

「……何が?」

「あの女の人……ロセッティーナのお嬢様とはお友達なんですか?」

「知り合いのようなものだよ」


 率直に訊ねると、率直な答えが返ってきた。

 知り合いという言葉をクロエは咀嚼できずに壁にごつりと頭を打ってしまう。

 エリーゼのことがあって過敏になってしまったのかクロエはルイスがあの女性と話していて落ち着かない気分になったのだ。

 だって、公爵家の令嬢はエリーゼよりも年上でルイスと歳が近い。クロエがジャガイモだとすれば彼女はトリュフだ。


「そんなに気にすることか?」

「ですから笑ってくれて……心の狭い奴だって言っても良いです」

「これだと話しづらい」

「私もう寝間着なんです」

「なら、窓の方にきて」


 今言ったことは忘れて下さいと言えば良いものをクロエはそう言うことができなかった。

 窓を開け、クロエは窓外のスペースに置いたゼラニウムの鉢を眺める。

 二色のゼラニウムを並べたのはつい最近のこと。苗を植えるところから窓辺に設置するまでルイスは随分と手伝ってくれた。冬を迎えるまでの短い期間しか外へ置けないことを知りながらもだ。

 それを考えたらクロエが不安に思うことはないのかもしれないのだけれども、役に立てないのに何故関わるのかという彼の妹の声が耳の奥に残っていた。

 クロエは黙ってルイスの言葉を待った。


「クラインシュミットの家のことで協力を頼むつもりだったんだ」

「……つもり、ですか?」

「オレが頼もうとしたのはもう一つの家の人だから」


 ルイスはアルヴァース家の子息と交流があり、そこからと考えていたが予想外の人物が接触してきたらしい。夕刻のことを思い返せば、彼女と向かい合った彼は困惑していた。


「あの人が何かをしてくることはないよ。ただ、見られるだけだ」


 それは将来、家の政策の足しになる人物かという値踏み。

 ロセッティーナ家はクラインシュミット家と親交があり、話が通じない相手ではないということをルイスはクロエに教えてくれた。


「ロセッティーナのことは少し分かりました。ルイスくんが言っているもう一つの家というのは話が通じる方なんですか?」

「ベルシュタインの花屋……、展覧会に招待してくれた人を覚えているか?」

「はい。男の人ですよね」

「彼がアルヴァース家のシュオン様だよ」

「貴族の人がお店に立っているんですか!?」

「長男以外は働くものだ」

「でも、働くにしたって、もっと偉そうな仕事するものじゃないですか。学者や医者みたいな」

「そうでないからこそ、話が通じそうだろ」


 クロエの驚きようが可笑しかったのかルイスの声は何処か楽しそうだった。

 思わず大きな声を出して窓から身を乗り出しそうになったクロエは身を引っ込める。


「ヴァレンタインの力を借りないと言いながら、結局貴族の手を借りないとオレに何もする力はない」


 夜の静寂の中に自嘲めいた吐息がこぼれた。

 クロエはルイスが誰かにものを頼むことが苦手な性分だと知っていた。

 本当ならば自分だけの力で成し遂げたいのだろう。だが、クラインシュミット家の次男でヴァレンタイン家の養子である彼の立場は複雑で、個人の力ではどうにもならないものもある。ルイスはクラインシュミットの名前を取り戻す為に己の在り方すら変えている。


「ルイスくん頑張っていたんですね」

「これでキミの疑問は解決した?」

「本当は難しいことは考えていなかったんです。何というか……その、みっともない嫉妬です……」


 恥ずかしくて声が掠れた。

 もし向かい合っていたら顔をまともに見られなかっただろうと猛省する。そんなクロエにルイスはとんでもないことを言った。


「良かった」

「良かったって……! 酷いです!」

「オレがキミにあの男に近付くなという気持ちが少しは伝わっただろ」

「な、なんですかそれっ」


 クロエは変な声が出てしまう。


「私、ヴィンセントさんのことは何とも思ってないです」

「何ともなくても嫌なんだ」


 それはどういう意味の【嫌】なのだろう。自分の嫌いな存在に関わっていることが気に入らないのか、それとも。

 先ほど顔を見られたくないと思ったのに、今は彼がどんな表情をしているのかを見たいと思う。少し窓から顔を出せば、その願いは叶うかもしれない。

 その気持ちを掻き消すかのように三度のノックが響く。


「クロエ、起きているか?」

「は、はい」


 窓枠に手を掛けていたクロエははっとして振り返った。

 エルフェが二階にくることは滅多にない。加えて夜着で出歩くなとクロエは言い付けられている。そんなエルフェが訪ねてくる何かがあったのだろうか。

 クロエは窓から離れ、扉を開ける。


「エルフェさん、何かありましたか?」

「ディアナの意識が戻ったそうだ」


 薄明かりの下で告げられた知らせはやけに重く響いた。

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