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聖女1  作者: 明宏訊
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怒りに任せてカルッカソンムを逃げ出したジャクリーヌは、マイケル王を求めて、アキテーヌに向かう。

 リヴァプール軍が陣を張る区域。

 マイケル王は、薄暗い厩にて貴婦人と相対している。

「陛下、私は幼いころから疑問を持っていました。どうして、竜が休む家を厩というのでしょうね」

 王は質問の答えを用意できないせいではなかろうが、沈黙を守っていた。

 女性に纏わりついているのは、胴回りにして大人の両手を広げたぐらいはありそうな鎌首である。蛇腹のひとつひとつが宝石のように輝いている。この世界において貴族の次に重要視される生き物、竜である。

 そもそも気位の高い竜が、主人以外の人間に懐くことはまれなことである。それを珍しそうに眺めながら、ピンク色の長い舌がちょうど見事な金髪にしなだれるところであった、マイケルは、反論の言葉を用意した。

「あなたの行動原理はなんですか?」

 竜の滑らかな舌の感触を楽しみながら、女性は、マイケル王の言葉が疑問形でありながら、非難の意味を含めていることを即解した。

「たしかに、いかに甲冑鎧に身を固めようとも女、大局的なものの見方は殿方と違って苦手でございます。会えていうならナント王家への復讐が行動原理。だからこそ、あなたほどの男が私を信用したのでしょう?いや、私というよりは私の行動原理が予測しやすかったから、それに賭けた?」

「・・・・・・・・・」

 あなたは沈黙したままでも、十分に美しい、という月並みなセリフを呑み込んで、リヴァプールの名君は改めて口を開きなおした。

「侯爵夫人、このリヴァプール王を見損なってもらっては困りますな、確かに二回もわが子を奪われた女性の心がわからないほど無粋ではありませんが」

 夫人は、あたかも整いすぎている故に顔を歪ましたとでも言いたいばかりに、眉間に皺を寄せた。

「なんでも、私はナント王国始まって以来の悪女らしいですよ、むしろ、光栄だと思わなければならないでしょう」

「自嘲もすぎれば嫌味になりかねないですよ、ロペスピエール侯爵夫人」

 王は、竜の瞼を撫でながら言った。

 夫人は、王の様子を見計らかったかのように、美しい容貌を尖らせて重要事項をそれとなく切り出す。

「ところで、かなり強力なエネルギー発信源が観測されたと、老女たちから報告があったそうですが?」

 老女とは予知や察知能力に秀でた貴族であって性別や年齢は関係ない。

王は、半ば感心、半ば呆れ顔で逆に質問した。

「あなたはどうなんです?」

「確かに胸騒ぎを感じます、私は基本的に攻撃属性ですが」

「それは私も同じ、だが、確かに私たちが感じているイメージは近いものがありそうだ。だから私はあなたを信用する」

「お心にもないことを言われると、リヴァプール王家の名前に傷がつきますよ」

 自嘲気味に笑う夫人。

 彼女の戯言を無視して王は、これほど警戒しなくてはならないのに、好敵手に出会えたことを悦ぶチェスの指し手のように複雑な表情を笑顔に混ぜた。

「とてつもなく大きな相手らしいですよ。老女たちは、感触から、まだ自分の能力の制御ができない、高位貴族の子どもという見立てをしているらしいです」

「ほお、子供・・・・と」

 何か心当たりがありそうですね、という指摘を王は呑み込んだ。

 竜はなおも夫人を求め続けた。王は、年甲斐もなく子供のように嫉妬している自分を発見して微苦笑した。

「子供といえば、オルレアンの方から我が方によからぬ噂が立っているのをお聞き及びですか?」

 夫人が否定したので、王は続ける。

「ナント側は、こともあろうに我々がオルレアンで賤民たちを虐殺したと言いまわっているのですよ、なんでも我々の悪しき野望を最後まで遂行させなかったのが、一人の聖女の働きあってのことだと?」

「それは、面妖な噂ですね・・・陛下は、ナヴァロンでならともかく、大陸で残虐行為を働くはずがないのに」

「それは濡れ衣ですね。確かに我が王国内では苛烈な仕打ちをしましたが、それは大貴族たちが相手であって、賤民たちではありません。まったく抵抗できない相手を無残に殺すなど竜騎士の風上にもおけません」

 ナヴァロンとはリヴァプール王国を構成する諸島の中でもっとも大きな島である。

 かつて、七つの王国に別れていたが、大陸からやってきたリヴァプール民族が瞬く間に彼らを平定し、王国を建設した。

 マイケル王は、国名の変更を画策している。

 ナヴァロン王国を名乗り、この国の真なる王となり、ナント人とはべつのアイデンティティを確立しようと図っているのだ。ついで言っておくと、かつてロバート三世が訴えたようにナント王国の王位など、彼は望んでいない。自分の軍隊にそんな能力がないことは痛いほど知っている。

ただ、この戦争を利用して、ナヴァロンという王国を名実ともに聖なる卵から孵らせてようとしているだけだ。彼の真意を知っているのは、いま、彼と面と向かって話しているロペスピエール侯爵夫人、その他数名でしかない。

多くの配下たちは、ナント王国を併呑するものとばかり思っている。

彼らの目の前には豊なナントの平原が広がっている。その荘園を我が手に握られるかと思うと、民族の違いを超えてマイケル王に忠誠を誓えるというものだ。

 ナント人と7つの王国を構成していた、両貴族はこの戦争の名において、辛うじて統一を保っている。舵取り次第では分裂しかねない。

 夫人は、王の深淵を推し量るような顔つきで言った。

「ナント王国にも人がいるようですね、陛下」

「王太子アントワーヌ殿も大変なようだ。そのような奇策を取らねばならぬほど追いつめられているらしい」

 本来ならば敵の領袖に同情の念を示した。

たまたま王の足元に家臣が跪いたので、夫人が複雑そうな表情をしたことに気付かなかった。

「急用が起こったようです。私は向かわねばなりません」

 夫人は仮面を被るのを見届ける前に、マイケル王は厩を後にした。

「へ、陛下、申し訳ありません・・・そんなにお急ぎとは・・・」

 ぐずぐずと立とうとしなかった従僕をしかりつける、

「アントニー、そなたは女性が着替えをしはじめても、部屋から出ようとしないのか?」

 いつもながら、文学的な叱責の仕方をする主君に、少年はいい加減になれた顔で答えた。


 そのころ、王太子アントワーヌは王都ナルボンヌの宮廷にいる。さきほど、生き別れの妹が隠匿されていたことを知ったばかりで、すぐに彼女が自らの意思で姿を消したことを、母とも思い慕っているエベール伯爵夫人から知らされたのである。王太子はどうにかして混乱を鎮めなければならなかった。

 それだけでなく、貴婦人たちが計画していた陰謀を聞いて、王太子は困惑どころではなくなった。自分の顔にどんな表情をさせたらいいのかわからなくなって、思わず顔じたいを消滅させる衝動に駆られたほどだ。しかしエベール伯爵夫人は平然としている。

「すでに腕利きの竜騎士をつけてあります」

 王太子の口から姿を見せたのは、まるで宿題をやっていなかったことを家庭教師に打ち明けようか迷っている子供のそれのように、しどろもどろな口調だった。

「すると、わが妹殿はアキテーヌの方向に竜に飛び乗って去ったというのか?竜に乗るとは・・恐ろしい。その事実だけでも、余よりも王太子にふさわしいではないか、なんといっても、そちらの方には父親は前国王ではないと宣言していないのですからね」

「殿下、自暴自棄になってはいけません」

「余が妹の立場でも同じようなことをするかもしれん。しかし彼女の目的がわからない。どうして危険まで冒してそんなところまで行こうとするのだろう」

 彼女にとっては危険な場所でもないのです。そして、マイケル5世も、危険な敵でないのです、という言葉を伯爵夫人は呑み込んだ。こんなことを今の彼に言ったら、きっと脆弱な精神が崩壊してしまうにちがいない。

 しかし貴婦人の計画は、自分の無能ぶりを思えば、正しい、いや、正確にはもはやそれしか、自分がナント王に即位する方策がないのも事実だった。もっとも、彼女が妹であることを・・・暴露されたら、完全に窮地に陥るのはこちらである。

「母上さま、妹はアキテーヌの方向に飛んだとおっしゃりましたよね、ならばマイケル王に囚われたら、ことですね。彼女の身分に気づいたら、もしかしたら彼女自身の口から洩れるかもしれません、そうなったら、余はお仕舞です」

「殿下、頭の回転が速くなられたではありませんか?そのときは、マイケル王は、ジャクリーヌ殿下を一時的にナント王に推戴し、その名目で殿下をのぞこうとするでしょう。その前にこちらか手を下さねばなりますまい」

「まさか、妹を、ジャクリーヌというのか、そのものを亡き者にするわけでは・・・・」

 人の上に立つには王太子は厚情すぎると、夫人は、常日頃感じている。普段ならば注意するところだがあえて無視して、続ける。

「確かにマイケル王にとってみれば賭けになるかもしれませんが、しょせんはまだ生娘ですからね」

 半ば嘲笑するように貴婦人は言った。自分の態度が何等かのメッセージだと受け取ってもらえばいい。もう、彼は自分がお育てする子供ではないのだ。

 しかし、王太子はその言葉のうちにかわいらしい子供の顔を晒した。

「お聞きしていると、その娘はかなり優秀な血を受け継いでいるようですね。お父上はどうおっしゃっているのです?」

「兄上は昏睡状態です」

 エベール伯爵夫人はそっけなく答えた。


 一方、怒りにまかせてカルッカソンム城を後にしたジャクリーヌは愛竜レオとともに、何処かの空を漂っていた。間もなく日が暮れる。

リヴァプール、ナント、双方の「老女」が、ターゲットたるジャクリーヌがアキテーヌに向かっていると摑んでいることなど、当の少女は素知らぬ顔である。または、複数の夫人麾下の竜騎士が追跡していることにも気づいていない。彼女にそれを察知する能力はあるのだが、彼女の幼さがそれを妨害している。


 少女じしん、アキテーヌに向かっているという自覚はなかった。勉学によってその地名と治めている貴族の名前、特産物、戦力、もろもろのパラメーターは頭の中に入っていたが・・・・戦略、戦術家の目を使えばその方向に敵の軍隊が展開していることは予想できたであろうが、しかし彼女は青い血の導きによって、いわば、本能によって彼の地へと向かっていた。彼女はぜひともマイケル5世に謁見してみたかった。

 少女を追跡している竜騎士たちはこれ以上進めば、敵の支配領域に侵入すると判断して退いた。

その行動が少女に何かを察知させた。

 今まで自分に対して気づかないほど小さいが、ある種の意識が集中していたというのに、突如としてそれが消滅したのである。思わず、少女は地上に降りるようにレオに命じた。

上空から着陸態勢に入ると、回想が、それと意図しなくても勝手に心のなかで始まった。

 ジャクリーヌはカルッカソンム侯爵から聖女になってほしいと言われた。まさか、自分にだいそれたことが起こるとは思えなかったが、無意識のうちに、リヴァプール、ナント、両国を高いところから俯瞰していた、両天秤にみる以上の高見から見下ろしていた。


 空を見れば陽光は傾きかけていた。湖水はオレンジ色に暮れなずみ、矢継ぎ早に事実を突き付けられて心身ともに気が付かないうちに疲れ切っていたのか、いたく目を楽しませてくれた。だが、それだけでは満足できないのが成長期の少女である。しばらく食事をしていないことに気付いた。

たまたま視界に入ってきた方向に電撃を食らわせた。きゅんという鳴き声が、少女にそれが兎であることを知らしめた。とたんに生唾が口腔にあふれる。その生き物の焼肉は彼女の好物だったからだ。毛を毟って火にくべるのはいいが、味付けに重要な塩を携帯していないことを悔いた。

こんがりと焼きあがった切り裂いた足に噛みつくと、それでも肉の濃い味を提供してくれる汁があふれでてくる。塩の味は想像でまかなえばいい。沈もうとしている夕日の美は、食事の付け合せに不足はなかったが、寂しく一人でいることに気付き、家族を思い起こさせた。


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