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聖女1  作者: 明宏訊
32/57

竜騎士試合、当日、早朝。

32


 当のジャクリーヌは多くの人の思いが自分を中心に交錯していることに気付いていない。無意識的には意味不明の重圧という感じで受け止めているのだろうが、それを意識にまで、少なくとも昇らせていない。

 いろいろなことがありすぎて、少女は疲れ切っているはずなのに犬の食事時間程度しか眠れなかった。格子窓から朝日がまだ入ってこない、ということはそのことを意味している。格子窓の外を見やると、色とりどりの星々が瞬いている。サントンジュの天文官たちは、空に散らばる星の中には、瞬くのと、そうではなくじっと光っているのがあると言っていた。その違いは何かと幼いジャクリーヌが質問すると、9個の瞬かない星と無数の瞬く星に分かれ、前者が主神アポローンと聖母ウェヌスそして神の子の三者に謁見できる神が9柱の神であって、その他、無数の神々は謁見できないと説明された。

幼いジャクリーヌは早くも自分を星になぞらえた。

「じゃあ、ジャクリーヌはえっけんできないの?」

 即答したのは隣にいたカトリーヌだった。

「できるわけないでしょ?単なる人間にすぎないのに!」

「人間は神さまの子だってせいしょにかいてあったよ」

「・・・・・・」

 憮然とした顔のカトリーヌは顔を膨らませて、自分に対する反抗者を睨み付ける。ジャクリーヌもそれに負けじと同じ表情で応じたものだ。

 そうやって、幼い時代からつづいている不毛な議論がその夜にも繰り広げられ、困った天文館は竜騎士たちの助成を依頼しなければならなかった。なんとなれば、自分たちの命が危ういからである。単なる口喧嘩が、強力な能力を持ち合わせながら制御能力はゼロという状況で、命は失わないものの、治療属性の世話になった、御付の者たちには枚挙に暇がなかった。

今でもたまにその天文官に出会うとそのときのことをねちっこく言われる。

 ジャクリーヌは白みだした空に一際輝く星に感謝した。少なくとも、プランタジネット殿と干戈しないで済むのだ。

 そんなことを考えている自分に気付いて、ナント王太子の実妹は思わず吹き出した。すでに自分は負けていると思わざるを得ない。相手を軽んじている竜騎士は勝負に負けるという格言があるが、戦うことを望まない竜騎士などすでに問題外であろう。あの方にも嘲笑されるにちがいない。それどころか、視界に端にも置いてもらえないだろう。

 ともかく、剣を持たないことには何も始まらない。

 少女は寝具の傍らに置いてある剣を持ち上げ、抜刀する。幅広で諸刃が彼女に会いようされる剣の特徴である。刀身に自分を写すのが怖かった。強大な敵との戦いを控えて怯えているかもしれないからだ。しかし、刀のなかの彼女はまったく怯えてない。それどこか誇らしげに高い鼻を見せつけていた。そこには彼女が想像してきた、実母像がそのまま映りこんでいたのだ。これで行こうと思った。おそらく同等の戦いが可能だろう。あわよくば勝利を手にすることができるかもしれない。

 もしも、その暁には仮面を取り去ることを約束しておけばよかったと後悔さえした。もはや勝ったつもりでいた。それは極度の怯えの裏返しにすぎなかったが、少女はそのことに気付きもしない。身体が震えるのは武者震いだろう。

 少女の妄想を打ち破ったのは、なんていうことはない。単なるドアをノックする音だった。侍女が顔を洗うための水を用意してきたのだ。

 どうやら双子のドレスデン人の兄弟ではないらしい。アンスバッハの用で忙しいのだろうか?

 新しい人と対面するのは、相手が侍女や侍従だろうが、すこしばかり気後れをする。カトリーヌのように幼いころからそのような境遇が当たり前だったわけではない。

 本来、少女は人見知りするタイプである。だが、普段とは違う感じが下半身から胸にかけて立ち上ってくる。抑えようとする理性がまったく働いていないわけではなかったが、かなり弱まっていた。

  それは行動にストレートに影響した。ジャクリーヌは大切な剣を床に擲ってしまった。それほどまでに恐怖を感じている。プランタジネット殿の剣が自分の胸を貫いたと感じた。リアルな妄想だった。自らの青い血が眼前に迸ったのである。床が真っ青に濡れていないのが不思議に思える。たったいま、自分が怯えていることに気付いた。根拠のない自尊心は暴走するものだ。それを恥じるあまり、普段ならばありえない人格が顔を出した。

 少女は剣を拾いながら、侍女の要求に応じた。

 ふたりの侍女は年端もいかない少女だった。そのうちのひとりはあきらかに怯えている。見る見る間に顔色がブルーになっていく。おそらく、転がった剣が発生させた音が彼女たちの耳をつんざいたにちがいない。

「すまないな。トーナメント寸前の竜騎士にあまり気安く近づかない方がいいわよ」

 これ見よがしに、ジャクリーヌは剣の、それも刃の部分を舐めてみせる。

 おそらく、攻撃属性ではないのだろう。10歳ぐらいだと思われる少女は両目を覆って、恐ろしいものを視界から外そうとする。しかしもう一人の侍女が指摘した。

「ジャクリーヌ、あなた攻撃属性でしょう?こんなことで怯えてて戦えるの?」

「マリー、止めて!?」

 ありふれた名前ながら自分と同名であることが目を引いた。そして、行き過ぎた緊張とそれに対する羞恥心が、普段の彼女ならばありえない行動を取らせた。

「ほう、あなた攻撃属性なの?」 

 自分の浮遊肋骨の位置程度の背丈しかない少女の頬に、ジャクリーヌは抜き身の剣を当てようとする。

 少女は悲鳴を上げて床にうっぷしてしまった。さすがに、マリーと呼ばれるもう一人の最初は軽い気持ちでからかっていた侍女も青ざめてジャクリーヌなる同僚に寄り添った。事ここに至って、試合前の竜騎士とやらから伝わってくる恐怖を身に染みて感じ始めたのである。

 二人を怯えさせた張本人も、彼女らに負けずに驚愕していたが、まさかそれを表に出すわけにもいかずに、泰然自若としたふりを続けるしかなかった。

「甘えるな、本当ならば殺されていたぞ」

 カトリーヌは絶対にこんなことはしない。いま、彼女がモデルにしているのは、エベール伯爵夫人である。傲慢不遜な表情を演技でつくりながら、ジャクリーヌは恥ずかしくて穴があったら入りたい気分になっていた。いったい、自分は何をやっているのだろうか?そういう気持ちを否定するためにわざと声を荒げて、少女たちを下がらせる。

 その代わりに入ってきたのは、二人とは対照的な容貌と外見を持つ男だった。長身と筋肉が盛り上がった、いかにも竜騎士といういでたちである。

「アンスバッハ殿!?」

 振り返らずとも、彼が発する気からそれと判別可能だった。

「私の顔が見たくないのかい?」

 竜騎士は外見から、あるいは放っている気の大きさから、考えられないほどに優しげな声で言った。だが、その中にはっきりとした骨格の強靭さを感じられて、慄いた。

 「恥ずかしくて、あなたの顔をまともに見ることができません」

「一部始終を気で感じていた・・・・」

 アンスバッハは、エレオノーラへの置き土産のつもりでやってきたのである。案の定、親友の娘は、予想通りの状態に陥っていた。

「私はドレスデンに戻る。このような遊びではなく、命を懸けた本物の戦に身を投じなければならない。それはエカチェリーナも同様だ」

 アンスバッハは嘘をついた。彼女が戦場に赴くとは聴いていない。ただ、この少女にトーナメントなどというものが、竜騎士の遊びにすぎないことを理解させて、この場から退去させればいいだけの話だ。もっとも、エウロペ世界において、五本の指に入る強者にそれを理解させるのは不可能だと、予めわかっている。だから、ここに来たのだ。さきほどの痴態をみればわかるとおり、ジャクリーヌは正気じゃない。いや、たとえ、正気だったとしても、エレオノーラに勝どころか、まともに干戈することじたいが不可能だろう。

「結論から、言おう、私と一緒にドレスデンに行かないか?生まれに相応しい身分を用意することが、私ならば可能だ」

「それは、試合が終わったら、ということですか?」

「私が興味があるのは、生きているアンヌマリー殿であって、骸ではない。今すぐ、ということだ」

 この言葉に踵を返さざるを得なかった。

「いくらなんでも、そこまで私を、一人の竜騎士を貶めますか?!」

 時間があるならば、アンスバッハは普段の性格を発揮させて、冷笑したにちがいない。ただ、いまはそんなことを言っている余裕はない。

「あいつは、そなたを殺すつもりなのだ」

「願うところです。あれほどのお方がそこまで本気になられるとは・・!?」

 言い終わることはできなかった。何の気配もなかった。何が起こったのかまったくわからずに少女は組み伏せられた。

「わかったか?これが、余たちが言うところ、本気の一端だ。まったく余の動きが

見えなかったであろう。あたら幼い命を粗末にするものではない。たとえ、イザボーでも首と身体が分かれてしまっては、手の付けようがないだろう?少女よ」

「余・・・!?」

 抜かりはない。アンスバッハはもはや自分の身分が知れてもいいと思った。身体に流れる高貴な血を教えたところで親友との約束が反故にするわけでもあるまい。

「・・・・・・・」

 少女は恐怖のあまり身体が小刻みに揺れていることにすら、気づかずにいた。戦場を経験していないとは、こういうことだろうか?あのスピードで攻撃されたら、少女はそれと気づかないままに首と胴体が簡単に分割されていたであろう。自分とははっきり次元の違う相手を目の当たりにして、身動きどころか、咳きすら満足に出せない。おそらく、さきほどの少女が自分に感じた恐怖はこのような感覚であろう。自分があれくらいの年齢のときには誰もあのようなことはしなかった。それほど、情けない行為に走ったということか、いかに、プランタジネット殿が恐ろしかったとはいえ……。

  何だか、すでに自分は竜騎士の資格さえないような気がしてきた。あまつさえ、トーナメントの決勝戦に出る資格などあるはずがない。この人ともに、ドレスデンに行くことはもはや運命と言ってもいいかもしれない。胃が重い。まるで鉄に変わってしまったかのようだ。膝を床に着いたまま立ち上がることすらままならない。

 そのときである。少女の脳裏に、想像上の母親の姿が舞い降りたのである。そのイメージに強制されたわけではない。ただ、ごく自然についで口から言葉が出てきた。いうなれば映像が言葉に変換されたのである。

「だめです。アンスバッハ殿、私はドレスデンに参るわけにいきません」

 ジャクリーヌは完全に言い終えるまえに意識を失っていた。先ほどの言葉を示した、何かわけのわからない存在に、自我がとってかわられた。

 少女は、巨大な滝の上から真っ逆さまに落とされたような気がした。

神聖ミラノ帝国の皇太子は、あきらかに親友の娘から醸し出されている空気が変わったような気がして身がまえた。そして、それに呼応したように彼女の口が動いて、巫女のような声が周囲に響く。

「この子は戦わねばならないのです、母親と」

「なんだと?!そ、そなた、何ものだ?!」

 とたんに空気の温度が下がった。そして、立っているのがやっとなほど重く全身にのしかかってくる。

 彼女から発されたエネルギーの束にアンスバッハは蹴倒されそうになって、慌てて足を踏ん張った。

「さすがは、神聖ミラノ帝国の皇太子だけありますね。人界も捨てたものではありません」

 言い終える前に彼女は前のめりに倒れた。いや、寸でのところでそうなるところだった。アンスバッハによって抱きかかえられたのである。

  その刹那、意外な種類の重みに言葉を失った。事もあろうに、このような少女に異性の匂いを彼の嗅覚が反応したのである。同時に流れてきた薄い色の髪が竜騎士の肌を刺激する。空気は元に戻っている。少女からさきほど感じた重ったるいくうきはまったく感じない。温度も元に戻っている。あれは、魔法ではない。何か、人智を超えた恐ろしいものにちがいない。だが、生まれる前に経験したことがあるような、とても懐かしい感覚はなんだろう?そんなことを考えているうちに、彼が抱いているものが動いた。

「あ、アンスバッハ殿?!あ、あなたはなにをしようとなさっているのです!?」

 アンスバッハはまずは確かめたいことがあった。

 親友の願いは反故にされてしまったのか、否か、ということだ。

「ふざけている場合ではない。確かめるが、プランタジネット殿はそなたにとって何者だ!?」

「これから決勝をかけて戦う相手です」

  いったい、どういうことか。さきほど、この少女がみせていた幼さは綺麗さっぱり流されてしまった。彼女から匂ってきた異性とは、そのことの証左であろうか。何者かが、彼女の身体を借りたにちがいない。そして、記憶を操作した、ということか。

  どうやら、少女は、自分が寝ているうちに襲われたと思っているらしい。誤解は解いておかねばなるまい。

「そなたは夢遊病者のように剣をふるって、侍女たちに襲いかかったのだ。そして、予がたすけた」

 嘘をつきながら、外で控えている侍女たちに言い含めておかねばなるまいと思った。

「それから、いらぬ誤解をしているようだから、解いておかねばなるまい。予は稚児などにまったく興味がない。それから、脂肪がよぶんについている。修行が足りん」

「な、なんですって………!!?」


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