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聖女1  作者: 明宏訊
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リヴァプール王と神聖ミラノ帝国、皇太子は、ジャクリーヌを人知れぬ塔に連れて行く。一方、カルッカソンム侯爵領土の首府、サントンジュからカトリーヌが、ジャクリーヌ救出ために出陣しようとしていた。

 

 ジャクリーヌは淋しくてしょうがなかった。誰もが最終的には自分を裏切る。自分を謀る。最初は優しげな顔をして近づいてくる。どの顔も家族のように自分を向か入れる顔をするが、しょせんは作り物のイミテーションにすぎない。それゆえにすぐに崩れるのだ。そうやってみなが自分を弄ぶ。今回の仮面食事会などその最たるものではないか。少女は、その会合に自分も関わっていることを忘れていた。

 この世で自分はたった一人に思われた。単なる孤児にすぎないのだ。おためごかし程度の慈悲ならば必要ない。誰しも自分に関わるなと叫びたくなった。そんなときにふと、誰かの横顔が脳裏をよぎった。

 「カトリーヌ?!」

 「それは誰のことなのだ?」

「あ、あなたたちには関係ないです!」

 少女は、いつの間にか親友の名前を口に出していたことに気付いた。行動を制御しきれなかったことを恥じたのである。それが二人への乱暴な返答になった。

「わ、私の親友です・・・」

 猫の目のような気分が変遷する彼女の感情は、飼い主に対してふたりへの謝罪を命令した。

「親友はよい。私にもそう呼べる人間がふたりほどいるが・・・。」

 居心地が悪そうに、王は皇太子を見やりながら恐る恐る少女に語りかけた。空気はとてもまだるっこしい。下顎の骨に絡むような気がする。それは彼女も同じように感じているのか、まったく無反応だ。両足を抱えながら完全に二人に対してそっぽを向いている。どうやら自分たちにはこの少女の心を開くのは無理のようだ。しかし、アンスバッハは、彼女が意図してか、無意識のうちか、そうするためのカギを示したような気がした。

「そのカトリーヌという友達は、アンヌマリー殿より美人かい?」

「喧嘩を売ってるんですか?!」

ジャクリーヌは、アンヌマリーという架空の名前に虚構の人格が備わりつつあることを自覚しながら答えた。

 このとき、はじめて自分が仮面を被っていないことに気付いたのは、二人の男の視線を素肌に感じたせいだろうか?

「わ、私、仮面・・・・・」

 意識が戻ってからかなりの時間が経ったように思われる。それにもかかわらず、今の今まで気づかなかったのだ。せっかく、短時間であれほどのレベルの高い作品を造ってくれた船商人への罪悪感がちりちりと背筋を這い登ってくる。どうやら、よほど仮面と一体化していたのだろう。それともそのような行為がよほど少女にとって心地よかったのだろうか。もしかしたら、普段の自分から一時的にせよ、離れられることが潜在的な才能に火をつけたのかもしれない。

 アンスバッハは他人事のように言ってのける。しかも自分の感情をごまかすためか、嫌味のひとつやふたつもおまけとしてついてきた。

「ここまでお前を連れてくるまでに、何処かで落としたのかもな。まあ、たいした美人でもないし、仮面を被っていようがいまいが・・ぐ」

 アンスバッハの口にマイケル王の手が食い込む。どうやら親友も普段の自分を取り戻しつつあるようだ。

 王は、改めて少女に向き直ると乱暴な方法でこのような場所に押し込めたことを謝罪した。当然のことながら、ようやく彼の手から解放されると、アンスバッハもそれに従う。

 「カトリーヌの話を聴きたいんじゃないんですか?いったい、何を謝るんですか?変な人たち!」

 自分から鍵を示して見せた。どうやら、けっして、完全に心を閉ざしてしまったわけではないらしい。自分たちを許容する領域は確保されているとみていいのだろう。つかさず、畳み掛ける。

「その人のことを詳しく聴きたいんだが、もしかして、フランス王国だっけ?空想の国だが、あの話を考えたひとかなあ?」

「そうです・・ふ、ふたりとも、立っていたら話もろくにできません。座ってください」

 猫の瞳らしくまたもや感情を害してしまったようで、頭を夜の闇に放り投げる勢いでそっぽを向いてしまった。

 まるで傷ついた子犬か猫を扱うようだ。過剰な刺戟を与えないように、あるいは、過保護にしすぎて怠惰にさせないように、取扱いにはとにかく注意が必要だ。

 二人の仮面男は、それぞれ、倒れていた椅子を元に戻して腰かけた。みしっという音が歴史を感じさせる。彼らは少女の唇が動くのを待っていた。蝋燭が時を刻み、月がいくばくばくか動いたころ、ジャクリーヌの舌が動いた。

「カトリーヌは、私にとって家族同様なんです・・・私には家族がいません・・母親はとんでもない人で、男が原因で娘を捨てたと教えられました」

「いったい、だれが?そいつはどんな奴なんだ?」

 皇太子は言葉に怒気を含めた。今回ばかりはジャクリーヌはそれを演技ではないと認めた。

「口さがない大人たちです。私のことをちやほやするくせに、姿が見えないとなると好き放題、言い出すんです。それに本気で怒ってくれたのはカトリーヌだけです」

 「・・・・・・」

 男たちは一つの点で見解が一致していた。もはや少女の口から何も聞き出せない、という印象だった。おそらく、解答を彼らに求めるほど子供でもないのだろう。ここは見守るのが最良の方法だと思われた。あるいはそれしか他になかったともいえる。前者の意見は王であり、因みに後者は皇太子である。

 大人たちのもくろみなぞ関係なく、少女の思考は猫の目のように移ろいやすい。

 彼女はいきなり立ち上がると、叫んだ。

「エカチェリーナ殿はご無事なのでしょうか?」

「目下のところ、最高の治療属性が傍にいる。そなたが考えることは、自分のことであろう。明日の試合のことを考えるべきだ」

 言うまでもなく、プランタジネット殿との、トーナメントにおける最終試合のことである。彼女に勝利すればリヴァプール王に謁見する、というシャンディルナゴルにやってきた目的が達成する。

 しかし、自分は何のために彼と対面したいのだろう。

 こんな大事なことを思い出すように努力せねば、脳裏に浮かんでこない自分を恥じた。なんという自覚のなさ、か。

 無意識のうちに口にしていた。それを王に聴かれていた。

「私は陛下に謁見したいのです」

「それはなぜ?」

「ぁ・・・!?」

 彼女の目つきからすべてを王は覚った。

「そなたはみたところ、人の上に立つべく生まれた人間だな?それにしてはあまりにも未熟すぎる。そんな具合ならば今すぐここから立ち去った方がいい」

 少女にとって、急激に空気が硬くなったような気がした。それらが一斉に針となって自分に向かってくる。若い彼女は簡単に屈するわけがなかった。

「し、失礼な、それは、に、逃げ出せ、ということでしょうか?」

 屈辱に臍を噛みながら少女は発言者を睨み付けた。王は、彼女の上目使いに破棄を感じて、内心では安心したが、そんなことを簡単に言葉に乗せるほど甘い人間ではないし、彼女を見下しても、あるいは見捨ててもいない。

「プランタジネット殿も不戦勝は本意ではないだろうが、まともに歩けない幼児を相手に剣を向けて物笑いの対象になるよりましだろう」

 その言葉は少女にとって衝撃的だった。たとえ、本人の口から出たものではないが、おそらく食事会の様子から彼女が信用しているであろう人物の口から迸った以上、一定の説得力を有する。

「お前がアンヌマリー殿の年齢だったこと、何をしてたよ!?」

「・・・アンスバッハ、ちゃかすものではない」

 王は、このように言いながら親友がそんな風に言ってくれるのを待っていたのである。

「そんな昔のことは忘れたな」

「家を継ぐのが嫌だって、オレのところくんだりまで逃げ出してきたのは、誰だっけかな?」

「そんなこともあっただろうか?」

 そう言いながら、王は少女から目を背けた。

「・・・・・」

 少女は眼球と舌の置き場所に困って、言葉を発するのに苦慮していた。いつの間にか場の空気が作る矛先が仮面男の一方に向かっていたからだ。尽かさず、アンスバッハが口を出す。

「あいつは、お前のことが心配で溜まらないのさ。昔の誰かを視ているようでいらいらするとな・・・・いいか、この世界はいつ、誰が目を光らせているのかわからないのだ。あまりにも無警戒すぎるぜ。あの地下室でも、食事会でもな」

 王は、仮面の下で憮然とした顔をしていた。いくらなんでもあのことを持ち出す必要はないだろう。彼は王位を継ぐのがほどほどいやになって、ドレスデンは親友の皇太子のところまで竜を駆って逃げ出したのである。そのとき、彼が王位を継承する覚悟を決めたのは、親友からの一撃もあったが、何よりも竜から見限られたことが一番の理由だったのだが、それは別の話になる。

 ジャクリーヌはアンスバッハの、昔の誰かという言葉が耳に残って、いつまでも木霊していた。

「さきほどの、昔の誰かってどなたのことですか?もしかして、プランタジネット殿のことでしょうか?」

 そのとき、王と皇太子の間だけで空気が急激に温度を失った。

 鈍感なのか、その逆なのか、本当にわからないお姫様だと、アンスバッハは自分の失敗に密かに臍を噛んだ。

 一方で、王は、やはり、少女の中でエレオノーラたるプランタジネット殿と自分自身が結び付けられることを畏れていた。だが、ここで嘘をつけばより一層の疑惑を呼ぶことになるだろう。

「それは、私たちの親友、であり、妻であるエセックス伯爵夫人だよ、アンヌマリー殿。あいつは、そなたに自分に何処か似ているところ、というか、通じるところを見出して背を焼いているのだろうよ。これは珍しいことなのだ。育ちが育ちだけに簡単に人を寄せ付ける人ではない」

「私は、エカチェリーナ殿が羨ましいのです。あんなすばらしい方がお母上さまだ、などと、私は実母を知りませんから・・・」

 いずれ会えるだろうよとは、口が裂けても二人は言ってやれない。本人がそう言っているのだ。一度決めたことは貫く、ふたりの親友である。そのことがこの少女にとって最大の幸福だと信じている故の決断なのだろう。

 完全に固まってしまった空気のなかに三人は収容されているが、それぞれ、頭の中にあることは三人三様でまったく別のことを考えていた。

 

少し時間をさかのぼって、夕日が地平線に沈みかけるころ、カルッカソンム侯爵領の首府、サントンジュから竜騎士の一団が飛び立とうとしていた。

 城の中央部に半円にくりぬかれた一角があって、そこから出発できるようになっている。竜こそが国のかなめという思想がここにも生きている。

 出発前の最後の点検のために、家臣たちを閲兵しようとしたところ、背後から巨大な気を感じて振り返った。

「伯母上、わざわざお見送りにならなくてもよろしいのですよ」

「いえいえ、我が侯爵家の跡取りが出陣というときに、見送らない身内の人間がいましょうか?」

 エベール伯爵夫人ナデージュは、彼女が若いころから欲しくてたまらないものを、何の努力もなしに備えた、美貌の持ち主を、それとわからないように睨み付けた。傍からみれば、聖母の微笑にしかみえないだろう。だが、少女だけに通じるように毒が、はたして隠されているのだ。

 それを聡く読み取ったカトリーヌは、カルッカソンム侯爵の継嗣と認められた少女は、礼儀には礼儀で応対することにした。

「いえいえ、伯爵夫人は畏れ多くも、摂政であらせられ、国政を預かる身、たがが一侯爵家の継嗣ごときとは身分が自ずから異なります」

 彼女にとって、唯一の家族ともいうべきジャクリーヌを苦境に追い立てた相手、できることならば剣の力によって圧倒してやりたい。しかしそれは彼女の矜持が許さない。

 家臣の竜騎士たちは、大げさな鎧の下でびっしょりと汗を、一人の例外もなく掻いていた。まるで空気の分子と分子がそれぞれ動きを止めてしまったかのようだ。いまにも、二人は激突しそうだ。沸騰寸前の湯に小石をそっと投げ入れるだけで沸きだすように、微動だにしただけで、青い血が流れるように思われた。

 ふうに夫人の方から鉾を押し出しきた。

「私たちにとっては、最高の宝石、あの子は水晶そのものだという自覚を、ぜひとも我が侯爵家の継嗣にはお持ち願いたい」

 水晶という最高ランクの宝石を挙げて、親友を持ち上げる、その陰であなたはなにをしたのだ?それに、私たちだと?

 カトリーヌの近侍を仰せつかっている竜騎士は、べつに彼女の心の声が聞こえているわけではないが、精神的にすでに主君が負けていることを見抜いていた。平静を装っているものの、白皙に美貌にうっすらと紅が浮かんでいる。個人的には、その方が美しいと思うのだが、そんなことを言っている場合ではない。

「伯爵夫人、失礼を承知の上で申し上げます・・・・」

「従子爵ごときか、口を出す場面ではないぞ!」

 エベール伯爵夫人の怒声が響き渡る。その瞬間に竜騎士たちは崩れそうになった。近侍の少女は、これで二人の関係がようやく均衡したと、胸をなでおろす、いや、そこまでいかなくても、この場面を直視することはできるようになった。だが、ナント王国の摂政は、とことんまで自分に楯突くものを叩き潰すことを、すでに心に決めていた。その自覚を

さらに強めるだけにすぎないことに、少女は気づかなかった。

 カトリーヌは、侍従の忠君を理解したうえで、女王然とした表情を、すでに罅が割れてぼろぼろになってはいたが、どうにか崩さずに言った。

「伯母上、すぐにでも出陣したいのですが」

「伯母上?私は、あなたを娘とも思っている身ですよ、その私に対してよくもぞんざいな呼称を持ち得ますねえ」

「・・・・・」

「さあ、私を母と呼びなさい、カトリーヌ」

「・・・は、母上、出陣します・・・」

 カトリーヌにとって屈辱的だったのは、夫人が振り向きざまにさりげなく頬にキスしたことだ。

「は、母上、ありがとうございます。必ず、私たちの水晶を携えて戻って参ります」

 臍を噛むカトリーヌは、なんと、仰々しく伯母の足下に跪いた。そして、驚愕の表情のまま凍ったままの竜騎士たちを尻目に、一足はやく竜の背に飛び乗った。そして、背後を振り向くことなく上空に飛びあがろうと・・・したかったにちがいない。しかし、余裕の微笑を仇敵に向けると、慣習通りに家臣たちに竜に乗るように命じた。

 侍従は、マリーは、彼女は幼いころから主君に仕えてきてジャクリーヌのこともよく知っている。彼女は、主君が受けた苦痛と屈辱を思えば、それを癒すために殺されてもいいとさえ思った。

 サントンジュ上空に舞い上がって、城が見えなくなると一瞬、視界がブラックになった。主君の真っ黒な竜だ。そう確認したとたんに、彼女が気ごと抱きついてきた。

「マリー、私は未熟だ!頼む、ごくわずかの時間でいい!・・・・このまま何も言わないで、いてくれ・・・」

 マリーは主君を心から信用していた。だが、痛手を癒すためには多少なりとも時間が必要だろう。そのために治療属性たる、自分の存在価値があるのだ。ほどなくして、主君の身体と気が、少女から離れていく。

 主君は、さきほどの悲しみがどこ吹く風と、朗々としたよく通る声で言った。

「情報はすでに入っている。極秘にシャンディルナゴルに向かう」

 オレンジ色の黄昏は、大地によって呑み込まれようとしている。隠匿される、激しい熱をばらまく太陽は主君をそのまま暗示しているように思えてならなかった。

 


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