謁見2
そして、娘を見に来たことを後悔する母親の心だった。
しかしその気持ちがジャクリーヌに届くことはない。仮に伝わっていたところで、少女の方で受け取る用意ができていなかった。彼女は、いま、自分が対処しなくてはならない事態を目の前にして右往左往させられている状態で、か細いメッセージを受け取る用意はできていなかったのである。
少女にとって、永遠に近いほどの時間がかかったような気がしたが、リヴァプール王の
執務室までそれほど距離があるわけではなかった。
ジャクリーヌは覚悟を決めて謁見の間に向った。彼女の頭の中にあるのは、王に対して、かねてからこの戦争に対する疑問をぶつけることだった。いったい、誰と誰が戦っているのかわからない。いや、それならばオボロゲながらわかりはじめてはいる。
少女の兄である王太子アントワーヌと、これから少女が謁見するリヴァプール王が戦っているのだ。しかし何のためだろう?
そもそも、未だにヴェルサイユ村のジャクリーヌという自己認識しか持てない少女は、いくら血を分けた兄とはいえ、王太子殿下と帰属を同一にはできないのだ。
彼女の中に生まれたエベール伯爵夫人に対する敵意はそれに追い打ちをかけた。
少女を育てたのは、ヴェルサイユ村とカルッカソンム侯爵家の双方である。親友であるカトリーヌに出会えたのは、侯爵家が自分を援助してくれたことが大きいし、侯爵に対する気持ちは敬愛に近いものがあった。しかし、いまや彼は死に瀕している。それに際してみせたエベール伯爵夫人の態度は、少女を幻滅させた。彼女は、王太子アントワーヌと何かを企んでいる。その目的は私利私欲だとしか思えない。
少女が夫人に疑念を抱いたのは、自らの出生について詳らかにしない、彼女の態度にある。実母に関する、けっしてよいとはいえない噂は少女を幼いころから苦しめたが、それでも、夫人、本人が口にしたことはなかった。それを面と向かって言われて、侯爵家から飛び出しのだ。しかし、袂を絶ったわけではない。なんといってもあの家には親友であるカトリーヌがいるのだ。
謁見の間が用意されているという、巨大な建築物を目の当りにしたとき、何故か、親友のイメージが少女の脳裏に走った。
だが、それも、王に対してぶつけるべき疑問を推敲することに気を取られて、雲散霧消してしまった。そして、侍女たちに誘われて建物の中に入った際に、自分の顔に集まった視線、視線だった。比喩的な意味ではなく、少女は顔に色々な温度を感じた。それは真夏の熱だったり、真冬の凍りつく吹雪だったりした。あるいは、両方でもない、まったく温度がないという不気味な視線も感じた。
少女は思わず立ち尽くした。
自分の周囲を取り囲むように立っている侍女たちが何食わぬ顔でいられることが不思議でたまらなかった。少女はこれまでに経験したことのない孤独を感じた。
この広い部屋に所せましと集まった男女はあきらかに自分が目的なのだ。だが、それは人間を視る目つきではない。珍獣でもみる目つきだ。自分は人間なのだと大声で叫びたいきもちを抑えつつ、赤いカーペットに覆われた床を進む。そこだけが人の顔をした狐に踏み汚されていない、唯一の隘路だったからだ。
この先にリヴァプール王、兄であるアントワーヌ王太子の敵とされる人物がいる。その人にこの戦争の意味を問うのだ。国家とは何か?みなそのために命を捨てることを、悲しくどころかむしろ喜んで励んでいるように見える。ジャクリーヌには まったく理解できないことだった。少女にとってみればヴェルサイユ村ならば、彼女が育った故郷に攻めてくれば命を懸けてそれに対応するだろう。しかし、その小さな単位が集まった国家という所属を少女は理解できなかった。ヴェルサイユ村とともに、彼女を育てたカルッカソンム侯爵はそれについて語っていたような気がする。
強いて、この謁見の目的に意識を集中することで、狐たちの猥雑とすら非難したくなるような視線をしばしの間であっても忘れることができるだろう。
ところが、彼女を導いたのは自分ひとりの努力が生んだ光ではなく、もっと輝かしい太陽だった。それは彼女が目指す玉座から迸っていた。
思わず少女は口走っていた。
「エセックス伯爵閣下・・」
間違いない。あの仮面食事会で出会った伯爵なる人物はリヴァプール王だったのだ。彼が纏っている服やマントは、あちらこちらに宝石が縫い付けているわけでもないが、そして、あえて威勢を張っているわけでもないのに、そこはかとない威厳を感じさせる。
そこには少女が幼いころから王という言葉に抱いていたイメージ、そのものの姿があった。
周囲を見回してみれば、王よりも上等な衣装に身を包んだ貴族たちはいくらでも数えられた。しかしながら、それらは中身がまったく伴っていないように見えた。そう思うと楽になった。自分は堂々としていいのだと胸を張ることができるような気がした。
王は少女を見下ろしている。しかしながら圧倒されているのは自分の方だという意識が強い。
少し、時間を遡らせてもらう。王が即席の謁見の間に入る、少し前のことだ。
王は、塔へと向かうエレオノーラを見送るときにこのように言った。
「冗談ではなく、本気で別れた娘と久しぶりに出会う父親のような気分だ」
彼に対しては常に口数が多い美貌の友人は、ただ苦しい微笑を浮かべただけで、塔に向かった。あの表情が忘れられない。
単なる執務室、元々単なるシャンディナゴル自由市の建物であるために、王の居城としてはあまりにも簡素である。それでも、玉座を用意するなど、王が謁見する体裁を一応は整えた。主だった廷臣も適当にかき集めた。
一国の王であるならば、いや、卑しくも諸侯と呼ばれる立場であるならば、常に事の表と裏を見極めて、かつ、使いこなすのが当然のことである。ジャクリーヌの謁見も、表の顔は竜騎士試合の優勝者アンヌマリーがリヴァプール国王に謁見する、という一文で終わってしまうが、裏の事情はそうではない。ここにはすでにいないが、いわゆる、アンヌマリーの正体を知っている人間はアンスバッハだけではない。彼女の姉であるエカチェリーナ・アシュケナージ本名、ジャクリーヌとの試合によって重症を負ったバルベル・フォン・ハイドリヒもそのカテゴリーに入るが、そのような、いわば、エレオノーラの個人的な関係に依拠した人間群だけではなく、王位継承権を持った少女としての価値を、舌なめずりして見つめる野心家の男女が闇の中で北叟笑んでいるのだ。
即席の謁見の間は、裏の外交と言う意味でもその言葉の意味を場所が全うしようとしていた。ナヴァロン島は、リヴァプール、ナント両王国内の有力諸侯はロペスピエール、カルッカソンム両侯爵を筆頭にして、その他、エウロペに名を轟か家々が軒を連ねているし、神聖ミラノ帝国、バルセロナ王国、遠く、ヴェネツイアの諸都市の貴族たちまでもが、家臣たちを出席させている。
これが裏の顔、ということだ。諸侯にとって儀式、儀礼は、自分たちの依って立つところゆえに、何処かの城で儀式が開催されるとなれば、諸侯たちは使者として家臣たちを派遣するものである。なお、使者と称して本人が姿を見せることがあるとか、ないとか。
その真偽は定かではないが、今回、シャンディルナゴルで行われる儀式にあっては、前ナント王マクシミリアン二世に実の娘がいたという噂に基づいて、魔物たちが闇に隠れて蠢動するどころではなく、じっさいに動いている話が実しやかに喧伝されている。
リヴァプール王は、侍従たちを連れて王専用の出入り口の前に立っていた。
ウオルシンカム公爵の三男で、ジャクリーヌに重症を負わされたアルトゥールが、侍従長の役を仰せつかっている。
憮然とした顔で主君を見つめる。衛兵に命じてドアを開けさせようとしたところだ。しかし予想した通りに王の許可が得られないので、主君の顔を仰いだ。
「三人・・・・か」
重々しいが、何処か捨て鉢な主君の言葉に少年は何のことかわからずに、彼の双眸を見つめることしかできなかった。
かわいい侍従の視線に気付いた王はほくそ笑んだ。
「何のことかわからないか?アルトゥール、たしかにこれほどまでに貴族たちが集まれば、互いの気が相殺してそれぞれが誰のものか、曖昧になる。余とて、出会った記憶があってもそれと同定できない。しかしながら、これだけはわかる。余レベルの貴族が、三人、この部屋にはいる」
「まさか、どこぞの王、諸侯、本人が・・・」
口を開けて、思わず凍りつく侍従を王は軽く叱りつける。
「いくら不作法で洗練されていないリヴァプール貴族とはいえ、貴族は貴族だぞ、アルトゥール」
大いなる矛盾を主君の言葉から感じながら少年は二の句が継げなかった。
「その一人は、かなり強力で想像するのも恐ろしい潜在力を持っているが、それを制御する術を学んでいない、今はまだ単なる子供にすぎない」
その言葉に少年はすぐに反応した。もしもそれが自分の予想通りならばかなりのところ溜飲が下がるというものだ。
「それはこれから来られるアンヌマリー殿ですか?」
「彼女を除いて、三人という意味だ。アルトゥール」
少年に言われてはじめて、この謁見の目的が彼女にあることを思い出した。この扉の向こうに、すでにあの少女が、食事会のときのように生意気な上目使いの視線を自分に向けているような気がした、まだ、彼女は入室していないはずなのに・・・。
王自ら、衛士に命じて扉を開けさせる。ほぼ同時にもうひとりの衛士が高らかに叫ぶ。
「リヴァプール国王、マイケル5世陛下のおなーり!!」
時間を元に戻す。
王はこのような経緯を経てやっと少女を、親友の娘を迎える精神的な準備を終えた。物理的なものに関しては前例に従えばいいだけのことだ。
リヴァプール王とジャクリーヌは視線を合わせている。
ふたりは、あたかもこの部屋にたったふたりしかいないような気がした。その気分を最初に自ら壊したのは前者だった。事もあろうにこのような小娘に場の空気を呑み込まれてどうすると、王は自分を叱った。




