竜騎士試合、トーナメントの最終戦、前夜
塔の中の三人は、いま、自分たちが屯している建物の由来について話し合っていた。
あまりにも複雑化した問題が、それ自体が自我を得て、自然と安らぎを求めた結果かもしれない。誰か最初に話題にしたのか、三人はよく覚えていない。ただ、いつの間にか話題が代わっていた。シャンディルナゴルという町は、婚約者を嫌って逃げ出した高貴な姫君を、土豪が嫁にしたことから出発したらしい。
「古代の神殿にはそういう機能があったらしいな。しかし、それに反対の勢力は歴史学者を動員して神殿の価値と権威を剥奪することに夢中になったらしい」
アンスバッハの言葉を受けて、王も続く。
「いつの時代も同じだ。剣で決めればよいものを、坊主や学者がしゃしゃり出てくれば、余計にことが拗れる」
「でも、それで人が死なないならば、それに越したことはないと思いますが」
ジャクリーヌの言葉は二人の男をどきりとさせた。彼らはまだ政治家として若いとはいえ、その年齢からすると驚異的なほど目に見える成果を達成したと、自他ともに認める人たちなのだ。
しかし少女自身は深く考えてものを言ったわけではないが、それなりに政治家、軍人としての経験のある二人からすれば意味深い言葉に思えたのである。
黙りこくった二人に悪いと思ったのか、立ち上がったジャクリーヌは彼らを逆に励ますために義務感に駆られて言ったのが次の言葉である。
「しかし私は明日には、もう今日かもしれませんね、剣でことを決めねばならないわけです」
実はこの二人に聴いてみたいことは山ほどあるが、それを消化するほど今、彼女は自分の胃が大きくないことを自覚していたからだ。とにかく栄養の補給は終ったから身体を明日の決戦を控えて休みたいと思うようになった。
「そなたの居室まで送ろう。せめて身体を休めるといい」
王は、自分の口調が身分通りになっていることに気付いていなかったし、その言葉を受け取った少女のそれに注意するほど、精神の体力が残っていなかった。だが、傍らにいたアンスバッハは違った。目敏く、両者が犯した不注意を見逃さなかった。
しかしながら、あえてそれ以上、嘴を突っ込むことは止めようと思った。何よりも親友の娘を殺しかけたことが気になるし、これ以上、疲れたものたちを会話させておいたら、互いに知るべきことと、知るべきではないことがごっちゃになって世界がおかしくなってしまうと考えたからだ。
「もう夜も更けた。ここからずらかろう」
「すでにお嬢さまは夢の世界に出かけられたようだ」
「こう見ると、本当にかわいらしいな。エレオノーラと似ているようだが、同じ年齢のあいつはこの子ほど純朴ではなかった」
王は親友の言葉を受けて、この場にいない人間を侮辱するという、貴族にあるまじきマナー違反を犯していた。
「この子に、試合を放棄せよと言ったのは、深い意味があるんだろう?我が親友よ」
「もちろんだ。もしかしたら、エレオノーラは竜騎士してのこの子を殺すつもりかもしれない」
「ふつうのお嬢さんとして生きてほしいと?自分ができなかったようにか?そいつは、あそこまで道を進んでしまった以上、難しいかもしれないな、今更・・・」
皇太子としては年齢を重ねてしまった男は、ジャクリーヌの額をそっと撫でながら、このあどけなさを残す少女が姉を倒した状況を思い浮かべた。
「バルベルはまったく手加減しなかった。それはお前も感じたはずだ」
「だからこそだろうな。あのバルベルを一撃の下に倒した。あの一撃はものすごかった。さすがは、エレオノーラの娘、というところだろう。もしも、一撃を受けたのが彼女でなければ、この子は生まれてはじめて人を殺す体験をしてしまったかもしれない」
「それを防ぐためにも、もう剣を持つきもちにならないほど、叩きのめすつもりだろう。涙を呑んで、な」
王は言い終わると、まるで幼い愛娘に父親がそうするようにジャクリーヌをその腕に抱いた。そして、待機している竜が舞い上がってくるのを待った。
ジャクリーヌを、侍従や侍女たちに気付かれないように、首尾よく彼女のベッドに寝かせた王は、その足で自分の部屋に戻った。一方、アンスバッハはそれを見届けずに、食事会を開催した部屋に戻った。バルベルとエレオノーラの気を感じたからである。そして、イザボーの存在を一切、感じなかったことがさらに彼を安心させた。すでに彼女が必要ないくらいに回復している証拠だったからだ。
すでに彼女が無事であることを知っていたが、入室してはじめてそれに気づいたような
顔をした。
「すまない、バルベル」
「いいえ、こちらこそ殿下・・」
周囲に自分たち以外がいないことを確認して、自分が失言をせずにすんだことを確認した。
「私が悪いのです・・母上さま、殿下を責めないでください」
バルベルはまるで赤子のように頭をエレオノーラに抱きかかえられている。彼女は親友の顔を見るどころか反応もしない。
だが、優しく抱いたまま、言葉に怒気を込めていった。
「わかっている。そなたが熟故、すべて起こったことだ。回復してから、鍛えなおしてくれる」
「そのやさしさをどうして、あの子に向けて下さらないのですか?母上さま」
「わかっている故に剣を捨てさせねばならない。ベルタやそなたの二の舞はさせられない」
「私のことは、最初からあきらめておられたのではないのですか?」
アンスバッハは、母娘の会話に割り込むべきではないと思ったのか、踵を返して闇に、身体を翻そうとした。
「ハインリヒ、親友に挨拶もなくドレスデンに帰るつもりか?」
「一生、口をきいてくれないと思ったよ、エレオノーラ」
「とりあえず、今はそなたの顔をみたくない・・許してほしい」
足音だけは、エレオノーラは聞き漏らすまいとした。やがて再会する日のためだ。
気が付くと、涙を流しながらバルベルが自分を見上げていた。
「泣くな、バルベル、そなたの顔に涙は似合わない」
「母上さま、それはどういう意味ですか?姉上やジャクリーヌならば、似合うという一文が省略されていると思いますが?」
「そうだ、その笑顔がそなたには似合っている」
「母上さまがおやりになろうとしていることは、あまりにも危険です。下手したら、あの子を殺してしまいます」
「わかっている、その覚悟でやらなければ、あの子から剣を剥奪できない。私はそうさせるために全力を尽くす
「そうしたら、あの子が母上さまの意図通りになったら、母と名乗っていただけますか?」
「すべての選択肢を奪ったうえで、事実を突き付けるのか?そんな残酷なことはできない」
「あの子の翼をへし折ったうえで、そんなことを・・・・!?」
「バルベル!!いい加減に休め」
バルベルは意思に反して意識が薄れていくのを、臍を噛む思いで見つめながら夢の世界へと舞い戻っていった。
エレオノーラは娘に自分の魔法が効いたことを見届けると、立ち上がって踵を返した。彼女にとっては娘も同然の人物を迎えるためである。
「お方様!?なんてことをなさるんです?重傷を負った人間に魔法をおかけになるなんて」
イザボーは主君を無視して、患者に飛んで行った。
最高の治療属性は、ジャクリーヌの名前をわざと明示しない。
「お方様、明日は最終戦のはずですが、お体を休めなくてもいいのですか?」
「相手は、小娘なのよ。大戦のあとでも十分、勝てる自信があるわ」
丁寧なしぐさで、患者の身体を立体的に瑕疵がないのか確かめながら、イザボーは見え透いた主君の嘘に気付かないふりをする。
「そうですね・・・・」
「イザボー、気づかないふりはよしなさい」
「私はお方さまのなさることに文句を言える立場にありません。ただ、そのもくろみは失敗に終わるような気がします」
「そのときには、あの子が死ぬか、それとも私がそうなるか、だ。もっとも、あの子を殺して私が生きていられるはずがない」
「・・・・・・・・・」
イザボーは答えなかったのではない。どう答えていいのかわからなかったのだ。すでに主君の意図は見抜いている。そして、それが不可能であることも同時に理窟でなくわかっている。
ジャクリーヌという人物に出会ったことは、彼女はない。しかし母親として、主君が娘に対して一方的に未来を強制するのはどうかと思う。
これまでの試合を見た限りでは、あくまでも治療属性としての見方に限定されるが、攻撃属性として並外れた素質を持ち合わせているようだ。それゆえに、その翼を親のエゴで奪い取ってしまうのか。そもそも、主君じたいが今の自分の姿が、娘時代の未来像から大きくかけ離れていると当の本人が言っていたではないか。しかしそのことを指摘するには、あまりにも、イザボーが敬愛する主君が歩んできた人生は不幸すぎる。
行く先々でせっかく得た大切なものを失い、追放される人生だった。だから、ジャクリーヌに対してふつうの貴族の娘として生きてほしいという欲求はわかるのだ。彼女は、バルベルを診ながら、かつて、主君の命を救ったときのことを脳裏に浮かべていた。
だから、ふいに主君の顔が近づいてきても、対応のしようがなかった。
「お方様!?」
「イザボー、私はどうしたらいいのだろう?私のような人生だけは送らせたくない」
主君の頬の温度が直に伝わってくる。それは、彼女に絶大な信頼感を与えると同時に、不安ももたらす、これは自分には与えられる資格がない、温かさなのだと理性が語ってくるからだ。
しかも、なおも畳み掛けてくる。
「私には、あの子を殺すことでしか、守ってやれないかもしれない」
「そ、そんなことはないです・・・・あの方を信じてさしあげることはできないのですか?お方様?」
「そうだったな、あの子を守ってやってほしいと、そなたに頼んだのはこの私だった・・・」
こんなに自信を失った主君は珍しい。そういう面を、自分に見せてくれるということは、娘のようにではなく、本当に娘として思っていてくれているのだろうか?ならば、ジャクリーヌとやらを妹と思ってもよいと思った。
「お方様、明日の試合、頑張ってください。応援しています。もう遅いですから早めに休みになった方がよろしいでしょう。このお方は私が診ていますから、ご安心ください」
「わかった、ふつうは親が子に言う言葉なのだが、その逆になってしまった。ここは言うことを聴いて大人しく撤退することにしよう」
主君が姿を消したところで、イザボーは拳を作って震えた。
「ひどい、お方様?!」
涙が頬を伝ってバルベルの大腿に落ちたが、濡れた方は、彼女に対する優しさからそれに気づかないでおいた。全身の伸し掛かってくる空気の圧力で肺がつぶれるような思いを、この患者は味わっている。




