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聖女1  作者: 明宏訊
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竜騎士試合、母娘決戦前夜



  ロクサーヌは、マイケル王が接収したシャンディルナゴル市庁舎の奥に特別に用意された部屋で休んでいる。傍らには、イザボーという治療属性の少女が寄り添っている。

「本当によかったです。お方さま」

「何ダ、可愛イ子ヨ」

 ロクサーヌは、ドレスデン語の慣用句を使った。しかし生まれは当地とはいえ、そこで暮らしたのはわずか生後2年にすぎない。だからほとんどおぼえていないのだ。覚えているとすれば、父親の怒声と、母親らしき女性が自分を庇う、らしい語句の羅列だけだった。彼女にとってドレスデン語とはあくまでも習う語学にすぎず、あくまでも母国語はナント語となっている。

「それにしても、あの話は本当なのですか?2歳の私が賎民を治療したというのは?」

「そなたの母親からじかに聞いた話だ」

イザボーは、主君の長い睫を見つめながら畳み掛けた。

「それが原因で父から殺されかけた、というのも真実ですか?」

「そうだ、ドレスデンにろくな男はいない。筆頭に挙げられるのは、父君と叔父上だが、あのハインリヒなんて、その筆頭どころか、あいつのばかぶりは、ドレスデンそのものを象徴しているといっていい…痛」

「傷が開きましてよ、お方さま、口が過ぎるからです。神聖ミラノ皇帝の皇子さまにたいしてしつれいですわ。あの方は、私が知っているどんなドレスデン男よりも伊達ですわ」

「あの泣き虫が時期皇帝などと、帝国もすでに終わったということだ」

「えらい言われようだな、ロクサーヌ」

そこに姿を現したのは、アンスバッハことハインリヒ・フォン・レーゲンスボルン、神聖ミラノ帝国皇太子とマイケル王だった。

 王は、夫人が寝ているベッドの側に置かれている椅子にどかっと座ると、 イザボーの方角に目さえ向けずに言った。

「すまぬが、席を外してくれ」

「ミッシェル、イザボーは我が娘も同様だ」

「いえ、お方さま、ウオルシンカム殿の治療もありますれば、退出させていただきます」

本当のところを言えば、少女は涙を見せたくなかったのである。我が主君ながら、口は悪いし、人使いは悪いし、性格を言えばもはや論評するまでもない、と無い無い尽くしなのだが、いざここぞという時に、人の心を突き刺す一語をはなつ。しかしそれは少女には辛すぎるしうちである。何度、主君のことを「母上さま」と呼びかけそうになったかわからない。

思わず、中庭が見通せるバルコニーに逃げ出した。そこでなら思いっきり涙が流せる。彼女らしくない要素を他人に見せるリスクは半減するだろう。しかし、満月に目撃されることを免れるのはむずかしいだろう。夜の闇は優しく少女を慰めてくれるかもしれないが。 

 3歳になった直後にドレスデンを離れた彼女は、実の両親を知らない。老女を通じての交信を私信で頻繁に行うわけにはいかず、どういう理由なのか、むこうかから一方的に切られたようで、返事も帰ってこなくなった。

一度、夫人が老女を通じて実母を、その件に関して叱責している場面を目撃したことがある。見てはならぬものを目にしたと思い、即座に逃げだしたので、返事がどうだったのか、未だにわからずじまいとなっている。

こういうとき、攻撃属性だったらどれほど楽だろうか、と考えることがある。同じ攻撃属性と、模擬戦でもいいからぶつかり合えばすこしはすっとするだろうか?

  あいにくと、治療属性どうしだと、相手の血液を互いに呪いあうといったような、陰険な方法でしか対戦することができない。溜まりに溜まったストレスが互いの人格を崩壊に導くことだろう。

 だが、そんなイザボーでも破壊できるものがある。

たとえば、あそこに立っている彫像。あまりに暗いので詳細は分からないが、おそらくは聖母ウェヌスだろう。

治療属性と入っても、まったく攻撃能力がないわけではない。彼女ほどの血の階梯ならば、竜騎士同士の戦いに耐えないというだけで、彫刻一個を破壊するくらいなんでもない。ほぼ無意識の腕を上げようとした瞬間に腕を誰かに取られた。

桎梏の空から降ってきた声は、ドレスデン語だった。

「あの彫刻は、シャンディナゴルの象徴的存在で、そうとうな価値があるぞ、好事家どもが涙を流して悲しむだろうよ」

「で、殿下、ご無礼を・・・・」

「畏まる必要はない、イザボー、ミッシェルのことは許してやってくれ。あいつは親友が危機となると、他の事が見えなくなる。傍にいて傷心の少女がいることなどお構いなくな」

「で、殿下・・・」

「ここでは殿下はやめてくれ、あくまでもリヴァプール王の友人である、ハンス・アンスバッハにすぎないのだ。まあ友人という特権によってここにも、ほぼ黙認の状態で入り込めるわけだが」

「私は、あのジャクリーヌという人に嫉妬しています」

「あの子が、そなたの境遇を知ったら、こころから羨ましいと思うかもしれないぞ」

 そんなことはわかっています、という言葉を呑み込んで異能の治療属性は満月に照らし出される中庭を見やった。銀色に照らしだれた花々や木々が普段とは違う装いを愉しんでいる。あこれこそが自分の立場のような気がした。そして、あのジャクリーヌは眩い太陽に照らし出された、心温まる光景なのだ。何という差であろうか、いくら、実母と離れて育てられたからといって、それはしかし、自分と何ら差があるわけではない。

 しかし・・・・。

 イザボーは、まだ幼児の時代、主君を治療したときのことを思い出した。牢獄から命からがら逃げだしたとき、主君は出産した直後だったのだ。あの時の嘆きようを思えば、自分がいかに醜い心に染まっていたのか、それを如実に銀色に照らし出される庭園に映されているような気がして、思わず赤面した。

 そういう自分を誤魔化すためにも、わざと堅い話に逃げ出すことにした。

「でん・・・いえ、アンスバッハ殿、ドレスデンは中原をどのような目でみているのですか?」

「それは優れて無意味な言い方になるな。かつてドレスデンが一枚岩になったことなど、有史以来、一度もない。皇帝の下にも、以下同文だ」

「神聖ミラノ帝国などというたいそうな冠を戴いているものの、ナヴァロンやナント以上に割拠していますから」

 こういう話になれば、彼女得意の鉄面皮に戻ることができる。皮を厚くしてそのなかに煮えたぎる感情を隠しきるのだ。

中原ナントに野心を持つ貴族は多い。エレオノーラがもっとも危惧するのは、なんといってもあいつの実家だろう」

「リッペンドロップ家!?」

 侯爵夫人は、ドレスデンの名家、リッペンドロップ家の長女である。当地での名前はエレオノーラ・フォン・リッペンドロップだった。嫁入りする際に母国での名前は完全に捨てるという風習から、ヴァランティーヌ・ド・シャトーブリアンというナント語名を賜ったのである。

「あいつは誰が何と言おうと、エレオノーラなのだ。あのとき、彼女ほど幸福にならなくてはならない少女はいないと思っていた。それがどうして、こんなことに・・・」

 帝国の皇太子は、桎梏の闇に拳を振り向けた。そして、痛いほど握りつぶす。それが、月光の下であってもわかるくらいだから、イザボーは、厚くした皮の下で慌てた。

 思わず手を差し伸べて、治療属性の本領を発揮する。

「エレオノーラは優しい子が傍にいて羨ましいな」

「や、やめてください、殿下・・・・」

 お互いにただ黙って漆黒の闇とそれぞれ対するしかすることを見つけられなかった。


 一方、二人が頭の中で描いているエレオノーラの部屋には、マイケル王がやってきていた。

 「アルチュールは一命を取り留めたばかりか、食欲すら戻ってきたようだ。差し出された食事を平らげたそうだ」

「ふふ、天下のリヴァプール王がそんなことを気にするだなんて、エウロペ諸国の貴顕たちが知ったらどういう顔をするかしら?」

 夫人は、椅子を最大限に傾けてベッドの代わりにしている。親友であるミッシェル、でなければあり得ないポーズである。夫人は本を顔に被せたまま言葉を発している。

「君だって、イザボーを大事にしてるじゃないか?」

「あの子は私の娘も同様、しかも、一族の人間であるし」

 エレオノーラは、突然、腰を起こした。そのために顔に乗せている本を落としてしまった。

「やれやれ貴重な本をこんな扱いするとは、修道士たちが泣くだろうな」

 王は、本を拾って、呆れ顔で親友に示す。一冊あれば賤民が一年間ほど生きていけるだけの価値がある。わざわざ、それを彼女に説明する気にもならない。これから、彼女が自分に対して浴びせるであろう、非難の言葉を思えば、気が引けるというものだ。王は、壊れかけた椅子に腰かけた。ギイギイと悲鳴を上げずには、椅子としてはいられなかった。

 いつまで経っても、夫人が切り出さないので、こちらからあえて火事に飛び込むことにした。

「エレオノーラ、私に言いたいことがあるんだろう?」

「どうして順延などを考えた?」

 いつもながら直截的だなと、王は煩悶した。どう答えていいのかと、人差し指を天に向けて顔に当てる、いつもの彼一流の思考中というプラカードをぶらぶらと見せつける。しかし、親友の一途な目から推定して、どうやら彼女はそんなものを考慮する気はさらさないようだ。

「私のことを考えたうえなのか?それならば余計なお世話だ」

「そういうと思っていたよ。私としては、ジャクリーヌの精神的な影響を考えただけだよ、お前たちの戦いがみたいだけさ、ちゃんとダメージを修正した後のね、肉体的にも、精神的にも」

 「ミッシェル!はっきり言ったらどうだ?お前のことが心配だと」

「今のお前に、子供のころに見せた優しさを露わにするつもりはない。おしとやかなエレオノーラ姫様はもうどこにもいないんだ」

「わかった、そなたになら言ってもいいだろう。私はもう限界だ。これ以上、大切なものを奪われたくない。あの子に再会してその思いは募るばかりだ。どうして、世界はこれ以上、私から大事なものを奪ってばかりなのか?与えておいて、生半可に喜ばせておいて奪うのだ。なんと残酷な・・・」

 「いっそのこと、エウロペ全体を不幸に巻き込みたい、か?」

「そなた、よくもそんなことがいえる!?」

 無意識のうちに親友の身体に拳を、夫人は向けていた。彼は正面からそれを受け止めた。

「どうして抵抗しない?ミッシェル?」

「す、少しは気が楽になったか?エレオノーラ?」

「わ、悪かった、ミッシェル、わざと私にこんなことをさせるために?イザボーをすぐに呼ぼう」

「いや、いい、エレオノーラ、よく聞け、わかっていると思うが、私は、ミッシェルではなく、マイケル5世である、いや、すでにすぎない、ということをな」

「・・・・・・・・・」

 もはや、エレオノーラは何も言えなかった。なんとなれば、親友が言いたいことが痛いほどわかるからだ。


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