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第29話

 二日後、僕は上越新幹線「とき」の窓際の席で、線路沿いの道を、たぶん相当のスピードで走っているオートバイが飛ぶように後ろに流れていく光景をぼんやりと眺めていた。必死に体勢をかがめ、ジャンパーを凧のように膨らませて突っ走っているオートバイが静かな空間ごと移動しているこの乗り物にいともたやすく追い越されていく。前の席の少年がそれを見て、

「ママ、やっぱり新幹線は速いね」

 とはしゃいでいた。

 オートバイはいい。あれはスピードを全身で感じることができる。風を切る音、悲鳴をあげるようなエンジン音と振動、オイルの焼けた匂い、風圧。スピードを出せば、それなりのものを感じるのは、ごく自然のことだ。しかし新幹線にはそれがない。音も、振動も、匂いも。あるのはただ、視覚だけで感じるスピード感。まるで、買い物に行くような自転車で、東名高速を時速百キロメートルでとばしているような、そんなアンバランスな不自然さだけだ。僕はもうオートバイの見えなくなった直線的な道路を眺めながら、そんなことを考えていた。

 隣の席に彼女はいなかった。来たいと言う彼女を僕が止めたのだ。もし、沙那子さんに会って、

「あんなひどい男のことなんか、とっくに忘れたよ。今さらそんな話、聞きたくないね。死ぬなら勝手に一人で死ねばいいんだ」

 なんて言われた時のことを考えると、とても彼女を連れてくる気にはなれなかった。僕は彼女を、まだ春休みには間があるし、庄吉さんもいつどうなるかわからないし、代わりに僕が行くからと、必死になって説得した。なかなかうんと言わない彼女を納得させるのには本当に骨が折れた。そして、そんなことに一生懸命になっている自分にふと気付いたら、何だか急におかしくなった。でも、そのおかしさは決して不快なものじゃなく、何かすごく懐かしくて、日のあたる部屋のような、そんな匂いのするものだった。

 眩しさに窓の外を見ると、そこは一面の銀世界になっていた。そして、時間がたつごとに、雪はどんどん厚みを増していった。もうすっかり春めいた東京で暮らしていた僕は、雪を見たことのない子供のように心を浮き立たせた。

 浦佐駅で新幹線を降り、タクシーに乗ろうかと思ったが、在来線に乗り換えて、小出まで行くことにした。あの黒い貨車が置いてあった庄吉さんの記憶の小出駅と今の小出駅を比べてみたくなったからだ。

小出駅に着くと、思った通り、街並みに昔の面影はほとんどなく、ただ商店街の中の数軒の古い店だけがわずかにその雰囲気を残しているだけだった。庄吉さんが品物を売った雑貨屋も、今ではどの店がそれなのか全くわからなかった。仕方なく、僕はタクシーに乗り込み、行き先を告げた。

「村上っていうところに行きたいんですけど、わかりますか?」

「わかるよ。村上のどの辺へ行きたいの?誰の家とかわかる?」

「あの、木下鉄男さんでわかりますか?」 

「ああ、鉄男さんのとこね。近いよ。十分くらいかな」

 僕はほっとして、外の景色に目をやった。商店街を過ぎるとすぐに見覚えのある田園風景になり、破間川にかかる橋の手前の高台に、高村財閥の屋敷が見えた。

「あのお屋敷には今でも高村さんが住んでいらっしゃるんですか?」 

「ええ、住んでますよ。昔に比べると随分落ちぶれちゃったけどねえ。でも、お客さん、よく知ってるね。この辺の人?」

「いえ、そうじゃないです。ただ、ここに住んでいた人からいろいろ話を聞いていたので。あの、鉄男さんはお元気なんでしょうか?」

「ああ、でも、もう年だからね。そんなに元気って訳にもいかないけど、息子夫婦と孫たちと一緒に暮らしてますよ」 

 この運転手ならば、沙那子さんのことも知っているかもしれない。僕は思い切って聞いてみた。

「あの、鉄男さんのお姉さんの沙那子さんをご存知ですか?」

「鉄男さんのお姉さん?鉄男さんにお姉さんなんていないよ。何かの間違えじゃない?オレ、ここに三十年いるけど、聞いたことないよ」

 もしかしたら鉄男さんは、沙那子さんの存在を、ずっと隠しているのかもしれない。

「いえ、何かの勘違いかもしれません。人から聞いた話だし、僕もうろ覚えなので」

 その後、左右を一メートル以上の雪の壁に囲まれた道を五分ほど走ると、車は一軒の家の前で止まった。 

雪に囲まれた鉄男さんの家は、僕の記憶にあるあの小さくてみすぼらしい家とは全く違っていた。庭が広く、ガレージもあって、屋根の傾きが急なモダンな一軒家だった。

 僕はタクシーを降りて、破間川へ向かって歩いた。鉄男さんに会う前に、庄吉さんと沙那子さんが並んで話したあの場所を確認したくなったからだ。歩くにつれてだんだん川の音が大きくなる。それと共に、僕の心臓も高鳴った。そして、僕はそこに立った。


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