第20話
「ああ。会ったよ。会いに行ったんだ。新潟へ帰ってオヤジの見舞いに行ったすぐ後にね。そうしたら、彼女は恭二郎さんとはまだ結婚していないって言うんだ。婚約しただけだって。戦争へ行く時、恭二郎さんが、生きて帰れないだろうから結婚なんかしない方がいいって、そう言ったらしい。死んだ男に縛られるような生き方はさせたくないってね。立派な人だったんだ。恭二郎さんて人は。それに比べて私は本当に情けない男だった」
「なぜです?」
「言わなかったんだ」
「何をですか?」
「恭二郎さんがどうやって死んだかをさ。私を背負ったばかりに敵機に撃たれて死んだことを。言えなかったんだ。怖くてね。それを言ったら、彼女が私のことを恨みに思うんじゃないかって。いや、余計に恭二郎さんに縛られてしまうんじゃないかってね。そう思ったんだ。いや、そうじゃないな。嫉妬したんだ。それ以上彼女に恭二郎さんを好きになって欲しくなかった。あの時、私が銀の懐中時計を彼女に渡すと、彼女はそれを胸に抱くようにしてしばらく目をつぶっていた。でも少しすると、これは私より高村のお義父さんとお義母さんに差し上げて下さいって言うんだ。大粒の涙をぽろぽろこぼしながらね。私は正式な妻じゃないから、これを貰う資格はないって」
そう言いながら、庄吉さんは泣いていた。彼女は、庄吉さんにハンカチを渡すと、自分の涙を手で拭っていた。僕は彼女に渡そうと、ポケットのハンカチを掴んだが、それを取り出すことができなかった。迷った挙句に何も出来ないまま、ただ時間だけが過ぎ、ふと庄吉さんを見ると、庄吉さんはいつしか眠っていた。きっと疲れてしまったのだろう。
「大丈夫?」
僕はまだ人差し指で涙を拭っている彼女にそう聞いた。
「大丈夫です。何か悲しくて」
彼女は、そう言いながら鼻をすすった。僕は、ようやくハンカチを彼女に手渡した。
「そうだね。悲しいね」
それでも、僕の目から涙は出てこなかった。僕は、自分を冷たい人間だと思った。それまでは、周りの大人たちに比べて、取り残されたように自分だけが純粋な心を留めていると思っていたのに、そして、内心それを自分の誇りのように感じていたのに、それはきっと違っていたのだ。僕は目の前にいる少女と比べればずっと大人だった。
「どうする?これから」
自分の声が、まるで芝居の台詞を棒読みしているみたいにぎこちなく聞こえた。
「庄吉さんも全部話したいって言っていたし、いいんじゃないかな。君に真相を知ってもらいたいっていうのは庄吉さんの意思でもあるし。今だったらきっとさっきの話の続きが見られると思うんだ。本当は、庄吉さんが自分で話すのを待つのがいいんだろうけど、庄吉さんの意識が今日みたいにはっきりする時がいつ来るかわからないし・・・」
僕がそこまで言うと、彼女は下を向いたまま「そうですね」と言った。彼女は純粋だった。そして、彼女のその純粋さは、僕の不純さを一層際立たせた。
「僕は君を誘導しているね」
「誘導?」
「君に、庄吉さんの心を見て欲しい、そう言わせようと仕向けているんだ。本当は自分がそうしたいだけなのに」
「そんな、そんなこと・・・」
「いや、そうなんだ。僕はずっとそんな風に生きてきた。人の心の醜さを避けるために、一人で生きてきたつもりだったけど、きっと、本当は、人との関わりの中で自分の心の醜さを見つけてしまうことが怖かっただけなんだ」
彼女は何も言わずに、ただ俯いて僕の話を聞いていた。
「君はさっき、なぜ僕が君に協力するのかって聞いたよね」
「はい」
「今は二つだけ言える。一つは、庄吉さんの過去にすごく美しいものがあるのなら、それを見てみたいから。もう一つは、庄吉さんの過去にすごく醜いものがあるならそれを見つけて、ああ、自分の人生はこの人に比べればまだましだ、と思いたいから。どっちが強いのか自分でも良く分からないけど、それが、今の僕の正直な気持ちで、どちらにしても、君のように、純粋に庄吉さんを思う気持ちからなんかじゃないし、君のためでもない」
本当はあと一つあった。沙那子さんに会いたい。会って、彼女の気持ちを確かめたい。でも、沙那子さんに良く似た彼女を前にして、それだけは言うことができなかった。
「見てみるよ。庄吉さんのその後を。僕の意思で」
僕がそう言うと、彼女は顔をあげた。そして、
「私からもお願いします」
と言った。
彼女の泣きはらしたその目は、最初に会った時の少女とは別人の目のようだった。限りなくまっすぐで透明、それでいて氷のように冷静で炎のように熱かった。
僕は目を閉じ、庄吉さんの肩に手を乗せた。庄吉さんの記憶は、溢れるように僕の心になだれ込み、あっという間に僕の心を覆い尽くしてしまった。




