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聖女1  作者: 明宏訊
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仮面を所望しに船商人を訪れる。


  気が付くとアウグストの腕を限界まで捩じりあげていたようで、少年は本当に痛そうな表情を浮かべてジャクリーヌを睨み付けていた。船商人の家族三人は、まるで野獣どうしが戦っている様子を見上げているような表情で怯えきっている。きっと、この世のものとは思えない情景に生きた心地がしないのだろう。

ここは即座にこの場所を去るべきだと判断した。そのためには出来上がった仮面を所望しなくてはならない。

「ご主人、仮面が出来上がったとききましたが、見せてもらえますか?」

 さすがに力は弱めたもののあくまでも少年を拘束したままである。彼はジャクリーヌの態度や言葉遣いにいちいち反応して鬱陶しいことこの上ない。それゆえにこうしているのだ。

「はい、すぐさま、貴族様」

 主人はさきほどの事務所に戻るなり、たいそう慌てた風体で白い仮面を携えていた。

「時間が間に合いませんで、色付けなどは最小限で済ませてしまいました・・・お気に召せば幸福、この上ありません」

 ジャクリーヌよりもはるかに生きた人にこのような下手に出られると、思わず恐縮してしまうのだが、かえってそういう態度が彼らを怯えさせるらしい。かといって、少年のような態度になれるはずがない。ちょうどいいさじ加減というものがわからない。

  色付けまでいっていないとはいえ、主人が示した仮面は木製とは思えないほどに艶があって、かつ、非常に軽い。装着してみても鉄の兜のように鬱陶しくない。そのことを仄めかすと米神の血管を浮きだたせて、さらに怯えはじめた。いや、怯えるというよりは怒りの感情だろうか、これは。

ちなみ、仮面を被る必要性から、アウグストは解放した。片手で被ってもよさそうなものだが、作品の素晴らしさから両手でそうしないと作った人に対して失礼に思えたのである。

  少年は、右腕を痛がるそぶりをしているから、相当、効いたらしい。怒りと羞恥心でめちゃくちゃになった精神を収容するのに神経を使うのに精いっぱいで外界にそれを向ける余裕はまったくないらしい。

ジャクリーヌも、仮面に夢中になりつつあり、意識野から少年を追い出しつつあった。コンコンと指で弾くとギヤマンの器のような艶やかな音を出す。それを愛でながら質問してみる。

「ご主人、これは本当に木製なのですか?」

「き、貴族様、おねがいですから、私たちに丁寧語など使わないでください、怖いです」

 横で奥さんと娘さんが同じように肯いている。

  まさか、自分の生い立ちを説明して安心してもらうわけにはいかない。おそらく、これまでの体験からジャクリーヌがよほど怒りに据えかねていて、その怒りを擬態するために優しくしてみせているのだと踏んでいるのだろう。それほどまでに彼らは貴族たちから蔑まれてきたのだし、いじめられてもきたのだろう。そう思うと、怒りが湧いてきた。少女は、賤民として育ったのだが、彼らのように貴族という存在を視野に入れて育ったわけではない。あくまでも自分たちとは関係ない人たちだと思っていた。

  6歳になっていきなり貴族だと通告されても、それもその中では最高峰である王族だと教えられても、ジャクリーヌはそれを素直に受け入れることはできなかった。貴族の代表、いわば、お手本として一緒に育てられたカトリーヌといくら仲よくなっても、彼女のようになることはなかった、貴族に対する憧れがなかったといえば嘘になるが・・・。おそらく、これからもないであろう。

  ようやく痛みから解放されたアウグストは負傷した腕を庇いながら、近づいてきた。彼がジャクリーヌを視る目は最初に出会ったころとがらりと変わっている。蔑視だけが際立っているわけではないものの、もはや同輩に投げつける視線ではないことはあきらかだ。

  それは攻撃属性としての、彼女の能力が何よりもものを言っているのであろう。しかしそれは同時に余計にギャップを生んでいる。どうしてそれほどまでの能力を有していながら、賤民などを人間扱いするのか、少女と育ちが徹底的に違う彼にはとうてい理解できないことだ。

  心ならず、金貨を投げ与えた様子から、彼が主君たるアンスバッハの命令によってやむなく、これまでのことをやっている様子が見て取れる。貴族ならば、賤民と関わることが嬉しいはずがない。ただ、生産は彼らが担っているので関わらざるを得ない。さいきんでは、商業や製造という知的な思考を必要とする行為にまで手を伸ばし、しかも、それにかなりの効果を出しているために、彼らを利用する貴族も増えた、とは、カルッカソンム侯爵の説明である。

  彼自身も、賤民や、そして、それに言及するときには、ジャクリーヌの気持ちが傷つかないように最大限の配慮をしてのことだが、彼女と関わりを持つようになって、賤民たちに人並みの思考力が備わっており、しかも、親しい人が傷ついたり、死んだりすれば悲しいという情動を持つことを知って驚いたと、感慨深げに言っていたことが印象的だった。

  帰りすがら、アウグストにそれを説いてみたが、最初の想像通りに無駄に終わったようだ。もっとも、言葉というものは後々になって影響することもありうるから、それに賭けるより他にない。

  夕日のせいかもしれないが、少年が物悲しい顔をしているのが印象的だった。ジャクリーヌは、自分の考えがふつうの貴族と乖離しているのは、その育ちが大きく寄与していると思うようになっていた。

ふと、アンスバッハ殿は、貴族が賤民と蔑む存在をどのように見ているのか、不安になってきた。飄々とした姿ばかりか、目を瞑れば浮かんでくる。何事に関しても世界とは一線を引いた、自分なりの思考方法を持ち合わせている人にみえた。だが、アウグストの反応はどうだろう。必ずしも主君と家臣が同じ思想を持っていなくてはならない、という法はない。だが、親だったり、主君だったりの考えを受け継ぐのが子供、家臣、というのは世間の視方、というものである。短い人生経験ながら、カトリーヌ本人はともかく、  その友人たちと親交を深めるにつれて学んだことも多い。

なお、最初に出会ったとき、ジャクリーヌが身分を知らされた6歳のときだと思うが、友人たちがいる部屋に入るまえに、幼いカトリーヌが囁いたことが今でも耳に木霊している。

「もしも賤民たちのことをみんなの前で話したら、一生、口を利かないからね」

  その後、カトリーヌだけにはわかってもらえると幼いながらに思ってか、盛んに議論をふっかけたが、そのときの顔がアウグストそっくりなのである。

ジャクリーヌは昔を思い出して微笑した。

それを少年に見咎められた。

「な、何を笑っておいでなのです?」

「昔、親友に同じような態度を取られたの」

 あくまでも、ようなであって同じじゃない、そう自分に同時に言い聞かせていた。

「当然でしょう、アンヌマリー殿のご友人はごく常識的なことを述べたと思いますよ。ご身分を弁えてください」

 あなたに何がわかるの、と一言、苦言を呈したくなったが、そうしなかったのは、彼女の成長を証明する出来事であろう。

「そうね、そうかもしれないわ」

  少女は話題を強いてかえることにした。

「それにしても、この仮面はいい出来だわ、とても人間業だとは思えない。たった数時間で材木をこんなにしちゃうのよ、あなたにできるかしら?」

初志が貫徹できていないことに、少女自身が気付いたのは話し終えた、ちょうど、そのときだった。

「私たちが戦っているからこそ、賤民たちは無事に暮らせるのです」

  少年もさすがに言い過ぎたと思ったらしい。お互いに無駄な干戈をしないように話題のベクトルを変えようと努力はした。

「そのご友人とはどのような方なのですか?」

「幼いころから一緒に育ったの」

「貴家にはよくあることです。我が主君もその例に漏れませんでした」

「アンスバッハ殿は、ドレスデンではかなり高い地位でいらっしゃるのね」

当然のことだが、少年はその問いに答えようとはせずにただ、前を歩き続けるだけだった。だが、何かに気付いたように立ち止まると顔半分をこちらに向けた。ちょうど夕日が当たって、青白い、それこそ病的と思われる白い顔がすこしばかり健康的に色付いていた。

「仮面舞踏会、じゃない、仮面食事会は、アンヌマリー殿が提案なされたと聞きましたが?」

「だって、サセックス伯爵夫妻がそうなさるっていうのに、私たちだけ素顔という法はないんじゃないの?それにしても、あなたは夫妻についてどのくらいの知識を持ち合わせているのかしら?」

「・・・・」

  自分の発言が藪蛇となったことに気付いた少年は、海に向かって唾を吐いた。

「貴族さまがなさることとは思えないわね」

「私はアンスバッハさまの侍従にすぎないんですよ」

「アンスバッハ殿がもしもやんごとなきお方ならば、そのような方の侍従はかなりの高位貴族の子弟と相場が決まっているはずだけど、違うようねえ、しょせんはあの人も地方の豪族にすぎないわけだ?」

「あのお方を侮辱なさるのか!?」

  はじめて、少年の真心というものを見せつけられたような気がした。その気持ちをさきほどの船商人の家族が味わった恐怖につなげてやれば、彼もすこしは理解するのではないかと思ったが、それに適当な表現を見つけられない。

  押し黙ってしまうと、逆に少年の方から言葉が飛んできた。

「どうして、あのような賤民たちにアンヌマリー殿が同情的なのか、私には理解できかねますが・・・・」

「どうしたの?」

「わかりません、そのあとにどう続けたらいいのか」

「なら、そういう気持ちを携えて、戦場に出ることね」

「私が戦場にしている場所は、あくまでもここですよ、アンヌマリー殿のように華やかに竜を駆って幅広の件を振り回すような場所と違うのです」

「それは、アンスバッハ殿もそうなのかしら?」

「私はあの方の手足の一つにすぎません。そういう意味での戦場における手足なら、いくらでもいますよ、きっと、オットーはそれにこそ向いていると思うのです、外見からは想像できませんでしょうが」

  この少年は、船商人の家でみせた悪印象とは違う顔を持っているのだと思った。主君や弟を思いやる優しい気持ちを持っているのだ。その万分の一でも、みんなが賤民と呼ぶかわいそうな人たちに向けてくれたならば、これほど嬉しいことはないのだ。さきほど、言葉が途切れたが、それが萌芽となってくれればいいと、ジャクリーヌは夕日に真っ赤に染め上げられながら思った。


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