老女の才能とカトリーヌ
フランソワとウオルシンカム公爵家の家臣たちは、光球だけを残して森の奥に下がった。ジャクリーヌはこの森の奥にあるという古城に興味津々な視線を注いでいた。主君にイザボーが語りかける。
「殿下、殿下のお心はすでに公爵と会見なさっておいでですが・・・」
カトリーヌは尽かさず口を出す。
「公爵がジャクリーヌに謁見する、のまちがえだろう?」
イザボーが畳み掛ける。
「そのかたちをとってはならないのです。あくまでも、旅の途中に邂逅しあった、貴族が一夜だけの時間を過ごしたというような・・・」
カトリーヌがようやく真面目な顔になった。
「オルレアン虐殺の件が引っかかってるんだろう?公爵やフランソワならば何かを知っているかもしれない。同じ主君を仰いでいることだし・・・」
イザボーが嘴を突っ込む。
「殿下、オルレアンの件など、この際、殿下にとって関わるべき問題ではありません。たがが、賤民が殺されたにすぎません。確かに生産財が無限に失わせた、リヴァプール側の行為は非難されるべきでしょう・・・」
カトリーヌの顔が先ほどよりもはるかに真顔になったことに、イザボーは気づかなかったし、無言で主君が本気で怒りはじめていることにも知ることがなかった。というよりは、自分の話に夢中でそちらに意識が向かわなかったのである。
カトリーヌは賤民に対して他の王族や貴族たちとおなじ感覚を抱いている。しかし、同時にジャクリーヌが、その育ちからゆえなのかわからないが、彼らに対して親近感を抱いていることも知っていた。そして彼女にとってこの世でもっとも大事な人間にカテゴライズされるのだ。よって、その考えを理解できないし、感覚としても受け付けられないが、少なくとも尊重することはできる。
どうにかしてイザボーの口を噤ませねばならない。そうしなければ、フランソワとおなじ運命をたどるだろう。
カトリーヌは無言で、すなわち、表情だけで自分の意思を伝えようとした。老女の才能はないはずだから、心で彼女に伝えることはできない。
しかし、そのとき、イザボーの脳裏に煌めくものがあった。カトリーヌの声が聞こえたのである。
「それ以上、喋ってはいけない」
それが「それ以上、舌を動かすな」などと挑発的な内容であれば、イザボーも反発したにちがいないが、その真逆であったために、指物の彼女も口を噤んた。しかしすでに時を逸していた。
ジャクリーヌは静かに口を開いた。
「たがが賤民?生産財?」
その声に怒気を感じずにはいられないカトリーヌは二人の間に分け入らざるをえない。
「ジャクリーヌ、私の言いたいことはわかるわよね。私の顔を見て、ほら、見なさい!!」
俯いたままの親友の両肩に触れると軽く彼女の身体を揺り動かした。
ジャクリーヌは地面をイザボーの代わりなのか、ずっと睨み続けていた。だが、親友の行動を受けて、逆に彼女の二の腕を摑み返した。そして口を開いた。
「わかった、カトリーヌ、私は大丈夫、だ」
ジャクリーヌの様子はどうみても彼女の言う通りに思えないが、外形的には彼女の言葉を受け入れることにする。やはり、公爵に出会ってみたいのだろうか?カトリーヌはややあってから言った。
「フランソワに付いて行くか?別にそれはウオルシンカム公爵家と同盟することを意味するわけじゃないしな」
イザボーの歯が煌めくのを目敏くみつけたカトリーヌは無言で口を閉じるように命じた。別にメッセージを意識的に彼女に送ったわけではないが、彼女は言葉で彼女の意を受けた。
だから素直に、自分でもどうして彼女の言葉を無抵抗で受け入れるのかわからないのだがとりあえず、押し黙った。
最初はぼそっとした言い方だったが、ジャクリーヌの発語は次第にはっきりとしていった。
「公爵に会ってみたい。だけど、それはオルレアンの件だけじゃない。自分が探そうとしている鍵の一つでもないけど、それが隠されている場所への道順が書かれた紙ぐらいの価値はありそうなんだ」
カトリーヌは親友にしか見せない微笑を浮かべた。イザボーは、それがあまりにも美しいので癪に触って視界から削除してから発語した。
「その城に伺いましょう、殿下、いえ、赴きましょう」
カトリーヌの押し殺した高笑いが聞こえてきた。自分で言っておきながら間違えたのだ。ここで高笑いせずにいつそうするというのだ。
「あくまでも偶然に立ち寄った貴族の娘だぞ、ジャクリーヌは、伺いましょうだ」
二人の口論を聴いていると、次第に、いままで彼女が本気で悩んでいたことが、ばかばかしくなってくる。ただし、イザボーには言っておくべきことがある。その趣旨を、ちょうどエッセンスだけを集めると次のようになった。
「イザボー、あなたは、あなた方が言うところの賤民たちと食事をすることが考えられるか?私はできる。それがあなた方と私の違いだ。以上、意見、諌めはいっさい受け付けない。ジャンに言って、フランソワを呼んできておくれ」
一方的に言い分を捲し立てられた挙句、あっさりと会話を打ち切られたイザボーは踵を返すと、憮然とした顔で弟を探しに行くより他になかった。彼の気を探索すると、洞穴の奥で眠りこけていることがわかった。
そちらに向かって歩き出すと、苛立つほどに長身の女が追いかけてきた。イザボーが何回も足を動かさないとたどり着けない距離をたった一歩で近づいてきてしまう。思わずいらいらを発語に影響させてしまう。
「いったい、何の用よ、私、ひとりで十分よ」
カトリーヌは言った。
「賤民に対するあいつの考えは気にするな。幼いころから私も面食らっている。当時、ものすごい喧嘩になったが、しだいに、互いに話題にしなくなった過去があるのさ」
わざわざ走って彼女の前に出ると振り返って叫んだ。
「あのお方は地上でもっとも高貴な血を継いでおられるのです?そのお方が賤民ごときと食事ですって?あなたは何も思わないのか?血が穢れます」
カトリーヌは頭を掻きつつ答える。
「あいつはその賤民と同レベルの人間と育ったも同然だからな。私と知り合っても。なぜか、継父は、ヴェルサイユ村とのつながりを絶たせることはなかった。きっと、このこと自体に隠された意図があるのだとおもう。そう、サントンジュの城の至ところには、私たちの喧嘩の傷痕が残っている。機会があって来城の際には詳しくおしえてやろう」
急にまじめな顔になってカトリーヌは口調を変えて言葉をつづけた。
「継父は、戦闘訓練と称して、私たちだけで禁漁区を真夜中に移動させたりすることがあった。そのときは12歳くらいだったか。私たちは賤民が怪我をして動けなくなっているのを見つけた。私はもちろん、問答無用で殺そうとした。その少年の背中に弓が何本も入った筒が発見されたし、彼は雉の死体を手に持っていたからだ、しかも、そこは禁漁区の中なのだ。賤民が一歩、入っただけで殺されても文句は言えない」
ここで一呼吸、置くと、イザボーが黙って神妙に聴いているのを確認するとカトリーヌは再び口を開いた。
「当局の人間に任せるでもない。そのとき、ジャクリーヌは身を挺して庇った。普段のように反論はしなかった。ただ哀しげな目で私を泣きながら見つめ続けるだけだ、首を振りながらね。そのとき、私は彼女の感覚を共有することはできないが、少なくとも尊重することはできると確信した。なぜなら、彼女は私にとってこの世で最も大切な人間だからさ」
イザボーは、カトリーヌの長い話を黙って聴いていた。とりあえず鉾を収めることにしたからだ。彼女はどうしても触れておかなければならない話題がもうひとつあることを思い出した。それは主君に関することではなく、カトリーヌに付随することだ。
ここで切り出すのか迷ったが、意を決して言うことにした。
「カルッカソンム家の嫡子どの」
「カトリーヌでいい」
「ならば、カトリーヌ、あなたに老女の才能があるというのは、確かなことですね。確かにあなたの声が聞こえた、だから、私は押し黙った」
カトリーヌは周囲を気にするように見回すとイザボーを見据える。そして、振り絞るように口を開いた。
「わ、私に老女の才能だと?そんなばかなことが?フランソワの言葉を真に受けているのか?」
老女は、竜騎士、魔法の使い手、治療属性、それらのうちのどれとも性質の異なる能力の持ち主であって、彼らを一手に扱うのはミラノ教皇庁の専任である。予知、通信、情報の拡散、どれをとっても世界そのものを揺るがしかねない能力のために、聖界は断じてその支配を俗界に許そうとしない。
カトリーヌにとって重要なことはそのような能力に対する畏れのことではない。竜騎士として超一流の才能を以って生まれてきた彼女には、カルッカソンム侯爵が口を酸っぱくして自己が貸し与えられた能力に対して畏れと崇拝の気持ちを忘れないように言いつけた。
カルッカソンム家の継嗣が畏れたのは、老女の才能があると判明した時点で、親は親権を永遠に失う、ということである。その身柄は教皇庁の支配下に置かれる。わずか、7歳で親許から引き離されて、それこそ身を斬られるような厳しい修行に身を投入しなければならない。
エウロペ世界においては、教皇庁に逆らうことは、イコール、死よりも苦しい道を意味する。その家は永遠に世界から追放され、永遠に名誉を回復されることはない。カトリーヌはその身、もろとも実家の滅亡を免れないのだ、もしも、フランソワやイザボーが指摘したことが事実ならば。あるいは、その累はカルッカソンム侯爵家そのものにも及ぶかもしれない。
カトリーヌは自分が冷静になったと確認できたので口を開いた。
「イザボー、わかっているな、このことは他言無用だ。私とて初耳なのだ。老女には近づかない方がいい・・・・」
イザボーははじめて向ける、心のこもった視線をカトリーヌに向けた。
「わかったわ。あなたもメッセージを飛ばさないように意識的に気を付けて。治療属性も注意すべきだわ。どちらかといえば、竜騎士よりも私たちに近い属性だから・・・」
カトリーヌはイザボーが言い終えるまで待っていなかった。
「はやく、ジャンの元に向かおう。フランソワは、生かしてはおけないかもしれない・・」
イザボーはぎょっして、発言者を見上げた。その頭は月光に照らし出されてようやくみえたが、予想したよりもはるか上にあった。




