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聖女1  作者: 明宏訊
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竜騎士試合トーナメント決勝2


35 


さて、血を分けた母と娘が竜に跨って、互いに長槍を構えたちょうどその時、神聖ミラノ帝国、皇太子ハインリヒ・フォン・レーゲンスボルン、通称アンスバッハは、侍従であり故郷であるドレスデンから連れてきた、オットー、アウグストともに、試合会場近くの宿にいる。そして、リヴァプール王、マイケル5世は執務室にて書類に目を通す・・・ふりをしていた。傷が癒えつつあるアルチュールが近づいても全く気付かないほどだった。二人の、現代エウロペ世界において、代表的な君主二人の耳目は試合会場に向けられている。

 「オットー、アウグスト、よいか、そなたたち、この試合はエウロペトーナメントの歴史に深く刻印されるべき重要な試合ぞ、後学のために全身を耳と目にして集中せよ」

 しかしながら、そう言うアンスバッハ自身がベッドに寝転がって、鹿の干し肉に食らいついているのだから、説得力などあったものではない。そのくせ、侍従たちには鎧を着せた上で剣まで持たせている。

 大人しいアウグストは直立不動のまま従っているが、彼にそのようなことを

命ずるのは不可能というものだ。

「殿下、どうして私たちはこのような恰好をせねばならないのですか?」

「愚かもの、心構えだ!竜騎士見習いたるもの、人の試合を観戦するときは、常にそのようにして自分も試合に臨んでいる気分を作り出すものだ。後々になんて優しい主君に恵まれたのだろう、と感謝することになるぞ。いやあ、余が死後、天界において重要なポストを占めることは決定事項だな、天使にすらなれるかもしれん。なにしろ、生前に感謝されることばかりしてきたからなあ」

 主君の暴言にぼやく・・ふりをする侍従たちだが、彼らはアンスバッハの真意を見抜いていた。詳しいことまで知悉しているわけではないが、主君が気が気でないことくらいは洞察していた。だから、アウグストはともかくオットーまでもが、控えめながら不平を口にしていた。

 本当にエレオノーラは実の娘を殺すつもりなのだろうか?少なくとも彼女から伝わってくる気の波動はそう言っている。一方、娘たるジャクリーヌも同様だ。彼女は自分が何をかけてシャンディルナゴルにまでやってきたのか、初心を忘れているようだ。というよりは、彼女が言うところの、プランタジネット殿という存在があまりにも強固で巨大なために、そんなものは忘れてしまった、ということだろうか?だが、この戦争の意義を問う、という壮大な目的は彼女から完全に忘れ去られていないような気がする。

 今、二人は干戈した。

 アウグストとオットーがびくつく。ものすごいエネルギーの応酬が行われているのだ。それを感じ取ることができるのは、体内にかなり高貴な青い血を巡らしている必要がある。すくなくとも、この部屋にいる三人はそれを満たしていた。数多くの戦場を巡ってきた皇太子はともかく、まだ竜騎士見習いにすぎない二人は、それこそ命を脅かされるほどの恐怖を味わっていた。

「こ、これほど距離が離れているというのに、まるで目の前にいるように波動が伝わってきます!!あ、あの二人は本当に人間なのですか?」

「私が知っている限り、すくなくとも悪魔ではなかったな・・」

 アンスバッハの減らず口がこの程度で終わるほど、彼は試合に集中していた。

「これは本当にトーナメントなんですか?これでは戦場と変わらないですよ・・・・」

 アウグストは自分の不安を一人で昇華できないゆえに、言葉を乱発しているのである。それを知っているから主君はあえて注意せず、彼の舌が動くままにしておいた。オットーはというと恐怖のあまり固まって身動きすらままならないようだ。

 皇太子が気になってたまらないのは、ジャクリーヌの身体の中に芽生えた、白い光のことだ。それは明らかに彼女とは別種だった。完全に異質であった。少女とは違う固有の自我が意思を発動させた。

あれがアンスバッハが視た幻影にすぎないというならば・・・もしかして、彼女の本質を未だ洞察できずに、本質を見極めただけかもしれない。いや、そうではあるまい。あのような恐ろしいものが親友の娘であっていいはずがない。

 明らかにジャクリーヌは押されている。いま、長槍を危うく落とすところであった。

「エレオノーラ、何をしているか!?どうして攻め込まない!?遊んでいるのか?」

「で、殿下!?」

 アウグストとオットーは平常心を失った主君をはじめて目撃していた。

「アウグスト、オットー、すまない、ひとりにしてくれないか?武装は解いてよいから・・」

 一瞬、アウグストの目にあの勇ましい竜騎士の顔が女性に見えた。そのためにすぐに返事をできなかった。

「御意・・オットー、部屋を出るぞ・・」

 完全に凍りついている弟の鎧を外してやりながら、少年は不安を押し隠せない自分に気ようやく付いていた。言葉を乱発していたときは、未熟ながらそれに思いをはせることはなかった。

 普段ならば、少年たちの細かな心の動揺を敏感に察知するのだが、いまは、そのような余裕はない。

 エレオノーラは明らかにいま、手加減をした。長槍を少しだけ前に突くだけで、意表を突かれたジャクリーヌは自分の長槍を落としていたであろう。殺し合いではないトーナメントにおいては、長槍を落としたものが敗北というルールになっている。

 それをしなかった、ということは、ここで試合が終わってしまっては、親友の目的は達成されないということだ。本当に、竜騎士としての心だけを殺して、身体を生かすことができるのか、もしも、それが可能だったとして、それははたしてジャクリーヌなのだろうか?

 何という愚かな友人か、後先考えずに自分の身分を明かしてしまえばいいのだ。何より、ジャクリーヌがそれを望んでいる。

 いま、エレオノーラの長槍が少女の頭部をかすめた。観衆がどよめく。頭を、あたかも肉を焼くときのように突き刺すと勘違いしたのであろう。しかし計算された動きであることは明白だ。問題は少女はそれを見抜いているだろうか、ということだ。いや、彼女にそんな余裕があるはずがない。

 完全に振り回されている。

 観衆たちの目には、少女もそれなりに敢闘しているようにみえるかもしれない。ところが、全く違うのだ。大人が赤ん坊の手をひねるようだ。しかし別の意味において、母親の側に余裕がないことを、マイケル5世は洞察していた。いま、大事な書類の上にインクを垂らしてしまったところだ。

 どうすれば、少女の心の中にある剣を折ることができるのだろうか?

 そのことが彼女の一番の関心ごとである。一つ間違えれば、本当に娘を串刺しにしてしまいかねない。その危険性は、彼女の中の母性に原因があるのだろう。彼女の心は揺れている。

 ジャクリーヌは生まれてはじめて戦場を経験していた。もはや、観衆の声はまったく耳に入らない。その存在はすでに視界から消した、いや、消え去った。そして、敵はひとり、味方は誰もいない、というたった二人の戦争を行っている。

 戦況はかなり悪い。

 喉の奥から酸っぱい液体が流れてくる。まだ2、3回しか剣を合わせていないにもかかわらず、丸一日戦い続けたかのようだ。一方、対戦相手である仮面の竜騎士、プランタジネット殿は、むろん、彼女は素顔ではないのだからわかるわけもないが、涼しい顔をしているような気がする。

 いま、気づいたのだが、試合、いや、戦争が始まってから彼女はほとんど定位置のまま空中で止まっている。ちょうど、彼女を円の中心として、ジャクリーヌはその軌道を振り回されているのだ。彼女の方から攻めてこないので、休めるはずだが、そんなことをすれば、彼女に笑われると思うと常に身体を動かしていないわけにはいかない。

 精神的にも相手に依存しているのだ。

  しかし長槍というものは、本当に白兵戦には不向きだ。その不便性が様式美を尊ぶ竜騎士試合というものを発明させたのだと、誰かが言っていたような気がする。ルールからすれば長槍を落としてしまえば、そこで試合は終ってしまう。

 だから、突いては退いてまた突く、ということを繰り返すことになるが、プランタジネット殿はほとんど受け手ばかりだ。そしてここぞとばかりに、長槍を繰り出してくる。

 空気が変だ。こういう言い方は異様かもしれないが空気が非常に軽い。全身に力を入れていないと空に向かって竜ごと引かれてしまうような気がする。重力が逆に働いているといえば適当かもしれない。だが、それは少女の周囲だけで相手は平然としている。

 きっと、試合前にいじめた少女はさぞかし笑っているだろう。おそらくこの試合が怖いあまりに道徳に反することをするような、見下げ果てた人間だと思っているにちがいないのだ。

 その刹那、試合が始まってはじめてプランタジネット殿の鋭い声が突き刺さった。

「愚かもの、これが本物の戦場ならば命はないぞ!!」

 長槍が飛んでくる。長槍といっても、太さからいえば馬の脚程度にもかかわらず、馬の身体そのものが向かってくるような恐怖を覚えた。その直後、いったい、どんな風に身体が動いて、恐るべき攻撃を交わして逃げ去ったのか、まったくといっていいほど記憶にない。

 ただ、気が付くと少女は試合会場の隅で震えていた。少女は観客の嘲笑に迎え入れられていた。恥ずかしいことに長槍ごと竜にしがみ付いていた。どれほど恥ずかしい姿なのか、想像するだけで消え入りたくなった。

「どうした?おもらしでもしたのか?早く洗ってやらないと、竜がかわいそうだわ」

 プランタジネット殿は、自分を嘲笑しているのではなく、奮起を促していることは明白だった。だが、身体が動かない、がたがたと震えている。

 彼女は、しかし、内心では全く余裕がなかった。気が付くと本心では望みもしないのに、無意識の内に剣を娘に教授していたからだ。どうやら、無意識においては彼女の剣の才能を認めているらしい。

 意識はそれと逆のことをやろうとしている。徹底的に叩きのめして、あるいは侮辱し手剣士としての精神を破壊しようと企んでいるのだ。両者は自然と葛藤を呼ぶ。

 しかしその行為は腹を痛めて生んだ子供をこの世の何よりも愛おしいと思う、エレオノーラの思想に反するのだ。

 むしろ、この場で仮面を矧いで身分を明らかにしたうえで、母として命令すればすべては彼女の思う通りになるだろうか?いや、そうはなるまい。荒っぽい外見と対照的にナイーブな内面を持ち合わせるバルベルならば、いざ知らず、この子は、力技ではままならない何かを隠し持っている。そこを何とかしないと、彼女の剣をへし折ることはできないだろう。

 対戦相手は、ジャクリーヌにむざむざと休ませようとしない。ここぞとばかりに攻撃を繰り出してくる。長槍などという連続攻撃には不向きな武器を、竜騎士としてはあまりにも細い腕を駆使して目にも止まらないスピードで迫ってくる。それを、少女はどうにかエモノを短く持って抵抗するしかない。いわば、防戦一方という表現がこれほど適当な状況はない。

 長槍がジャクリーヌの二の腕の、ちょうど装甲がない部分を掠った。

「ぐ!?」

 その刹那、少女は、左腕が捥がれたかのような錯覚をおぼえた。錯覚を錯覚だと気づくまで数秒ほどかかった。恐怖は苦痛を何倍にも増幅する。少女は、本能が発した患部を守るようにという命令に従いながらも、どうにか全身で長槍を覆って、敗北を未然に防いだ。青い血が、自分の身体から噴き出している。

 その姿勢があまりにも滑稽だったにもかかわらず、観衆の失笑がそれほど起こらなかったのは、痛々しさが尋常ではなかったからだ。その残酷さが、彼らの笑いを凍らせたといっていいだろう。

 それは少女にとっても同様だった。彼女に見えるのは汗、あくまでも冷たい仮面にすぎない。その下で起こっていることを洞察することは不可能であろう。

 エレオノーラは戦慄していた。

 この手で、はじめて腹を痛めて生んだ子を傷つけたのだ。娘はどうにか長槍を身体で支えながら左腕を抑えている。その手の隙間から青い血が滲んでいる。すでに出血死を心配する必要はないだろうが、治療属性ではない彼女にはそれ以上を洞察することはできない。 

しかしながら、骨に異常はないのだろうか?その程度ならば闇の中で相手を攻撃したとしても、彼女ならば剣を通じて伝わってくる感触から、魔法を一切使わずに知ることが可能だ。

 それにもかかわらず、わからないのは、決して外からはうかがい知れない、精神的な動揺のせいだ。常に自分を第三者の視点からみることができる彼女が、いま、自分が完全に冷静であるとみなすぐらいに、平常ではなくなっていたのである。

 彼女は仮面の下で叫んでいた、もういいから長槍を落としなさい、決して恥ではない、と。

 

 他所で戦況を見つめている、二人の友人だけがエレオノーラの内面の動揺を見抜いていた。

 マイケル5世とアンスバッハである。

 自分の思う通りにならないことで、彼らの親友は仮面の下で怒りだしていた。どうして母親の気持ちを理解しないのか?と。

「当然だろう、お前はあの子に名乗っていないのだから」

「いい加減にしろ!エレオノーラ!お前は自分を何様だと思っているのだ!?」

 王が友人の部屋で何が起こったのか見通すことができれば、アンスバッハに文句を言いたい気分にちがいない。人の目がある執務室で、机やいすを壁に投げつけることができるはずがなかったからだ。

一方、アンスバッハはベッドを持ち上げると感情に任せてことを実行してしまった。

 だが、自分の念が親友に伝わることだけは、理性を総動員して阻止した。いくらなんでも彼は竜騎士であって、女神ウェヌスではない。そのような権利はないし、第一、一人の竜騎士として自尊心に悖る。

 だが、優先事項として最初に挙げられるべきなのは、二人の、少女の母親に対する友情だろう。二人の貴人はそれを理解しているゆえに歯噛みをした。そのおかげで、秘書官は指して怠惰の罪を犯したわけでもないのに、王に辛く当たられ、あるいは、旅籠のベッドは無残にもその生を終えることになってしまった。

いったい、二人は何をやっているのだ?

それは他所にいるふたりと、多くの観客たちも同様だった。

彼らの目の前で、ふたりの隆起しは中空でたちどまったまま、互いを睨みつけて対峙している。身動き一つ取らない。彼女らから伝わってくる緊張感がいやがおうにも高まっていく。それが観ている人たちをイラつかせるのだ。このような試合は観たことがない。  

彼らが望んだものは、日々の憂さを忘れさせてくれるスペクタクルなのだ。物語でしか平民は知ることができない戦争のいいどころ取りが、竜騎士試合である。

それがこれは一体なんだ?平民たちは不満タラタラな一方、青位置をその体内に巡らせる貴族たちは、正反対の感想を抱いていた。

引退した老人はかつて味わった栄光と苦渋を思い出し、若者や壮年たちは、今、自分が居合わせる場所が戦場であるかのように錯覚した。まだ初陣を迎えていない少年少女たちは、その本能で戦場を先取りしている。

対峙するふたりは互いに違う理由のために、身動きが取れなくなっていた。単純に殺しあう戦場とは自ずから性質が異なる。しかしそれを読み取ることができたのは、他所にいるふたりだけである。

彼らは試合会場に退治する彼女らではない、何かの意思を見出し驚いていた。

「いったい、あれは何者だ!?」

同じ声をほぼ同時にあげたふたりだったが、その意味合いはかなりことなっていた。なんとなれば、ふたりのうちの一人、アンスバッハは一度体験していたからだ。人ならぬものに意思を感じる。今から整理すると、そのような体験だったのではないかと思う。

遠方にいるふたりすらが、それを感じ取っていたのだから、対峙しているエレオノーラがそれを見抜けないはずがない。彼女が心から恐ろしいと思ったのは、その対象が、周囲にそれと認知させずに存在することができたにもかかわらず、それをあえてしなかったことである。彼女がなぞ、なんの気配もなく、首切ることができた、ということだ。

それは白い光、という風にしか表現のしようがなかった。

それが固有の意思をもって、娘に寄生している。とりあえず、エレオノーラを含めた三人は、それぞれが持ち合わせる言語能力によるとそう表現するより他にない。だが、それは実態のごくわずかを表現しているにすぎない。たとえば、蹄という単語しか知らない民族が馬を表現するようなものである。既成の表現方法をでは、白い光について何も語ることができない。

「ほう、かなりものだな…しばらくみないうちにそなたたちはそこまで成長したのか?」

ジャクリーヌは、彼女が持ち合わせないはずの、じつに流暢なドレスデン語を使った。

「いや、ちがうな。そなたたち三人があくまでも特別なのか、下界には似つかわしくない神性だ」

 


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