カトリーヌとイザボーの間に起こった諍いは、いつのまにか、ジャクリーヌに飛び火していた。
そして、ジャクリーヌはすでに抜いていた剣をイザボーの肩に当てた。それは受爵の儀式であり、王族の血を引く彼女にはその権利があるが、それはあくまでも彼女が王族として公国を所有しており、分かつべき土地があってのこと、そして、この儀式に何よりも必要な僧侶、および、老女がいないことは致命的であった。しかしながら、この場にいるみなが、少女が王族の出身であり、王位継承者として第二位であることを認めている以上、意味があることであり、いや、それだけでなく、この儀式に参加できたことを光栄とすら思い始めていた。列席者の中で唯一、カトリーヌを除いてみなが王族に対する礼式をその身を以って示している。
ジャクリーヌは峻厳な顔を崩さずに侯爵家の継嗣に視線を移動させた。衆目の非難がイザボーにではなく、自分に集まるのがよくわかる。だが、ここで引き下がってはならない。そう自分に言い聞かせた。大事な親友の身体を動かしているのは、けっして、彼女の魂にあらず、べつの誰か、いや人間ですらないかもしれない。そのような、得たいの知れない相手とカトリーヌはまともに相手にしている。そのことを考えるだけで、いままで味わったことのない興奮が喉の奥から這い上がってきて、舌に纏わりつくのを感じた。それは自然に言葉になる。
「私はあなたに跪くわけにはいかない」
ジャクリーヌならぬ何者かは、打って変わって満足そうな微笑を浮かべて言った。
「その理由を訊いてもいいかしら?お嬢さん」
カトリーヌは、猛烈な嵐の海に乗り出す海賊のような気分になった。だが、引くわけにはいかない。これ以上、口を開いたら、この恐るべき存在に無条件に慈悲を求めることになる。少しでも力を抜いたら、がたがたと歯が音を鳴らすだろう。家臣たちの前でそのような無様なすがたを見せるわけにいかない。それよりも何よりも、彼女がこの世でもっとも大切にしていることが、彼女自身の態度によって証明されようとしているのだ。
どうにか一時的な安堵を手に入れた少女はようやく口を開くことができた。
「ジャクリーヌは我が親友、ゆえに跪くわけにはいかない」
今度は慈悲の笑顔、かつて教会でみた聖母ウェヌスのような微笑とも憐憫ともつかない表情を、ジャクリーヌはみせたかと思うと、カトリーヌを挑発するようなことを言い出した。
「そう、私は本当にいい友達を持ったものだわ、いえ、家族というべきかしら、あなたは、私の家族・・・」
もしもそれ以上、彼女が言葉を続けていたら、我慢できなくなったカトリーヌに斬りつかれていたかもしれない。しかし結局、言い終えることができずに、膝をついてしまった。
「殿下!!」
周囲から家臣たちがジャクリーヌの周囲に集まる。
カトリーヌは怒鳴らずにはいられなかった。
「静まれ!!」
もちろん、彼女の家臣たちは疑いの余地なく、彼女に向かって膝をつく。しかし、ジャンたちエレオノーラの家臣たちはすくなくとも内面的にはべつの気持ちを以って同じ姿勢を取った。それが、若いとはいえ読み取れない彼女ではない。それゆえに腹も立つのだ。
しかしながらとりあえず、みなが静まったのはいいこととして、親友に一人で近づく。
「ジャクリーヌ・・・・気分はどう?治療属性どの、私の友人を診てもらえないか?」
イザボーは嫌味がスパイスとして多量に仕込まれた料理が頭の中に浮かんでいたが、それを指し示すことなくジャクリーヌに近づいた。
いや、一歩、踏み出す前から彼女はわかっているような表情をしていた。すくなくとも医療的には全く問題がないのだ。しかし問題は魂の問題なのだ。それにはイザボーはけっして手出しができないはず。
カトリーヌは親友の顔を、とりわけ双眸を目にするのが怖かった。彼女のものよりもやや濃い碧かかったハシバミ色の瞳が、かつて自分が知っているジャクリーヌでないことを証明してしまう、そんな場面に遭遇したくなかった。
しかし、いざ彼女と目を合わせてみると、何もかも元通り、幼いころに最初に邂逅したときと何ら変わらない色の瞳がそこにふたつある。
思わず、安心して彼女の名前を呼んでいた。
「ジャクリーヌ、よかった」
呼ばれた方は自分めがけて近づいてくる、喩えるならば美しい白い蛇のような手首を摑むとあさっての方向に無理矢理に押しのけた。自分の顔が見られたくなかったのである。
「カトリーヌ、見ないで、私、あなたにそんな優しい目で視られる資格なんてないわ」
長い金髪が特徴の少女は、東と西が逆になった衝撃を受けた。まさか、自分が何を話していたのか、そっくり覚えているとでもいうのか?
「ジャクリーヌ、いったい、何がどうした?あの治療属性に受爵したことを憶えているか?」
王太子の実妹は親友の顔を、あたかも緑色の狐を発見したような目で視た。
「受爵?いったい、何のこと?私にそんなことをする権利があるはずが・・・そうあったわね、だけど、どうしてイザボー殿にそれをする必要があるの?そもそも彼女の方から断ってくるでしょうよ」
カトリーヌは、いったい、何が起こっているのかわからなくなった。ならば、自分に対するあの発言は何を意味するのだ。
「どうして、権利がないと?」
ジャクリーヌはカトリーヌから逃れると激しく頭を振った。
「わ、わからないわ、あれは夢の中のことだったみたいけど、あなたをものすごく侮辱したような気がする。まるで唾を吐いたみたいな、一生、口を聴いてもらえないような・・・だけど、あなたは・・・・」
突然、口から発語の器官としての機能を奪ったかのように押し黙った。そして、何かのきっかけがあったのかわからないのか、突然、涙とともに堰を切ったように叫んだ。
「あなたは言った、私のことを「我が親友」と呼んだわ。ひどいことを言った私に・・」
カトリーヌは無理に笑いをつくった。
「お前はイザボーに受爵したのだ、ならば、私にはナント王位を受爵してもらえば、ゆるしてやろう」
カトリーヌの家臣からは主君を諌めることば、一方、エレオノーラの家臣からは恐れおののく言葉の数々が卵から孵っていた。
二人にはどうやら周囲の喧噪などはまったく目に入らないようだ。なんとかひとりで立ち上がった少女は親友に向かって謝罪した。
謝られた方はわけがわからなという顔をして、親友の双眸に真剣なまなざしをむけてくる。
「その眼よ、それが怖いの。わけがわからないけど、謝らなくてはいけないような気がするの、カトリーヌ」
二人のやりとりから完全に除外されてしまった家臣たちは、互いの目を見合うことしかできなくなっていた。それに気づいたジャクリーヌが悪いと思って声をかけた。
「気分がわるくなってしまって、ごめんなさい。あなたたちにも何かを言ったような気がするわ、そして、治療属性どの、とても失礼なことをしてしまったみたいね、正式に謝罪するわ」
イザボーは、相手が王族とはいえ、尊敬するお方様の実の娘とはいえ、こんな小娘に震える自分をふがいないと見放しながらも、何とか口を開いた。のどの奥、唇、舌などが完全に乾燥してしまい動かしにくいことこの上ない。
「それはさきほどのことは、すべてなかったことにしろ、ということですか?殿下、失礼ながら・・・」
イザボーの言葉はカトリーヌによって封じられた。
「ほう、性格の悪さ、根底から歪んだ神経の持ち主ながら、私利私欲で動かないところだけは認めていたのにな。もしかして、すでにジャクリーヌは、その血が要求する権利を何かしら陛下から手にしていて、彼女の元にいればそのおこぼれにでもあずかれると思ったわけ?将来を嘱望される、エウロペ最高の治療属性とやらは?」
ジャクリーヌは自分だけが、親友が本気で怒りだしたと気づいているにちがいないと思った。なるほど彼女の口調は普段の優雅さを一片も失ってはいないし、表情も、気品のある微笑とでも表現すべきだろう。吟遊詩人や貴族の男たちが彼女に首ったけになる理由もわからないわけではない。癪だが認めざるを得ない。
そういうものを、とにかく維持していながら、内面はマグマがぶくぶくと泡を立てて、活火山状態になっているのだ。まさかイザボーを相手に剣を持ち出そうとはしないだろうが、言葉の剣によって彼女の心が木端微塵にされる危険がある。
ジャクリーヌは、親友とイザボーの間に分け入った。
「カトリーヌ、その話はもういいだろう?彼女が私に仕えてくれるなら、もっとも、そのような価値が私にあるとはとうてい思えないが・・、そうみなしてくれるのなら、私は歓迎する。そう私が決めたのだからいいじゃない?何か、文句でもある?」
どうしてこうなるのだろう?カトリーヌを前にすると、ジャクリーヌはいつもこうなってしまう。感情を抑制して平和裏にことを進めようとするのに、いざ、言葉を交わしたら最後、爆発の手前どころか、実際にそうなってしまい、互いに干戈することなど幼いころから数えきれないそういう時間を共有してきた。
実力は伯仲しているので、困るのはお互いではなく、周囲なのだ。王族レベルの青い血の持ち主が干戈したとする、それを抑えられるものは家臣の中には誰もいない。カルッカソンム家の面々ならば、病に倒れる前の侯爵や、言葉にさえしたくないがエベール伯爵夫人ならば可能なのだろう。そう考えるとあの家に自分たちを抑えられるのは、彼女だけとなってしまったのだ。そんなことはどうでもいい。今は、カトリーヌを抑えることが肝要だ。
ジャクリーヌは、穏便にと、その言葉を侯爵の音声に変換して自分の耳に木霊させた。そうしつつ、親友に対して口を開く。
きっと、あまりにも第一印象と違う、王太子の実妹の態度や言葉に周囲はついていけないだろうと、一方で思いながらがなり立てた。
「このわからずや!どうしてあんたが怒る必要があるのよ!?この私がいいって言ってるのよ、余計な口を挟まないでくれる?」
カトリーヌも負けじと火を吐く。
「ジャクリーヌ、お前はこの女に利用されようとしたんだぞ!?ただ、その身分、属性だけがこの女の目に見えているものだ。それをわかっていながら・・・」
少女は親友の言葉を平手打ちによって封じた。洞穴中に木霊した乾いた音は、カルッカソンム侯爵家の家臣と、そうではない人では、受け取り方に比較しようのない差ができていた。前者にあっては、何処かで見た光景だと既視感に襲われ、他方、後者にあっては二人に間にできた不協和音を予感せずにはいられない。
ジャクリーヌは、その育ちから外見で人を判断しない人間だと思っていた。しかしながら事ここに至って、彼女はイザボー、その身長の低さだけをもって弱い人間だと無意識の内にみなしていたのである。ところが、それは間違いだった。これからそれを身と心を以って知ることになるのだが、この彼女はそれを知るよしもなかった。




