竜騎士試合最終戦1
さて、血を分けた母と娘が竜に跨って、互いに長槍を構えたちょうどその時、神聖ミラノ帝国、皇太子ハインリヒ・フォン・レーゲンスボルン、通称アンスバッハは、侍従であり故郷であるドレスデンから連れてきた、オットー、アウグストともに、試合会場近くの宿にいる。そして、リヴァプール王、マイケル5世は執務室にて書類に目を通す・・・ふりをしていた。傷が癒えつつあるアルチュールが近づいても全く気付かないほどだった。二人の、現代エウロペ世界において、代表的な君主二人の耳目は試合会場に向けられている。
「オットー、アウグスト、よいか、そなたたち、この試合はエウロペトーナメントの歴史に深く刻印されるべき重要な試合ぞ、後学のために全身を耳と目にして集中せよ」
しかしながら、そう言うアンスバッハ自身がベッドに寝転がって、鹿の干し肉に食らいついているのだから、説得力などあったものではない。そのくせ、侍従たちには鎧を着せた上で剣まで持たせている。
大人しいアウグストは直立不動のまま従っているが、彼にそのようなことを
命ずるのは不可能というものだ。
「殿下、どうして私たちはこのような恰好をせねばならないのですか?」
「愚かもの、心構えだ!竜騎士見習いたるもの、人の試合を観戦するときは、常にそのようにして自分も試合に臨んでいる気分を作り出すものだ。後々になんて優しい主君に恵まれたのだろう、と感謝することになるぞ。いやあ、余が死後、天界において重要なポストを占めることは決定事項だな、天使にすらなれるかもしれん。なにしろ、生前に感謝されることばかりしてきたからなあ」
主君の暴言にぼやく・・ふりをする侍従たちだが、彼らはアンスバッハの真意を見抜いていた。詳しいことまで知悉しているわけではないが、主君が気が気でないことくらいは洞察していた。だから、アウグストはともかくオットーまでもが、控えめながら不平を口にしていた。
本当にエレオノーラは実の娘を殺すつもりなのだろうか?少なくとも彼女から伝わってくる気の波動はそう言っている。一方、娘たるジャクリーヌも同様だ。彼女は自分が何をかけてシャンディルナゴルにまでやってきたのか、初心を忘れているようだ。というよりは、彼女が言うところの、プランタジネット殿という存在があまりにも強固で巨大なために、そんなものは忘れてしまった、ということだろうか?だが、この戦争の意義を問う、という壮大な目的は彼女から完全に忘れ去られていないような気がする。
今、二人は干戈した。
アウグストとオットーがびくつく。ものすごいエネルギーの応酬が行われているのだ。それを感じ取ることができるのは、体内にかなり高貴な青い血を巡らしている必要がある。すくなくとも、この部屋にいる三人はそれを満たしていた。数多くの戦場を巡ってきた皇太子はともかく、まだ竜騎士見習いにすぎない二人は、それこそ命を脅かされるほどの恐怖を味わっていた。
「こ、これほど距離が離れているというのに、あ、あの二人は本当に人間なのですか?」
「私が知っている限り、すくなくとも悪魔ではなかったな・・」
アンスバッハの減らず口がこの程度で終わるほど、彼は試合に集中していた。
「これは本当にトーナメントなんですか?これでは戦場と変わらないですよ・・・・」
アウグストは自分の不安を一人で昇華できないゆえに、言葉を乱発しているのである。それを知っているから主君はあえて注意せず、彼の舌が動くままにしておいた。オットーはというと恐怖のあまり固まって身動きすらままならないようだ。
皇太子が気になってたまらないのは、ジャクリーヌの身体の中に芽生えた、白い光のことだ。それは明らかに彼女とは別種だった。完全に異質であった。少女とは違う固有の自我が意思を発動させた。
あれがアンスバッハが視た幻影にすぎないというならば・・・もしかして、彼女の本質を未だ洞察できずに、本質を見極めただけかもしれない。いや、そうではあるまい。あのような恐ろしいものが親友の娘であっていいはずがない。
明らかにジャクリーヌは押されている。いま、長槍を危うく落とすところであった。
「エレオノーラ、何をしているか!?どうして攻め込まない!?遊んでいるのか?」
「で、殿下!?」
アウグストとオットーは平常心を失った主君をはじめて目撃していた。
「アウグスト、オットー、すまない、ひとりにしてくれないか?武装は解いてよいから・・」
一瞬、アウグストの目にあの勇ましい竜騎士の顔が女性に見えた。そのためにすぐに返事をできなかった。
「御意・・オットー、部屋を出るぞ・・」
完全に凍りついている弟の鎧を外してやりながら、少年は不安を押し隠せない自分に気ようやく付いていた。言葉を乱発していたときは、未熟ながらそれに思いをはせることはなかった。
普段ならば、少年たちの細かな心の動揺を敏感に察知するのだが、いまは、そのような余裕はない。
エレオノーラは明らかにいま、手加減をした。長槍を少しだけ前に突くだけで、意表を突かれたジャクリーヌは自分の長槍を落としていたであろう。殺し合いではないトーナメントにおいては、長槍を落としたものが敗北というルールになっている。
それをしなかった、ということは、ここで試合が終わってしまっては、親友の目的は達成されないということだ。本当に、竜騎士としての心だけを殺して、身体を生かすことができるのか、もしも、それが可能だったとして、それははたしてジャクリーヌなのだろうか?
何という愚かな友人か、後先考えずに自分の身分を明かしてしまえばいいのだ。何より、ジャクリーヌがそれを望んでいる。
いま、エレオノーラの長槍が少女の頭部をかすめた。観衆がどよめく。頭を、あたかも肉を焼くときのように突き刺すと勘違いしたのであろう。しかし計算された動きであることは明白だ。問題は少女はそれを見抜いているだろうか、ということだ。いや、彼女にそんな余裕があるはずがない。
完全に振り回されている。
観衆たちの目には、少女もそれなりに敢闘しているようにみえるかもしれない。ところが、全く違うのだ。大人が赤ん坊の手をひねるようだ。しかし別の意味において、母親の側に余裕がないことを、マイケル5世は洞察していた。いま、大事な書類の上にインクを垂らしてしまったところだ。
どうすれば、少女の心の中にある剣を折ることができるのだろうか?
そのことが彼女の一番の関心ごとである。一つ間違えれば、本当に娘を串刺しにしてしまいかねない。その危険性は、彼女の中の母性に原因があるのだろう。彼女の心は揺れている。
ジャクリーヌは生まれてはじめて戦場を経験していた。もはや、観衆の声はまったく耳に入らない。その存在はすでに視界から消した、いや、消え去った。そして、敵はひとり、味方は誰もいない、というたった二人の戦争を行っている。
戦況はかなり悪い。
喉の奥から酸っぱい液体が流れてくる。まだ2、3回しか剣を合わせていないにもかかわらず、丸一日戦い続けたかのようだ。一方、対戦相手である仮面の竜騎士、プランタジネット殿は、むろん、彼女は素顔ではないのだからわかるわけもないが、涼しい顔をしているような気がする。
いま、気づいたのだが、試合、いや、戦争が始まってから彼女はほとんど定位置のまま空中で止まっている。ちょうど、彼女を円の中心として、ジャクリーヌはその軌道を振り回されているのだ。彼女の方から攻めてこないので、休めるはずだが、そんなことをすれば、彼女に笑われると思うと常に身体を動かしていないわけにはいかない。
精神的にも相手に依存しているのだ。
しかし長槍というものは、本当に白兵戦には不向きだ。その不便性が様式美を尊ぶ竜騎士試合というものを発明させたのだと、誰かが言っていたような気がする。ルールからすれば長槍を落としてしまえば、そこで試合は終ってしまう。
だから、突いては退いてまた突く、ということを繰り返すことになるが、プランタジネット殿はほとんど受け手ばかりだ。そしてここぞとばかりに、長槍を繰り出してくる。
空気が変だ。こういう言い方は異様かもしれないが空気が非常に軽い。全身に力を入れていないと空に向かって竜ごと引かれてしまうような気がする。重力が逆に働いているといえば適当かもしれない。だが、それは少女の周囲だけで相手は平然としている。
きっと、試合前にいじめた少女はさぞかし笑っているだろう。おそらくこの試合が怖いあまりに道徳に反することをするような、見下げ果てた人間だと思っているにちがいないのだ。
その刹那、試合が始まってはじめてプランタジネット殿の鋭い声が突き刺さった。
「愚かもの、これが本物の戦場ならば命はないぞ!!」
長槍が飛んでくる。長槍といっても、太さからいえば馬の脚程度にもかかわらず、馬の身体そのものが向かってくるような恐怖を覚えた。その直後、いったい、どんな風に身体が動いて、恐るべき攻撃を交わして逃げ去ったのか、まったくといっていいほど記憶にない。
ただ、気が付くと少女は試合会場の隅で震えていた。少女は観客の嘲笑に迎え入れられていた。恥ずかしいことに長槍ごと竜にしがみ付いていた。どれほど恥ずかしい姿なのか、想像するだけで消え入りたくなった。
「どうした?おもらしでもしたのか?早く洗ってやらないと、竜がかわいそうね」
プランタジネット殿は、自分を嘲笑しているのではなく、奮起を促していることは明白だった。だが、身体が動かない、がたがたと震えている。
彼女は、しかし、内心では全く余裕がなかった。気が付くと本心では望みもしないのに、無意識の内に剣を娘に教授していたからだ。どうやら、無意識においては彼女の剣の才能を認めているらしい。
意識はそれと逆のことをやろうとしている。徹底的に叩きのめして、あるいは侮辱し手剣士としての精神を破壊しようと企んでいるのだ。両者は自然と葛藤を呼ぶ。
しかしその行為は腹を痛めて生んだ子供をこの世の何よりも愛おしいと思う、エレオノーラの思想に反するのだ。
むしろ、この場で仮面を矧いで身分を明らかにしたうえで、母として命令すればすべては彼女の思う通りになるだろうか?いや、そうはなるまい。荒っぽい外見と対照的にナイーブな内面を持ち合わせるバルベルならば、いざ知らず、この子は、力技ではままならない何かを隠し持っている。そこを何とかしないと、彼女の剣をへし折ることはできないだろう。




