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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
五章
103/208

番外編 籠鳥は握り潰してこそ可憐 ~side Faust~ 【3】

 冷たい灰色の空の下、ただ静かに雪が降っている。

 都の人々が散策場として訪れる公園に程近い場所にある墓場。その一角に喪服の集まりがある。

 僧衣の胸に十字架を掛けた銀髪の男は、真新しい墓石の上に花を手向けた。


「棺桶の中、入っていないらしいよ」

「そんなに酷いのか?」


 聖書で火葬は呪われた存在に対するものであったと指摘されている為、貴族に於ける埋葬とは土葬だ。

 しかし、土の下にある二つの棺の中身は白い灰の詰まった小箱だ。

 遺体の損傷が激しかったというのもあるが、政府の研究の為に死後の肉体を切り刻まれた夫妻は焼かれた。これは、夫妻が亡くなってからひと月が経過しての葬送だった。

 似合いの二人が一緒に旅立てて幸福(しあわせ)ね、と誰かが皮肉めいた声で呟いた。

 手向けの白い花の上にいつまでも雪が降り付けていた。






 アデルバートとエレンが死んだ。

 使用人十数名と共に刃物で斬り殺された。

 後にクラインシュミット家惨殺事件と呼ばれる件の現場確認及び葬送に、ファウストは立ち会った。

 教会の関係者――【死神】としての最後の仕事だった。

 人質の人生に終止符を打つ仕事が友の死に関係することというのはあまりに皮肉だ。晴れて自由の身になり、胸の十字架を外したファウストの表情は暗く沈んでいた。


「迎えに行かなければ……」


 二人の子供たちを迎えに行こうと思った。

 生前エレンに頼まれたということもあるが、それがなくても放っておけなかった。

 幸いにも金と時間はあった。今まで人を殺してきた分、人の為に生きたい。アデルバートやエレンのような幸福を与えることは無理でも、せめて彼等が大人になるまでは庇護してやりたい。

 そんな思いを胸に双子が保護されているという施設に向かったファウストは、とんでもない事実を知る。


「兄の方は担当者に押し付けたよ。弟の方はバラすには勿体無い顔をしていたから売ってきた」

「売った……?」

「個人じゃなく娼館だから安心しなよ。客層はそこそこ良いはずだ」


 貴族に愛玩人形として買われ、主人の寵愛を受ければ、奴隷として扱き使われるより余程幸せな暮らしを送ることができる。

 罪を罪とも感じていない様子で、男は悪魔のように笑った。


「ヴィンセント、貴様……!」

「そう目くじら立てて怒らないでよ。クラインシュミットなんかの子供より、ディアナの娘の方が大事だろう? 保存には十年の期限が設けられたけど、それだけあれはディアナを探す手段は幾らだってある」


 十数年振りに顔を合わせたヴィンセントは外道振りに磨きが掛かっていた。

 この男は政府から施設に支払われていた金を盗る為に子供たちを引き取り、その上で捨てたのだという。

 一人の女のこと以外はどうでも良いと言うところは友に似ているが、性質は似ても似つかなかった。


「大体、犠牲者を悼むなんて【死神】らしくないんじゃない、ファウスト神父?」


 裏社会では目撃者は抹殺するのが鉄則だ。

 その観点からいえば、ヴィンセントが言っていることは正しい。彼は処分されるはずの人間を有効利用したに過ぎない。だが、子供まで巻き込むのは間違っている。曲がりなりにも神に仕えていた身として、激しい嫌悪感に吐き気がした。

 外道と話していても埒が明かない。諦めたファウストは弟に協力を求めた。

 レイフェル――エルフェは政府に付くことを選んだ変わり者だ。その所為でレイヴンズクロフト家との折り合いが悪くなり、家を出てしまった弟はかねてからの夢を叶え、都で店を開いていた。

 エルフェは十九年前に起こった事件である女性の人生を狂わせ、必要以上に他人と関わるのを避けるようになった。そんな弟に助けを求めるのは心苦しくあったが、教会を抜けたファウストに他に頼れる宛はなかった。

 幸いにもレヴェリーはすぐに見付けることができた。

 衰弱はしているものの、命に別状はなかった。だが、幼い少年の心は極限まで磨り減っていた。


「青い目の男が……赤い金髪の女が……銀髪の……赤い目の男が……!」


 両親が殺され、自身も刺された。弟と引き離され、虐待を受けた。記憶が意識を苛むのか、レヴェリーは昼は大人しくしていても夜になると人が変わったように暴れるのだ。

 物を破壊することで、必死で自分の心が壊れないように耐えていた。

 母親に向けていた無邪気な笑顔を知るからこそ、その姿は痛ましかった。


「俺が面倒を看るのか?」

「両親の知り合いの私がいたらあの子も辛いだろう。済まないけど頼むよ。様子は見にくるから」

「クラインシュミットは正直良く分からないが、承知した。兄さん孝行だと思うことにする」

「はは……、お前は充分孝行者だよ。じゃあ、レヴェリーのことは宜しく頼むよ」


 ヴィンセントの監視、そしてディアナの娘とレヴェリーの保護。それ等のことをエルフェに任せ、ファウストはもう一人の子供の行方を探した。

 もう生きていないかもしれないと、心の何処かで諦めていた。

 紫の瞳は魔除けの飾りとして裏で高値で取り引きされているのだ。五体満足でいる可能性が低い。それに、生きていたとしてももう元には戻らないかもしれない。

 貴族たちの間で侍童を持つことが流行っている。その人形を作る際に前頭葉を切る処置を受けさせる場合がある。前頭前野は意思、学習、言語、社会性など、人間を人間たらしめている機関だ。その連絡線維を切断されたらもう殺すしか救う方法がない。

 アデルバートとエレンを救えず、彼等の子供も見殺しにするのかと考えると、闇に囚われそうになる。

 絶望ばかりが胸の中に(わだかま)り、神に祈るしかなかった。

 子供が見付かったのは、クラインシュミット家惨殺事件から六ヶ月余りが経った春のある日だった。

 とある子爵家の地下で発見された少年は、ヴァレンタイン侯爵家によって保護された。

 レイヴンズクロフトとヴァレンタインは因縁がある家だ。普通なら関わりを持つことはない。だが、クラインシュミットの名が出れば話は別だ。

 ファウストは侯爵に自分の身分を告げた上で事情を伝え、少年と会う許可を貰った。


「私のことを覚えているかい?」


 少年は酷い傷を負っていた。

 利き腕を除いた上半身――中でも酷いのは首筋に執拗に付けられた裂傷か。

 引っ掻いてしまったのか、傷は未だに塞がっていない。包帯は意味を成していない状態だった。

 教会で医者の真似事をやっていたこともあり、放っておくことはできなかった。ファウストは手当てをしようと手を伸ばす。その瞬間、伸ばした手は振り払われた。


「……さわ……るな……」

「血が出ているから包帯を替えないと――」

「うるさい! もうオレに……誰も……何も、関わるな……!」


 激しい怒りを前にして感じたのは安堵だった。この少年はまだ元に戻れるのだ、と。

 それからファウストは両侯爵家の問題を解決するという名目で、ヴァレンタイン家で暮らし始めた。

 レイヴンズクロフト家の象徴である銀髪碧眼の容姿を隠し、偽名を使い、友人の愛し子である少年の近侍になった。

 口を利くことが儘ならないほど精神的に不安定になっていた少年が落ち着きを取り戻したのは、ファウストが仕えて半年が経とうという頃だ。


「ルイシス様」


 薄茶色(ティーローズ)の髪を赤く照された少年の名を、ファウスト(ジルベール)は呼ぶ。

 広々とした部屋の中に明かりはなく、暖炉の炎だけが赤く燃えている。

 暖炉から離れた場所に置かれた長椅子に膝を抱えて座った少年は雪の舞う景色をただ眺めていた。


「そんな格好では風邪をお召しになってしまいますよ」

「………………」

「ルイシス様」

「………………」

「んー……、そんなに自分の名前がお嫌いですか? というか、私が嫌いなんですか?」

「どちらも嫌いです。序でに敬称もいやだ」


 少年は外の景色から目を離さずに素っ気なく言い放つ。ファウストは、はあと息をついた。


(嫌だって子供じゃないんだから…………いや、子供でしたね。いけないいけない)


 子供みたいな口の利き方だと呆れたが、実際この少年はまだ九年しか生きていないような子供だ。

 つい大人を相手にしている気分で接してしまうファウストは、いつかのアデルバートのように「いけないなあ」と反省する。


「では、愛称呼びにしましょうか。そちらの方が親しくなれたような気もしますしね」


 ただでさえファウストは言葉遣いも態度も洗練されていない使用人だと執事(バトラー)から睨まれている。

 生憎こちらは侯爵令息専属の従者(ヴァレット)で、彼の指揮系統には属していない。従僕(フットマン)から叩き上げで執事まで上り詰めたことがどれだけ凄いのかは知らないが、上級使用人の嫌味に屈してなるものかと心に決めているファウストは、少年に親しみを込めて訊ねた。


「何とお呼びすれば良いですか? 今まで呼ばれていた愛称とかはありませんか」

「ありません」

「それでは僭越ながら私めが考えましょう。そうですねえ……ルイサ、ルイーザ、ルイーゼ、ルドヴィーカ、ロヴィーサ、アロイーズ。どれが良いですか?」

「何で全部女性名なんですか」

「いや、だって君、可愛いから」

「……………………」

「あははっ、冗談ですよ。真面目に考えますからそんなに睨まないで下さい」


 親を亡くして以来、家畜同然の扱いを受けてきた少年は表情が少ない。喜怒哀楽を表せないのだ。

 怒らせて本性を見ようとしてみるものの、そう簡単にはいかない。

 ファウストはふざけることを止め、真面目に考えることにした。


(……といっても、難しいですよね)


 クラインシュミット夫妻や少年の兄が呼んでいた【ルイ】という愛称を出す訳にもいかない。

 本人が今まで呼ばれていた愛称はないと答えたのだから、それには触れてはいけない。

 ファウストは暖炉の炎のゆらめきを見つめながら考える。そして、ふと思い付く。

 そういえば、エレンのミドルネームの男性名が丁度彼の名前に対応する愛称になる。


「じゃあ、ルイスでどうですか。これなら文句ないでしょう?」

「どうでも良いです」

「これからはそのように呼ばせて頂きますね」


 ルイシス改めルイスは、心の底から興味がないという様子で顔を背けてしまった。

 ファウストは苦笑し、腕に掛けていた上着を広げた。紺色のそれは寝台の上に投げ置かれていたものだ。


「ほら、寒いでしょう? 風邪を引いて辛くなるのは貴方なのですから着て下さい」

「……ありがとう」

「ああ、すっかり冷えていますね。温かい飲み物を用意しましょう。お休みになるのはそれからにして下さい」

「別に、喉乾いてない……」

「食べて眠る。当たり前のことですが、その当たり前のことをしないと身体だけでなく、心も参ってしまいますよ。ご両親に心配を掛けるのは貴方の本意ではないと思いますが如何お考えですか、ルイス殿?」


 ルイスは生存者としての罪悪感(サバイバーズ・ギルト)が強くあるようで、生きる意思がごっそりと抜け落ちていた。

 食べず、眠らず、幼い身体に限界がくれば倒れてしまう。

 そんなことを繰り返しているルイスにファウストは強い語調で問い掛けてしまい、その後で反省する。

 詰問調に喋ってしまうのは審問官の頃の悪い癖だ。こうして威圧しては子供は怖がってしまう。

 だがファウストの後悔とは裏腹に、ルイスははっきりと返事をした。


「分かりました。じゃあ、ぬるい紅茶を」

「ぬるいというと……アイスティーですか?」

「いいえ、あたたかい紅茶です」

「畏まりました」


 長年教会勤めに明け暮れ、家事などしてこなかったのだから上手く紅茶が淹れられる訳もない。しかも、熱さの調節は完全に個人の好みだ。

 結局ミルクや蜂蜜を溶かして味を誤魔化すのが精一杯だったが、幸いにも気に入ってくれたようで、ルイスはそれを飲んでから眠るようになった。


(本当に子供なんですね)


 人形めいた無表情が消えた顔はあどけない。

 だが、両親の形見である懐中時計を握り締めて眠る姿は痛ましさを感じさせた。

 レヴェリーはまだ良い。適応が早く、甘え上手な彼はエルフェやメルシエを親と慕って育つだろう。きっと愛情に飢えることはないはずだ。

 ルイスはどうだろう。齢十八の侯爵は父親としての自覚に欠け、身重の夫人も余裕がない。誰も彼を気に掛けず、その癖、屋敷からは出そうとしない。まるで軟禁のような不自由を強いている。

 確かに飢えることも凍えることもない生活は恵まれているかもしれない。

 けれど、恵まれているからこそ、その不足は大きなものになる。


(いや、寧ろ――)


 石鹸箱に捨てられた猫というよりは、鳥のようだ。

 人間に囲われた憐れな籠鳥。

 籠鳥は籠の中でしか生きられないのだから、自由が欲しくてもそこを離れる訳にはいかないのだ。

 長く囚われの人生を送り、未だにその陰から抜け出せずにいるファウストは、ルイスを憐れんだ。

 同情と哀惜と憐憫と罪悪感と背徳感とが胸を渦巻いていたが、その想いは薔薇の名の許に秘して仕える。

 時間は緩やかに流れてゆく。

 羽根が潰れてしまった小鳥のような少年は成長する毎に両親の面影を濃くするようになる。

 外面は澄まし顔で落ち着き払っている癖に、中面は感情的だったりするところは父親に。愛想笑いしかしないが、にこりと笑った時の雰囲気は母親とそっくりになっていた。

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