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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
六章
130/208

ばらのはな、さきてはちりぬ 【2】

 別れ際、今度会う時はアップルクーヘンとアップルパイと焼き林檎を作ってくると約束した。

 ディアナの元に残るアンジェリカに別れを告げたクロエは買い物しながら帰宅した。

 いつものように夜も更け、クロエは片付けをする。手伝うのは食器洗いの当番のエルフェだ。


「アンジェリカちゃんがいて吃驚しました」

「何かあったのか?」

「いいえ。二人が知り合いだとは思わなくて驚いたんです」

「ディアナは下で生活していたらしいからな」

「見付からない訳ですよね」


 あの場は割り切った風にしてきたクロエだが、そう簡単にいくようなことでもない。

 頭では分かっていても、心が受け付けないということはある。

 今はまだ心の整理が追い付いていない。そんなところだ。

 こうしてエルフェに話を聞いてもらえて少しだけ気持ちも落ち着いた。クロエは心の中で感謝する。


「明日から暫く家を空けることになる」

「ヴィンセントさんと一緒ですか? 珍しいですね」

「元々、俺はあいつの目付を言い渡されている。これが普通だ」


 レヴェリーとクロエを監視する理由がなくなった為、仕事の日付をずらす必要もなくなったのだ。


「不安があるなら留守の番をメルシエに頼むが、どうする?」

「大丈夫です。頑張ってやってみます」


 メルシエに頼りきりという訳にもいかない。エルフェもその辺りの気を遣ってやれば良いのに、とクロエは内心思う。

 エルフェはメルシエのことをどう考えているのだろう。

 皆で揃って過ごしている時、彼等は家族のように見える。誕生日を祝ってもらった先日もクロエは羨んだ。だけど、背景にあるものを考えれば手放しで羨むことはできない。


『良い年した男と女が友達とか言って、一線も越えないでべたべたしているのって気持ち悪くない?』


 ヴィンセントは「男女の友情は有り得ない」と言っている。クロエの誕生日の後日も、エルフェとメルシエの付き合いは飯事(ままごと)のようだと笑っていた。

 ディアナとの友情が成立しなかったヴィンセントの言葉だからこそ、クロエは痛い。


(私が子供なのかな)


 互いに尊敬して、支え合えれば性別を越えた友情は成立するのではないだろうか。

 それとも、男と女は近付き過ぎると一線を越えたくなるものなのだろうか。

 男女の友情があると信じているクロエは、ヴィンセントの言葉を聞いていると分からなくなる。

 何にせよ、三十年という年月はクロエの人生よりも長い時間だ。それだけのものを積み重ねている者たちに軽々しく口出しをすることはできない。






 最近クロエは眠りにつく前にハーブティーを飲むことが日課だ。

 ローズヒップ、カミモール、レモングラスなどがブレンドされたハーブティーはリラックス効果があり、安眠を(もたら)してくれる。

 双子もハーブティーを飲まないだろうか。そう考えてクロエは家の中を探す。


「あれ……?」


 いつもならうさぎ(クリームヒルト)と戯れているか、各々趣味に使っている時間なのに二人は何処にもいない。

 バスルームにいる様子もないし、二人揃って見付からないというのは珍しい。

 もしや、外へ遊びに出掛けたのだろうか。

 門限の鬼のエルフェがいる中でそんなことはないと思いつつ、クロエはバルコニーに出て町の様子を見る。


「何処に行っちゃったんだろ」

「クロエ、何してんの?」

「え――?」


 クロエはどきりとする。声の聞こえた方向は頭上だ。

 見上げると、探していたレヴェリーが屋根の上に腰を下ろしていた。


「レヴィくん、そんなところで何しているの?」

「星観てる。クロエもこいよ」


 クロエはレヴェリーの誘いに乗り、屋根を目指した。

 この家の二階にはクロエとルイスの私室の他に物置部屋があり、屋根裏部屋へと続く梯子が伸びている。そこにある天窓から屋根の上に出られるのだ。

 天窓からのろのろと這い出したクロエは、そこでもう一人の姿も発見する。

 腕を枕にして寝転がっているレヴェリーの隣にルイスの姿があった。

 クロエは二人が屋根の上にいるとは想像もしなかった。家の中を探しても見付からないはずだ。


「花火上がったらここ特等席だよな。テーシェルの水上花火っていつだっけ?」

「八月下旬だよ」

「まだ先か。んじゃ、今度玩具花火(クラッカー)やろうぜ」

「線香花火ならやっても良い」

「地味だわー……」


 クロエはレヴェリーの隣に腰を下ろし、眼下の景色を眺める。

 テーシェルは坂の町だ。マルシェ広場から湖へ至るまでの道が緩やかな傾斜になっているので、ここからは町並みが見渡せた。

 射干玉(ぬばたま)の夜に飴色の明かりがぽっかりと浮かんでいる。

 灯っている明かりの数だけ人の営みがあり、家族がいる。

 明かりを見つめていると、もやもやと胸に(わだかま)っていたものがふつりと湧き上がってくる。

 クロエは思いきってレヴェリーとルイスに訊ねることにした。


「ねえ、二人は本当のお母さんとお父さんのことはどう思う?」

「そうだなー、会えるなら会ってみたいな」

「会いたい……? 名前だけ付けて捨てたような奴に会いたくないと言っていたじゃないか」

「そうだけどさ、一応名前は付けてくれたんだし、全くオレ等に興味がなかった訳でもねえのかと思ってさ」


 産みの親よりも育ての親というものを体現しているレヴェリーとルイス。

 しかし、二人の考えは違っていた。


「レヴィくんは確か音楽の名前なんだっけ。ええと……」

「夢想曲、もしくは幻想」

「そう、それ。綺麗な名前だよね」


 レヴェリーという言葉はシューリス語で夢想という意味だ。

 ルイスは産みの親に否定的だが、しっかりと名前の意味を知っているようだった。


「オレ、音楽に興味ねーし。つーか何で女の名前なんだよ」

「生まれた時、女みたいな顔をしていたんじゃないか」

「おい、いつもの仕返しかよ?」

「まあまあ、レヴィくんもルイスくんも可愛いんだから良いじゃない」

「クロエ……、まさかオレ等のこと女だと思ってたりしねーよな……」

「しないよ」

「女性から可愛いなんて言われても嬉しくない」

「同感。可愛いから卒業したい」

「キミは無理だろ」

「うっさい!」

「ふ……ふたりとも、外に響くから落ち着いて」


 自分の軽率な発言から争いが始まってしまいそうになり、クロエは慌てる。

 二人は女性的な性格とは言い難いし、声の低さや骨格だって男性のそれだ。可愛いというのは二人の持つ雰囲気のことで、容姿がどうこうという意味ではない。クロエはレヴェリーのことは勿論、ルイスに対しても同性を相手にしているという感覚を抱いたことはなかった。

 クロエが反省する横で、レヴェリーが(おもむろ)に首飾りを外す。


「そういや、ルイ。これどうしたんだ?」


 双子が施設に預けられた時に持っていたという、名前の彫られたペンダント。

 レヴェリーのものは本物の金を使った、とても高価なもの。ルイスのものは白金でできているという。


「捨てたよ」

「えっ、いつ?」

「クラインシュミットに引き取られてから」


 寝転がっていたレヴェリーは起き上がる。


「何でだよ」

「それを見て母親が嫌な顔をしたんだ」

「親父は大切にしろって言ったぜ。いつか本当の親を探す手掛かりになるんじゃないかって」

「父親と母親の考え方は違うだろ」

「お袋もそこまで心狭くねえだろ」

「……さあ、オレはあの人じゃないから分からない」


 実親と養親に対する二人の意見は見事に別れていた。

 星を観る姿勢のまま目線を合わそうとしないルイスの様子に、レヴェリーは溜め息をつく。


「喋ったら喉渇いた」


 飲み物を取ってくる、とレヴェリーは屋根を降りてしまった。

 眼前を横切るレヴェリーを止めることも追うこともできなかったクロエは、ルイスの様子を窺う。彼は依然として目を合わせない。


「本当のお母さんとお父さんが嫌いなの?」

「ああ」

「どうして……?」


 ルイスとレヴェリーは親に捨てられたことでとても苦労してきた。

 己を捨てた親は恨んだり憎んだりして当然の相手だ。

 親のことを憎まず生きろと施設の教師に説かれ、それを律儀に守っているクロエの方が異端だろう。


「自分で蒔いた種の始末をしないなんて無責任だ」

「始末って……」

「別に……、そういうことをするのが悪いとは思っていない。心を伝えるものは言葉だけではないだろうし、大人なら色々ある」


 愛情の延長にあるその行為を否定はしない。

 ルイスの口から出る肯定的な意見を少しだけ意外に思う。クロエはいけないことだと思うのだ。

 子供を作るというのは即ち、神の祝福を授かる行為だ。

 神聖な行為を軽々しく行なってはならない。大切なものをあげるのは家族になる相手だけだ。そういう思いがあるからこそ、クロエはディアナを否定するしかできなかった。

 だが、そこは男女の違いなのだろうな、とクロエは受け止める。

 産む痛みを知らない男と、産む痛みを知る女ではどうしても考えは違ってくる。それは仕方ないことだ。

 それなのに――そう理解しているのに、何故自分はこんなにも動揺しているのだろう。


「もし不本意で授かったのだとしても、潰せば良い。育てる覚悟がないのならその方が余程潔い」

「でも……でもね、簡単じゃないよ。形は見えなくても一つの命なんだから、それを殺すのは怖いです……」

「命を奪うことに罪悪感があるなら一緒に死ねば良いだろ」


 ルイスが自分の命を否定することが悲しくて、クロエは彼等の母親を庇ってしまう。

 返ってきたのは、絶望的な答えだった。


「一緒に死んでくれればオレもレヴィもあんな思いをしないで済んだ」


 ルイスは生まれてきた意味がないように言う。まるで苦しむ為だけにしか生を受けていないようだ。

 星を眺める彼の顔は妙に穏やかで、その無心な様は子供のように見える。だが、夜色の瞳には底無しの闇が広がっている。


「もう止めよう。こんな話をしてもお互い嫌な気持ちにしかならない」

「でも……!」


 クロエがこれまで歩んできた道も恵まれた人生とは言えないかもしれない。

 可哀想だと同情されるようなことも経験してきた。

 けれど、それだけではないのだ。

 父や母と林檎の森へ出掛けたことは今も美しい思い出として心にある。施設で教師や兄姉に教わったことも宝物だ。今だって、こうして価値観の似た友人と出会い、癒やされて――ささやかな幸福を感じていたりもする。

 生まれてこなければ良かったとは思わない。

 彼だって、生まれてこなければ良かったということはないはずだ。

 必死になるクロエの顔を見たルイスは何故か溜め息をついた。クロエはきょとんとする。


「前から思っていたけど、キミは自ら墓穴を掘るのが好きなのか?」

「ま……まさか!」

「空気が悪くなることが分かりきっているのに、わざわざそういう話をするじゃないか。自分を追い込んで楽しむような趣味があるとしか思えない」

「ひ、他人(ひと)のこと言えないと思います」

「オレにはキミのような自虐趣味も、他人を揺さぶって楽しむような趣味もない」

「貴方だってわざと酷いこと言うじゃないですか。それだって充分変な趣味です」

「わざとではなく、全て本心だよ。オレはろくでもない人間だから平気で他人を傷付けるんだ」


 嘘だ、とクロエは否定する。

 ルイスは嫌われる手段なら幾らでもあると以前言ったのだ。


(……分かっていてやっているんでしょう)


 わざわざそんなことを言う相手をどうすれば嫌うことができるというのだろう。

 ヴィンセントにはルイスだけ甘やかしていると文句を言われるが、ああいう様を見せられて何も思わないというのは無理だ。

 ルイスは心の何処かで傷付きたがっているから、クロエはそれを叶えたくないのだ。

 目の届く範囲にいる限り、一人にさせてやるつもりはない。

 暗くて冷たいところへ自ら落ちていこうとする彼を放っておくことなどできない。例え邪魔だと言われても、迷惑だと言われても、離れてやるものか。

 逃げるルイスをそれでも追うのは、クロエなりの反抗だ。


「貴方は良い人ですよ」

「つまり、オレがキミにとって都合の良い人間だということか」

「そういうことじゃないです!」

「良いよ、それでも。何かの役に立っているのなら、それで良い」


 その言葉に思考が止まる。

 エルフェやメルシエ、レヴェリーは優しい。ヴィンセントもヴィンセントなりの優しさを持っているとクロエは思っている。皆良い人だ。その良い人たちの中でもルイスは特別だ。

 他人に決して酷いことをしないと信じられる、そんな相手。

 勝手に向けている信頼とはいえ、それをあのように言われるのは嫌だ。

 無価値ではないのだと、どうすれば伝えられるのだろう。クロエはルイスに近付けば近付くほどに、自分の無力さを突き付けられる。


「知りたいです」

「何を」

「貴方のことを」

「……知ってどうする?」


 ルイスの言いたいことは想像がつく。きっと関わったところで何の得にもならないと言うのだろう。

 何故関わるのだと問われると、困る。

 クロエはあまり他人に関わらない。他人の目は人並み以上に気にするが、相手に関心を持つことは少ない。

 怖いから、踏み込みたくないのだ。

 それなのにだ。どうしてここまでむきになっているのか、自分でも良く分からない。


「貴方と友達になりたいです」

「もう友人だろ」

「だから、この前言ったように親友になりたいんです」

「無理だよ」


 クロエが必死で絞り出した答えをルイスは軽く肯定する。そして、否定した。


「どうしてです……?」

「キミが女性で、オレが男だから」

「……何です、それ……」

「ものの見方も考え方も違う」

「それは人間だから皆違いますよ。それとも私が外法の子供で、貴方が人間だから違うということですか?」

「違う」

「だったら――」

「オレとキミは住む世界が違うんだ」


 もうこの話は仕舞いにしようと再び言って、ルイスは星を見上げた。

 どうしてそう絞り出すような声で言うのだろう。いつものように冷たく切り捨ててくれればまだ信じられたのに、これでは真実味がないではないか。

 生ぬるい風が吹き付けても、凍えている。

 瞬く星の光も人の営みの灯火も目映い、こんなにも明るい夜だ。だけど、差し出した手を振り払う彼はこの世界で一人きりのような顔をしている。

 その寂しさを、傷を、埋めてあげたい。

 それなのに、言葉も心も何もかもが足りない。クロエは何処までも無力だ。

 寄り添えない心の距離を哀しく思いながら、ただ共に星を眺めていることしかできなかった。

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