第6話
二日後、僕は、彼女と待ち合わせた公園内の喫茶店に向かっていた。
小学生の頃、僕は自分の力のことをよく友達に話した。その時の反応はいつも同じだった。皆、自分の思っていることを当ててみろと僕を試した。そして、僕がそれを言い当てると、すごいすごいと皆で僕をはやし立てた。「先生、桐野ってすごいんだ」と言って、自分の手柄のように、先生に報告しに行く子もいた。僕は、みんなから注目を浴びて得意になった。でも、僕が人の心の裏側まで読めると知ると様子は一変した。いつも仲良くしている友達同士でさえ、本当は嫌悪感を抱き合っていたりする。相手の失敗を望んだり、喜んだりしている。みんな、それを知られたくなかったのだ。みんなは、僕を避けるようになった。何か、違う種類の生き物を見るような目つきで僕を見た。僕はその時から、自分の力のことを誰にも言わなくなった。
喫茶店のドアを開けると、奥の席に、車椅子に座ったまま眠っている庄吉さんと、藤色のカーディガンを着た彼女の姿が見えた。その店は、何の飾り気もない普通の部屋に、ただテーブルと椅子を置いたような店で、それは、いつか行ったことのある大学病院の喫茶室を思い出させた。
テーブルには一つのカップと二つのグラスが置かれていて、彼女は、カップを両手で包むようにして持っていた。彼女は僕を見つけると、カップを置いて立ち上がり、頭を下げた。僕は彼女の向かいの席に座った。僕が彼女と話し始めても、庄吉さんは眠ったままだった。そして、その時の庄吉さんは涙を流していなかった。
僕はコーヒーを注文して、彼女の話を聞いた。彼女は、本当はホームの方が落ち着くと思うのだが、ホームではいろいろ詮索する人もいるからここを選んだのだと言った。それから、昨日と今日は、庄吉さんの意識がはっきりしていること、庄吉さんの持ち物には、たった一枚の写真はおろか、過去を連想させるような物は何一つ無いこと、今まで、庄吉さんを訪ねてきた人は一人もいないことなどを話した。
テーブルにコーヒーが置かれると、僕は、ミルクと砂糖を入れてそれを飲んだ。あまりの薄さにコーヒーを頼んだことを後悔した。
「岬さんは何を頼んだんですか?」
「私はホットミルクです」
「賢い選択ですね」
「やっぱり薄かったですか?本当は桐野さんがメニューを見た時に言おうと思ったんですけど、もしかしたら薄いコーヒーが好きかもしれないと思って。ごめんなさい。あの、それから、私なんかに敬語、使わないで下さい。何か恥ずかしいです」
そう言って彼女は、視線を落とした。
「そう。それじゃ、これからはそうします。コーヒーだけど、これはこれでいいかもしれない。最近、胃がちょっと痛かったから」
彼女は俯いて少し笑った。せっかく笑うのならこちらを見て笑えばいいのに彼女は俯いて笑った。
随分時間がたったが、庄吉さんは目を覚まさなかった。本当は、庄吉さんが目を覚まして、許しを得てから、庄吉さんの心に触れるつもりだった。でも、何をどう説明して許しを得るのか、どう考えてもわからなかった。とりあえず正直に話してみるしかない、そう思っていた。
その時だった。庄吉さんの目から、流れ星のように一筋の涙が流れたのは。彼女はハンカチを出して庄吉さんの涙をそっと拭いた。僕は彼女を見た。彼女も僕を見た。そして頷いた。僕は庄吉さんの手に自分の手を乗せて目をつぶった。