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聖女1  作者: 明宏訊
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ジャクリーヌ、懐かしい温もりに酔って竜騎士試合の申し込みに遅延する。

 残されたジャクリーヌが目覚めるのには、かなりの時間が必要だった。カーテンとカーテンの隙間からオレンジ色の光が差し込んでいる。こんな時間まで寝込んでいたのか。少女は自分の身体に掛物がされていることに気付いた。

「ゆ、夢ではなかった・・・・あ・・・」

 あの歴史好きな少年の名前をまだ聴いていないことを思い出した。いや、今はそんなことで頭の中をいっぱいにすべき時ではない。あの温もりは・・・少女が夢の中でしか感じたことのない実母が与えてくれるもののはずだった。その人物は確かに何かを囁いた。しかし、意味までは思い出せない。まるでただ音階のみを声で表現するだけの、スキャットのような気もする。だが、あきらかに何かを告げようとしていた。意味を問おうとすると、記憶の闇に溶け込んでしまう。だが、感覚だけを追えば、あの懐かしい温もりが首筋に蘇ってくる。たしかにその存在はその場所に接吻したのだ。そして意識を失ってしまった。

 あの少年は何処に行ってしまったのだろう。

 ユリウス・ポンペイウス。

 言わずと知れた、古代ミラノ時代の英雄だ。その言葉の語源となっていることは文盲でない限り誰でも知っている。それが頭の中を巡っている。少女自身の声なのは、それが、少年が言ったわけではないからだ。 

イメージ的に言って、ポンペイウスと少年は似ても似つかない。彼は英雄というよりは、むしろ水鏡に映るじぶんじしんを、それに恋い焦がれるからといって、見つめ続けた結果、名前は忘れてしまったが草に変えられてしまったという妖精のイメージだろう。

せめて名前くらい聞いておくのだった。

  あの儚げな少年と再会する日は来るだろうか?もしもそうならば、実母とそうなることができる可能性とどちらが高いのだろう。

そんなことを考えている場合ではないと気づくまでに、夕日が完全に墜ちるまでの時間が必要だった。空腹を覚えたのだ。どうしてそれと関連するのかわからないが、自分は竜騎士試合に出場するために来たのだと、そのことが気付かせてくれた。

 干し肉を図多袋から取り出して咥えながら、場末の料理屋で聞いた話を思い出す。たしか、声の調子からすると老人と青年の会話だったと思う。べつにそちらを見ようとも思わなかったが、もともと大量の人間でごった返していたので土台無理なはなしではあった。

「じいさん、シャンディルナゴルで竜騎士試合があるって本当かい?」

「ルイか、ああ、10年ぶりだね。おらたちの仕事の季節がやってきた、というわけだ」

その後、青年の方も老人の言葉に納得していたから同業者なのだろう。彼らは出場の応募期日のことを言っていた。

たしか日没まで・・・・って、今日じゃないか?

 息せき切ってカーテンを開けるとすでに夜のとばりは降りている。そんなことはどうでもいい。窓を開けるなり夜の街に飛び出す。すでに応募の場所はわかっている。競技場の中だ。少女はその方向に向かって屋根伝いに飛び去っていく。

 妄想の中で、何処かの森でみかけた猿にそっくりだと思って笑みが浮かぶ。どんな状況でも自分を笑わせる技術は必要だと、カルッカソンム侯爵は言っていた。

 果たして、競技場は真っ暗になっていた。もう人の気配は感じられないが、中に侵入する。明日が期日の最後ならば、準備くらいしていそうなものだが・・・中に入ってみると小さな篝火がふたつほど焚かれている。

 そちらに微かな貴族の気が感じられる。

 気が感じられた方向に身体を飛ばすとともに、二つの要件を言葉にしてぶつける。

 一つは、自分は今回の竜騎士試合の応募者であること。

 今一つは、遅延したことへの謝罪。

 気が付くと、小さな衝撃を身体に覚えていた。

 「だ、大丈夫かい?」

 少女は、衛兵が倒れているのを見つけた。小さな髭を、まるで口元に取りつけたような小男だった。ジャクリーヌの胸くらいほどしかないだろう。意識はないがしかし気は感じられるので息はあるようだ。

 「あ、申し訳ない。私が貴殿をこのような目に合わせてしまったようだ。出場の申し込みをしたいのだが?」

「・・・・・」

 小髭の男は、呼吸はしているようだが完全に意識は見受けられない。

「なにやっている!?オスカル?」

 駆けつけた衛兵に、少女は傲然と話しかける。まるで料理屋でコインを払ってそのかわりに思いのものを受け取るように、「この男はオスカルというの?私はアンヌマリーというものだが、三日後に開かれる竜騎士試合の申し込みをしたい」

 衛兵は倒れた部下を介抱するために膝を折りながら、無意識のうちに行った動きが正しいことを思い知らされる。

「部外者が勝手に入るとは・・・すでに日没は過ぎた・・・むっ、あ、あなた様は・・・」

 ジャクリーヌに近づいたとたんに、その身体が発する巨大で高貴な気に言葉を失った。

 だが、ここは役人としての責務を忘れるわけにはいかない。

「ど、どなたさまにあっても、期日を過ぎた方の申し込みを受け入れるわけにはいきません」

「どうしても?」

「はい、私たちの首がかかっています」

 もしも、カトリーヌならば、あなたの首くらいなら安いものじゃない?とか何とか言いそうなものだが、ジャクリーヌはそこまで性格が悪くなかった。

「上司の方に無理を言うわけにはいきませんか?」

 急に丁寧語に変わったので、しかも、発言者から感じられる気から、相手は相当レベルの高い貴族だということはわかる。だが、彼にわかるのは自分の上司よりも高いという範囲内であって、相手が王族レベルなどということが察知できるわけではなかった。

 もしも、気づいていたら、そもそも気づくほどに高いレベルであれば衛兵などやっていないだろうが、平静を完全に失っていたかもしれない。

 オスカルと呼ばれた衛兵は完全に伸びてしまっている。いかに介抱しようと目を覚まさない。

 少女にとって新参者の衛兵は、それでも自分の仕事を通そうと、目の前の高貴な少女にノンを突き付けるために意を決して立ち上がった。しかし、それを押しとどめた声がある。老人のものだった。しかしそれは彼にではなく、明らかに少女へのメッセージだった。

「お嬢さん、貴族ならば、それもあなたはかなりの高位とお見受けする。ならば約束というものを守らねばなりませんな・・」

 これほど巨大な気。

 今の今までどうしてわからなかったのか、そういう本人こそがかなりの高位貴族だ。王族レベルといってもいいかもしれない。そう思いながら王族と対面したことが、ジャクリーヌにはないことを思い出した。

「これは大司教さま・・・」

衛兵は平身低頭しなくてはならない相手が増えたことで二重の重圧を覚えた。

「これはこれは、お嬢さんというよりはお嬢ちゃんですな。竜騎士試合に出場するよりも、お人形さんごっこをしていた方がいいのでは?」

「な・・・・・」

 あまりにも無礼な物言いも、今まで自分が行ってきたことを思い返せば当然と言う気がしないわけでもない。だが17歳の少女に投げつける言葉だろうか。たしかにこれほどの年齢になれば少女と幼女の区別もつかないのかもしれない。しかし、篝火が揺らす老人の高貴な光を発する瞳を凝視しているうちに、彼の発言はそういう意味ではないような気がした。

「し、失礼をしました。大司教猊下」

「みれば、王族というのに、頭を下げられるか。思えば拙僧も言いすぎたかもしれぬ。たしかに竜騎士試合に出るぐらいには大人かもしれない。マイケル坊やもそうだったことだし。だが、少しばかり約束を違えたことくらいは赦される年齢かもしれぬ。衛兵、しかるべき役人に話を持っていきなさい。 私の名前を出してもかまわんよ。この子はどうあっても試合に出るつもりらしい。シャンディルナゴルとしても、久しぶりの試合を台無しにされても困るよのう」

「あ、ありがとうございます。猊下」

去ろうとする僧侶の背中に少女は声をかけた。

「よろしければ、ご芳名を・・」

「神の仕える身に名など・・・・記号として、頭の中に置いてもらえればよい。ヴェルヌイーイ」

ただ、それだけ言い置くと、大司教は踵を返して闇に消えて行った。あたかもそれと呼応するようにオスカルという衛兵が目を覚ました。

「なにやつ!ここを何処だと思っているのか!?」

ジャクリーヌは何も反論する気などあさっての方向に翼を生やして飛び去ってしまい、ただ、間抜けな顔を見つめるだけだった。同僚の同じ感想のようで、時間に置いてきぼりにされてやっと帰還した友人に何も言うべきことはないらしい。

ジャクリーヌは、けがの治療費としてコインを何枚かオスカルの懐に潜ませると、その場を退去することにした。触れた感触だけで判断したので、それが金貨なのか銀貨なのか、はたまた銅貨にすぎないのか、まさに神のみぞ知る、だろう。


竜試合は三日後らしい。カトリーヌやその他カルッカソンム一族の竜騎士と試合はやったことはあるが、公式的なものにいたっては、少女が置かれた境遇からして参加したことはない。

元々、少女のような高位の貴族は参加することは少ないらしい。馳せ参じる竜騎士たちの多くは、士官や賞金が目的であって、それを邪魔するような高位は甚だしく大人げない、とされる、とカルッカソンム侯爵が髭を揺らしながら高説していたものだ。

しかしそんなことを言っていた侯爵本人が参加したことあるらしい。若気の至りということで誤魔化していたが、後にジョルジュが漏らしたところによると、彼をヘッドハンドするにあたってその力量を確かめるために参加したのだと、いうことだ。それには裏話があって、ジョルジュにはもともと主君がいたので、その主君の弱みをちらつかせて、その主君を通じて試合に参加させたと、カルッカソンム家の家老は言っていた。

「その弱みってなんだったの?」

カトリーヌがいじわるな笑みを浮かべて聞いたことを思い出す。

「以前の主君とはいえ、義理というものはまだ呼吸をしているものです」と言って頑として教えてくれなかった。

 あの老大司教、名前はなんだったけか、たしか、ヴェルヌイーイ、あの聖職者が言っていたように若気の至りならば自分でも参加してよいだろう。事ここに至って、自分の体内に尊い青い血が巡っていることに自覚で出始めたジャクリーヌであった。


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