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聖女1  作者: 明宏訊
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既に親友の死を覚悟したカトリーヌは、それが嘘であることに気付いた。その怒りを抑えきれずに・・。


 イザボーは声に怒りを込めながらも、自分がはじめて戦場を目の当りにしたときのことを思い出していた。私淑する主君がロペスピエール侯爵夫人と呼称されて間もないときのことだ。当時、王家を放り出された主君に誰も助け舟を出さず、外聞を慮って、ドレスデンの実家までもが視て見ぬふりをした。そんな中で唯一、手を差し伸べた有力貴族は、ナント王国内においてカルッカソンム侯爵家と唯一、指しで渡り合う能力を備えた貴族、ロペスピエール侯爵家だけだった。

 それゆえに、主君が良人だけにあらず、侯爵領の広きに渡って信頼を得るために、内政にあっては観るべきものがあったが、軍事にあっては無能という誹りを免れないことはピエール、本人ですら認めていた。

 その代わりにとカルッカソンム家に圧倒されつつあった戦線を何度も押し返す働きをした。当時、幼いながらに治療属性としての才能をすでに発芽させていたイザボーは主君にぜひとも戦場に連れて行ってもらえるように頼んだものだ。前侯爵夫人が生んだマクシミリアン継嗣が亡くなったときは、自分が赴いていれば救えたとばかりに生き込んだ。そうすれば、主君が連れてきた治療属性が救ったことになり、侯爵家における株も上がると直言した。

 そのとき、イザボーの顔は竜騎士の大きな手で包まれて、こんなことを言われた。

「そなたは、この手で包んでしまえるほどまだ小さいのだ。こんな子供を、しかも、私の娘を恐ろしい戦場に連れて行くわけにいかぬ。そなたの気持ちは死ぬほど嬉しいし、治療属性としての才能に疑問を抱くわけでもないが」

 しかしほどなくしてイザボーの戦場に連れて行ってもらえることになった。

 だが、本物の殺し合い、青い血が飛び交う戦場は、絵草子で親しんできた軍記物とはまったく違う世界だった。だから、傷ついた竜騎士を目の当りにしても、治療属性たちに怒鳴られるだけでろくに仕事はできなかった。ただ、彼女の目の色が変わったのは、主君の右腕から鮮血で真っ青になっていたのを目撃したときのことだ。自分よりも重症者を診るように言う主君の言葉を無視して、その腕に齧りつく勢いで治療したことを憶えている。後に殴られるような勢いで叱られたので、手柄としての記憶は失われてしまっている、もっとも、それは他人の視線のあるところのみであって、ふたりきりになるととたんに口調が変わったものではあるが。

 とにかく、この二人の見習い治療属性の、不安げな表情をみていてイザボーは過去の自分を思い出していたのだ。

 もしも三人で一堂に会する機会を得ることができるならば、あのときの主君と同じような表情を示そうとイザボーは治療の手を疎かにせずに思った。しかしそれよりも問題なのは、カトリーヌの視線だった。

 彼女は今にも、いや、すでにジャクリーヌが旅立ったような顔をしている。

 たしかにこの肉体の中でその魂は根付いているのだと、金髪が豊かな少女に知らせてやりたかったが、何かが治療属性にそれを禁じていた。

 すでに腹部にできた大きな傷はふさがれ、素人の目にも治癒していく過程がわかるはずだ。だが、それと反対のことを話題にする会話がここまで響いてきた。そこには、今頃、姿を見せた、イザボーの弟であるジャンとカルッカソンム家の家臣が話をしていたのだ。

「死に化粧のようなものでしょうか・・・・」

 たしかにそれは弟の声だった。姉としては大声で怒鳴りつける衝動に駆られた。しかしその代わりにカトリーヌが光を放っていた。彼女は怒りに我を忘れて、熱波をジャンに放つ寸前だった。みたところ、完全な攻撃属性である彼女が魔法めいたことをして、無事に済むはずがない。イザボーは無意識のうちに彼女の元に向かった。柔らかな金髪の感触がこそばゆい。

 カトリーヌは苦しそうに胸を押さえていた。

「わ、私は大丈夫だから・・・・ジャクリーヌを頼む、頼みます・・・」

 少女は、苦しい胸の内でそう言った。

 その瞬間、カトリーヌにとっての奇跡が起こった。

 ジャクリーヌの声が弱弱しいながらに響いたのだ。

「母上さま・・カトリーヌ・・マリー・・陛下・・プランタジネット殿・・・うう」

 カトリーヌは、心臓が口から飛び出るような衝撃を受けた。生きている。たしかに死霊ではけっしてない、生身の親友が言の葉を発している。

「ジャクリーヌ!!」

 まるで幼児のような無邪気さを発揮して、近づくと親友の右手を握った。

「わかるか、カトリーヌだ!」

 少女は、九死に一生を得たような顔をしていなかった。あたかも一っ風呂浴びてきたかのような気軽さで健康人と同じ世界に舞い戻ってきたのである。

 だから元に戻ったジャクリーヌは自分よりもリヴァプール王に対する心配の方が優先していた。

「へ、陛下は・・・?!痛っつ?!」

 王の顔を思い浮かべたとたんに頭痛が起こった。いったい、あの時何事が起こったのだろうか?たしか、何者かが醸し出す邪悪な殺意の矢が王に向かって放たれて、少女は身を挺してそれを阻もうとしたのだ。たしか腹のあたりに衝撃を感じた。

 思わず、そちらに右手が向かう。

 服が破けている。しかし皮膚には小さな傷ひとつできていない。それをみた瞬間に大きな気を感じた。何処かで出会ったことがある感覚だ。そうだ。シャンディルナゴルの市庁舎、地下控室での出来事だ。

 イザボーなる、治療属性の話は聞いていた。ジャクリーヌが半死半生の重傷を負わせたアルフレートやエカテリーナ・アシュケナージを救ったのだ。

 はたして、彼女が思い描いていた偉大な治療属性は幼い子供のように背丈がひくい女性だった。だが、その表情をみれば、自分やカトリーヌよりもはるかに経験を積んだ大人であることが見て取れた。

 少女はイザボーに近づくとぺたんと頭を下げた。

「傷を治していただいてありがとうございます。イザボーさん、以前からお会いしたかったですわ」

 カトリーヌは眉間に皺を寄せた。

「ジャクリーヌ、お前は瀕死の重傷患者だったのだぞ!?」

 はじめて金髪の少女の脳裏に疑問符が浮かんだ。竜騎士たるものが自分のけがの程度を理解できない、などということがあろうか。自分もジャクリーヌも戦場こそ経験していないが、侯爵によってけがの程度なるものを学ぶために剣を突き刺されたことがある。もちろん、侯爵が知る限り最高の治療属性をエウロペ中から掻き集めて行われた。そのときに、命が危なくなる一歩手前まで行かされて、その具合というものを強制的にふたりとも学ばされたのだ。

 そのジャクリーヌが単なる怪我、と言っている。

 カトリーヌは自分の身体が熱を帯びるのを感じた。ジャクリーヌと一勝負しないと解消しないほど強い怒りに思えた。だが、外見はしごく冷静である。白い肌はまったく変化していない。むしろ青みが強くなっている。

 ジャクリーヌはまずいと思った。彼女は、親友の怒りを理解していた。

 イザボーに近づこうとするカトリーヌの肩に触れる。

 その手の上に、彼女の手が重ねられた氷のように冷たい。カトリーヌは不思議な人間で、感情と裏腹に身体が冷える。

 カルッカソンム侯爵家の継嗣は、その気品を保ったままでイザボーに向かって歩み出した。そして、攻撃範囲、ただしあくまでも精神的な意味でのそれであって、肉体的な、言いかえれば白兵戦におけるそれではない、その範囲に近づくや口を開いた。イザボーの目には舌や唇が燃えているように見える。

「イザボー殿?どういうことでしょう?たしか、ジャクリーヌは助からないと思えと、あなたはおっしゃいましたね」

 ジャクリーヌは頭痛に苛まれながらも、事態の深刻さを感じていた。あの尊大で気位の高い親友が、敬語を使っている。イザボーがどの程度の家格出身なのか、彼女は知っているのだろうか?いや、そんなことはないはずだ。カトリーヌは本当に怒っている。彼女が言ったことは本当なのだろうか、瀕死の重傷を負っているとイザボーが言ったというのは・・・。

 治療属性は、というと完全にそっぽを向いていた。その視線は遠くの湖に向かっている。

 カトリーヌはついに感情をむき出しにした。イザボーの、まったく罪悪感を漂わせていない態度に我慢が出来なくなったのだろう。

 すでに敬語は言葉から消え去っている。むき出しの敵意が突き刺さる。

「ちょっと、こっちを向きなさいよ、この大嘘つき!!」

「な、なんですって?何が大嘘つきよ!?」

 イザボーはイザボーなりにカトリーヌに対する反感には正統性があった。それゆえに、本人から罵られることは彼女の自尊心に抵触した。だが、あの憎々しい金髪娘が言っていることは事実なのだ。イザボーは反論に窮した。それゆえに口を貝のように閉じるほかになかった。

 カトリーヌはそれを観せられると、さらに怒りを爆発させて畳み掛ける。

「どうして黙っているのよ、ジャクリーヌが重症って嘘でしょ?騙したのよね、あなた」

 主君の言葉にふたりの見習い治療属性は互いの顔を見合った。その様子を見ていたイザボーは苦しい言い訳に終始することにした。

「私はこの二人を試したのよ、どのくらい症状を診わけられるのか・・・うう」

 イザボーはみなまで言い終えることができなかった。摑みかかってきたカトリーヌの手によって首を摑まれたからだ。ジャクリーヌは驚いて、いや、そんなことをしている場合ではなく、カトリーヌに向かって手を出した。

「自分がどれだけひどいことをしたって、自覚があるの!?」

 これでもカトリーヌは激情を抑えているのだろう。そうでなければ、一瞬でイザボーの細い首など千切れてしまっていたであろう。

 カトリーヌは、イザボーを地面に押し倒すと泣きながら叫び続けた。彼女は小さな身体を大地の神に預けたのだ。そうでもしなければ、彼女の身体を八つ裂きにしかねない、少女は自分の力を知っているがゆえに、何か巨大な力に縋る必要があった。

 最小の力を使って細い首を痛めつける。それでも我慢できずに激しく罵り続ける。

「あなた、最低よ!絶対に許さないわ!!」

 そのうちに、ジャクリーヌに対する純粋な思いを穢されたことが我慢できないのか、それとも自尊心や気位の高さを嘲笑われたことが許せないのかわからなくなった。

 当のジャクリーヌは別のことを考えていた。

 あの自尊心の高い親友が、自分よりもはるかに身分の低い相手にむかって、感情をむき出しにする姿を、少女は想像できなかった。彼女の力を相殺しようと必死に手と身体を動員しながら、少女は嬉しかった。自分はひとりではなかった、という思いが涙という形をとって彼女の身体からほとばしった。


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