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聖女1  作者: 明宏訊
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謁見から逃亡、そして、予期せぬ人物との出会い。そして、戦い。

 何も考える必要はまったくなかった。ジャクリーヌはカトリーヌの背中にしがみ付いていた。甲冑の凹凸が身体に食い込んできて痛みを感じたが、まったく意に介さなかった。治りかけの傷痕は特に敏感であったが、むしろ、その苦痛が、彼女からの贈り物のようにすら思えた。

「カトリーヌ、もういいの、もういいのよ!」

 一方、カトリーヌは背中がやけどするのではないかと思った。甲冑ごしにも拘らず、親友を感じることができた。肩に回された彼女の手を握る。とても冷たい。温めてやらねばならない。どうしてこれほどまでに温度を失ってしまったのか、その犯人が、あたかも、彼女の目の下で蠢く小人にあるような気がしてならなかった。

 カルッカソンム家の継嗣は、イザボーを、今にも食って掛からんばかりの顔つきになって睨み付ける。

「そなた、誰の手のものだ!?」

 罵るというにはあまりにも、口から迸った言葉はふつうの文章であった。

 イザボーはまったくひるまずに、金髪の美少女を睨み返す。

「アンヌマリーどのを害そうと思えば、いつでも私には可能だったのです、治療属性はその一方で身体に毒を流すこともできるわけです、剣にしかとりえのないお姫さまには難しいリクツでしょうか?」

 まさに盗人猛々しいと思わず、カトリーヌは剣を投げ捨てた。そのまま持っていたら、彼女を串刺しにしかねないと危惧したのである。

「剣にしか取り柄がない?なんですって?どうしてそなたがそんなことを知っているのよ!?」

 気分の浮き沈みが激しいことだが、今の今まで親友が示す情に涙していたジャクリーヌは思わず吹き出していた。

 背中で起こった思わぬ裏切りにカトリーヌは思わず言葉を失う。

彼女は目の前の人物の外見的特徴など、すでに度外視にしていた。それよりも言葉が醸し出す存在感の強さに圧倒されつつあった。たしかに年上なのだという認識を強くせざるを得なかった。しかし、その一方で本能的なものからくる反感はどうしようもない。

「誰かの命令でしか動かない。そなたがどの程度の身分なのか、この私が一見してわからないとでも?」

 カトリーヌは嘘を言った。

 ジャクリーヌは一瞬でそれを見抜いた。この段階で彼女はようやく自分のイザボーに対する第一印象が間違えていることに気付いたはずだ。だが、あえて自己欺瞞を起こすことによって自分にこの治療属性を見下すことを薦めたのだろう。

 どれも、病的といっていいほどの自尊心の高さが彼女に強要したことである。

だが、イザボーとて、黙って見下ろされているわけにはいかない。

「やんごとなき方が、このような処で、何をなされているのですか?竜騎士団でも率いておいですか?そうは見えませんが?大方、とても人にはいえないことをなさって、大層なお家を追い出されてでもしたのですか?」

 近しい年齢であって、なお、カトリーヌに面と向かってこうまで言う人間を、ジャクリーヌはあまり脳裏に過らせることができない。

 カトリーヌはイザボーに圧倒されている。しかしながら自尊心の高さが情動の動きを外に出すことを禁じた。

 黙れ、小人!という言葉が喉まで出かかっている。それを言ってしまうことはカトリーヌにとってみれば自殺に等しい。必死に呑み込む。

 冷静にならねばならないと感じた。この治療属性は何処かおかしい。発する気は一流なのに、自分の身の上にコンプレクスを感じているような気がする。さきほどの言いようがそうだ。

「大層なお家?そうですよ、しかし、その大層なお家すら持てないあなたは、やはり、私の足下に跪くべき人間でしょう」

 イザボーは生まれながらにして高貴な人間に、引け目を感じているのかもしれない。ジャクリーヌはそうみた。自分もまたそういう目で親友を見続けていたからだ。王族という一流の貴族に生まれながら、ヴェルサイユ村で賤民とおなじように育った彼女からすれば、カトリーヌはずっと輝かしい存在だったのだ。そんな彼女が認めてくれたからこそ、貴族の世界にアイデンティティの一里塚を築くことができた。

 もしかしたら、このイザボーという人も似たような境遇で育ったのではないのか、そう思ったからこそ、彼女を擁護する気になったのである。

「カトリーヌ、言いすぎよ」

 イザボーはそれに対して睨み返しで応じてきたことが彼女を驚かせた。もちろん、喜んでもらうためにやったわけではないが、これほどまでに反発を喰うとは心外であった。

 治療属性は、ジャクリーヌ以外に気付かれるほどに長い時間、敵意を視線に乗せていたわけではない。すぐに口元に微笑を浮かべるとジャクリーヌに向き直った。

 そして、王家の人間に対して正式に行う特別な礼儀作法、即ち、両膝を床、および、地面につけて右手を胸に当てる一方、左腕と手からは完全に脱力させぶらりとさせる、それを行った。

「私はある人の命令を受けて、あなたさまを治療し続けるために参りました。私を麾下にお加えください、シャトーブリアンさま」

 シャトーブリアン家、言わずと知れたナント王族に流れる血統のことだ。

 カトリーヌは声も出なかった。ジャクリーヌが王太子の妹であることは、闇に通じた貴族であれば公然の秘密である。だが、それを知っていると明かすことは自らの命の終末を早めることにつながるのだ。

 カトリーヌは再び剣を拾うと抜いてイザボーに向ける。

 ジャクリーヌが口を開く前に血に濡れた声で語りかけた。

「そなた、すでに遺書は書き終わっているのであろうな」

イザボーは少しだけ頭を振った。

「あいにくと、私には帰るべき大層な家柄もございませんので、全く必要がありません」

 しかし、意外な方向からからそれを打ち消す言葉が飛んできた。

「あ、姉上!!」

 賤民にとってみれば目に見えぬ速度で、一方、カトリーヌやジャクリーヌにすれば蚊の止まるような速度でイザボーと彼女との間に割って入ったのは一人の少年である。

「控えなさい、ジャン!このお方がどなたなのか、知らないわけでもないでしょう!」

 おそらく年回りから言って、ジャクリーヌやカトリーヌと同じ位だと推定される。身長や大人のそれに近いが、物腰や全体から受ける印象が男としては柔らかいようにみえる。少年はジャクリーヌに対して、イザボーと同じ姿勢を取った。

「殿下、お初にお目にかかります、私はエセックスの土豪、ジャンといいます。姉が失礼を申し上げました。このお方に剣を引かせるようにご命令ください」

 慌てた調子をイザボーが見せたのは、始めてのことだった。

「殿下、弟の失礼をお許しください・・」

 姉の言葉を遮るかのようにジャンなる少年は嘴を突っついた。

「このお方が立っていらっしゃるのはどうしたわけですが、ここは御前だと僭越ながらお見受けしますが・・・」

 少年が言い終えるまえにカトリーヌは剣を振り上げた。

「愚か者、そなたも竜騎士なれば、気の流れを額から離すな!!」

 ジャンの視界の端で、金の輝きが起こったかと思うと、次の瞬間には夥しい量の青い血が迸った。同時に香水の芳しい匂いが少年の鼻孔を刺戟した。強いアルコールを呑まされたような、かつてこれまで少年が体験したことのない感情が一個師団を率いて攻め込んできた。

 「何をやっているか!?」

 銀色の尖ったものが少年の視野に入ってきたとたんに、胸を何者かに摑まれた。殺されると思った瞬間に、青い血のシャワーを浴びた。芳しい香りと金色のベールと蒼穹をも劈くと思われるほどの美声。それらが一緒くたになって少年を絡め取る。 

 姉が自分の名前を呼ぶ声も同時に聞こえたと思う。

 それは故郷のドレスデン名だったかもしれない。

 少年は竜騎士見習いでありながら、戦いを好ましいと思っていなかった。生きるためには戦いは必要だが、それをあたかも生きること、そのもののように思っている友人たちを心から軽蔑していた。

 いま、彼を救いあげて、返り血で真っ青になっている竜騎士は、たとて、やんごとなき身分出身であろうとも、彼によって心から軽蔑されるべき人種のはずだった。それは外見的な美しさや、人間とは思えない身のこなしの見事さとは関係ない、はずだった。少年は闘いを美学だとみなし、そのような哲学を他人に強要する、イザボーに言わせるならば、剣にしか取り柄のない人物を心から軽蔑するはずだったのである。

 ところが、少年は黄金の煌めきに、翡翠色の瞳に、そして、端正な横顔に心を完全にからめ捕られてしまったのである。しかし、異性を好きになったことのないジャンは、自分に起こったことをほとんど理解できなかった。

 そのために、生きるという目的においては認めていた竜騎士としての存在価値すら放棄してしまったのだ。

 永遠と思われる時間の流れを感じたのちに、少年は血まみれの死体が転がっている。

 そのことに気付いた途端に、少年は自分に生きている価値を感じられなくなっていた。多くのひとの声が自分に投げかけられているが、そのどれもが錯綜してしまい、単語ひとつひとつが意味を失い、文法に従わない結合をしてしまっている。


 カトリーヌは、少年を抱き上げたときに、もしかしてその肉体を傷つけてしまったのではないかと危惧した。

 予期せぬ敵を平らげてから、それと気づかれないように、このジャンと呼ばれている少年の姉と目されるイザボーに視線を移した。

 彼女はカトリーヌなど視界に入っていない様子で、ずんずんとこちらに近づいてくるなり、弟の名を叫んだ。そして、彼の髪をむんずと摑むなり、露出した白い頬に平手打ちを食らわせたのだ。その音は彼女らの立ち位置からかなり離れた、ジャクリーヌにも聞こえたほどだ。そのとき彼女は敵、竜騎士の胸をちょうど刺し終わったところだった。

 カトリーヌはある程度、ほっとさせられた。どうやら自分が怪我をさせたわけではないようだ。彼女は、こと、色恋の話に限ってみれば、ジャンとおなじようにまったく経験がない。

それはジャクリーヌにあっても同様だった。リヴァプール王に対する気持ちが、恋愛なのか、父親に対する感情の疑似的なものなのか、あるいは竜騎士の先輩に対する単純な気持ちなのか、まったく判別ができていない。それ以前に、そうする気すらない、というのも問題なのだが、彼女にしても、カトリーヌにしても同性であって、自分たちの良い目標になってくれる先輩に出会うことができなかった。

 カトリーヌには、エベール伯爵夫人、

 ジャクリーヌには、ヴェルサイユ村の母、姉たちがいた。

 だが、両者ともにそれぞれの理由からまったく当てはまらなかった。

 前者においては、議論すること、そのものが無意味であり、後者にあっては、ジャクリーヌを家族というよりはお客さん待遇で扱った。そのことが、少女の生育上、拭いきれない傷を負わせたことはすでに書いた通りである。

 いずれにしてもそのような経緯があって、カルッカソンム侯爵家の継嗣は、ジャンが自分に対してどのような気持ちを抱いたのか、そして、彼女自身はそれにどう応えたのか、まったく理解していなかった。


 


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