聖書40 謁見
約100年の永きにわたり続いた戦に終止符を打つにあたって、もっとも重要な人物と目される二人、リヴァプール王マイケル5世、そして、表向きはエウロペにおける何処かの有力貴族の娘であり、将来を嘱望される竜騎士、アンヌマリー。しかし、この謁見室に集結した貴顕の使者たちは、彼女の正体を見抜いている、あるいはそういうつもりになっている。
諸説あるが、狂王として有名だった前ナント王、マクシミリアン2世には息子、いうまでもなく王太子アントワーヌのことである、彼の他に娘があって、アンヌマリーこそが王の血筋を引くというのである。それどころか、実はアントワーヌは王の血筋ではない、という説までもあり、それはナント王家を追放された母親がそう宣言したといういわくつきでもある。それが真実にしろ、そうでないにしろ、アンヌマリーは王位継承権、第二位を手中にしている、という見方は圧倒的な多数である。
使者たちは主君の意を受けて、少女の正体の真偽を見極めるべく、視力に磨きをかけている。だが、その中に本物の貴顕が潜航していたが、奇しくもリヴァプール王が見抜いたとおり、三人だった。
もっとも若いのは、カルッカソンム侯爵の継嗣、カトリーヌである。彼女はほぼ自分の意思でここまでやってきた。エベール伯爵夫人の意を受けてというのは、あまりにも屈辱的、かつ、惨めすぎる。彼女は少女に母親と呼ばせることを強要したのである。殺意を感じたが、それを実行するわけにはいかない。カルッカソンム侯爵家という、ロペスピエール侯爵家と、大陸の中央部において覇権を二分する強大な勢力の総帥としては、少女はあまりにも若すぎる。将来を嘱望された逸材だと一族からみなされているが、それも現侯爵、エベール伯爵夫人という支えがあってこそだった。
現侯爵は帰らぬ旅路に出ようとしている。
少女は認めたくないが、夫人がナルボンヌにて目を光らせているからこそ、親友のために動けるのだ。
「親友のため?」
カトリーヌは、思わず自嘲しながら、並み居る貴顕たちの使者に隠れながら、堂々と王の前に屹立するジャクリーヌを視た。
なんと美しい。少し見ない間に成長したと思う。単純に竜騎士試合を勝ちぬいた、ということだけにあらず。彼女から迸る輝きは武力だけが発する光ではなかった。
それに比べて、自分がいかに醜いか。本当に親友のことだけを考えているのか。
あくまでもカルッカソンム家のことしか考えていない。自分の家や、列国にとって彼女は、玉になりうる駒にすぎないのだ。それを手にすることで豊かな中原をすこしでも侵略、蹂躙できる、それを思えば、生唾ものであろう。
カトリーヌもまたあくまでも一族の利益を一番に考えなければならぬ立場にある。
謁見者の入場を示すラッパの音が鳴り終わると、ほぼ同時に野太い男の声が、ジャクリーヌにとって聴きなれない名前を呼んだ。そして竜騎士試合の優勝者として高らかに宣言した。しかし親友の顔は少しも誇らしくない。むしろ、何かを恥じているようにすらみえる。内面から迸る輝きに比べてなんという対比だろう。
謁見の儀式通りに、自分の紹介が終わると少女は左ひざを床に付かせるかたちで膝間づいた。幼いころカトリーヌとともに、侯爵から教わったことを思い出す。
謁見者は、謁見する対象者が許可しない限り、身動きすることすら許されない。この場合は、もちろん、マイケル5世が労いの言葉をかけることで、少女は人形の状況から解放される。しかし、その表情やしぐさからは緊張の色が否めない。あきらかに周囲を気にしている。おぞましい大人たちの汚れた視線が彼女を穢している、いやそれだけでなく、強姦しているようにすら思えた。辛いことに、カトリーヌ自身もそれに一枚、加わっているのだ。
彼女だけが少女の口から何が発されるのか注目していた。
その他大勢は、マイケル王に注目している。
型どおりの、優勝者への労いの言葉の次に衝撃的な発表を行った。おそらくは謁見の間の会同者すべてをどよめかせるのに十分なエネルギー量を秘めていたであろう。
「優勝者アンヌマリー殿には、その勲によりノッティンガム伯爵に受爵したいと思う。もちろん、受爵予定者の考え次第ではあるが」
この言葉がどのような意味があるのか、使者たちは考えあぐねた。同伯爵家は100年ほど前に断絶した、リヴァプールでは名門で知られる貴族だが、そんなことが重要なわけではない。
王の軍門にあの少女が下ることが問題なのである。
いずれも、主君から智者と認められた故でのシャンディルナゴル入りである。その彼らや彼女らですら、検討すらすぐにはつかない。王が、アンヌマリーの身の上について何も摑んでいないということはありえない。それは終結が地平線の向こうで、かなりあいまいであっても見えてきた戦争の終結を自ら破壊する行為のようにみえる。少女を懐中に収める、ということは、大陸全土を手中にするという野望を捨てていないということを意味し、アントワーヌ王太子との和平の可能性を否定することである。
今度こそ、衆目は少女の小さな唇に注目した。
少女はおずおずと二歩ほど前に出た。そして、一度だけ瞑目すると、次に目を開いたときは、彼女の口からはきはきとした声が迸った。
「畏れながら、陛下、私はその契約をそくざに受け入れるわけにはまいりません」
またもやどよめきが上がったが、それは王の発表のときは少しばかり意味合いがちがっていた。少女は、そくざに、と断りを入れたのである。この刹那、彼女は単なる人形から人間に進化を遂げた。高い王位継承権を持つ駒という見方は変わらないものの、ちゃんと意思のある人間であるということを、ほぼ無意識のうちに表明したのである。
しかしながら、そんなことはカトリーヌは最初に邂逅したときから知っていることだ。だが、この世でもっとも彼女のことを理解していると自認する彼女にあっても、その真意は測りかねた。
だが、もしも受け入れると言ったならば、それは即刻、侯爵家への敵対を意味する。しかし保留することは、あるていど政治的な配慮をしたのだとみなされることができるだろう。
王は、憮然とするどころか、整いすぎた容貌に微笑みさえ浮かべている。
「そなたの言からすれば、そなたという優秀な竜騎士を、いつか我が竜騎士団に迎えられると期待してもいいのだな?」
少女は挑むような視線を、いま、エウロペにおいてもっとも輝いている君主に向けた。
「ひとつ条件があります」
「ほう、それは何か?」
まるでこの場はジャクリーヌが演じる舞台であって、彼女は主演女優のような顔で即答した。
「すぐさま、アントワーヌ殿下と和平の交渉を始めることです、陛下」
この場はまさに二人のためにあるといっていい。方や、若きに会ってはナヴァロン島を統一し、先祖が始めた大陸における戦にあっては、軍を率いれば必ずといって勝利し疎の版図を広げてきた、まさに英雄。方や、その身体から醸し出される高貴な気から、あくまでも生まれは王に匹敵する貴族にはまちがいないが、まだ17、8歳の少女にすぎない。竜騎士試合に優勝したといっても、戦場を駆け抜けた王や諸侯にとってみれば、単なる遊びにすぎない。賤民たちに戦いというこの世でもっとも高貴なる仕事の一端を見せつける、いわば、芝居にすぎない。
この二人が対等に渡り合っているのだ。しかも、和平という国家の政治にまで口を出そうとしている。平素ならば、いったい、何様なのかと非難したい心持にだれしもなろう。
だが、このアンヌマリーなる少女からは普通ではない気が醸し出されている。
カトリーヌはおもわず呟いていた。
「ジャクリーヌ・・・・」
リヴァプール王と一対一で対峙している親友は、自分よりも一歩も二歩も先に進んでいるようにみえた。
要求を突き付けられた王の方が、むしろ歩を迫られているようにみえる。王は、一語、一語、確認するように発語しはじめた。
「今すぐでなければ、できない相談ではない」
ジャクリーヌは、ふいうちを食らったように棒となった身体を晒していたが、すぐに心地よいカーブを描く脊椎を備えた生き物であることを証明してみせた。
「それまでいったい、何人の尊い血が流れれば済むのですか?いえ、青い血だけではありません、戦は世界を荒廃させるゆえに、彼ら、賤民たちも生きてはいけなくなるのです」
再び、どよめきが発生した。
カトリーヌだけはわかっていた。ジャクリーヌがどういう心持で賤民という言葉を使ったのか、彼女はある年齢まで自分の体内に流れる青い血について、それが特別などという意識を持っていなかった。それゆえに、青、赤と、血の色で人を区別する意味を教えられていなかったのである。それゆえに、幼いことから何度、この話で論争になったかしれない。
このどよめきは賤民ごときに言及する、少女への非難に相違なかった。かつては、カトリーヌもその立場で親友を攻めたてたのだ。いまとなってはどう考えていいのかわからなくなっている。とりあえず、今は自分のことしか考えられなくなっている。ちなみに、ジャクリーヌは彼女の中においてかなりの領土を所有する貴族である。それゆえに彼女のことを考える。そう自分に対して結論付けていた。
カトリーヌが自分の一部と位置付ける少女は王に対してさらに攻勢に出ていた。言葉よりも身体が先立ってしまうのか、身を乗り出して言葉を発する。
「私はいったい、誰のために、そして、何のために戦っているのかわからないのです」
それに対して、王は即答した。
「そなたの主君は誰だ?仮にノッティンガム伯爵を受爵するならば、その人物の主は余ゆえに、余と国家のために戦うのだ」
「私が住まう場所は、ほとんど一般には知られていない僻地ですが、ある主君に属するようですが、私にはその主君よりもその村の方が大事なのです。そもそも、国家とは何ですか?私にはそれがわからないのです」
カトリーヌは親友の言葉に全身を耳にして傾けていた。国家に対する論争ならば彼女とやったことがある。そのときのことを思い出すと全身が熱くなってくる。そのために前方にむけて一方的に向けられた敵意と、それに基づく明らかな殺意に気付かなかった。じつに、それは彼女のすぐそばから発せられていたのである。
王の言葉がさらにその殺意を打ち消す役割を、カトリーヌに対して働き掛けた。
「国家とは、できるだけ諸侯の争いをなくすために、人間が発明した、いわば装置のようなものだ。それゆえに私はナヴァロンを統一し、リヴァプールという一つの王国の元に諸侯をまとめたのだ」
王も熱くなっていた。心を、エレオノーラやアンスバッハと過ごした少年時代に戻していた。何と言っても、余という一人称を王としては使うべきなのに、私と呼称していた。そして、その間違いに気づいていないのである。
敵意は王に向けて発せられていたが、歴戦の竜騎士が小娘に夢中になっていた。




