番外編 Happy Unbirthday ~side Reverie~ 【1】
Au Defaut du Silence 【5】以前の話になります。
週末はレヴェリーにとって楽しみな時間だ。
仕事人間のエルフェに引き取られてからというもの年中、店の手伝いに駆り出され、土日祝日の有難さをあまり感じずに育った。レヴェリーは新しい町に越してきて外で働くようになって、休みというものができた。その休みが楽しくないはずがなかった。
明後日の水上花火は、友人たちと遊ぶことになっている。よって今日は自分の時間を過ごすつもりだ。
とはいえ、午前中から菓子作りをする気にもなれず、部屋で音楽を聴きながら雑誌を眺めていると、ドアをノックする音が響いた。
ドアを三度叩くのはエルフェだ。音楽を止めたレヴェリーはドアを開けた。
「なに?」
「レヴィ、駅まで荷物を取りに行ってきてくれ」
エルフェは仕事の合間に水を飲みにきたといった様子で、用事を言い付ける。
明後日の水上花火に向けて珈琲豆を仕入れたようで、それを取りにいけということらしい。特に用がある訳でもないレヴェリーは引き受ける。
「昼飯、外で食ってきて良い?」
「駄賃を寄越せと言うのだろう」
「言わねーよ!」
自業自得とはいえ、未だに子供扱いをされていることは面白くない。
一々噛み付くのも子供のようだと考えたレヴェリーは舌打ちで留めた。
「クロエが帰ってきたら昼飯要らないって伝えろって話。あと、ルイ借りっから」
言語教室に行っているクロエが帰ってきて昼食を作ったら悪いので、伝言を頼む。そうしてレヴェリーはサングラスを掛けると家を出た。
「あっちー……」
レヴェリーは夏の町に降り注ぐ白い太陽の光を見上げて呟いた。
気温二十三度。吹き抜ける風は夏らしい青々とした匂いを含んでいる。
日陰の道をだらだらと歩くレヴェリーの隣を歩くルイスは呆れたように言う。
「日傘でも買おうか?」
「オレと相合い傘して楽しいのか?」
「楽しくない」
「心にもないこと言うなよ」
「なら、何度も暑いと言わないでくれ。余計暑くなる」
「暑いんだから仕方ねーだろ」
「皆、暑くても我慢しているんだ」
「はいはい、我慢しますよ」
涼しそうな顔をしているので腹が立ってくるが、弟が人一倍夏が苦手なことは知っている。いつも堅苦しい格好をしているルイスは、喫茶店用のウエストコート姿が涼しげに映るという不思議な状態だった。
駅までの長い緩やかな坂道を上りながらレヴェリーは訊ねる。
「何食う?」
「駅の向かいにある店にしないか」
「クラブサンドか。チーズフォンデュコロッケ食うかな」
「オレは揚げ茄子の」
「あー、揚げ茄子も良いな。あれソースが美味いのな」
テーシェル駅の入り口を出たところにあるサンドイッチ屋は、ボリューム満点のクラブサンドが有名な若者人気の店だ。レヴェリーとルイスも何度か利用しているので、互いに好きなメニューができていた。
坂道を上っていくと、青空に映える白い建物が見えてくる。
テーシェル駅の入り口はアールヌーボー建築で、長い年月が経った今も当時の美しい姿を残す貴重な場所だ。
観光客でごった返した駅では手続きに時間が掛かり、暫し待つことになった。
レヴェリーは壁に寄り掛かる。
石造りの壁はひんやりと冷たく、熱を冷ましてくれるようだ。観光客を横目で見ながらレヴェリーはそういえばと話を切り出した。
「ところでルイは花火どうすんの?」
「キミは友達と見るんだろ」
「ああ。で、お前は?」
「クロエさんと見る予定だけど」
「上手くいってんじゃん」
「……どうだろう」
「まためんどくさいことなってんのかよ」
あっさり答えるので拍子抜けをした。
だが、案の定だ。
「今度はどうしたんだよ」
「キミに話してどうにかなるのか?」
「お前は溜め込みすぎなの。愚痴れ」
呆れつつも弟と義姉のことを放って置けないレヴェリーは促す。ルイスは暫く考えてから話した。
「あの人は、オレのことを母親と同じくらい大切だと言ったんだ。オレはどう答えたら良いのか分からなくなった」
「のろけか?」
「茶化すならもう話さない」
「冗談だって。【オレも同じくらい好きだ】で良いんじゃねーの、返し方的には」
空気を和ませようとするもののルイスは浮かない顔をした。
拗れているという訳ではないようだが、これは重症だ。
軽い気持ちで世話を焼こうとしていたレヴェリーは気持ちを改め、助言する。
「好きなら好きって言えば良いじゃん」
単純明快、シンプルなのが一番良い。
色恋にまどろっこしい理屈は不要だ。周りのろくでもない大人を見て育ったレヴェリーはそう思う。
心にある気持ちを伝えないと某人物のように拗れたり、心にある気持ちを偽ると某人物のように刺されたりする。だから、弟には素直であることを勧める。
「花火とか最高のシチュエーションなんだからさ。こう、上手く――」
「オレは親が一番大切なんだ」
「それ普通の女に言ったらドン引きされるぞ……」
「分かってる」
自覚があるらしいルイスは溜め息をついた。
自分とは少しだけ色の違う紫の目は地を睨みながらもここではない何処かを見つめている。こういう時のルイスが何を見て、何を感じているのかをレヴェリーは推し量ることができない。
「お前の言ってる大切ってなんなんだよ」
「母さんはオレたちを産んでくれて、父さんはオレたちを子供にしてくれた。その人たち以上に大切なものがあって良いのか?」
「そうだけど、さ」
相槌を打ちながらレヴェリーは弟のズレを確認する。
それは【大切】ではなく、【感謝】しているだ。ルイスはその部分を履き違えている。
(……どうなのかな)
実際はルイスも分かっているのではないだろうか。
レヴェリーだって両親は大切だ。母が自分たちを産む為にどれだけの覚悟をしたのかを思えば、自分を粗末にはできなくなる。女のようで嫌いだった夢想という名も今ではそこそこ好きだ。
優しい母が好きだった。厳しくもあたたかい父が好きだった。
喪った両親を大切だと思うからこそ、今を大切にしたいとレヴェリーは感じる。
弟がクロエのことを気に入っているのは分かる。その、女性に向ける思慕と、両親に向ける敬愛を同一化し、順序を付ける必要があるとは思えない。
「クロエは、一番にしてとか言ったりしないだろ」
「オレが気にするんだ」
「まあ、クロエがデリケートだってのは分かるけどさ……」
クロエの気難しさはレヴェリーも知っている。
親に虐待され、施設で育ったという過去はクロエの人格形成に強い影響を与えたのだろう。
出会った当初のクロエは愛想笑いばかりだった。他人に合わせる為に自分を殺して、そうして他人に好かれようとしながらも他人を拒絶していた。
そんなクロエが自ら歩み寄りを見せたのがルイスで、ルイスも珍しくクロエという他人へ関心を向けた。
(好きなら好きって言えば良いのに)
わざわざ両親が大切などと牽制せずともクロエはルイスを嫌いになったりはしない。
クロエは恐らく自分の気持ちよりも相手の気持ちを大切にする。そしてそれはルイスも同じだ。
親に捨てられたからこそ愛を求め、親を喪ったからこそ愛を恐れて。
レヴェリーには、ルイスが欲しいものも、クロエが求めているものも同じように感じる。