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第15話

 昭和十八年八月、庄吉は高等科を卒業して神奈川の横須賀にいた。横須賀の海軍工廠で軍艦の生産工として働く庄吉は、その時、十五になったばかりだった。仕事は、軍艦の一部には違いないのだろうが、どこの部品かもわからないような物のやすりがけである。来る日も来る日もただひたすらやすりをかけるだけの単調な作業で、少しも面白くないし、わずかでもうまく出来ていないと上の者からこっぴどく叱られる。ひどい時には、

「お前たちがいい加減な仕事をすれば、この船に乗る何百何千の兵隊さんが死ぬのだぞ!」

 と、鉄拳の制裁を受けることもあった。そういう時は、どうせここまでやるのならやはり少年飛行兵の試験を受ければよかった、という後悔の気持ちでいっぱいになるのだが、その度に沙那子との約束が思い出され、庄吉は、何とかそこに踏みとどまっていた。

 ある日、庄吉が仕事を終えて部屋へ戻り、新しい手ぬぐいを出そうと自分の行李を覗いてみると、財布から金が抜き取られていた。ここで働き出してから貯めたわずかな金だったが、庄吉にとっては無駄遣い一つせずに貯めた血と汗の結晶のような金だ。

「金がない!みんな、オレの金がない!誰か知らんか?誰が盗んだんだ!」

 庄吉はそう叫んだが、叫んだところで名乗り出る者などある訳がない。それどころか、皆、見て見ぬふりをするような態度をとるだけで、親身になって話を聞く者など一人もいなかった。庄吉の心に、急にむらむらと怒りが込み上げてきた。この中にいる誰かが盗んだに違いないのだ。皆、貧乏で食うことが出来ずに集まっているやつばかりではないか。なぜそんな仲間から金をくすねようなどと考えるのか。どうせ盗むのなら、もっと金持ちから盗めば良いではないか。こいつらは、お国のためなんかに働いているんじゃない。金のために働いているのだ。庄吉は、近くにいるやつを片端からぶん殴ってやりたいという衝動に駆られながら、もうじっとしていられずに、寮の玄関に向かった。すると、寮を出たところで寮母に呼び止められ、一通の手紙を手渡された。故郷の母からの手紙だった。時が時だけに母の優しさに触れたいと、庄吉は急いで封を切った。

 母からの手紙を読んで庄吉は愕然とした。沙那子が奉公先の高村恭二郎と婚約することになったというのだ。それが金を盗まれた直後だったからかどうかはわからない。しかし、瞬時に庄吉の頭は、怒りとも悔しさともわからないもので一杯になった。そしてその後、沙那子に裏切られたという絶望感だけが真っ黒い重油のように庄吉の心を覆い尽くしていった。あの時の沙那子の言葉はいったい何だったのか。ただ、弟の親友の身を案ずるだけの気持ちから出た形ばかりのものだったのか。

 庄吉は、こんな不条理な世界にこうして生きていなければならない理由がわからなくなってしまった。そして、部屋へ戻るなりすぐに荷物をまとめ、所長のもとを訪ねて、今日限り辞めたいと申し出た。所長は最初怒りを露わにしたが、庄吉が、「兵隊に志願してこの身をお国に捧げたい」と言うと、人が変わったように庄吉を褒め讃え、少年飛行兵の志願の仕方まで丁寧に教えてくれた。

 庄吉は、その足で海軍司令部に向かい、数日後には少年飛行兵の入隊試験を受けた。しかし、結果は不合格だった。数学が全く分からなかったのだ。国のために命を捧げるにも資格が必要なのかと途方に暮れていると、試験官から、水兵ならすぐにでもなれると勧められ、庄吉は迷うことなく海軍に志願した。志願には親の同意も必要ない。自分で自分の住所氏名を所定の用紙に書けばそれで終了だった。たったそれだけで、自分の命が国のものになるのだ。あとは決められた日にまたここへやって来さえすればよい。庄吉には、これまで自分が生きてきた世界に比べ、戦争に行ってアメリカと戦うことがひどく純粋で美しいものに感じられた。その気持ちは、沙那子との約束でずっと封印されてきた分、一気に大きく膨らみ、庄吉は、火のような気持ちで命令書を受け取った。


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