ジャクリーヌ、招待された食事会に必要な仮面を購入するために、シャンディルナゴルの街に繰り出す。
ランズベルクなる少年が姿を消してから、ジャクリーヌはある不注意に気付いた。それはどのようにして仮面を入手すべきか、ということである。あいにくと彼女は、シャンディルナゴルの町に詳しくない。何処にそのような店があるのか、そもそも、そのような店を開く商人がいるのかもわからない。それなりに大きな都市である、この町をいい加減に歩き回って見つかるものだろうか?
しかしながら、窓の外を見るとまだ陽は高い。自分が言い出したことだから、打ち消すわけにはいかない。そう思考が動くのは真っ直ぐな性格である、彼女ゆえだろう。とりあえず、町に繰り出すことにした。
すると、まるで待ち構えていたようにランズベルク少年が話しかけてきた。
「アンヌマリーさま、仮面を所望でございますか?」
さきほどとは打って変わって、堂々たる様相である。どうしたのかと、訝っていると、その理由を彼から明かしてくれた。
「さきほど承ったのは、弟のオットーだと思いますが。容貌や背格好などは兄弟なので酷似していると思いますが、当然のことながら宿っている魂は違います」
確かにそのように名乗ったような気はする。
「私は、兄であるアウグストといいます」
「そう、アウグストどのは仮面を購入できる店に私を連れて行ってくれるのかしら?約束の時間に間に合うように」
「むろんです、参りましょう」
アウグストとともに町に繰り出したものの、不安が付きまとった。この少年にしてもシャンディルナゴルは不案内のはずではないのか?それを直に尋ねるほど、ジャクリーヌは未熟ながら人生を経験していないわけでもない。
確かに弟であるらしいオットーよりは年長にみえるが、15歳を超えているようには思えない、アウグストだが、全幅とまではいかないものの、不思議な信頼感を与える子、ではある。それはオットーがまったく信じられないというのとも違う。両者においては信頼という言葉が互いに意識、なのである。
石畳みの硬さを足の裏に感じながら、自分よりも頭一つ分くらい小さな相手に話しかけてみる。
「オットー殿から話を聞いていたようですね」
「オットーでいいですよ、アンヌマリーさまは高貴なご出身なのに居丈高ではいらっしゃらないんですね」
「あなたのご主人様は、どうかしら、アウグスト殿?」
「我が主君は、いくらでも器用に自分を変化させることが可能な方なんですよ。私たちには私たちに接するように接しますが、どこまでが自然で、どこからか作為的なのかわからなくなることは多いです」
やはり初対面の人を呼び捨てにすることは憚られる。アンスバッハ殿からある程度の知識をえているのだろうか。それゆえに初対面にもかかわらず、ここまであけすけ無く自分のことを言えるのだろうか。
そんなジャクリーヌに、アウグストなるアンスバッハの従者は少しも不快感を覚えないようだ。むしろ、気分良さげに語りかけてくる。多少なりとも才気走ったところを否定できないが、まずまずもって好感を憶えた。
あからさまにアンスバッハのこと尋ねても答えないだろう、そもそも、彼女自身が自分の正体について何も打ち明けようとしていないのだが、彼について少女は多大な興味を抱いている。だから、暗に探って見ようとした。
「ご主君のことを信頼しているのね」
「苦労に、苦労に重ねてと、本人は言っています。その結果、若白髪をこさえたのだと苦笑すること仕切りです」
あたかも、少年を通じて、アンスバッハ殿と会話をしているような気がしてきた。
あるいは、彼を通じて見えない手によって制御されて、何処かに導かれているような気もする。その生き付く先がわからないので、考えようもないが、いや、そもそもこのような考え方そのものが不健全かもしれない。とはいえ、彼女の育ち方そのものが不自然そのものといえば、それ以外の何ものでもない。
何かを言わねばならないと思って、口からこぼれたのは、あまりにもありふれた会話文だった。
「ナント語の発音は随分、きれいなのね」
「ナントの人なみに堪能な主君と会話していれば、自然と発音はよくなっていきますよ、オットーはそうでもないようですが」
「そうでもなかったわよ」
「いえ、これはあいつには外国での仕事は合わないってことだと思います。語学力はイコール、いかに自分を変容できる能力だと思っていますから」
自己を変容させるとは間諜の仕事だろうか。
この少年ならば十分にその任に堪えうるような気がする。たしかにオットーは難しいだろう。こういう人たちを使ってアンスバッハは外国を渡り歩いているのだろうか。いくら竜騎士として強くても、戦場で雄たけびを上げるよりもむしろ、そういう影の仕事の方が彼には似合っているような気がする。
何気ない会話を交わしているうちに、目抜き通りに到着した。
アウグストが連れて行ったのは、表立ってそれとわかる仮面の店ではなかった。しかし、それはジャクリーヌの、予想の範囲内だった。そもそも、彼女が知っている限り、街に仮面屋なる店を見かけたことはない。特別な祭とかそういう話でもない限り、それを商売にして生計が成り立つとはとても思えないからだ。
主人と少年の会話から、ここはあくまでも事務所であって作業場は別にあることがわかった。それは港の方にあるという。
「いったい、そちらで何を造っているのかしら?」
40歳を超えたばかりだと思われる、小髭を鼻の下に蓄えた主人は、驚いた顔でジャクリーヌを見つめた。いったい、何を畏れているのかとおもえば、彼は賤民で、自分は貴族なのだ。思い直してみれば、少年は自分よりも倍以上に生きているであろう、この人物にずいぶんな命令口調で話していたと思う。
主人は低姿勢と、怯えた声で答える。
「わたくしめは、船を商っております」
「そなたの腕は、シャンディルナゴルだけでなく、ナント全般に鳴り響くと聞く」
「いえ、いえ・・・そこまでは」
少年に褒められて嬉しいのか、顔色が猫の目のように変わる。忙しい顔だ。そして、次の瞬間にはさきほど少女と言葉を交わしたときよりもはるかに顔は真っ青になっていた。
「ここで仮面を造っていると聞いたが?」
「いえいえ、そんなおそろしいものは・・・・はい、つ、造っております・・・」
いったい、何をそんなに怯えているのだろうと、訝ると、それを察した少年が答えた。
「シャンディルナゴル、いえ、この地方では教会や領主の許可なく仮面を造ることはゆるされていないのですよ」
言い終えた後に、主人に向き直ると、慈悲の笑顔に戻ってこう質問した。
「主人、許可なくそんなことをした場合はどうなるんだっけ?」
「し、市中引き廻しのうえ、ご、獄門となります・・・・・」
「ならば、当然、主人はこんな仮面を造ったりはしていないな?」
そう言いながら、袋の中から取り出したのは白い仮面だった。目と口の部分がくりぬかれている。美術品には造詣が深くないジャクリーヌも、それがかなりの代物であることが、細かな部分と全体の造形が見事に調和していることから、よくわかる、ような気はする。
「こ、これを何処で?!」
「ほう、認めるんだね?」
「わ、わたくし目に何をお求めで?」
泣き面に蜂となったところで、アウグストはまた袋に手を入れて何かを取り出す。
おそらくは金貨が入っていると思われる袋を机上に置いた。なぜ、そうだと推察できたのかと、問われれば、単に音だと少女は答えるだろう。
いったい、何をしろという質問の機先を制して、少年はぐいと華奢な上背を机上にせり出した。その迫力で商人は胃袋を爆発させそうになった。
「あと三時間、いや、二時間で仮面を造ってほしい」
ジャクリーヌの目にも、もう無理ですよ、と彼が泣いているのがわかった。
少年はしかし容赦しない。
たしか、あそこの黄色い棚の三段目に蚤があったはずだな」
「ひえええ、どうして、それを?貴族様?!」
「もう時間がないんだ。そなたはこの美しいお嬢さまが火あぶりになるのをみたいのか?あと二時間で仮面を用意できないとそうなるんだ。このお方の顔に合わせた仮面だ。それがないと王によって・・・」
その言葉が、ジャクリーヌにわけのわからない恐怖を呼び起こさせた。小さいころから炎に対して異常な恐怖を覚えていた。それを理解してくれるのは、なぜか、カトリーヌだけだった。彼女は、初対面のときから彼女がそういう恐怖を抱いていることを知っているような気がすると言っていたのだ。
アウグストが何かを言っている。
少年は、ジャクリーヌの異常に気付いて口をパクパクさせているから、きっと、心配してくれているのだ。どうにか口を動かして、心配しなくていいと説明しなくてはならなかった。いや、それよりも仮面のことだ。なぜか、少年の嘘話が真実味をもって迫ってきた。それゆえに彼女はこう口を動かしていた。
「はやく、私の顔の寸法を測りなさい」
そう言い終えると意識を失った。
気が付くと、はたして、太陽が傾いていた。身体の上には掛物がしてある。それが動いたことに気付いたのか、そばにいた少女がジャクリーヌに平伏した。あきらかに我が命が危ないとみたのであろう。それほど貴族とは恐ろしい存在なのか。
「す、すいません、みっともない賤民ですが、貴族様がお風邪を召されるのを・・・」
「べ、別に怒っているわけではないから」と言いながら、肩を叩こうとすると、少女はまるで悪魔が傍に寄ったかのように怯えて身体を引いた。そして、たまたま入ってきた母親に泣きついた。
母親らしき女性が、ジャクリーヌの身体に布が乗っていることに気付くなり、ひれ伏して、許しを求めた。芝居でもやっているのかと、ジャクリーヌは覚醒しきらない頭を振って現実に戻ろうと血の巡りをよくする。
そんな所に入ってきたのが、アウグストだ。
「仮面ができたそうです」
彼は嬉々満面の装いで入室したのだが、ジャクリーヌを視るなり態度をがらりと変えた。ただでさえ白い額に青筋を立てている、
少女と母親は、ジャクリーヌ以上にこの少年を恐れている。それが目に見えてわかる。本能的にさっさとこの場を後にした方が良さそうだ。そう思って立ち上がったところ、はらりと布が落ちた。
「さきほどはかかっていませんでしたね・・・・」
「アウグスト、私が自分でやったのよ」
「そのような汚らわしいものを、ですか?」
とたんに、少年の目が見開いたと思うと、布が燃え上がった。その瞳孔は陽光の下にいるかのように狭まっている。
母親は少女の上から覆いかぶさるようになって、娘を守ろうとしている。
あわてて、ジャクリーヌは叫んだ。
「やめなさい」
「一体、何をやめるのです?私は何もしてないですが?」
「怯えてるじゃない」
「賤民ごときにそんな高等な感情があるとは思えませんね。見ての通り、娘を思っているような顔をしていますが、こんなものは擬態です。単に貴族のマネをしているだけなのです。いわば、猿以下の存在なのです。こんなものは、剣を使うまでもない」
そう言って、足蹴にしようとした。とたんに、ジャクリーヌは自分の身体に光沢を帯びさせるなり、素早く少年に飛びかかった。
少年は、意外そうな顔をして抗議してくる。
「…アンヌマリーさま、いったい、何をなさる。あなたほどの方が、このような賎民ごときのために能力を使われるのですか??」
少年の目はたとえようもなく澄んでいた。あきらかに悪意など感じようもない。彼は、自分が正しいことをしていると思っている。その点は、比較などしたくもないが、カトリーヌと類似点があった。彼女は、ジャクリーヌの親友は、今の少年よりも、はるかに幼かった時でも、彼らを傷つけようなどという気はなかった。教育として植えつけられた観念と、本来の優しさが葛藤して、本人からすれば理解出来ない苦しみから、あくまでも言葉の上では彼らを侮辱することばを強調していたと思う。しかしそのことでジャクリーヌを傷づけていることにも気づいていて、自分が向けた刃で自分を傷つけていた。
ジャクリーヌは唇の端を、それこそ出血する寸前まで噛んだ。
「あなたとはちがうのよ!!」
ジャクリーヌは、自分でも右手が凶暴にひかり輝いていることにきづかなかった。それはこの小さな部屋いっぱいに充満しつつあったから、なおさら、母親と少女を苦しめた。
二人の悲鳴に気がついたのか、主人が入ってきた。そして、二人のものとに駆けつけようとする。それを攻撃しようとした少年の腕を締め上げる。
「見て御覧なさい。彼らにも、貴族と同じ感情があるのよ!」
説教しながら、彼らにも、そして、貴族にも自分を当てはめていないことにきづいて愕然とした。自分は一体何者なのだろうか?




