王都ナルボンヌに向かう闇夜のなかで、ジャクリーヌとカトリーヌはオルレアン虐殺について話す。
実兄とエベール伯爵夫人が自分について話し合っているなどと、ジャクリーヌはナント王国の夜空にあって想像だにしていなかった。彼女の頭の中にあるのは、幼いころから覚え込まされた星図と、じっさいに瞬いている星々との同定作業でしかない。太陽から完全に見放された夜において、方向性を示してくれるのは星々だけである。
カルッカソンム侯爵の指導によって、カトリーヌとともに星図を憶えて、じっさいの夜空とよく比較対照したものだが、ケントゥリア語と違って、こちらの方はジャクリーヌの方が呑み込みが早かった。古代の人たちの共通語であるケントゥリア語からは今は亡き人とのコミュニケーションが可能だが、星々の、一見、無秩序だがそれなりの法則性を以ってならんでいる星々は、それを読み解くことで神々との交信が可能に思えたのだ。
それをカトリーヌに話すと、物語好きな彼女が不思議なことにカラカラと一笑に付した。
「あんなもの、ただ神様が気まぐれに放り投げたに決まってるわ」
子供時代であっても、たまたま城を訪れた吟遊詩人を赤面させるくらいのことを、カトリーヌはやってのけていた。
吟遊詩人が、自分の物語がみなに受け入れられずに白け鳥を飛ばせている、そのような空気の中で、突如として一家のお嬢さんが表れ、みなを感涙させるような話を披露したり、あるいは、その逆で面白い話でみなを笑わせたり、泣かせたりしたものである。
もはや苦笑いを浮かべるしかなかった吟遊詩人が哀れでしょうがなかった。
そんなカトリーヌがどうしてそんな反応をするのか不思議でたまらなかった。
今から思えば、きっとジャクリーヌが自分よりも星図を憶えるのに巧みで、それが気に入らなかったにちがいない。イザボーの言う通り、性格の悪さは昔から変わらなかった。
幼いころを思い出して苦笑したところで、カトリーヌの気を感じたので、瞬時にそれは凍りついてしまった。子供のころにろくに星図と格闘しなかったくせに、道標の神の恩恵を受けて自分にまでたどり着くことができたらしい。
因みにその神は星図の神であって、今、ジャクリーヌの位置からみて緑色に強く光る星である。エメラルドの目と呼ばれて、古代から人々に畏れられてきた。なんとなれば、エメラルドが放つ緑色の光は竜騎士だけでなく、魔法、老女の能力をゼロにしてしまうからだ。因みに賤民たちには手の届かない地下に眠っているために、彼らがそれを手にして反抗することなど、土台不可能なことだし、第一、信仰がそれを彼らに禁じている。
ジャクリーヌは性悪女にかける言葉を頭の中で捏ねたが実際に発語までいかなかった。代わりに、彼女の声が闇からにょっきっと手が伸びてくるように彼女を捉えた。
「ジャクリーヌ、殿下にお会いする心づもりはできているのか?」
藪から棒に何を言うのかと、ジャクリーヌは親友が放つ気の方向に意識を向けた。そして思いをそのまま舌に乗せる。
「そんなこと、できているはずがないでしょう?兄上、という人がどんな人なのか、検討もつかないわけだし。それにしても戦いはどうなってるの?どちらが勝っているのかしら?」
カトリーヌは親友にうまく話題を交わされたと感じたが、それについては彼女にあっても喫緊の問題となっている。
「オルレアンの虐殺以来、破竹の勢いを続けていたリヴァプール軍が停滞しはじめている。赤い血の賤民まで虐殺するとは・・まさか、あのマイケル王がそのような愚考に手を染めるとは、今でも信じられないが・・」
オルレアンは、その城塞を落とせば、直接、大軍を王都ナルボンヌに派遣できるという。軍事上最高の要地にある。当然のことながら守りは固い故に通常の数倍の竜騎士が守備についていたので、リヴァプール側としてはもはや取るべき手段がなくなっていた。
業を煮やした派遣軍の司令、ジェンキンズ子爵はこともあろうに領域に居住する賤民に武器を向けたのだ。オルレアン側はにわかには信じかねた。無理もない。竜騎士としてのマナーに完璧に反する行為だった。生産者としての存在価値以前に、かつて神話時代に彼ら赤い血の賤民に火を与えた青い血の貴族としては、彼らを支配する権利とともに保護する義務がある。
オルレアン公爵としては、守備隊を手薄にしても貴族としての義務を果たすことを選んだ。こともあろうに彼が率先して城を出た。それを待ち構えていたかのようにジェンキンズ子爵が攻め込んできた。彼らは結果として、賤民たちにやった以上の虐殺をオルレアン城内において行った。城内の階段は一例の例外もなくカスケードになった。ただし流れたのは水でなく、蒼穹の空のような真っ青な美しい血だった。
一部、賤民たちが住む領域にも竜騎士たちは残ったために、彼らはオルレアン陥落後も血の殺戮を続けて、ほぼ全滅と言っていい状態になった。公爵本人も、当然のことだが城と運命を共にした。子爵たちは王や竜騎士だけでなく、その家族にまで手を出したのである。女竜騎士に手をかけるのは当然のことだ。
だがリヴァプール軍はふつうの女性に身を扮している疑義があるとして、女子供まで大がかりなカスケードのためにその血を供出させたのである。
それゆえに虐殺の実体を証言する者は誰もいなくなった。
結果として、それまではリヴァプール側に身を寄せていた大中小の貴族たちの多くが、王太子の元に馳せ参じるか、あるいは中立を宣言した。
ミラノ教会側は、かつてほどではなくなった勢力を取り戻る機会とみて、尽かさずに、一手を指すことを忘れなかった。この事件を重く見て教会裁判の実施を一方的に宣言し、審問官の派遣を検討していると聞く。
オルレアン虐殺に関して、会話に花を咲かせていた二人に、突然、異質な声が飛び込んできた。イザボーである。
彼女は弟、ジャンが駆る竜に乗っている。イザボーは小さい身体に似合わぬ大きな声で話に分け入ってきた。
「その事件に関して闇の世界では実しやかに囁かれている噂があります。ジェンキンズ子爵はナルボンヌ側と繋がっていたのではないか、その指示を受けて、主君であるマイケル五世の命令に反する行動に出たのではないかと・・・」
珍しくジャクリーヌが感情を露わにした。
「あ、兄上さまが、そんなことを!?ありえないわ!!いったい、どうして自分たちの大事な城を奪わせる、いや、それだけでなくあんなに惨いことを実行した理由は何?答えなさい!」
イザボーは意外と尊敬する人物の娘が激情型であることを知った。しかし、ここはあえて現実を知らせなければならない。それが家臣としての務めである。
「その結果として、このナントで何が起こりましたか?」
将来を嘱望された治療属性が、ナント側にとってやっとリバプール側と拮抗できる立場になったことを暗に言っていることは明白だった。
さらにジャクリーヌが気を吐く。あのような冷静な態度がかえって彼女の怒りに火をつけた。
「私の兄上さまが・・・!?」
ジャクリーヌは顔もみたことのない兄のことでどうして自分がこれほどまでに激高するのか理解できなかった。だが、想定外にも自分の手足は脈動し、彼女に摑みかかっていた。
カトリーヌが慌てて竜をジャンの竜に寄せる。
「ジャクリーヌ、いい加減にしないか!」
ジャンの竜に飛び乗ったジャクリーヌはイザボーに摑みかかると叫んだ。
「答えなさい!何の根拠があって!?」
「で、殿下、何も、王太子さま、自らが陰謀を企んだとは申していません、殿下の周囲には彼の影で悪事を起こすような人たちがいくらでも、うご、蠢いている、ということで・・・す・・ううぐ・・・で、殿下・・・・お、お手を御放しくだ・・さい」
気が付くとイザボーの首を絞めていた。慌てたジャンとカトリーヌによって無理やりに引き離されたジャクリーヌはその反動によって竜から転げ落ちた。
イザボーから手を放したカトリーヌは自分の竜に飛び乗ると、親友が落ち込んだ闇の深淵に向かって急降下させた。
闇夜で何も見えずとも関係ない。王都ナルボンヌへの道程と違って、星図などを気に掛ける必要はない。ただ、彼女が放つ気に向かって突進すればいい話だから。それに彼女ほどの竜騎士ならば、この程度の高さならば・・・大丈夫だと言いたくなって、いま、彼女が飛んでいる高さが地面からどのくらいの距離なのか、馬の高さにして何頭分なのか想像だにできない。
確かなことは彼女の気が健在であることだ。そして、物体が落下するスピードよりも竜の突進力が速いことは経験から知っている。しかしながら、地面に衝突する前に彼女を助けられるのか、そう問われれば、戸惑うばかりだ。
彼女が放つ気から感情が読み取れることに気付いた。それは落下しながらどんどん彼女に近づいていることを意味する。カトリーヌは焦っていた、そして怒っていた。それはっジャクリーヌがわが身を救おうとしていないことだ。
カトリーヌはナント王国きっての名門貴族の継嗣であることも忘れて、罵声を対象者に向かって浴びせかけた。
「このばかやろう!!」
ジャクリーヌは桎梏の闇を突進しながら、カトリーヌの声を耳にした。しかし、それが音声でなく気の爆発であることは確かだった。自分に対して彼女は怒っている。どうしたことだろう。ただ気持ちよく夜の闇に戯れているだけなのに。
カトリーヌはどうして邪魔をするのか。
そう考えたところで自分の状況を第三者の目で見る視点を得た。
このままでは命が危ない。もしかして、自らの命が破壊されること、別の言いかたをすれば旅立とうとしていたのだろうか?人には旅立つ日が決められているが、それを自分で変更することは許されない。はじめて少女はとんでもない事、自分の信仰に反することをしようとしていたことに気付いた。
自分の身体を捩って丸める。このことで地上への衝突は免れないとしても、幾らかでも衝撃を緩和することができるだろう。そして、次の手段として竜を呼ぶ。何故か、そばにいるはずのカトリーヌに救いを求めることはできない。それは自尊心故か、親友に対して顔向けできない心情ゆえか。
自分は自殺しようとしていた、のかもしれない。そういう思いが、自分が助かるはずの最善の方法を取ることを妨げていた。
しかし最善の方法は彼女を放っておかなかった。ふいに白い手が自分に向かってきた。あたかも人間、ひとりを優につかめるほどに大きな手に思われた。
ジャクリーヌはそれに畏れを為して身体を捩らせ、自らの身体から気を大量に放出させて、地上に向かう軌道を変えようとした。
その瞬間のことである。誰のものかわからない女性の声が少女の耳をつんざいた。
「愚かもの!!」
その声は耳だけでなく、彼女の身体に侵入し、かつ語感のすべてを制圧した。




