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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
二章
16/208

お菓子の家の甘い罠 【6】


「取り敢えず落ち着こうぜ。そして正気に戻れ、ルイ」


 物陰から油断なく辺りの様子を窺うルイスの横に腰を下ろしたレヴェリーは、血迷っているとしか思えない考えを持つ弟に根気良く話し掛ける。


「本気で落ち着けよ。昔のルイは喧嘩とか嫌いな奴だったじゃないか」

「オレは至って落ち着いているし、正気だ。寧ろレヴィが落ち着きなよ」

「今からでも遅くないから謝りに行こう。……な? 兄ちゃんが一緒にごめんなさいってしてやるからさ」

「どうしてレヴィに一緒に謝って貰わなきゃならない?」

「一人で怖いものも二人なら怖くないだろ。ほら、謝りに行こうぜ」


 ある日のままの弟に語り掛けるようにレヴェリーは優しく話し掛けるが、ルイスも昔とは違う。

 ルイスは今までの無表情が嘘のような不機嫌面をして片割れを睨んでいる。

 傍目からすると御節介な兄と反抗期な弟に見え、何とも微笑ましいのだが、ルイスの手に収まった回転式拳銃(リボルバー)が現実を物語っており、クロエは和むことができない。


(レヴィくん、子供扱いは止めた方が……)


 北風に身を竦ませながらクロエは内心ぼそぼそと突っ込みを入れる。


「今更兄さん振るな、鬱陶しい」


 月明かりの下、突き刺すような視線を向けてくるルイスにレヴェリーはショックを受ける。

 そんな兄に弟は醒めた口調で言う。


「あいつがいなくなればキミたちだって自由になれるんじゃないのか」

「オレは比較的自由にしてるぜ?」

「長く暮らしているレヴィは感覚が麻痺してるのかもね。でも彼女は違う」

「い……いえ、私もそんな!」

「キミだって、あんな酷い風邪を引いているのに扱き使われて辛くなかった訳ないだろ? オレはあの時、キミが虜囚も同然かと恐ろしくなったんだ」


 そう、辛くなかったと言えば嘘になる。

 風邪を引いていることを知られないようにしていたのはクロエであるが、それは自らの保身の為でもあった。

 迷惑を掛ければ捨てられる。疎ましく思われる。

 そんな恐怖があったからこそ、クロエは毎日逃げていた。平気な振りをして過ごしていた。


「……でも、ローゼンハインさんはあの後お休みをくれましたし、エルフェさんも家事を手伝ってくれました」

「それは下僕に死なれると面倒だったからで、本当にキミを思ってのことじゃない」


 図星を突かれたクロエは息を呑む。

 ルイスはクロエのなけなしの反論を簡単に打ち破った。


「オレも昔、嫌な思いをしたことがあるからキミたちを放っておけない」


 己が一方的な感情で動いていることを自覚しているルイスは、やはり正気で冷静なのだろう。

 弟が自暴自棄になって無茶な行動に出たのではないと知ったレヴェリーは瞼を重く伏せ、唇を噛んだ。


「それでもこんなやり方は……力に頼るのは間違っていると思います……」

「そうだね、愚かだ。でも……ごめん」


 それは肯定ではなく、否定の返事だった。

 ルイスは短く言った後、小さく咳き込んだ。


(私はどうすれば良いの?)


 言葉ではどうあってもルイスを説得できそうにはない。こうなれば最終手段は得物を奪ってしまうことだ。

 だが、人の道に外れながらも高潔さを保ったルイスを悪人と思えないクロエは実行できない。


「お話は終わったかな?」


 ここにあるはずのない声が耳に届き、一同はぎくりとした。

 しかし、それも予想の範囲内のことだったかルイスは悪びれもせずに物陰から身を出す。


「意外と早かったな……」


 レヴェリーに倣うようにクロエは物陰から頭だけを出す。ヴィンセントはにこりと笑い掛けた。

 いつもの服の上にトレンチコートを羽織っただけのヴィンセントは丸腰だ。だが、いつも通りだからこそ恐ろしい。クロエとレヴェリーは味方の出現にこそ恐怖した。


「レヴィくん、メイフィールドさん、無事で何よりだよ」


 心にもないだろうことを言ってヴィンセントは笑みを深くするので、クロエは胸が冷たくなった。

 それにしても、どうして居場所が分かったのだろう。裏路地をでたらめに走ったので、クロエたちでさえも場所が分からなくなっていたのだ。疑問の答えはあちらから言ってくれた。


「発信機がこんな時に役に立つなんてね」

「は、発信機ィ!?」

「ほら、下僕が逃げ出したら大変じゃない。悪いとは思ったけど、君たちに取り付けているんだ」

「何処にだよっ!?」

「秘密だよ」

「この変態ッ!!」


 ご主人様、もしくは敬称付けで呼ぶように命じたことも含め、レヴェリーはヴィンセントへの不信感が溜まっていた。


(私たちの人権って凄く侵害されてる)


 当のクロエはというと、もう半ば諦め、黙って事実を受け入れるしかなかった。


「そういう話はどうでも良いよ。僕の目的はその二人を返して貰うことだから」

「無事に返して欲しくば質問に答えろと言った」

「クラインシュミットの家を襲った奴のことだっけ? それなら駄目だよ。レヴィくんと約束をしてる」

「約束……?」

「その件に関して互いに口を噤む代わりに君の生活と命を保証するってね」


 ちらちらと揺れる街灯の明かりの下、ヴィンセントは悠然(ゆうぜん)と語り、傲然(えんぜん)と笑った。

 クロエは眉を顰める。

 胸がひりひりと痛い。低温でじりじり焼かれているように鈍痛を発し、喉も乾く。月明かりが陰ったのか路地がやけに暗く感じた。


「なら一旦質問を変える。あの時、オレを売り飛ばして得た金を何に使った?」


 ルイスは数度咳き込んだ後、左手に拳銃を構えたまま質問を続ける。


「何だったかなあ、十年前のことだから流石に記憶が曖昧だ。ああ……そうだ、その娘に使ったんだった」

「――――っ!!」


 その瞬間、凄まじい悪寒が込み上げてきてクロエは声にならない悲鳴を上げた。

 ヴィンセントの唇が笑みの形に歪む。


「今、君が庇っている女の子の延命治療に莫大な金が必要でね、君を売った金はそれに使わせて貰った」


(……私の、せい……?)


 ルイスに何があったのかは知らない。ただ、今こうして苦しんでいるのはクロエの所為かもしれない。

 この自分が殺されるなんてしたから、ヴィンセントは金を得る為にルイスに屈辱を強いた。そう考えるとクロエは自分だけ隠れていることなどできなくなり、レヴェリーの静止も聞かずに立ち上がった。

 足に力が入らないどころか、力が抜けていくようだ。クロエは壁に手をついて踏み止まる。

 対峙する二人はクロエのことなど見ていない。


「君の復讐はつまり自分のことか。君は家族の為だとか言いながら、本当は自分の誇りを汚した相手を消したくて仕方がないんだ。床を舐める生活はそんなに屈辱だった? 素敵な服も宝石も、美酒美食も、君には何の価値もないものだった? まあ、何はともあれ君は子供だね。僕が折角忠告してあげたのに妥協や寛容さがさっぱりない。子供らしく純粋で苛烈で、愚かだ」


 饒舌(じょうぜつ)な性質であるヴィンセントは、具合の良い玩具が見付けられて常以上に饒舌だ。

 微笑む箇所も語り口も内容もその全てが意地が悪い。

 悪人などという例えは生易しい。ヴィンセントは人間をどん底に突き落として満足げに笑っている悪魔だ。


「ヴィンセント・ローゼンハイン、あんたはオレを誤解している……」


 ルイスはひゅう……と掠れた息を短く吐くと言った。


「誤解? 何が?」

「オレは自分がどうだって構わないと言っただろ。オレの誇りは自分の自尊心(プライド)じゃない、クラインシュミットの家族だ。その誇り(かぞく)を汚した奴だからこそ、あんたに銃を向けている」

「おい……何だよそれ。その言い方だとヴィンスが犯人みたいじゃねえか……」


 口を挟んだのはレヴェリーだった。彼は強張った表情で問う。


「何言ってるんだよ?」

「オレはあの日、屋敷から出てくるそいつを見たんだ」

「待てよ、親父とお袋を殺した奴は赤眼だった! ヴィンスは緑眼だろ!?」

「ヴィンセント・ローゼンハインは下界(カノーヴァ)の関係者。(エデン)では有名な話だ」


 エデンは【アルケイディア】の最上層部で、国の管理をしているマザーコンピューターがある場所。そして、カノーヴァは遥か昔に滅んでしまった大地。

 彼等が何の話をしているのかクロエは分からなかった。


(二人の両親が殺された場所にローゼンハインさんがいたということなの……?)


 先ほどのショックのお蔭で麻痺していた頭が回り出しはしたが、事態の雲行きが怪しくなりつつある。

 レヴェリーが言うようにヴィンセントは緑眼だ。

 しかし、クロエは彼が赤眼と聞いても驚かなかった。全てが歪んだ十年前のあの日、クロエが天使と見紛うた若者は悪魔のような赤眼をしていた。

 あの時、何があったのかクロエは覚えていない。ただ得体の知れない恐怖を感じたのは記憶している。


「あの日、確かに僕はクラインシュミットの邸宅に行ったよ。上層部に侵入した反逆者を捕らえる為にね」


 疑いを掛けられたというのに、ヴィンセントは飽くまでも余裕の態度を崩さない。


「僕が行った時にはもう全てが終わった後だった。いや、生き残りの少年に止めを刺そうとしている男がいただけだった。逃げたそいつを僕は仕留めた。それだけだよ」

「じゃあ、あんたたちが今まで隠してきたのは……」

「もう灰になった奴に復讐なんかできる訳ないじゃない、お菓子の家の兄弟たちアンゼル・エ・グレテル

「だったら、あんたが代わりに消えろ――!」


 優しいともいえるほどに穏やかに言ったヴィンセントの眉間に銃口を向けたルイスは激鉄を起こす。

 だが引き金に掛かった指が動こうとした瞬間、クロエが躍り出た。

 冷たい金属音が轟く。

 リボルバーは空に向かって一発放たれた。


「な……何してるんだ!? 危ないだろ!」


 突然目標の前に立たれ、咄嗟に銃口を逸らしたルイスだが、それでも顔からは血の気が失せている。


「あ、危ないのはヴァレンタインさんです!!」


 ヴィンセントの前に立ちながらクロエは叫ぶ。すると、ルイスは顔を歪めた。

 ゆらゆらと不安定に揺れる街灯の明かりの下、赤みが増した紫の瞳がクロエを射る。


「キミはその男を庇うのか……?」

「そ……そういう問題以前に人殺しは駄目です! 怪我をしたら痛いんですよ!?」


 一度死んでいるクロエは記憶が曖昧ながらも死の【冷たさ】を知っている。


「ああ、怪我をすれば確かに痛いだろうな。でも身体の傷はいつか癒える。オレは……消えない傷を抱えながら無為に生きている方が余程辛い」

「復讐したって何も救われません」

「人を憎んだこともないようなキミに何が分かるというんだ」

「私だって……人を憎んだことくらいあります。ずっと昔、私を捨てた両親を殺したいくらい憎みました」


 初めから、憎まない訳ではなかった。初めから諦める癖を持っていた訳でもなかった。

 自分を捨てた母を、施設に追いやった父と継母を激しく憎んだ時期がある。それでも今クロエが穏やかに在るのは、人を憎むことでは何の解決にはならないと施設の先生が諭してくれたからだ。

 人は憎む存在がいるからこそ救われている。憎しみで心を曇らせれば、直視したくないことを見ずに済む。

 けれど、それでは何も変わらない。

 本当に打ち勝つべきは復讐相手ではなく、復讐心を持つ自分自身だ。

 未だにその【自分】に打ち勝てずにいるクロエはルイスに意見できる立場ではない。それでも、施設に運ばれてきたばかりの子供と同じ目をしたルイスを放っておけなかった。

 クロエはヴィンセントを庇いたかった訳ではない。ただ哀しかったのだ。


「どうしてもというなら先に私を撃って下さい。ローゼンハインさんが言ったように、私だって無関係じゃないんですから! さあ、何処からでもどうぞ!?」


 こうなるとクロエは怖い。後ろ向きが開き直っただけに何も守るものがない。

 温厚さが取り柄のような少女が切れてしまった様子に、対峙するルイスは勿論、レヴェリーも肝を抜かれたような顔をしている。ただ、その背後でヴィンセントがくつくつと喉を鳴らして笑っている。

 ヴィンセントには【彼】の動きが見えていた。


「……っ! レヴィ……どういうつもりだ!?」


 予想し得ないクロエの行動に冷静さを欠いていたルイスは、レヴェリーの行動も予測できなかった。

 レヴェリーは懐に隠し持っていたナイフを鞘に収めたままルイスの鳩尾を狙った。


「ヴィンスは兎も角、クロエに銃向けんなって言っただろうがっ!!」


 繰り出される攻撃を受け流し、ナイフを弾き飛ばしたルイスは逆にレヴェリーの鳩尾を打つ。その瞬間、激鉄を起こす音が微かに響く。ルイスは身を屈め、頭を狙った弾をかわす。そしてリボルバーで相手の手を狙う。金属音と共に破裂音が響き、黒衣が翻った。


「あんた、【黒鴉】まで連れてきていたのか」

「いざという時の保険だよ」


 ヴィンセントが振り下ろした小剣を銃で受け止めたルイスの目に映るのは、銀髪の男の姿。


「エルフェさん……」


 クロエは思わず名を呟く。

 前方にはヴィンセントとエルフェ、後方にはレヴェリー。多勢に無勢とも言える状況にルイスは身を引いた。

 しかし、悪魔は容赦なく追撃する。急所を的確に狙ってくる小剣での攻撃。全ての攻撃を敏捷な動きでかわしていたルイス。その動きが、ぴたりと止まる。エルフェが構えている自動式拳銃(オートマチック)の軌道上に、レヴェリーがいることに気付いたのだ。

 下手に避ければ、流れ弾が当たってしまうかもしれない。ルイスは動かなかった。


「年の割には良い動きをするけど、やっぱり甘い。それに君は身体が弱過ぎるようだね」


 ルイスは先ほどからずっと乾いた咳をしていた。寒さ、極度のストレス、それ等のものが重なって持病の発作を起こし掛けていたのだ。それに気付いたからこそ、レヴェリーがまず動いた。


「……うるさい……」

「まあ、僕たちに挑むのはまだ早いってことだね」


 脇腹への一撃では沈まなかった少年の後ろ首に、ヴィンセントは手刀を落とした。

 意識が途切れ、傾く身体をレヴェリーは受け止める。完全に力の抜けた身体というものは意外に重い。ふらつきながらルイスを支えるレヴェリーの顔は張り詰めながらも何処か安堵したという様子だった。


「はい、レヴィくん良くできました。お兄さんたちが褒めてあげよう」

「オレが動いたのはお前の為じゃねーし! つーかエルフェさん、本気でオレのこと狙っただろ……」

「当てるつもりはなかった」

「どうだかな!」


 ヴィンセントとエルフェの遣り方には正直恐れ入った。

 クロエが複雑な心境で二人を見つめる隣で、片割れを抱えたままレヴェリーは目を眇める。


「彼の主治医を呼んでおいたから早く帰ろう。ここで死なれたら面倒だ」


 緊張の糸が切れて膝を着いてしまうクロエに、ヴィンセントは善人のように手を差し伸べた。

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