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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
八章
187/208

青い鳥は鳥籠の中に 【1】

 ディアナの眠る部屋とは別室。秋の淡い陽光が当たるテーブルにはランチボックスが広げられている。


「何で外にいる時までお前の料理を食べなきゃならないのかな」

「いつも外食じゃ身体に悪いと思って作ってきたんですから、ちゃんと食べて下さい」


 トマトソースを絡めたラビオリ、ローストチキンのサンドイッチ、ゆで卵のサラダ、フルーツと栄養もボリュームも満点だ。

 だがどれだけ気合いを入れて弁当を作っても文句を言う者は言うし、そもそもこの男から賛辞の言葉が出た試しがない。

 インスタントコーヒーを飲んでいたヴィンセントは足を組んだまま嫌々といった風にサンドイッチに手を伸ばした。


「おまえの料理はディアナと違って美味しいから好きですぅ」


 やはりディアナの料理は一般的に普通ではないのかと嘆きつつも、クロエは良い食べっぷりのアンジェリカを見守る。文句を言わないと死ぬ病にかかっているらしいヴィンセントは無視だ。


「林檎のマフィンも作ってきたよ」

「バターいっぱいです!?」

「もちろん」


 ディアナの見舞いに訪れる際、クロエはアンジェリカに菓子を持ってきていた。

 美味しいと言って食べてもらえるのが嬉しくてついつい作りすぎてしまったので持ち帰り用のラッピングをして、序でだからと昼食も作った。

 ちっとも家に帰ってこないヴィンセントの食生活は不安定で、本人も意に介しもしない。アンジェリカに流される形で食べてくれたことにクロエはほっとしているところだ。


「こっちはね、エルフェさんが作ってくれたキャラメルクリームが入っているの。持ち帰ってメルシエさんと食べてね」


 アンジェリカに土産もしっかり渡すクロエ。

 文句をつけながらもラビオリを食べていたヴィンセントは、仲の良い姉妹のような二人の様子を見て揶揄するように言った。


「そんなに誰かの世話焼きたいなら自分の子供でも作れば良いんじゃない?」

「はい!?」

「ああ、子供って一人じゃできないんだったね」

「言うに事欠いてアンジーちゃんの前でなんて話をするんですか!」

「そのアンジーにも言えることなんだけどね。母親依存してないで、何処かに行って貰いたいなぁ」

「貴方にお母さんは渡しませんからね」

「喧しい奴等ですねぇ。飯くらい大人しく食えないのです?」

「お前は食い意地どうにかしなよ、食い気ばかりのお子様」

「男はいなくても生きていけるですけど、飯はなかったら生きていけないですぅ」


 コーヒーカップをテーブルに置いていて良かった。もし手に持っていたら派手に落としていたところだ。

 信じられないと睨むクロエをヴィンセントは軽くかわし、アンジェリカは素知らぬ顔でサンドイッチを齧っている。


(アンジーちゃん凄い)


 ディアナに育てられたからなのか、アンジェリカはクロエが耳を塞ぎたくなるような内容も平気な様子だ。

 ヴィンセントとディアナ、そしてクロエとアンジェリカの立場やどろどろとした関わりを思えばこの程度で動じる方が可笑しいとも言える。アンジェリカのような切り返しができない自分を恨めしく思いながらクロエは見舞いの時間を過ごし、帰りにディアナの部屋にもマフィンを置いてきた。


「今日はメルシエと買い物があるから一緒に帰るです」


 ヴィンセントを残し、クロエとアンジェリカは建物を出る。

 九月の気候は穏やかで風が心地良い。バーガンディー色のケープを羽織ったアンジェリカは前方を示す。人工樹の木陰になったベンチにルイスの姿があるのに気付き、クロエは駆け寄った。


「遅くなってごめんなさい」

「今きたところだから大丈夫だよ」


 いつもは施設の外で落ち合うのだが、今日は長居をしてしまったので様子を見にきたらしかった。


「図書館に行ってきたんですか?」

「射撃場にいたよ」


 ルイスにとって射撃は訓練でもあり趣味でもあるらしいと最近知った。クロエもいつか付いて行きたいと思うものの、中々彼の許可が下りずにいる。

 歩いてやってきたアンジェリカはクロエとルイスを見比べる。


「おまえ、よくこいつといて変にならないですね」


 呆れたような目をされる理由が分からず、クロエは首を傾げた。

 アンジェリカは犯人を指し示すかのように指を突き付ける。


「こいつはアンジーを刃物で脅したですよ!」

「ええ!?」

「解毒剤を作らないならここで死んでやるって自分を切ったです。頭おかしいのです」

「アンジーがオレに死んでみせろと言うからだろ。何の理由もなくそんなことはしない」

「嘘と冗談くらいは理解するです!」


 クロエの腕の治療をする薬を運んできた頃、ルイスが腕を負傷していたということがあった。クロエはその理由をずっと知らずにいたので、アンジェリカの口から語られたことに衝撃を受ける。

 自分は被害者だと言わんばかりのアンジェリカの態度にルイスは不満げだが、クロエもアンジェリカが喚く理由は分かる。加害者がアンジェリカだとしてもだ。

 クロエを真ん中に挟んで行われた両者の主張は、【ロートレック】の昇降機で別れるまで続いた。

 アンジェリカの背を見送ったクロエは笑顔を作り、逃げられないように優しく話し掛けた。


「ルイスくんルイスくん」

「聞きたくない」

「どうしてそういう無茶をして、私にも言わないんです? 思いっきり私に関係あることですよね? それを貴方は【不良と揉めた】とか言って有耶無耶にしましたよね」

「アンジーと揉めたのは事実だ」

「誰と揉めたかではなく、貴方の手段が問題なんですよ?」


 クロエに詰め寄られたルイスは顔を背けて黙っているので、クロエは道を塞ぐように立つ。


「ルイスくん、ちゃんと聞いていますか」

「説教なら家に着いてから聞く……」


 ぐいと肩を押され、はっとする。往来だということを忘れていた。

 むすりと唇を引き結ぶクロエにルイスは言う。


「まだ時間があるし、アーケード(パッサージュ)に寄らないか」

「何か買いたいものあるんですか?」

「そろそろ冬物を揃え始めた方が良いだろ」


 十月に入ればいつ雪が降っても可笑しくない。クロエも足りないものを考えた。


「私も手袋欲しいな」

「手袋か」

「雪かきしても濡れない革製のものが良いですよね」

「それは大事だね。オレもあの時は酷い目に遭った」

「ルイスくんも手袋とマフラー、用意しなきゃ駄目ですよ」


 【クレベル】にいた頃にクロエたちは店前の雪かきに駆り出されたのだ。そこで布製の手袋をしていたクロエとルイスは霜焼けで手を腫らすということがあった。

 一月といえばまだルイスがあの家にきたばかりで、クロエも距離感を測りかねていた。

 クロエは二人して無言でひたすら雪をどけていたことを思い出した。


「テーシェルの冬ってどんな風なんでしょう」

「湖が凍るから、何か催しがあると聞いたことがある」

「楽しみですね」

「ああ」


 相槌は短いがそれは否定や拒絶が混じっていない柔らかなものだ。

 クロエはそれだけで嬉しくなり、冬が待ち遠しくて仕方がなくなる。


「私、秋の間にしたいこともあります。ピクニックは雪が降ったらできませんし 、花見だって……」

「花見?」

「今度、薔薇園で夜の音楽会があるんです」


 テーシェルにある薔薇園で行われる音楽会では庭園のライトアップをするらしい。数百株の薔薇が照らし出される中で演奏を聴くなんて素敵だ。クロエはそれとなくルイスを誘ってみた。


「外出許可をレイフェルさんが出すとは思えない……」

「夜の礼拝は行っても良いって言いますよ」

「礼拝と私用は違う。それにオレも遅くにキミと出掛けるつもりはないよ」

「夕方からなので大丈夫です」

「……分かった。機会を見て話してみる」


 力を込めて説明してもルイスは歯切れが悪かった。

 クロエは暢気だが、クロエのことで周囲の大人――特にメルシエとファウスト――から睨まれがちなルイスは二つ返事で誘いに応じることはできないのだ。

 そんな会話をしている間に目的地に辿り着き、柵状の扉を潜る。

 駅の近くにあるパッサージュ・メリザンドはオレンジ色のガラス屋根が特徴だ。

 百メートルほどの回廊に立ち並ぶのはレストラン、靴屋、仕立屋、手芸屋、画材屋など。大通りの賑わいから離れた商店街は住民たちの社交場でもあった。

 互いに見る店が違うので、暫し別行動をする。

 クロエは手袋の他に羽織るものも調達し、それから手芸屋で趣味に使うレーステープを幾つか選んだ。

 欲しいものは決まっていたので買い物はスムーズに終わる。そうして待ち合わせの雑貨屋を眺めていると、ヘアアクセサリーのディスプレイが目に留まった。

 そこにはガラスのビーズとパールがついたバレッタがあった。


(綺麗な色)


 淡い青や紫のビーズは夕方の空色のようで、クリーム色のパールは優しい星明かりのよう。

 自分が身に着けたら派手だろうか。クロエが悩んでいると用事を済ませたルイスがやってくる。クロエは近くの壁にある時計を見上げた。


「もうこんな時間なんですね」


 テーシェル行きの列車に乗るにはそろそろパッサージュを出なければならなかった。

 髪留めをきっぱりと諦め、元の位置に戻す。


「例えばの話だけど……」

「何です?」

「オレがキミにそれをあげたらキミの負担になるのか?」


 クロエはぎこちない動きで髪留めを指差し、それから自分を指差した。


「……そういうこと」

「負担だなんてそんな! 貴方のほうがその……色々と負担じゃないですか」

「別に、普段使いのようなものだろ」


 菓子を貰うのとは訳が違う。花を貰うのともまた違う。彼の言うように大した品ではない。子供が小遣いで買えるようなヘアアクセサリーである。それでもクロエにとっては特別になる。

 クロエの中で物凄い葛藤が駆け巡り、視線が泳いでしまう。


「ごめん、困らせるつもりじゃなかった」

「いえ、そうではなく、嬉しいんです。ただ、私が良いのかなって思って……」

「受け取ってもらえるとオレも嬉しいけど」


 ふたりの嬉しいことが増えるのは良いことだなと思った。

 自分の臆病な気持ちよりもずっと強く思う。


「じゃあ、お言葉に甘えます」


 ルイスは頷き、クロエの見ていた髪留めを包んで貰いにいった。

 お腹の中に小さな蝶がいて、ぱたぱたと羽ばたきをしているような気分になる。

 浮かれすぎだと自分を戒めようとしても失敗する。表情も変なものになっているに違いない。ルイスに付いて駅の通路を歩くクロエは自分に落ち着けと何度も言い聞かせた。

 テーシェル行きの列車(トラン)に乗り込むと、自分たち以外に一人しか乗っておらず貸切のような状態だ。平日のこの時間帯が空いているのはいつものことなので、景色が良く見える席にする。

 向かい合わせのボックス席に敢えて並んで座るのは居心地が良いからだ。

 クロエが右側にいて、ルイスが左側にいる。家での食事の時も、部屋で話す時もそうしているのでそれが落ち着く位置だった。

 列車が走り出し、都会の景色は遠ざかってゆく。

 のんびりとした速度で進む列車の車窓から、赤く色付き始めた木々を眺める。ベルシュタインから出る際、木々のトンネルのような箇所を抜ける時の景色がクロエは好きだ。


「さっきのことですけど、説教はしませんよ」

「もうやらない」


 自分を傷付けるような真似はもうしないとルイスは言う。

 けれど、クロエはルイスが目的の為なら傷を負うことを恐れないように思うのだ。


「帰ったら見せて下さい」

「……腕を?」

「そうです。あんなこと聞いたら心配です」

「気が進まない」

「私は平気ですよ」

「他人に見られたいようなものじゃない。キミだって分かるだろ」


 クロエにも見られたくないものはあった。

 宥めるように言ったが、このままでは相手が引かないと分かっているルイスは話題を変えようとする。


「マロングラッセを買ったから夜に紅茶を淹れて欲しい」

「もう……! またお菓子で誤魔化そうとするんですから」

「要らないなら一人で食べるよ」

「私も食べますってば。お茶も買いましたしね」


 紅茶にしようか菓子にしようか悩んだがこちらにして良かったとルイスが言うので、クロエも相槌を打つ。

 がたごと、がたごと、車輪が規則的な音を刻んで列車は進む。

 テーシェルに着くまで休んで良いかとルイスは問うてくるので、クロエは「良いですよ」と答える。ルイスは瞼を伏せた。

 彼が本当に眠ることはないのだろう。ただ目を閉じて、微睡みたいだけだ。

 毎日が穏やかであれば良いと思う。幸せなことを――嬉しいことを考えていたい。

 ルイスの横顔から視線を外したクロエはまた夕陽に染まる景色を眺めた。

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