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イザボーは純粋なる治療属性である。よって未来がありありと見える老女の才能は全くないといっていい。しかしながら、彼女には何故かジャクリーヌを危険から救うであろう、という予感があった。いや、それを単なる予感だとみなせないことに、彼女は自分の感覚を疑わざるを得なかったのである。自分のそのような能力はないはずだ。しかし、自分の中にそれに対する確固たる確信がふつふつと沸いてくる。
しかしそれがいつになるのか、まったくわからない。
イザボーはジャクリーヌの前に正式な礼を示して跪くと、恭しい雰囲気を醸し出して、こう言った。
「爵位を御受けします」
その言葉にカトリーヌがどんな反応をするのか、ジャクリーヌは予めわかっていたので、そちらを睨み付ける、いやそれだけでなく、実際に身体を寄せると無理やりに口を手でふさいだ。機先を制して無理やりに口を塞いだのである。
「な・・む、むぐむぐ?!」
そのままの姿勢でイザボーを見下ろす。何だか、無理やりに絵草子の中に放り込まれて、作中人物に無理矢理にされて、作者によって台詞を強要されるような気がした。想像の作者から押し付けられたのは、イザボーに受爵するための言葉である。
じじつ、少女は絵草子の中でそういうシーンをみたことがある。主君が騎士に身分と土地を与える儀式のことだ。だが、彼女に与えるべき土地など、もともと受爵する主君が土地を持ち合わせていないのだ・・・・そう考えた瞬間にある地名が浮かんだ。
気が付くと自分の声が聞こえた。
「クレマンソー、クレマンソー伯爵に任ずる」
そして、予め運命づけられた行為であるかのように、剣を抜くとイザボーの肩を打っていた。
何かの拍子に親友の口を押えていた左手が外れた。
いままでの憤懣を爆発させるかと思いきや、意外とまともなことをカトリーヌは言いだした。
「ク、クレマンソーか、あの家は確かに断絶しているが、いざ、復活となれば、系図的に関係のある貴族たちが黙っていないぞ・・それにあそこは侯爵家だ。この私と同列だとは許せん」
ジャクリーヌは途中まで耳を傾けていたが、すぐに意識的に耳に栓をした。それでも嫌味らしきものを言えたということは、聴いていたのだろう。
「あなたはまだ継嗣じゃない?見習いも同然ということね、見習いの分際で偉そうな口を利くものではないわ」
カトリーヌも負けていない。
「見習いというならば、ジャクリーヌだって似たようなものじゃない・・・ぁ、すまない」
ジャクリーヌが真顔になる前に、タブーに触れてしまったことに気付いていた。二人の間に気まずい空気が漂ったが、ジャクリーヌも素直に自分の失言を認めた。
「見習いと言い出したのは私の方だ。こちらこそすまない。それよりも、だ。これからのことを考えなければならない。それに当たって、クレマンソー侯爵はどう思われるかな?」
カトリーヌは、イザボーが即座に反応するとは想像していなかった。新しい名前とはつねに慣れないものである。しかし、この治療属性はいとも簡単に、あたかも実際に同家にうまれた育った継嗣のように主君に返事したのだ。
「まずは殿下に、これから私たちが進む道を指示してもらわねばなりません。共通の目的、それこそが私たちにとって求心力となりましょう。もっとも、殿下の身体に流れておられる高貴な青い血こそが求心力という言いかたもできましょうが」
完全なる当てつけであると、カルッカソンム家の継嗣は思った。王の血筋に対する礼儀を完全に示すことで、自分を非難しているのだ。思わず睨み付けた、彼女はまったく意に介さない。
ジャクリーヌは再び、癇癪玉に点火しつつある親友を無視して、ひとり言のように言った。
「共通の目的・・・か、それが共通になるのかわからないが、私は兄上にお会いしたいとおもっている。それも侯爵家の意思と重なるのではないか?」
親友のイライラを癒すには話題をまじめな内容にもっていくことしかないと、王太子の妹はみなしていたが、それは的中した。
がらりと顔つきを変えたカトリーヌは、静かにうなずいて言う。
「確かに王太子殿下にお会いして、カレーにお連れすることが、我々の目的かと」
ジャクリーヌはそこまでは考えていなかったが、彼女の意図は明らかだ。伝統的にカレーは歴代ナント王が即位する町である。
王都ナルボンヌからそちらに向かうには、おおよそ、エウロペ大陸、古代ミラノ帝国における行政区分でいえば、アンヌス・ホッリビリスをほぼ縦断することになるが、それは、そのような行為が可能だということは、それは同時に王太子が貴族たちの心を掌握していることを意味する。
べつに王太子を試問するためにそのような制度が創設されたわけでもあるまいが、いつの間にか、そういうことになっていた。
将来のことを話しているうちに火が落ちたようだ。洞穴の外から入ってくる光源が、陽光から篝火に代わった。疲れるからと、イザボーが出していた光の玉はすでに消失している。何やら食欲を刺戟する匂いが篝火の光とともに入ってくる。
ジャクリーヌが質問する前に、イザボーが答えた。
「家臣たちがいつの間にか始めたようです」
嫌味を言わなければ生きていられないのがカトリーヌである、特に発言者がイザボーならば。
「家臣たちの行動も把握していないとは、情けない話だな」
思わず、主君の実名を言いそうになってクレマンソー侯爵は口ごもった。しかし、その先は舌の動きも滑らかに相手を打ちのめすための発語に命を懸ける。
「いま、私たちは戦場にいます。そうならば、貴族とはいえ、賤民の仕事にも手を出さねばなりません。常に自分たちが何をすべきなのか、それを弁えているのが、我が家臣たちです。何処かの図体だけ大きな家臣団とはちがいますわねえ」
彼女の言うことは正しい。いまは病を得て倒れているカルッカソンム侯爵は常日ごろ、戦とはこの世界においてもっとも高貴な行為であり、世界が存在する理由、そのものですらあると、ジャクリーヌとカトリーヌに諭していたものだ。そのために、模擬戦と称して、食事の炊き出しや、土木的な工事など、貴族が手を出すにはあまりにも汚らわしいことだとカトリーヌは、それをするように命じられると固まっていたものだが、ヴェルサイユ村で農家の娘として育ったジャクリーヌはそれほどいやではなかった。
イザボーにそのようなことを言われると、具にそのときのことが思い出される。
だが、感慨に耽っている彼女の気分を意図的に破壊することが目的かのように、あるいは、この世界が自分たちのためだけに存在するのだと主張せんばかりに、あの二人は口論に花を咲かせている。
いったい、自分は何のためにここにいるのかとジャクリーヌは思わずにいられない。この二人の口撃のやりあいの仲裁をするために、聖母ウェヌスから派遣されただけの存在なのか?
「二人とも、とりあえず、空腹を癒そう。そうでなければ戦はできないという格言があるでしょう」
家臣のうちの誰か、男の声が後押ししてくれた。
「腹は減っては戦ができない、です」
いつに間に刈ってきたのか、オオツノジカを一頭、家臣たちは仕留めてその場で皮を剝いで料理に及んだようだ。彼らの話によると、竜から飛び降りてシカの背に飛び乗って絞殺したというらしい。
三人の視野に何やらシカの角らしいものがちらついた。
本人を観て誰もが驚いた。軟弱とばかり思っていたジャンだったのである。
竜騎士である以上、その程度のことは半分ほど眠っていてもできる。だが、彼の草食動物のような目から、実姉であるイザボーをはじめとしてだれひとり、彼がこのような行為に走れるとはだれも思っていなかった。
カトリーヌと一戦を交えて、舌が滑らかで、しかも、ご機嫌がななめだった治療属性の最高峰は弟を認めると、表情をほとんど変えずに言った。
「いたいけな小動物を相手に蛮勇を発揮するならば、竜騎士らしく、竜騎士に対して向けなさい」
だが、姉の暴言にもひるまなかった。だが、その小さな口を発言者に対して向けずに、カトリーヌに向けたのだ。
その眼があまりにも本気だったので、見ようによっては殺意すら感じられたほどである、侯爵家の継嗣は内心で怯んだ、もっともそれを顔の表面にあからさまにするほど世慣れていないわけではない。
何事かと心で身構えていると、携えてしたシカの角を示した。
そして、こちらは表情の変容をあからさまに示して、驚く姉の前で、少年は厳かな雰囲気で口を動かした。
「敬愛するカルッカソンム侯爵家、継嗣さまに、その気持ちの印として捧げます」
同時に正式な礼の姿勢を自分の身体に強要した。
その様子は姉の記憶に蓄積されている、弟像から完全にかけ離れていた。彼の言葉は、古くから求愛のフレーズとして決まりきった内容ではあるが、棒読みでは完全になかった。認めたくないが心がこもっていた。それには、先を越されたというニュアンスが否定できない。身体的特徴および、エレオノーラ一人を主君と頼み付き従ってきたために、20代を越えてそういう関係とは完全に無縁であったイザボーからすれば、許せない裏切りに映ったのである。それによりによって相手はカトリーヌである。
一方では、安心すべきこともあった。あのカトリーヌが弟なぞ相手にするはずがないと高をくくっていた。それには意識のどこかでは、この高飛車で自尊心の高いお嬢さまを認めていたのだろう。
しかしながら、カトリーヌは、イザボーの予想を完全に裏切って優雅に両手を伸ばすと決まりきったフレーズを述べつつ、シカの角を受け取ったのである。
「立派なシカの角ですね、父上の寝室に飾るのにふさわしいでしょう」
古くから伝承されているが、その真意はもはや誰も知らない。ジャンの感情のこもった言葉に比較して、カトリーヌは手つきやしぐさと同様に優雅な口調ではあったが、何処か記憶から引き出してようやく述べたというような色が否めない、すくなくとも、ジャクリーヌはそう受け取った。
しかし、何とも不自然なカップリングであろう、恋人同志といよりはむしろ、それこそ姉と弟にしかみえない、それが二人の感想の中で共通の部分だろう。
ジャクリーヌは親友として応援していいのか、よくないのか全く判断がつかなかった。
一方、姉としては、まさかカトリーヌが受け取ることが実現するなど、まったく夢想だにしなかったために、どういう感情を自我と対決させるべきなのか、判断に迷った。
カトリーヌ、このような人物を妹と呼ぶのか?
失笑すべきことだが、すでにそのような位置にまで事の次第を持ち上げていた。




