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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
二章
12/208

お菓子の家の甘い罠 【2】

 ヴィンセントやエルフェと接することで多少慣れたと思っていた。

 それでも華やかな容姿の人物を前にすると臆してしまう。元々他人の目を見返すことが苦手で、容姿のコンプレックスから前髪を伸ばしているようなクロエは縮まってしまった。

 クロエは隣に座ったルイスを横目で窺いながら言葉を待った。紫眼の彼はだんまりを決め込んでいる。


(ど、どうすれば良いんだろ)


 何やら話があるようだが、ルイスが切り出してくれなくては何も答えられない。

 世間話を持ち掛けるほどクロエは社交的でもないし、ルイスと親しい訳でもない。困りきったクロエは気を紛らわせる為に辺りを見回す。

 街から外れた冬の公園は静かだ。休日ともなればまた違うのかもしれないが、通行人くらいしか人影がない。木枯らしと噴水の音だけが響いていた。

 気を紛らわせられるものはといえば、先ほどから噴水の周りを旋回している子犬か。垂れた耳とふわふわの毛が何とも愛らしい。


(うわあ、可愛いな)


 【アルケイディア】では人間以外の生物は珍しい。犬や猫といった愛玩動物は貴族たちが飼っているが、野生の動物となると鳥や虫しか見たことがない。

 クロエは犬に興味津々だ。そんな熱意が伝わったのか、子犬は傍に寄ってきた。

 先ほどまでの気分や居心地の悪さも忘れて、心和ます子犬を見入る。スケッチブックを持ってこなかったことが非常に悔やまれる。


「迷子かな? ……うん? おまえ、お腹空いてるの?」


 頻りに鼻を動かし、クロエの横の買い物袋を見上げて切ない鳴き声を上げる子犬。

 何か食べさせるような菓子はないかとポケットを探ると、丁度チョコレートがあった。昼食後にレヴェリーから貰ったものだ。クロエはその包みを開こうとする。だが、真横から冷たい言葉が投げ掛けられた。


「犬にチョコレートは毒だよ」

「そうなんですか?」

「知らないのなら仕方ないけど、知っていて故意に与えたのだとしたら虐待だ」


 冷静かつ淡白に切り返され、クロエは口籠もる。

 ルイスは眉を顰め、ゆるゆると首を振った。呆れたと言わんばかりの様子にクロエは益々縮まる。

 これはヴィンセントとはまたタイプの違う刺々しさだ。

 あの金髪の若者の場合は人の弱みや欠点を見付けて喜々として責める。意気揚々といびる。このアッシュブロンドの少年の場合はただひたすら淡々としている。熱がなくてとても冷たい。

 整い過ぎて神経質にも映るその顔を不機嫌そうに歪めて、ルイスは膝を折った。


「首輪とリードがついているね。この大きさだと室内犬だろうし、散歩中に逃げ出したのかな」


 だとすれば、きっと飼い主は心配しているだろう。この子と飼い主の為にも探してやりたいと思った。

 ただ、クロエは決断能力が欠けていて、思えども中々行動に移せない。


「荷物持つよ」


 立ち上がり、ヴァイオリンケースを肩に掛けたルイスはクロエの荷物を抱える。

 クロエが呆気に取られる前でルイスは濃紺の上着の裾を翻し、背を向けて歩き出す。


「あ、あの……」

「飼い主、探すんじゃないのか」


 呼び止められたルイスは淡々と言い放つ。意外な言葉にクロエは目を(しばたた)かせた。

 完璧な人形のような無表情。だが、僅かに伏せられた睫毛越しに寄越される視線は鋭く、挑戦的だ。


「キミがやらないのならオレがやるけど」

「お手伝いします!」

「……そう。じゃあ行くよ」


 何処となく辿々しい発音の声でそう言いながら、ルイスは身を翻す。クロエはリードを持ち、子犬を抱きかかえると素直に従った。

 ルイスは先を歩く。クロエはもう逃げない。確かに彼の態度は少々刺々しいが怖いという気持ちはすっかり消え失せていた。

 クロエは少年の背中を追っていく。

 自分を何処かへ引っ張っていってくれそうなその背中は、同じ紫色の瞳をした少年と似ていた。






 【クレベル】の賑わいから再び遠ざかる頃、陽はすっかり傾いていた。

 夕陽を受けて仄かに光る雲間に金色の星が輝いている。それを見つめていたルイスは夜空のような紫色の瞳を伏せて、疲れたと言いたげな息を吐いた。


「キミがあれほど道が分からないとは思わなかった」

「私、元々【クレベル】市民じゃありませんから」


 あの後、飼い主探しを始めたクロエとルイス。すたすたと前を歩く彼をすっかり信用して付いて行ったのだが、そこに誤算があった。

 ルイスは【ロートレック】の住民で【クレベル】の地理に疎い上に、方向音痴だった。

 何か心当たりがあって裏道を歩いているのかと思いきや、ただ迷っていただけだったのだ。クロエも黙って付いて行くだけだったので文句は言えないが、流石に呆れた。そうして二人して迷子になって、飼い主の方に見付けて貰ったという悲しい結果だ。

 下手に探し歩かず、公園周辺で捜索した方がきっと早かった。二人が飼い主を見付けたのは公園内だったのだ。

 犬を連れ回して余計な世話のようになってしまった。しかも犬を保護してくれた礼だと、人気のパン屋のクロワッサンまで貰ってしまったので恐縮するしかない。


「でも飼い主さん、見付かって良かったですね」

「……ああ。家族だから心配していただろうね」


 クロエはこくりと頷く。ルイスに同感だった。

 どんな生き物だろうと共に暮らせば家族だ。きっと情も移るだろう。


(じゃあ、私は?)


 従僕という身で暮らすこの自分は彼等にどう思われているのだろう。

 きっとヴィンセントはそんな人間的感情は持っていない。ヴィンセントにとってクロエは虫螻(むしけら)同然の存在なのだ。

 動物は飼っている内に愛着が出て、そのものの代わりなど見付からなくなる。唯一無二の家族だ。けれど、クロエは違う。

 不必要になったらすぐに金に換え、処分する。つまりは幾らでも代わりの利く雑用人形のようなものだ。


『はいはいって何でも頷いて、あんたって人形みたいね』


(お義母さんの言った通りかもしれない)


 結局、人形のままだ。

 自分を殺めた相手に何かを期待するほどクロエは莫迦ではない。徐々に学習し、ヴィンセントという常識外れの人物のこともそういうものなのだと諦めるようにしている。そうなるように努めている。それなのに何故が傷付く自分がいる。

 そんなことを考えていたら余計に悲しい気持ちになってきて、気分が鬱いだ。


(こんなことじゃ駄目だよ)


 こんなことではいけない。生きると決めたのだから、こんな些細なことでくよくよしていては駄目だ。

 少々強引に気持ちを切り替えたクロエは、先ほどのことをルイスへ問うてみることにした。


「さっき私に話があるみたいでしたけど、御用って何ですか?」


 訊ねると、男性にしては少々長めの前髪越しに紫色の瞳がこちらを窺う。長い睫毛が物憂げに上下する。

 見れば見るほどに女性的な柔らかな雰囲気の持ち主だ。それでいて鋭利さも兼ね備えているので、ルイスは何処かちぐはぐで不安定な印象があった。


「ああ……その、この前は悪かったと思って……」

「え?」

「あの金髪が言うように八つ当たりだった。突き飛ばしたりして悪かった」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


「き、気にしないで! 私こそ部外者なのに勝手なこと言ってしまいましたし」

「それは別に良い。オレも頭に血が上り過ぎていたから……。兎に角、ごめん」


 クロエも慌てて頭を下げた。

 あれはルイスに否がある。しかし、クロエにも全く否がないとは言えない。

 ルイスはレヴェリーを悪く言いはしたが、事情も知らない小娘に口を挟まれたら誰だってかちんとくるだろう。ヴィンセントが最初から喧嘩腰ならぬ揶揄腰だったのも関係しているかもしれない。

 今日こうして話して分かった。ルイスは物静かだ。大きな声を出すのも苦手なようで淡々と喋っているし、少々人見知りっぽいところもある。伏し目がちなところや素っ気ない態度も、人やものに無関心というよりは、やはり人見知りをしているのではないかと思う。施設で同じような弟妹を見てきたクロエはそんな解釈をした。


「キミはあの喫茶店で働いているのか?」

「はい、皆さんにお世話になっています」

「なら、レヴェリーはどんな様子? ちゃんと食事は取っているのか?」


 弟妹に接する感覚で愛想良く答えたクロエに、ルイスはそんなことを聞き返した。


「レヴィくん、ですか?」

「そう。あいつ、ああ見えて神経細いから何かあると食べられなくなるんだ」


 ルイスの言い口はただの友達という割には親身だった。もしかすると、喧嘩別れでもしてしまった親友なのだろうか。クロエは思わずそんな疑問を抱く。

 年齢も背格好も瞳の色も似ている二人だ。二人が親友というのもある意味、頷けるような気がする。


(この前もきっとレヴィくんのことを心配していたんだよね)


 心配しているからこそ、厳しい言葉を言ったのだろう。それは愛情の裏返しのようなものだ。

 クロエは先刻怯えて逃げそうになったことを心の中で謝罪しつつ、答えた。


「最近ちょっと元気ないような感じはしますけど、何を作れば食べてくれるのか分からなくて」

「あいつはパンケーキ粉で作った蒸しパンとか好きだよ」

「そんなもので良いんですか?」

「安物食いだから。下手に手の込んだものより素朴なものが良いと思う」


 レヴェリーの好みを自分のことのように語るルイスは貴族なのに変わった人だ。それを好意的に捉えたクロエは思ったことを素直に口に出す。


「友達思いなんですね」

「友達? オレは…………、いや、ああ……」


 嫌味でも揶揄でもない感想にルイスは面食らったような顔する。

 今までろくな表情が浮かばなかった顔に初めて人間らしい表情が窺えた。だからこそクロエは提案した。


「ノエルにきませんか?」

「ノエルに何かあるのか?」


 部外者の自分がでしゃばることではないと分かっている。それでも、ルイスとレヴェリーが今のように喧嘩したままではいけないことは確かだ。

 レヴェリーには笑っていて欲しい。今のように鬱いでいて欲しくない。


「その日はいつもより遅くまでお店をやる予定なんです。美味しいケーキとコーヒーもありますし、もし貴方の都合が良ければきて下さい」


 暫く黙したまま歩いていたルイスは分かれ道の前で歩みを止めると、クロエを真っ直ぐと見た。


「考えとくよ。……でも、キミの口からオレのことはあいつに言わないでくれると助かる」

「はい、分かりました」


 ルイスはずっと持ち続けていた荷物を返すと、クロエの帰る方角とは反対を示して別れを切り出す。

 出会ったばかりの他人に荷物持ちをさせたというとんでもない状況に顔を青冷めさせ、平伏せんばかりに謝るクロエの前で、ルイスは困ったような呆れたような面持ちをして慰める代わりにこう訊ねた。


「そういえば、名前をまだ聞いていなかった」

「あ、そういえば……。私はクロエ・メイフィールドです」

「ルイス・ヴァレンタイン。ちょっと待って……はい、お近付きの印にどうぞ」


 ルイスはヴァイオリンケースを肩に掛ける他に、手に紙袋を下げていた。楽譜が挟まったファイルの覗くそこから平たい丸型の箱を取り出すと、それをクロエに渡した。

 紅茶色の箱に青いリボン。そして上蓋に貼られたラベルにプリントされている紋章は――――。


「これ、【ヴァレンタイン】の新商品!」


 例の行列待ちのストロベリーキャラメルだ。

 お近付きの印として貰うには上等過ぎる。


「こんな貴重なものを貰ってしまって良いんですか?」

「うちに腐るほどあるから」


 欲しいならもう一個あげる、とルイスはもう一箱取り出すとクロエに押し付けた。

 積まれたキャラメルに目が点になる。そんなクロエの様子を意に介することもなく、ルイスは身を翻した。


それじゃあまた(ア・ビヤント)


 夕闇の中で上着が翻る。その燕のような後ろ姿が見えなくなった頃、クロエはまじまじとキャラメルを見た。

 今し方聞いたルイスの姓はヴァレンタインだ。


「まさか……」


 【ヴァレンタイン社】の人間にケーキを勧めたとしたら、クロエは間抜けなことをしていたことになる。

 ルイスは確かに言ったのだ。入手困難なキャラメルが家に腐るほどある、と。

 何はともあれ、早く帰らねばならない。あんなに高い位置にあった太陽はとっくに沈んでいた。

 門限破りは良くない。噂のエルフェの雷が落ちるかもしれないと覚悟しながら、クロエは帰路についた。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 午後五時を過ぎる頃、家へ戻ったクロエは迷い犬の飼い主を探していたことを伝え、謝った。

 エルフェは門限ぎりぎりに帰ってきたクロエを咎めることはなかった。

 こういう時、真っ先に何かを言いそうなヴィンセントは【上】の仕事で出掛けているらしく、いつものように小言を言われずに済んだ。そんなことにほっとすると同時に罪悪感を覚えつつ、クロエはエルフェと共に夕食を作った。

 夕食が終わり、皆が順番でバスルームを使う中、クロエは洗い物をしていた。

 家事全般はクロエの仕事だが、洗い物だけは当番制だ。今日はクロエの当番であったので洗ったばかりの食器を布で拭いていると、風呂上がりのレヴェリーがリビングのテレビでゲームをやり始めた。

 髪をろくに乾かさずにいては風邪を引いてしまう。クロエは棚からマグカップを取り出すと、砂糖を入れたホットミルクを用意した。


「ホットミルク作ったけど、飲むよね?」

「サンキュー」


 リラックスした様子で朗らかに笑いながらカップを受け付け取るレヴェリーに、クロエはほっとした。


「そうだ、クロエもやる?」

「今度やらせて貰うね」


 あまりゲームをやったことがなく、また得意でもないクロエは緩やかに断りつつ、あるものを差し出した。


「はい、ストロベリーキャラメル」

「え……マジで!? これどうしたんだ!?」


 赤み掛かった紫の瞳が大きく見開かれる。


「これは……貰ったの」

「貰った? お前、まさか怪しい奴から貰ったんじゃないよな」

「大丈夫だよ。ほら、犬が迷子になってたって言ったでしょう。クロワッサンとキャラメル、お礼に貰ったの」


 ルイスとの約束があるので彼から貰ったとは言えない。

 エルフェにも同じ説明をしたところ、クロエが片付けて良いということになったのでレヴェリーに一箱分けることにした。美味しいものは皆で食べた方がより美味しいに決まっている。


「有り得ないくらい美味い……」


 キャラメルを一つ口に放り込んだレヴェリーは顔を綻ばせた。何かを口に入れたまま喋るのはレディとしてはしたないという思いがあるクロエはひたすら頷く。

 ショップに並ぶものとは違う滑らかさ、そしてストロベリーの濃厚さ。それでいて後味が良く、口にしつこく残らない上品な味わいだ。流石、製菓業界トップ【ヴァレンタイン社】だ。

 もう一粒食べたい衝動に駆られたが、夜なので止めておく。食に執着することもまた、はしたない。

 そうして食器の片付けに戻ったクロエに、レヴェリーは訊ねた。


「なあ、クロエって将来の夢とかあるか?」


 クロエは視線だけで「どうして?」と先を促した。


「ほら、施設ってミドルスクール卒業したら出なきゃならねえじゃん」


 児童養護施設は十八歳になってミドルスクールを卒業したら出なければならない決まりがある。だから、その前に職を見付けなくては野垂れ死にすることになる。

 クロエはそうなる前に親元に戻り、レヴェリーも里親に引き取られた。


「オレも施設にいたら出ていってる年齢なのに、何もやりたいこととかねーからさ……」


 明るく見えて、神経細い。考えていないようで人一倍考えている。人の感情の動きに敏感で、何かあると率先して場の空気を盛り上げようとする。施設育ちをした子供特有の、人の顔色を窺うところがレヴェリーにもある。

 レヴェリーは、エルフェとヴィンセントという大人に養われているという身だ。

 クロエほど行動を制限されている訳ではないが、制約がない訳でもない。見るからに活発で、外を駆け回っていることが似合っていそうな彼がゲームや映画鑑賞といった趣味ばかり持っているのはそういうことも関係しているだろう。

 レヴェリーは己と似た境遇にあるクロエに将来の展望を訊ねた。


「お前は夢とかある?」

「あるよ、一応」

「教えて」

「駄目」

「何だよ、ケチだなあ」

「夢は言ったら夢じゃなくなるよ」


 叶わない夢を追い掛けるほど余裕はないし、子供でもない。例え夢が叶ったとしてもそれで食べていけなくては意味がない。そうドライになる以前にクロエは従僕人生が決定済みで、永久就職先は愛する男性ではなく、人の人生を奪ってくれた金髪の若者だ。

 一生扱き使うとヴィンセントは言った。普段冗談ばかりの彼だが、あれは本気だった。だからクロエは夢を口に出さない。


「それに……霞を食べて生きている訳じゃないもの。夢と現実の区別は付けなきゃ」


 その代わり、いつものように【諦める為の言葉】を唇に乗せ、現実を受け入れる努力をする。

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