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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
第二部 序章
124/208

番外編 誰も狂わない世界を夢みて ~side Mellcier~ 【2】

 最初の十年はモノクロ調の日々。

 次の十年はセピア調の日々。

 その次の十年はパステル調の日々。

 メルシエにとって初めの十年は昔の自分を捨てることに費やした日々で、次の十年は新しい自分を周囲に適応させる日々だった。

 外法の血を取り込んだことによる心身への不調を抱えながら、ひたすら戦闘技術を磨いた。

 貴族に生まれた義務だとか、人の為に生きたいという思いがあった訳ではない。武器を持って戦いに明け暮れる日々が、女を捨てたいという願いを持つメルシエに都合が良かっただけだ。

 この世界に引き込んだはずのエルフェよりも率先して戦いに身を投じたメルシエは、かつてディアナが背負っていた外法狩りの魔女という名で呼ばれるようになっていた。

 人間の振りをして社会に紛れ込み、化け物として裏社会に溶け込む。

 死ぬまでそうして殺伐と生きていくのかと思っていた。

 けれど、思いがけない贈り物があった。

 紫の目をした子供はメルシエに沢山のものをくれた。

 都合の良い解釈だけれど、神が与えてくれた幸運のように思えた。

 荒んでいた心を潤し、くすんでいた世界に色を付けてくれた。

 気付けば、そちらの優しくて甘ったるい世界にのめり込んでいて、磨いだはずの牙が抜け落ちていた。


「おばさんにこれやるよ」


 十年の月日で九歳だった少年も十九歳の青年になった。

 ただ、青年というにはどうにも頼りなくて、メルシエの中でレヴェリーはまだ可愛い子供のままだ。

 何せ、レヴェリーはこの年になってやっとメルシエと同じ背丈だ。最近は少しだけ背が伸びたようだが、それでも踵の高さのある靴を履いているメルシエの目下にレヴェリーはいる。

 そのような大人の男としての意思も覚悟も体格も伴っていない存在が、何を思ったか花を贈ってきた。


「どういう風の吹き回し?」


 スズランのミニブーケを渡されたメルシエはただただ困惑した。

 正直、気持ち悪い。レヴェリーが花のプレゼントなんて血迷っているとしか思えない。

 よもや弟のルイスと中身が入れ替わってはいないだろうなと疑い、頬をつねってみるとレヴェリーは切れた。


「っんだよ!」

「本物か。もしかして引越しで疲れた? あんたって昔からそういうとこあるよね」


 レヴェリーはこう見えて繊細だ。環境が変わると体調を崩したりする。

 暢気そうに見えて、神経細い。健全そうでいて、傷を抱えている。

 メルシエからすると、見るからに病んでいそうなルイスよりもレヴェリーの方が精神面は脆く感じる。

 そんな繊細な少年が普段しないようなことをするのだから、心配せずにはいられない。


「熱出てるんじゃない?」

「ちげーって! 今日はスズランの日だろ」

「いや、だからどういう風の吹き回しって訊いてんの。レヴィがこういうことすると不気味だよ」

「あんた、オレのこと何だと思ってるんだよ……」

「都合の良い時だけ甘えてくる子供。昔は可愛かったね。頭撫でてーとか言って寄ってきたり、雷怖くて布団に潜り込んできたり、夜に一人で――」

「はああああぁぁぁあああああ!?!?」


 ソファでうさぎと戯れていたクロエとルイスがその手を止めてレヴェリーを見る。

 大声で遮ったが、しっかり聞こえていたようでクロエは微笑ましい目をしていた。一方でルイスは軽蔑混じりの冷たい視線を兄に向ける。


「レヴィくん、可愛い」

「……レヴィってそういうことしてたんだ……」


 レヴェリーは堪えられなくなったようで、メルシエの腕を掴むと廊下に連れ出した。


「何でルイがいるとこで言うの!? オレの威厳、木っ端微塵に吹っ飛んだらどうしてくれんだよ!!」

「威厳ねえ……」


 弟に身長を抜かされている時点で兄の威厳も何もありはしないが、流石に可哀想なので言わないでおく。代わりにけらけらと笑うと、レヴェリーは泣きそうな顔をする。


「ごめんって。こんな花貰ったの初めてだから気恥ずかしくてさ、からかって悪かったよ」

「……身内以外だとおばさんくらいしか渡す相手いねーし」


 五月一日は幸せになって欲しい相手にスズランの花を贈ると、その相手は幸せになるとされている日だ。

 メルシエには困惑があったのだ。これでは母の日に花を貰ったようなものだ、と。

 気恥ずかしくて、つい憎まれ口を叩いてしまう。


「ああもう、調子狂うなあ……。雪でも降って転んだらどうするんだよ」

「年なんだし、転ばないように気を付けないとやばいんじゃね?」

「失礼な奴だね。あたしは若いよ」

「エルフェさんと大差ないだろ」

「おい、無駄話をしているならさっさと帰れ」


 若く見られたいらしいエルフェに年齢の話をしてはいけない。噂の当人の出現に二人は肩を竦める。

 メルシエはリビングにいるクロエとルイス、そして子うさぎに別れを告げると家を出た。






 時刻は午後八時半。今夜は射干玉の空に金色の月が浮かんだ明るい夜だ。

 普段ならケーキの仕込みをしている時間だが、暫くは引越しの後片付けで店を開く予定もないエルフェはメルシエを駅まで送ると言った。


(やっぱり過保護)


 エルフェは元々は世話焼きで過保護だ。自分が末子で親兄姉に甘やかされるばかりだったから、他人を甘やかしたがるのだ。

 だが、十分足らずの道程を送ると言ったのは、メルシエが襲われたことも関係しているだろう。

 ふた月前、あることを調べている最中、後ろから襲われた。

 心当たりはないと周囲に伝えたが、メルシエには心当たりがある。

 あの刃物――刃渡り七十センチほどの薄刃――は【死神】の得物だ。

 【あの事件】の詮索は粛正対象なのかと驚きもしたが、それにしては可笑しなことがある。

 現役の【死神】だったら刃に神経毒を仕込んである。そもそも、女性かつ外法の【死神】は存在しない。

 心当たりがあり過ぎて笑えるくらいだった。


(……まあ、そちらは追い追いだね)


 あちらはプロだ。下手に動けば狩られるのはこちらだ。

 メルシエはそのことについての思考を止め、スズランのブーケに目を落とした。


(あたしに幸せになる資格があるのかな)


 この十年でメルシエは世界は大きく動いた。

 レヴェリーと出会い、ヴィンセントと再会し、ディアナの娘クロエと知り合うことになった。

 止まっていた時計の針は少しずつ動き出している。では、自分たちはどうだろうか。


(どうすれば良いんだろう……)


 エルフェを罪の意識から解放してやるにはどうすれば良いのだろう。

 ディアナが目覚めれば何かが変わるのだろうか。メルシエはそれが少しだけ怖い。

 ヴィンセントとディアナにまた何かあれば、クロエは悲しい思いをする。エルフェだって心を痛め、彼を慕うレヴェリーにも影響が出る。

 可愛いレヴェリーにクロエ。子供たちが幸せになる道を掻き乱すようなことをして欲しくない。

 何より、ディアナ自身の為にも目覚めない方が幸せだ。

 ディアナはヴィンセントを許さない。きっと目覚めたらまた得物を向ける。そうやって決裂するくらいなら、ぎりぎりのところで夢を見ている方が幸せだと臆病者のメルシエは思ってしまう。

 そして、何処となく危うい雰囲気を纏ったレヴェリーの弟にも立ち去って貰いたいというのが本音だ。

 ひと月前のあの日――クロエがヴィンセントの見舞いへ行く際、メルシエはルイスと話すことがあった。

 あまり好きな部類の人間ではないので近寄りたくはなかったのだが、クロエに見張っていると約束した手前、傍にいるしかなかった。

 メルシエはルイスが嫌いだ。

 その理由には同族嫌悪が半分あって、残りの半分はレヴェリーとクロエを悲しませるからだ。

 レヴェリーに関してはルイスとは男兄弟なので荒っぽいところも許容できても、クロエはそうではない。

 クロエはか弱い少女だ。あのように手荒に扱って良い存在ではない。

 メルシエはルイスに、泣かせるくらいなら中途半端に優しくするなと釘を刺そうかと考えた。

 けれど、言わなかった。

 言えなかった。

 クロエのあんなに必死な様を見て、外野が何かを言える訳がなかった。

 相手を救うことのできない自分の無力さ、自己嫌悪すら伴う焦がれるほどの羨望と憧憬。メルシエもかつて似た気持ちを味わった。それは、堪え切れなくなって燃やしてしまった女の心だ。


(あんな奴に関わらなくても良いのに)


 クロエは己の器量をまるで理解していなく、危なっかしい。

 確かに特別美人という顔ではない。ディアナのように自ら光輝くようなタイプではなく、誰かに照らされてやっと仄かな光を放つような小さな存在。性格も社交好きとは言い難い。ただ、雰囲気が微笑ましいというか可愛らしいというか、憎めない魅力がある。

 相応の環境に出ればきっと輝くことができる。クロエはそれだけの美徳を持っている。

 あのようなろくでなしに尽くさずとも、クロエを認める人間は幾らだっている。

 ろくでもない男に関わって人生が可笑しくなったメルシエはクロエが心配でならなかった。


「何を考えている?」

「あの子がうちにきてくれたらあたしで幸せにできるかとね」

「おい……、養女になったばかりの奴を嫁にはやらんぞ」

「あはは、冗談だよ」


 ドレヴェスでは同性婚が認められているものだから、冗談の通じないエルフェは本気にしてしまう。

 乾いた笑いで話を流したメルシエは空を仰いだ。

 今日は春霞もなく、綺麗な月夜だ。この町は自然が多く空気も澄んでいて、とても良い町だと感じる。


「んー、うちもそろそろ引っ越さなきゃやばいかなあ……」

「もう十年か」

「早いもんだね」


 実は今店舗として使っている場所は、以前エルフェが使っていた土地を譲り受けたものだ。

 十一年前、戦いに明け暮れていたようなメルシエに「何か好きなことでもやれ」と半ば強引に押し付けた。

 最初は趣味の手芸で作ったものを売るような店にしようかとも考えたが、貴族の街でそんな店は生き残れない。悩みに悩んで学園で多少齧った、インテリアの店にすることにした。店の経営の諸々については多くの人の助けを借りた。ここ五年でやっと軌道に乗ってきたという感じだ。

 順調に見えた新たな生活。けれど、一つだけ困ったことが生じた。

 エルフェの悪い癖に火を点けてしまった。

 銃器集めの趣味が、食器集めに移行した。

 エルフェはこの困った収集癖を治さない限り、例え結婚しても長続きしないだろう。そういう意味ではメルシエも責任を感じたりもしないでもなかった。

 無駄使いをさせない為にも少し遠くへ引っ越してしまおうかとふと考える。


(折角新しい家族ができたのにあたしが邪魔しちゃ悪いし)


 エルフェとレヴェリーとクロエは家族になった。彼等にメルシエは遠慮する気持ちがある。

 レヴェリーだって大人だ。昔のように泣き付いてくることはもうないだろう。

 もう自分の役目は終わった。あとは遠くから彼等の幸せを祈ることしかできない。

 そんなことを考えて内心自嘲するメルシエに、エルフェは思いも寄らないことを言った。


「こちらへ越してこないか?」

「……え?」

「お前が近くにいたらレヴィとクロエも喜ぶだろう」


 頭半分ほど上の顔を見上げると灰色掛かった青い目と視線が合う。

 彼は真剣な眼差しで真っ直ぐと見つめてくる。メルシエはその距離に勘違いをしそうになる自分を、少し笑いたくなってしまう。

 ――お前だけは何処にも行くな。ずっと傍にいろ。ここからいなくならないでくれ。

 かつてエルフェはメルシエにそう乞うたことがある。

 だが、それは彼の精神状態がまともでなかった為に出た台詞なのだと理解しているから、それを聞き入れながらも期待はしてこなかった。

 メルシエはエルフェの狡くて残酷な言動に慣れていた。

 エルフェはレヴェリーとクロエという名を出せば、こちらが折れざるを得ないことを知っているのだ。

 そんな回りくどいことをせずとも、彼自身が望んでくれればメルシエは喜んで傍へ行くだろう。けれど、彼が望むことはないのだ。

 昔からこういう男だった。

 こちらが親からもう会うなと言われているというのに、暢気に映画に誘ってくるような酷い男。彼に連れ出されるこちらもまた愚かな女だった。


(駄目なのはお互い様かな)


 エルフェは家族に愛されて育ったから心優しいけれど、それ故に他人の痛みに鈍感なのだ。

 ずっと傍にいたから、良いところも悪いところも知っている。

 分かり過ぎて痛いくらいに知っている。


「……考えとくよ」


 どれだけ勇ましいことを考えようとも、メルシエにはもう実行するほど熱い気持ちがない。

 ディアナのように潔く姿を消すことができたら良いのに、それができない。

 近付く勇気も離れる勇気もない、どうしようもない臆病者だった。


「駅も見えてきたし、ここまでで良いよ」


 メルシエは橋に差し掛かったところで別れを切り出す。エルフェは短く、そうか、と応えた。

 別れ告げるのはいつもメルシエからだ。エルフェは黙って受け入れ、呼び止めることはしない。

 もう寂しさも感じないけれど、若い頃は引き留めて欲しいと願ったものだ。引き留めて欲しくて、話題を無理矢理探して、一分一秒でも長くいようとした。

 今のメルシエにそのような心算などはなかったが、最後に一つと切り出した。


「折角【ロートレック】に帰ってきたんだから、家にも顔出しなよ」

「……ああ……」

「何その顔。まだお兄さんとお姉さんに会いたくないの?」

あの双子(にいさん)には関わりたくない……」

「レヴィとクロエちゃんのことでどの道ライゼンテールに帰らなきゃいけないんだろ? 会ってきなよ」


 まだ兄姉が生きているのだから会った方が良い。きちんと仲直りをした方が良い。

 メルシエは父母と兄の最期に立ち会えなかった。エルフェにはそういう思いをして欲しくないのだ。

 エルフェは渋々といった様子で頷いた。メルシエは満足して踵を返す。

 距離はあっという間に離れ、ぬくもりは感じられなくなる。一人になったメルシエは息をつく。

 昔は置いて行かれないように必死で付いていった。

 名門貴族の令嬢といっても子供の頃はお転婆をしてもまだ許されたものだから、エルフェはメルシエを領地の葡萄畑で引き摺り回した。

 裾の長いドレスと絡まる長い髪を忌々しく思いながら、息を上げて必死の思いで追い掛けた。

 そして今、動き易い衣を纏い、短く切り揃えた髪を持つメルシエは――――。


「あたしもちゃんと進まないとね」


 後ろ向きな自分は捨てたのだ。そうでなければ何の為に髪を燃やしたというのだろう。

 あの想いを、あの悲しみを、あの決意を、無駄にしたくはない。

 決意と共に空を仰ぐと、変わらない月が浮かんでいる。だが、その月だって満ち欠けを繰り返している。

 少しずつだが時間は動いている。着実に世界は変わっている。

 これからどうなるかは分からないけれど、メルシエのこの気持ちだけは変わらないだろう。

 大切な人たちが狂わず幸福であって欲しい。その願いだけは永遠に変わらない。

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