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聖女1  作者: 明宏訊
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竜騎士試合、ロクサーヌとの試合を翌日に控えて、食事会のお誘いが。

   試合を翌日に控えて、ジャクリーヌには別段することは何もなかった。

王から、なぜか、接収した旧シャンディルナゴル市庁舎内に部屋を用意するとお達しがあったので、別に断る理由もないからそちらに居を移すことにした。

  ピエール・ポアチエという貴族ではなさそうな、全く品のない名前だったように思われる秘書か伝えに来た。

 彼が部屋からいなくなってからしばらくして、彼が試合順延を命ずる王からの伝達を担っていたことを思い出した。そして、もっと大事なことを思い出した。彼は信じられないほどに重要なものを、恭しく少女に手渡ししたのだ。その内容の重大性に思わず、劇薬を飲まされた重病人のように、目は虚ろとなり、しばらくはまともにものを考えることができずにいた。

 マフォガニーを贅沢に使ったうえに高度な彫刻が施された、机上には、何の取り止めもなく羊皮紙が置かれている。それは、王麾下の直属竜騎士団への入団契約書だった。

まずそれを目にするひとに飛び込んでくるのは、クロムウェル伯爵を授ける、という一文であろう。マイケル五世は、レイモンやビアズリーといった  従子爵クラスの貴族に伯爵位を授け、領地も加増している。だから、ありえないことではない。だが、アンヌマリーなどという、海の者とも、山の者ともしれぬ人間に受爵するなど、正気の沙汰とは思われない。よほど、彼女の戦いぶりに注目したのか、すくなくとも、少女の人柄が理由ではないことはわかる。なんとなれば、彼女にしてみれば一度も面会したことがないのだから。

陽光に当てて、契約書をひらひらさせると少女の薄い色の瞳が捉えたものがある。

 よほど、差し出す相手を信用していなければ、決して押されることのない、王の花押が少女を睨みつけている。

ちょうど大鷹を地上から見上げたかたちだが、両翼に女のものと思われる瞳があしらってある。いや、そんな生半可な表現ではなく、はっきりと、そこに眼窩が確かにあって、そこに眼球がはまっていると、言った方が適当だろう。ちなみに、女のものだというのは、あくまでも少女の直感にすぎない。

もしかして、彼女を少しでも平静に戻す魔法とおもわれるものは、外から絶えず聞こえてくる雨音だろう。

  だが、その効果も一時的なものにとどまった。しかしなお、彼女を現実に引きつけたとすれば、エベール伯爵夫人と干戈したときの記憶だろう。その目はらんらんと輝き、少女を睨めつけていた。おもえば、本格的に自分と同等の能力を持つ人間と戦った、はじめての体験だった。カトリーヌとは、ほぼ子犬や子猫同士がじゃれあっていることと、それほど大差があるわけでもない。

  彼女は、アントワーヌ王太子の母親であり、事実上後見人である、あの権力者に歯向かったいじょう、彼女はもうナント王国の軍門にいられるはずがない。

 そこまで思考を進めて、少女は苦笑するより他になかった。

べつに、彼女はシャトーブリアン王家と契約を結んでいるわけでも、門地を安堵されているわけでもないのだ。

クロムウェル伯爵になるのも、そう悪いことではない。だが、…ふいに、こ憎たらしいくらいに美しい少女の横顔が脳裏を過った。

 カトリーヌ。

幼い時からともに育ったかけがえのない友人を相手に剣を向けねばならない。

 それはありえないことだと思った。ヴェルサイユから離れた、自らの手で捨てたと断じた少女にとって、彼女は唯一の家族のような存在なのだ、生き別れたロペスピエール侯爵夫人という実母を抜きにすれば・・・。

 だが、彼女ほどナント、いや、エウロペ世界全体おいて罵倒される女性も珍しい。だから、その事実を知ったときはショックで、その夜、カトリーヌの慰めがなければ寝ることができなかった。

 そんなカトリーヌを相手に、じゃれつくならばともかく生死を賭けた戦いなどができうるはずがない。とたんに、クロムウェル伯爵という名誉ある地位が灰となった。無意識のうちに親友に悪態をついていた。何の努力もしなくても、彼女はカルッカソンム侯爵という、ナントに生まれたならば、王という特別な地位をべつにすれば誰もが羨む地位を継承できるのだ。

 それに比較して、自分はどうなのだろう?

 シャトーブリアン家の血筋であることは知っている。だが、それは公的なものではない。自分は隠匿され続けられた存在なのだ。ならば、それはなぜだろう?王太子である兄と離れ離れに育てられたのであろうか?母親は、ロペスピエール侯爵に懸想したために放逐されたのだと、小耳にはさんだことがある。それをカトリーヌに打ち明けた時に言ってくれたことが忘れられない。

「あなたを視ていれば、そんな話は嘘だって、私はわかる、私にはわかるのよ」

 親友が言ったことはただそれだけだったが、ジャクリーヌは文字通り涙を流して喜んだ。しかし疑念まで流れ去ってしまったわけではない。それは少女の心にこびり付き、時間が経過すればするほどその色を濃くしていくような気がする。

 かつて、カルッカソンム侯爵に両親について尋ねてみたことがあるが、うまくはぐらかされただけだった。情報はほとんど断片的なものにすぎない。カトリーヌに頼んで、集めてもらったが、彼女の名前を出しても、それを知っていると思われる周辺の人間たちの口は堅いという。

 それでも収集した断片を併せてみると、父親の治世の半分はほぼ、発狂していてとうてい政治にかかわることはできなかった。

 それについては二つの異なる情報がある。

 ひとつは、幼いころから病根は存在し、長じるに従って病気の度合いがひどくなり、30歳を超えるころにはほぼ他人どころか、家族と会話することも不可能になっていた。

 もうひとつは、少女には耐え難いことだが、母親である、現ロペスピエール侯爵夫人が嫁入りしてから急に精神状態に影が差しはじめた。

 それが侯爵夫人の故郷であるリッペンドロップ侯爵に伝わる魔法によって、引き起こされたという噂がある、というのだ。発狂させる動機は十分にある。宗教上の理由から離婚は認められないが、例外がある。教皇庁がその結婚を無効だと認めればよい。それには配偶者の発狂というのは、かなり優先順位が高い事由となっている。

 そのために、ロペスピエール侯爵に一目惚れをした母親が、王妃という地位を捨ててまで秘法を使った、というのだ。

 そのような謎を解決する方法を、いとも簡単にカトリーヌが言った。

「母上さまに会えばいいのよ、そして確かめてみればいい」

 そうは言っても、目下のところ夫人はロペスピエール侯爵という、ほぼナントとは別の国、いわば、敵国の中にいるのだ。リヴァプール王国に逃亡して、反シャトーブリアン家の画策をしているなどと噂する人までいる始末だ。

 ナントに反する国を敵国だと言っている自分に、少女は苦笑してしまった。自分はヴェルサイユ村のジャクリーヌではなかったのか?それがいつの間にか、巨大な陰謀やら、戦争やらに巻き込まれるうちに変わってしまった。どうやら、王太子の妹、シャトーブリアン王家の血筋ということが、いつの間にか彼女の誇りの根拠になってしまっていたようだ。

 

 確かに調べれば調べるほど謎に包まれた人では、ある。肖像画はほとんど焼かれてしまい残っていないが、カトリーヌが苦労して探し出してくれた壁画の下絵が、ジャクリーヌの手に渡っている。彼女はそれを肌身離さず持ち歩いているのだ。それが可能なほどに小さいのだが、少女にとってみれば黄金の山よりも価値がある。

 心の中で黄金の山を蹴り飛ばしたところで、ドアをノックする音に現実に強制的に帰還させられた。アンヌマリーですかと誰何する声に続いて、ドアを開けることを許可してほしい、そう少年と思われる声がした。

現実に帰還したとはいえ、まだ夢心地だったので、アンヌマリーとは誰のことだったかと、訝ったほどだ。しかしすぐに竜騎士試合に参加するための偽名だということを思い出した。

許可と出すと、ドアが開き、恭しい態度で侍従と思われる少年が姿を表した。まず身分を尋ねる。

「私はアンスバッハさまの侍従です」

「そう言うように教えられているのね。せめて名前ぐらい教えてくれてもいいと思うわ」

「オットー・フォン・ランズベルクといいます」

 髪、肌、目の色ともに確かにドレスデン人に特有の風貌である。彼らや彼女らは、エカチェリーナほどではないが、総じて、それらがナントやリヴァプールの人よりも薄い。

カトリーヌが、身分の低い者たちに対する態度をまねてみた。

「それで、ランズベルクどのは主人からどのような頼みごとを受けてきたの?」

 頼みごととは、命令のことだが、それをあからさまに言わないのが流行っているらしい。しかし少年は意外な顔をして答えた。

「今宵、食事にお誘いしたいということです」

「他の参加者は?まだ依頼者、ということだが?」

「エセックス伯爵、エセックス伯爵夫人、エカチェリーナ殿、以上です」

 エカチェリーナの名前が出てきたところで、すでに少女の返事は決まっていたが、すぐには答えないのが貴族社会の無言のルールである。しかし、エッセクス伯爵夫妻とは何者であろうか?考えあぐねているところに、少年が付け加えるように言った。

「伯爵夫妻に関しては、予め補足したいことがあります。もしも、ご出席ならば、太陽が羊の頭の角度に落ちたころに、お迎えにあがります。なお、仮面をつけての参加をお許し願いたいと言うことです」

「食事に仮面を?まるで仮面舞踏会じゃないいや、仮面食事会かしら?」

 言い終わると同時にこういうとき、カトリーヌならどんな気の利いた返事をするかと考えた。

「それでは、私も仮面を被って出席することに、もしも、出席するならば、ですけど、そうさせてもらいます」

「そのことは、皆さまにご報告あってよろしいでしょうか?」

 少年はまだこういう仕事に慣れていないのか、おどおどしているのが手に取るようにわかる。べつに初心な子供をいじめる趣味は、ジャクリーヌは持ち合わせていないので、務めて優しく了承と答えて帰した。

もちろん、この時点で、貴族社会に生きるものならば、彼女が食事に出席することを了承しているはずである。だが、不安になったので、扉を開けると少年を追いかけた。

「ランズベルクどの、忘れ物よ」とコインを握らせると同時に、出席する旨を彼の真っ赤になった耳に囁いた。こういうことは、やはりカトリーヌの領分だと思いながら、やはり、貴族社会で育たなかった自分には不向きなのだと、つくづく思うのだった。少年は、何度も頭を下げた後に、足をふらつかせながら主人の下へと戻って行った。


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