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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
六章
146/208

番外編 夕暮れの彼方に影がさして ~side Reverie~

ばらのはな、さきてはちりぬ 【7】直後の話になります。

 エレンが自分の産みの母親だと知って、驚く気持ち以上に納得する気持ちがあった。

 昔から思うものはあった。

 他人というにはエレンとルイスの髪の色や面立ちは似すぎていた。

 レヴェリーがテーシェルの家を出たのは頭を冷やしたかったというのもあるが、肉親の顔を見ていられなかったからだ。

 気遣いという美しい感情ではない。これは嫉妬というものに近いだろうか。


(あいつは親父とお袋の子供なのに、オレは何なんだよ……?)


 ルイスはアデルバートとエレンにそっくりだ。

 幼い頃に言われたことを病的に守り、高潔に在ろうとする弟はどう見たって二人の子供だ。

 ならば、いつも悪い方へ落ちていく自分はろくでもない男の血が濃く流れているのではないだろうか。

 それは行き過ぎた卑下だと自覚はしている。それでも弟の顔を見ていたら何もしない自信がなかったレヴェリーは早々に避難した。


「置いてあげても良いけど、働いてもらうからね」


 避難先は子供の頃から世話になっている女性のところ。

 家に滞在する条件は仕事を手伝うこと。

 メルシエは【Waldhaus】というアンティークショップをやっている。

 ここの主な利用客は【ロートレック】の貴族たちだが、他階層の庶民も多くいる。というのも【Waldhaus】はオンライン上にも店を構えていて、そこでオークションを開催しているのだ。

 メルシエはオンライン上に商品の情報を載せ、競り合い後に落札者に商品を発送する。レヴェリーの仕事というのは、梱包した物品を郵便局まで届けることだった。


「――で、ばっくれてきたわけ」

「こんなんで接客する方がメーワクだろ」

「消えたくなる気持ちも分かるよ。だけど働かせてもらってるんだから一言でも断りを入れるのが大人の振る舞いだよね」


 閉店後、レヴェリーは家を出た理由を話すことになった。

 メルシエはレヴェリーが家を飛び出したことについて責めはしなかったが、砂糖菓子屋での仕事を放り投げてきたことについては咎めた。


「あとで電話するよ……」

「許してもらえるなんて思わない方が良いよ」

「分かってるっつーの」

「分かれば宜しい。じゃあ、床掃除して」


 メルシエはモップを突き付け、店の床を掃除するように言った。

 掃除嫌いなレヴェリーは嫌々モップを受け取る。メルシエはエルフェと同じで、働かざる者食うべからずだ。

 そうしてだらだらと掃き掃除をしていると、店の裏口――住居の方から声が聞こえた。


「ただいまですぅ!」


 何処か舌足らずなその声の主は廊下をぱたぱたと駆けて、扉から顔を出す。


「帰ったですよー」

「お帰り。ディアナはどうだった?」

「相変わらずです」


 メルシエとその者は普通に会話を交わしているが、レヴェリーはぎょっとする。

 頭に大きなリボンを乗せ、ゴシック調の赤いドレスを纏った人物に見覚えがあったのだ。


「げ……、何でそいついんの……?」

「そこのチビ、人に向かってそいつとは何です?」

「そのピンク頭、アッシェンだろ」

「アンジェリカです!」


 この阿呆っぽい赤毛と口調は、半年ほど前に家に飛び込んできたアッシェンプッテルだ。

 レヴェリーがそう断定の口調で言うと、名前の訂正をした彼女は冷ややかな目付きになった。


「ああ……おまえ、あの黒服の弟ですね。ガキ臭いから分かったです」

「兄だよ。つーか、お前にガキとか言われたくねーし」

「アンジーは二十歳です。おまえみたいに背も心も脳みそもあそこも小さい奴に暴言吐かれたくないですぅ」


 物凄い罵倒を受けたことよりも、これで歳上なのかとレヴェリーは衝撃を受ける。


「メルシエさん。何でこいついるんだよ」

「説明すると長くなるんだけど、番犬というか……」

「穀潰しの間違いだろ」


 頭を冷やしにやってきた先で厄介な存在に遭遇したレヴェリーは、舌を出して子供のような敵意を向けてくる相手を複雑な心地で一瞥した。






 その夜、シャワーを終えたレヴェリーが涼もうとリビングへ行くと、そこには先客がいた。

 テレビの前の席を陣取ったアンジェリカは爪を念入りに整えていた。


(母さんもやってたっけ)


 エレンもネイルケアにはうるさかった。音楽家は指先から綺麗にしなければいけないと言って爪先の美化に努め、その癖、庭弄りで手を汚してきた。

 レヴェリーは虫嫌いかつ園芸に興味がなかったので手伝わなかったのだが、ルイスはその作業を手伝っていた。そんな母子をアデルバートは飽くことなく眺めていた。

 あの幸せな家庭に綻びがあったとすれば双子の存在だ。

 幸福を崩す異質な存在。それが己だという意識に苛まれたレヴェリーは、異端者に当たるように訊ねた。


「あんた、何企んでんの? また妙なこと考えてんのか?」


 アンジェリカは答えず、長く伸びた爪にベースコートを塗っていた。

 どうやら、答えるつもりはないらしい。

 まともな会話を期待してはいなかったが、無視は不愉快でレヴェリーは舌打ちする。


「つか、邪魔。爪弄ってんなら退けろ」

「おまえに指図される筋合いないですぅ」

「あっそ」


 アンジェリカはテレビの前の特等席を譲る気はなく、レヴェリーは仕方なく一人分の間を空けて座る。

 リモコンを操作し、番組欄で面白そうな番組を探す。シューリスの番組はニュースばかりなので、言語切り替えをしてホラー映画をつけた。

 周囲には趣味として認識されているが、本音を言えばレヴェリーはホラーが嫌いだ。スプラッターなどは恐怖でしかない。なのに何故見るのかといえば、それが作り物だからだ。

 我が身が体験したことに比べれば映画の中の苦痛や恐怖はリアリティがない。だからこそ、意味がある。

 刺された時の痛み、腹腔から溢れた血の温かさや、両親の死体の写真を見た時の恐怖。それ等を銀幕の虚構と同じものだと思い込んでしまいたい。

 レヴェリーにとってホラー映画を見ることは過去を克服する為の手段だ。

 そのような後ろ向きな理由を察したルイスは映画鑑賞の趣味を嫌っていたが、レヴェリーから言わせれば両親の墓に通い詰めるよりは余程建設的な生き方だ。

 今回のことがあってもなくても、レヴェリーはルイスのように生きることはできない。


「家出してきたのです?」

「あんたに関係ねーだろ」

「アンジーはここで暮らしているのです。邪魔者はおまえの方です」


 こちらの質問に答えない輩にこちらから答えてやる義理はない。ぶっきら棒に返すレヴェリーの様子をアンジェリカは鼻で笑った。


「高が母親のことで揺れるなんて子供ですね」

「は……?」

「心の軸がしっかりしていればそんなことで一々悩んだりしないのです」

「部外者だから言えることだろ!」

「痛いところを突かれるとそうやって怒鳴るですね。だから小せえ男だと言っているのです」


 メルシエとの会話を聞かれていたのか、アンジェリカはレヴェリーの事情を知っている様子だった。

 アンジェリカは爪にポリッシュを塗りながら、話を続ける。


「親なんて血が繋がっただけの他人です」

「……人殺しに慰められるとかねーわ」

「慰め? 何をどう聞けばそう聞こえるのです? アンジーはおまえを蔑んでいるのですよ」


 低く磨いだ声で言い、ゆっくりと視線を寄越した。冷めた眼差しに、レヴェリーは背中がざわりと騒いだ。


「家族をドブに捨てられて、その復讐をしたいとも思わないおまえはアンジーと同じものです」

「違うッ!」

「違わないです。おまえからは自分可愛い甘ったれの臭いがするですから」


 何か言い返さなければ格好が付かないと思うのに声が出てこない。言葉をなくした唇だけが戦慄(わなな)く。

 漂うシンナーの香りに頭の芯が鈍く痛む。

 テレビから流れる絶叫も遠く聞こえる。

 視界の端にじわりと赤が広がった。


『緋は罪の色。罪人は赤く染まって償わなきゃいけないんだよ』


 語る唇は血の色をしていて、赤いフードの陰から覗いた青い瞳はどろりと赤かった。

 そう、覚えている。血で染まった刃を振りかざしてきたのは金髪碧眼の女だ。しっかり憶えている。

 なのに、顔が思い出せない。

 レヴェリーは肝心なことが分からない。


「おまえも中々歪んでいるですね」


 赤いドレスの娘はクッションに凭れ掛かり、赤いポリッシュを塗った爪を満足げに眺めてにんまりと笑った。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 手酷い報復を受けてからというもの、レヴェリーはアンジェリカが苦手で仕様がない。しかし、彼女に当たるのはお門違いだ。

 不満をぶつけるべきはあの男だ。

 レヴェリーは場所と時間を指定し、かの人物を呼び出した。

 夕暮れの公園で星を数えながら待っていると、時間ぴったりにその人物はやってきた。


「言い訳は用意できたのかよ、おっさん」

「言い訳も何も、私は嘘を吐いていない。ルイスに訊かれたから回答を出しただけだよ」


 【上】での仕事明けなのか黒い背広姿の闇医者は、形だけは誠実に答えた。

 この男はどうしてこうも胡散臭いのだろう。レヴェリーは昔からこのエルフェの兄だという人物が苦手だ。

 アデルバートの友人で、元教会の司祭。そして今は闇医者。経歴からして怪しすぎるのだ。

 レヴェリーの内にある嫌悪感など見透かしているのか、ファウストは黙って言葉を待っていた。


「あんたさ、いつから知ってたわけ?」

「八年ほど前、クラインシュミットの事件の調査をしている時に偶然にだよ」

「あんたは犯人が【赤眼の男】じゃないことも知ってた。ヴィンスが始末したっていうのも嘘なんだろ」

「ああ」

「ルイはずっと分かってたんだよな……」


 レヴェリーは可笑しいと思っていたのだ。ヴィンセントが犯人を狩ったと言っているのに、ルイスは復讐を諦めていない様子だった。

 敵を奪ったことを恨んでいるのかと思いもしたが、ルイスがヴィンセントに向けているのは殺意ではなく、軽蔑だ。


(嘘ついただろ、ルイ)


 しっかり生きて両親を安心させようというレヴェリーの言葉に、ルイスは笑顔で応えた。

 あれは嘘だ。

 ルイスは上手く隠しているつもりだったのだろうが、あれには致命的な癖がある。嘘をつく時に腕を組むという、どうしようもない癖が。

 レヴェリーはその時うっすらと気付いたのだ。両親を殺した奴は生きているのだ、と。


「君はルイスがあのままで良いと思っているかい?」

「んな訳ねえだろ」

「ならば、私の話を聞いてくれるかな」


 いつになく真面目な声色で切り出すので、レヴェリーは身構える。


「君が見た犯人は【金髪の女】なのだろう? 金髪なんて珍しい存在が傍にいれば、嫌でも思い出すはずだ。悪い影響を与えると思わないかな」

「……何が言いたいんだよ」

「彼女がルイスをけしかけたりしないように見張っていた方が良いという話さ」

「飛躍しすぎじゃね?」

「災厄の芽は小さくても刈り取るべきだよ」


 彼女――クロエがけしかけるはずがない。クロエはルイスが何かする度におろおろしている。復讐なんて非人道的なことは泣いて止めるはずだ。

 だが、犯人との共通項を眺めていれば嫌でも思い出すというのは頷けた。レヴェリーもアンジェリカの赤いドレスを見て、あの事件の記憶がよみがえった。


(金髪碧眼の女だった)


 あの日、レヴェリーを刺したのは赤いフードを被った金髪碧眼の女だった。そして、金髪と碧眼は劣勢遺伝で、両方を備え持つ者はそうそういるものではない。

 レヴェリーは己を自制できるが、不安定なルイスは妙な考えを持ってしまう恐れがある。


(オレが守ってやらないと……)


「私はあの子に復讐なんて止めてもらいたいんだ。君たち二人には何としても幸せになってもらいたい。勿論、彼女にもね」


 言葉に促されて顔を上げると、ファウストは聖人のように穏やかな顔をしていた。

 宵闇の色をした彼の双眸には悪意などは欠片もなく、ただただ真摯な色がある。


「私が全て上手くいくようにするから、君は何か思い出したら真っ先に私に教えて欲しいんだ」

「……気が向いたらな」

「それで構わないよ。君は自分とあの子のことを優先にすれば良い」


 ルイスを心配してくれるファウストは信用できる人間だ。

 曖昧な返答をしながらも、レヴェリーはこの人物を疑ったりして悪かったと内心反省した。


(オレが大切なのは今だ)


 産みの親が誰だろうと、両親の敵が誰だろうと、レヴェリーが大切なものは今の生活だ。

 自分の周りにいる者たちが幸せなら他はどうでも良い。その幸せを壊すことには関わりたくない。


「私からも一つ訊きたいんだけど、君はエレン様を恨んでいるのかい?」

「全く何も思わない訳じゃねえけど、変な奴が親よりは良かったって思ってる」


 レヴェリーはエレンを恨むつもりはない。もし彼女がこちらを恨んでいたのだとしても、それ以上に愛情をくれたのは痛いほど分かっている。


「それに……オレを育ててくれたのはエルフェさんとメルシエさんだしな……」


 ファウストにそう語るレヴェリーは母親のことに関して整理が付いている。

 胸に蟠っていたのは惨殺事件のことで、今はそちらも結論が出ていた。


「オレって薄情かな」

「薄情?」

「母さんたちが死んだのを他人事だって思いたいのは……」

「忘れるのも大事だよ。全てのことを覚えてたらそれこそ頭が可笑しくなるだろう」

「……うん……」

「人間には折角忘却というシステムがあるのだから、辛いことは忘れるべきなんだ」


 もう父親と母親の顔も朧気にしか思い出せない。声だって覚えていない。

 確かに傍に在った彼等は今はもう遠い存在だ。

 ルイスのように彼等を想い続けるということはレヴェリーには不可能だ。アンジェリカの言うように、どうしようもない利己主義の薄情者だった。

 鬱蒼と茂る草木が薄闇に染まる中、レヴェリーは帰路につく。もう暫く心の整理をするつもりだった。

 そうして人気(ひとけ)のなくなった公園に残されたファウストは短く嘆息し、視線を投げ掛ける。


「そこで立ち聞きをしている者、いい加減に出てきなさい」


 ファウストは相手がその言葉に従うとは露ほども考えていないのか、得物を手に草むらに踏み込む。

 樹木の陰に人の姿はなかった。その代わりに、地面に折れた爪が落ちていた。

 実に分かりやすい落とし物だと笑う。まるで童話の姫君が故意にガラスの靴を落としていったようだ。

 周囲は闇に沈んでゆく。葉陰から覗く彼方の空は赤く滲んでいた。

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