謁見1
リヴァプール王は、執務室から見える中庭をなんとはなしに眺めていた。いつ降り始めたのか記憶が曖昧になっている。最初はそれほどでもなかったのに、すでに小さな池がいくつもできている。水はけが悪いらしい。雨が上がったら明日にでも リヴァプールから連れてきた技術者に何とかさせよう。ナントのひとたちは王侯貴族から賤民まで、ナヴァロン島の人間を後発の、文明的に遅れた人たちだと笑っているが、そんなことはないと、戦以外の分野でも目に物を見せてやろう。
そんな前向きなことを字面だけで考えながら、マイケル5世の脳裏には分厚い本が開かれていて、外から入ってくる風によってぺらぺらと捲れあがっている。王の目に入ってくるのは、詩が書かれたページのようにすかすかの紙面だけだ。何という羊皮紙の無駄遣いだろう。王は、意識のどこかが怒っているのを感じていた。王自身が怒っているのではなく、自分の一部がかっかしているだけだ。
王の主宰で行われた竜騎士試合は、ジャクリーヌの優勝で終わった。最終戦を一部始終をマイケルは執務室からつぶさに観察していた。
少女はどうしているのだろう。
アンスバッハはすでにドレスデンに帰ってしまったために、オットーとアウグストも当然のことだがシャンディルナゴルにはいない。あの二人を通じなくては、王は親友の娘に関する情報を得られないわけではない。
だが、強いて能力を使わずに人の話から少女を類推してみようと自分に課した。エレオノーラとの試合は例外である。
親友は目的を達成できなかった。
娘の中に、彼女の言い分からすれば巣食う竜騎士を殺すことはできなかった。それは当然である。いかに親といえども子供を自分の思うようにできるわけではない。それは自分と親との関係を思い出してみれば自ずとわかる。王は今、彼が所有している地位を少年時代において望んでいたわけではなかった。ナヴァロン島内部は大貴族たちが互いに殺し合いを続け、もはや、外部の巨大な力をもって強制的に封じこめるしか方法はない状況だった。そんな混乱の中で王の両親は、それぞれ島を代表する大貴族の惣領息子、娘だった。両家は歴史が始まって以来、憎しみ合ってきた。両者の婚姻によって祖父はこともあろうに、ナヴァロンの統一まで企んだのである。マイケル王こそが、迷惑にもその老人が白羽の矢を立てた人物だった。
「まったく、何と迷惑な話か・・・・」
王は望まない人生を突き付けられた子供時代に戻って、怒りと嘆きに任せて格子窓を握った。
いつの間にか自分の過去に思いをはせていた。いま、自分が何を一番に思うべきか。あの母親を知らない哀れな少女のことか?否、リヴァプール王国の先行きだ。彼の究極の目的は大陸を占領することにあらず、それはあくまでも一時的な状態にすぎず、ナヴァロンが完全に大陸から独立することなのだ。
大陸の占領はそのための、いわば、離陸準備にすぎない。
自分たちの戦力で広大な大陸を支配し続けることが可能だと思っている愚かものたちが多すぎる。ジャクリーヌとの試合において瀕死の重傷を負った、アルトゥールの父親であるウオルシンカム公爵などはその筆頭であり、王は彼らの征服欲を満足させてやるために、エサを放り投げている状況なのだ。
いずれ、ナヴァロンに撤退することになろう。
どう考えても大陸を恒久的に支配するだけの戦線を維持できるはずがない。リヴァプールの貴族の多くは、何代前かにナント貴族としてうまくやっていけなかった人たちが逃れてきた、いわゆる、先祖の恥じを注ぐ、あるいは生まれつきの劣等感を雪ぐためだけに意地を張っている。非常に愚かな連中だと言わねばならないが、しかし今は主戦派を餌付けし続けなければならない。理由はどうあれ続けなければならない戦ならば戦略的に有利に進めたいではないか。そのためには玉をこの手にすることが必定となる。かつて、おおよそ100年前にこの戦争を始めたロバート三世は自分の中に流れるナント王の血を玉とし、王位継承権を主張して大陸に攻め込んだ。
しかし、マイケル5世の二けたになってしまう継承権が玉になりえずはずがない。単なる小石でしかないのだ。多少は貴重な鉱物が紛れ込んでいるかもしれないが、しょせんはその程度にすぎない。
玉とは、前王の娘であり、当然のことだが王太子の妹であるジャクリーヌのことである。もっとも、彼女を旗頭にして王太子とつばぜり合いをするつもりはない。それは親友の意思に反することだ。あくまでも、政治的な、言い方は悪いが取引材料として利用するだけのことだ。
こちらに有利な条約を結んで大陸から撤退した後に、リヴァプール内の有力貴族と妻併せて(めあわせて)もいいし、断絶した名門貴族の家を継がせてもいい。そこのところは、エレオノーラとの話し合いしだいである。
だが、重要なことは自分と親友が作った道をあの少女が素直に通るだろうか、それが議論されねばならない。試合中に彼女の独善を非難したのは、それが理由である。だが、親なればこそそういう気持ちを持つのだろうと、まだ結婚すらしていないマイケルは想像するのだった。
とにかく、これからジャクリーヌの謁見を受ける。
おそらく、彼女は一瞬で彼の正体を見抜くであろう、エセックス伯爵であることを・・。
いや、見抜いてもらわねばならないのだ。そうでなければ玉の価値はないといっていい。
そして、もう一つ問題なのは娘を政治利用することを、エレオノーラは知らないということだ。それを知ったら殺されるかもしれない。それを覚悟で手を黒く染めている。彼女に理解してもらおうとは思わない。いや、理解できないだろう。母なればそう思って当たりまえなのだ。そう思わない方がおかしい。マイケルの母のように息子を単なる政治の小間として利用し、まったく罪悪感を抱かなかった人間に親であると称する資格などないのだ。
エレオノーラ、そして、ジャクリーヌ、二人の顔を脳裏に並べながら執務室を後にする。侍従が少女の到来を報告しにきた。
少し、時間を遡る。
早朝に訪れた使者にジャクリーヌは内心で驚きを隠せなかった。謁見は正午近くに行われるはず。まだ時間があるだろう。
眠い目をこすって宛がわれた侍女に水の用意を命ずる。
トーナメントの決勝戦の次の日だ。どうして勝ったのかわからない試合だったが、全身の筋肉が痛む。じっさいに干戈したのは短時間だったが、大人に子供が挑んだも同じ位の力量の差があったといっていいだろう、その条件で命を懸けたのだから、身体がぼろぼろになって当然だった。
水を用意した侍女が、試合前にジャクリーヌがいじめた、攻撃属性の少女だとわかった。さぞかし、いい気味だという視線を向けてくると思ったのだが、彼女は満足げでも、あるいは怯えているでもなく、ただ淡々と仕事をしているとう表情にすぎなかった。使者が待っているというので彼女にかかずらっている時間はないのだが、謝罪の気持ちを表さないと気持ち悪いと思った。
「確か、ジャクリーヌという名前でしたね。さきほどは失礼した」
少女は水の入った甕を持ち上げると、驚いた顔で、彼女がアンヌマリーだと思っている、おそらくは上級貴族だともみなしている相手を見上げた。ジャクリーヌが何か付け足そうとすると、少女は表情を怒りにゆがめた。やはり怒っていたのだ。
「わ、私ごときに謝罪する必要はありません。あ、アンヌマリーさまにとってみれば、私なぞ賤民とそれほど変わらない出身ですから」
「ジャクリーヌ!いい加減にしないか?!」
いきなり自分の名前を怒鳴られたので、二人ともびくとなった。背後から姿を表したのはマリーという、以前にジャクリーヌと一緒に働いていた少女だ。
マリーに窘められたものの、ジャクリーヌは納得できないようだ。今回、謝罪したことがさらに彼女の自尊心を傷つけてしまったのかもしれない。人の気持ちはうまくいかないようだ。
そう考えると思わず一人笑いしてしまった。自分の気持すら自由にならないのに、他人の気持ちをどうにかできるはずがない。
何とか最低限の身支度を終えたと、少女たちに使者に伝えさせる。
その刹那、いったい、何が起こったのかとジャクリーヌは我が目を疑った。いったい、何事が始まるのかと思った。
「その荷物の量ははなんです?いったい何が始まるのですか?」
ジャクリーヌを圧倒させたのは、運び入れられた箱の大きさと数だった。それと好対照に小さな少女、ではない、おそらく成人に達しているであろう女性が立っていた。
マリーなる先ほどの侍女が、彼女が口を開く前に名前を呼んだ。
「イザボー様、まさかあなた様がいらっしゃるとは思いませんでした」
非常に小さな女性、傍らにいるもう一人の侍女ジャクリーヌよりも背が低い。彼女はそれを受けて答えた。
「私は、さる貴人の侍女をも兼ねているのです」
侍女をも、ということは本来の仕事は何なのだろうか?この女性はどうやら人の心を読む術に優れているようだ。
「私は治療属性でもあります」
治療属性、イザボー、その二語で目の前の人物がどれほど偉大な人物なのか、いささか鈍いジャクリーヌでもわかった。この若さにして当代最高の治療属性と謳われる人物である。すでに将来を嘱望されると励まされる身分ではない。ジャクリーヌが瀕死の重傷を負わせたアルトゥールを、すでに歩き回れるくらいに回復させたほどだという。
驚きの声を上げるジャクリーヌの意向など無視して、連れてきた侍女たちに号令すると、いきなり摑みかかってきた。
慌てふためく彼女だが、まさか、この侍女たちを相手に能力を使うわけにはいかない。それに殺気めいていたが、単に服を脱がせるだけだと言うことはすぐに知れた。
「い、いったい、何が始まるのです?」
「私が仕えている、さる貴人からのことづけです。」
イザボーのことばづかいは丁寧だが、有無を言わさない迫力を感じさせる。それは侍女たちの行動がいくらか手伝っている。もっと優しくできないものだろうか?しかしこういう仕事に慣れている様子も、見て、いや身体で感じ取れる。瞬く間に全裸にされたジャクリーヌは羨望の視線を向ける二人を感じ取った。
一人は言うまでもなく、侍女ジャクリーヌとイザボーである。しかしながら後者はそれなりに年齢を経ているとみえて、ありありとではなく、あくまでもそこはかとなく、という感じであった。
カトリーヌが言うには、ジャクリーヌのスタイルというものは、多くの同性と比較して優れているらしい、もっとも本人はそんなものを自尊心の基礎にする趣味はないので嬉しくともなんともないだが、もう一つ付け加えると、カトリーヌは「私ほどじゃないけどいい線、言っていると思うわ、自信を持ちなさい」
彼女にそう言われると霧消に腹が立ってくるジャクリーヌであった。
そのことはいい。イザボーの命令によって動くマリオネットのような侍女たちの手は蛇のようにくねって、少女の身体を弄る。くすぐったいたらありゃしない。
せわしなく動く櫛の動きが少女の頭を翻弄する。
侍女のひとりが黄色い声を上げた。あたかも人形を弄ぶ小さな女の子のようだ。思わず、自分はあなたの人形じゃないと叫びたくなる。
「アンヌマリーさま、いつ、髪をおとかしになったのですか?」
「本当ですわよ、いくら攻撃属性でも、ここまで硬いというのはご身分に似つかわしくないですわ」
髪が引っ張られて何本が抜けたようだ。だが、あえて抗議しないことにした。
侍女たちの当てこすりにいちいち反応しても意味がないことはわかっている。問題はさる貴人とやらの正体だ。
じっと侍女たちの凌辱行為を見守っていたイザボーが近づいてくると慇懃な口調で語り始めた。
「アンヌマリー殿は、本日、正午にマイケル陛下に謁見なさるということで、我が主君が特別にドレスをご用立てしたいと、そういうことでございます」
イザボーなる治療属性の言葉はほとんど他人の話を受け付けない、一人芝居、そのものだといってよい。だが、こちらも負けじと言葉を繰り出さずには、彼女の性格からしてありえない。
「さる貴人とは、ご芳名をお教えねがいたい」
まさに即答。予め答えを用意していたとしか思えない。
「女神ウェヌスです」
完全に人をばかした答えである。最初から相手にしていないことが明白である。癪に障ることだが、おそらくは被害妄想だとわかってはいるが、イザボーの命令によって、ジャクリーヌを飾りたてる任務についた、侍女ジャクリーヌがそれを受けて一瞬だけほくそ笑んだような気がした。
「おそらく、何の手入れもなさっていないのに、このお肌のきめの細かさは特筆すべきですわ」
「髪質もそうですわ。きっと手入れをなさっていれば、ここまで私たちを手間取らせることはなかったでしょう」
何という失礼な連中だろう。あんたたちが勝手にやっていることだろう。我慢できなくなったジャクリーヌはついに抗議の声をあげた。
「し、失礼な、入浴ぐらいしてる!」
「そんなの当たり前ですわ。私たちが申し上げているのは、ご身分に相応しいお手入れですの」
またしてもその言葉に呼応して、侍女ジャクリーヌがほくそ笑んだような気がした。




