仮面食事会5 瀕死の状態に陥ったバルベル。彼女は実母が自分の意図を理解しながら、受け止めないことに絶望するのだった。
マイケル王とアンスバッハが、人目を忍んでジャクリーヌをとある場所に隠匿することは、非常に簡単なことだった。窓から窓に伝って適当な部屋を選択すればいい。そこからバルベルたちの気を感じていれば、状況は判断できる。だが、じっさいにその部屋を確保して、彼女の安らかな寝息を聞きながら、問題に気づいた。
「我々が嗅ぎつけることができる、ということは、この子もまた同じではないのか?ハインリヒ」
意図しないこととはいえ、自らの手でバルベルを害してしまったアンスバッハにしてみれば、ぜひと彼女の気を伺っていたいところだが、親友の言葉が理屈にあっていることを、理性が告げていた。
「わかった。やむをえまい。竜を駆ってできるだけ遠方に向かうしかあるまい」
窓を開けると、アンスバッハの竜が宙に浮いていた。まず少女をその背に乗せると自分も続こうとした。
「待て、ハインリヒ、金貨を渡せ」
「うん?ああ、わかった、ほら」
懐から、金貨を取り出すとリヴァプール王に投げ渡す。彼は、それを寝具の脇で転がっている少年の上に投げつけた。彼は、これから寝る前に生まれてからずっと恒例の、神々に祈りを捧げようとしたところに、二人の悪魔の侵入を受けたのである。彼は、王に使えている役人の侍従だが、闖入者たちに誰何するいとまもなく、意識を失わされ、いや、それだけでなく、口にはたまたまそこに置かれていたレモンを突っ込まれて鼻の孔以外はすべて布でぐるぐる巻きにされて放置されている。あいにくと、こういう時に入用な、エレオノーラならば得意そうな魔法は、王も皇太子も使えない。その濃い血から才能はあったのだろうが、すべてを、剣を使うことに集中させてしまった。
「許したまへ、きっと神々も高覧なさっておられるだろう、罪を償う時は償う。しかし、今しばらくは輝くガラクタで我慢なされよ」
「ミッシェル、早くしてくれ」
普段ならば、下手な詩を読んでいる場合ではないぞ、ぐらいは言われただろうが、いまは、精神的に参っている。さもあらん、親友の娘に瀕死の重傷を負わせたのだ。
「安心しろ、イザボーを舐めるな。まちがいなくあの子は神童だ」
「ああ・・」
力なく答えた親友は、ジャクリーヌを支えながら自分も竜にとびのった。身のこなしはいつもとかわらないはずだが、何処か力なく感じられる。王は、闇の向こうに自分の竜が鎌首をもたげているのを発見した。
そのとき、バルベルは、耐え難い苦痛に喘いでいた。身体の各部分が、それぞれ勝手に自我を持って暴れ出しているような気がする。それでもなお、彼女は妹と、そして、母親に気を使っていた。
空気は完全に切迫して刃と化し、すこしでも動けば傷つきそうだ。
「あ、アンヌ…はあ、殿は?」
「安心して、私のことは、母と、そして、ジャクリーヌのことは妹と呼んでいい。あの子はふたりが連れ去った」
「ぁ、あ、は、母上さま、わかってもらえ…ないのですね…」
「バルベル!しっかりしろ!!」
その瞬間、娘は息たえたのだと勝手に誤解した。
「お方様、あまり興奮させないでください。このお方は大丈夫です。それがおわかりにならないはずがないと、思いますが?」
「あ、あ、すまない。イザボー、私は離れていた方がいいな。あ、そなたにエネルギーを注入するくらいなら…」
「このお方を心配なさるならば、控えてください、お方様!」
イザボーは、これほどのお方を動揺させる力を持った、バルベルとジャクリーヌが羨ましくてたまらなかった。この忌まわしい理性すらあさっての方向に飛び去ってくれたならば、自分は「もう助からないかもしれません」と脅迫することも厭わないくらいだ。何にしても、彼女の主君ならば治療はできなくても、そんじょそこらの治療属性よりも患者の状態は理解できるし、やぶれかぶれになれば治療だってできる。それなのに、完全に自制を失っている。もしも、自分が瀕死のときには絶対にこうまでみっともない姿を晒したりはしないだろう。
それにしてもジャクリーヌとはどのような外見をしているのだろうか?
しかし、イザボーは彼女に直接、出会ったことはない。彼女が瀕死の重傷を負わせたウオルシンカム家のボンボン息子を治療するのに精いっぱいで、そちらの方向に神経を向けることができなかった。しかし、疲労の極みにあっても出会わなくても、遠方から見ることぐらいはできたかもしれない。それをしなかったのは時間的な余裕のある、なし、よりも自己の脆い精神が崩れ去ることが怖かったせいかもしれない。
もしも、彼が怪我をすることがないか、致命的な深さにまで傷が及んでなければ自分がそちらに呼ばれることはなかったであろう。運命が逆に働いていれば、二人は対面していたはずである。
どうせ、運命はその方向に話を持って行っているわけだから。あの段階で会わせてくれてもよかったはずだ。それとも永遠に彼女と対面しない運命なのだろうか?いや、それはありえない。なんとなれば、彼女の主君は当該人物を護るように命じたのだから。しかし、その前に両者のうちの一人が旅立つかもしれない。運命などじっさい、その場面に出会ってみなければわからないものだ。
彼女の主君は背後で気が気でない状態だろうが、治療にかなり余裕があるイザボーはそんなことを考えていた。
やはり、ジャクリーヌがこの場に居ないことが、自分をここまで露出させる結果となったのだろうと、エレオノーラに結論付けさせた。それもすべて平静を取り戻した結果である。振り返ってみれば、ジャクリーヌによってバルベルが負傷を負わされたときはほとんど動揺がなかった。言うまでもなく、何よりも彼女に仮面の下に隠匿した事実を気づかせてはならない、という気持ちがあったからだ。
それとも仮面を被っていることで、別の人格になれたとでもいうのだろうか?魔法がかけられているわけでもないのに、そのような効能があるとは、シャンディルナゴルが賤民たちに、仮面の製造と所持を禁じた理由も、あながち、わからないでもない。そのことを知ったエレオノーラは鼻で笑ったものだが、かつて嵌めていた仮面を自分に向けて眺めてみる、はたして、ジャクリーヌはこの、何の変哲もない、賤民たちが好んで演劇で使う仮面からどんな印象を受けていたのだろうか、と。
そのとき、エレオノーラが慈しむジャクリーヌは、完全に人事不省の状態に陥っており、自分をこの部屋に押し込めたと思われる二人の男に噛みついていた。
「あ、あなた方は、私をどうするおつもりなのです?!」
空気は湿っている。口が粘ついて気持ち悪い。それは森の中という、この建物の立地条件もあるだろうが、吟遊詩人の作品でいうならば、まさに悪役を演じている気分を示しているのかもしれない。
マイケル王が少女を連れて行くのに選んだのは、シャンディルナゴルの市庁舎の近くにある森奥深くに建てられた旧い塔だった。
近くに河があるらしく、その流れが最上階にまでかなり大きな音で響くとなれば、かなりの急流らしい。
目が覚めたジャクリーヌは、一瞬、自分に何が起こったのか全く理解できなかった。完全な混乱の極みにあった。
しかし、そのとき、二人の仮面男も同様だったのである。彼女の双眸が光った瞬間に、何でもない、彼女が寝起きしている部屋に戻せばよかったと最善の解決策を思いついた。しかし、時、すでに遅し、というわけで、噛みついてくる牙に対してなんとかしなければならなくなったのである。
アンスバッハは少なくとも、仮面をつける必要性はなかったはずだ。だが、親友に引きずられるかたちで、ジャクリーヌが意識を取り戻そうとする、まさにその瞬間に、彼と同じ行動を取ってしまった。
「あ、あなたは、エ、エセックス伯爵閣下ですね、仮面を取ってもらえますか?」
「残念ながら、それはできない相談だな」
「お、女を手籠めにしようするなら、仮面が邪魔になるとおもいますが?」
少女自身、精神的混乱の極みにあり、ほとんど、自分が何を言っているのかわからない状態だった。
「べつに、そなたをどうしようというつもりはない。仮にそう思ったとしても、邪魔者がここにおるしな」
王は、自分が身分通りの口調に戻っていることに、すぐには気づかなかった。それは彼がまだ完全に平静に戻っていない証左だろう。
一方、アンスバッハは、まだ、ジャクリーヌの姉を危うく殺しかけた出来事から立ち直っていなかった。
ジャクリーヌは大人たちの混乱をよそに、自省をはじめていた。
「たしか、エカチェリーナ殿の声が聞こえたような気がするわ・・・・、あのひと、あなたの奥さんをお母上さまと叫んでいた・・・」
その言葉は、ふたりの度肝を抜いた。だが、ここは冷静になるべきだ。エレオノーラがもっとも恐れるべき最悪の事態は起きていない。もしも、エカチェリーナ、要するにバルベルがジャクリーヌを妹だと呼んだことを聴き付け、そこからふたりの男たちの親友が彼女の母親であると知られること、もしも、それが起きていれば、まっさきに彼女はそれについて言及するのが筋だろう。
だが、それは起きていない。しかし、これから起こるかもしれない。彼らは固唾をのんで事態を見守った。
その部屋に唯一置かれたベッド、彼らが少女を横たわらせたのだが、そこに再び、座りなおすと再び口を開いた。
「あのお二人は母娘だったのですね。それであなたはお父上?」
王は返答に困った。答えようによっては二重に騙すことになりかねない。
どうしていいのか迷った彼は、思わず、親友の顔に視線を移す。
もはや、嘘をついても無駄だと覚ったアンスバッハは事実を告げることにした。
「そうだ、二人は母と娘だ」
しかし、安心できない。ジャクリーヌはいったいどこまで事実に近づいているのだろう。あの気の流れだけでそこまで手が届いているのだ。ふたりの男は、ぜひとも少女の頭の中を割ってみたいと思った。
少女の方から質問が、だしぬけに飛んできた。
「どうして、あんなことになったのですか?」
「あんなこと・・・とは?」
王は、ジャクリーヌの質問に答えていないことに気付いたので、横から分け入った。
「私は彼女の父親ではない、エセックス伯爵夫人は私の妻でないゆえ・・・」
ジャクリーヌの中で、今回の食事会で鎌首を擡げていた疑問をこのふたりにぶつけてみることにした。
「みんなで、私を弄んだのですね。だけど、エカチェリーナ殿が怪我をしたのは事実のようです。そんな危険なことが起きたとは思えないのですが?」
「あの二人が口論をしたのだ。ふたりの竜騎士がそうなれば、結果は考えるまでもないだろう?」
「あのプランタジネット殿が、かっとなって刃傷沙汰に及ぶなど、考えられません」
咄嗟についた嘘だった。アンスバッハは、自分が本格的に本来の自分を見失っていることを自覚した。それは隣で雁首を並べている友人も同様である。おそらく、エレオノーラに再会したときにそのことを質すに違いない。
しかし、質された方にしても本当のことを言うとはおもえないことに気付いて、ようやく胸をなでおろす。
「いったい、何が嘘で、何が本当なんですか?私をどうしたいのですか?」
そう言って頭を抱える少女を見下ろしながら、何もできない無力な自分たちを密かに笑うことしかできなかった。
しかし、どうやら致命的な事実にまで手が届いていないことは確からしい。二人の仮面男は無言のままで肯きあった。




