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聖女1  作者: 明宏訊
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ヴェルサイユ村の少女ジャクリーヌ

 生れついだ運命によって、高貴な血に生まれたジャクリーヌはヴェルサイユという寒村の家で育てられる。

 12歳の少女、マリーは俗に幸運の村と呼ばれるヴェルサイユという小さいが豊な村に住んでいる。何故にそう呼ばれるかというと、ここ16年近くというものの一切、夜盗の類が村の中は当然のこと周囲、数十里にわたってそのような犯罪者が出たと聞いたことがない。彼女は富農の四女である。

 それゆえに水汲みのような雑用は、付近に住む小作人や農奴たちの子供たちのようにする必要がないし、もしも家の雇人になど見つかれば「お嬢様、何をなさっておられるのです?」と恐縮されるばかりか、嫌がられるのである。なんとなれば彼らが両親に叱責されるからだ。

  だが、彼女はそれでも働き者を装ってみなに好かれたいために、真冬の早朝にこんな重いものを持って運ぶのだ。家でもっとも大切にされているのは三女の姉さん、ジャクリーヌである。彼女を巡って、自分と他の家族の間には亀裂があることを少女は感じてきた、具体的にその正体はわからないが。


 どんなに頑張っても姉さんのようにはちやほやされない、そのことだけは幼い時から理屈ではなく、実感として少女の身に染みていた。あきらかに姉さんは彼女とは血が違うのである。外見的な美しさだけでなく、身体の中心から光のようなものが迸っている。かつて、少女は・・・そのような光を内側から放つ人間に出会ったことがあった。とある貴族の婦人がヴェルサイユ村に逗留したことがあるのだが、豪華な馬車から降りてきた人は、それこそ小さな太陽を布で隠したかのように、光が漏れ出ていた、とにかくそのようにしか表現できないほど眩しかった。

 たしか、姉さんだけが呼ばれていったと、少女は記憶している。何分、記憶も定かではないほど幼いころのことなので、確かにこうだとは断定できないのが残念だ。だが、その光だけはよく覚えている。それと似たような輝きを姉から迸るのを何度か見かけたことがある。彼女は戸口で待っていた。

 姉のジャクリーヌは、自分の妹が重いバケツのせいでよたよたになっている姿を見るや、整った口元を歪めた。

「何をしてるの?あなたがそんなことをするから、シャルルがお父さんに鞭で打たれるんじゃない。お嬢さんが働いているのに、お前は怠けてるって」

 シャルルとは小作農の倅のことだ。

「姉さんこそ、お勉強しなくていいの?お母さんに叱られるわよ」

「とっくに済ませたわよ、さあ、渡しなさい」

 バケツを少女がそうするよりもはるかに楽に持ち上げると、家の中へと誘う。四女がやっていることを、家族のだれもがほめてくれるのに、姉さんだけはいい顔をしない。

 母親が縫い物をしている。この家はかなり豊かな家であって、ちょっとした小領主程度の生活程度だとか、大人たちが難しい話をしていた。マリーと呼ばれる四女が理解できたのは、姉が噛み砕いて教えてくれたおかげである。しかし何もうれしくない。彼女はこの家で孤立している気がするからだ。

 母親がマリーとジャクリーヌを交互に見比べる。マリーに言わせるとそのまなざしが違うというのである。といっても、シャルル以外には言ったことがない。しかし寡黙というにはあまりも無口すぎて、ただ頷くだけであって本当に四女の言葉を聴いているのかわからない。 #twnovel

 あきらかに、母親はジャクリーヌにより情愛の色を瞳に忍び込ませている、というのである。うんうんと、シャルルは洗濯物を川の水につけながら、あくまでもかたちだけは聞いていたものだ。そのことを姉に直言してみようとは思わなかった理由は、自身は姉に厚遇されていたからである。

誰にでも優しいジャクリーヌであるが、四女に対する猫かわいがりぶりは、 ヴェルサイユ村でも有名であった。ほかの村と比較してありえないくらいに平和なだけに、そのような他愛のないことがトップニュースとなるのである。だが、だれも当の四女がジェラシーで苦しんでいることは知らない。

 しかしながら、妹以上に、いや、比較にならないくらいに疎外感を幼いころから感じていたのは、ほかならぬジャクリーヌだった。幼いころにすでに悟っていて、6歳になったある日、家族から打ち明けられて、生涯の師となるべく人物を目の当りした彼女は来るべく日が来たと思ったにすぎない。

 両親に連れられて、ある日の夜、ジャクリーヌは家を出た。10歳ほど年長だった姉と兄はやはり来るべき時が来たという顔をしていた。もちろん、供回りはかなりの数が従っていたとおもうが、後にあっては良く覚えていない。教会に行くと馬車とそれを守るように竜騎士が周囲を警戒していた。

 

 そのとき、少女は竜というものを生まれてはじめてみた。戦場か、ナルボンヌまでいかなくてもそれなりの大都市でなければ、お目にかかれるものではない。それに竜騎士が傍にいない場合、近づいたものは青い血を体内に巡らす貴族でなければ、炎で一瞬のうちに灰になるという。

月光を受けて竜たちは妖しく輝いていた。いくら竜騎士たちが傍にいるとはいえ、ジャクリーヌは恐れ戦いていた。それは両親やその他の供回りたちも同じだった。彼らは何故か自分に纏わりついてくる。なぜか自分に助けを求めているように思えてならなかった。 

 月光の助けを得て、少女は母親の双眸を確認することができた。幼心にも疎外感を味わっていた彼女だが、そのとき、視界に入った母親からはそれらしい情愛というよりはむしろ畏敬の念が強かった。その理由がはっきりするときがやってきた。それはふいに少女の前に姿を現した。

 馬車から姿を見せたのは、黒い男だった。少なくとも、少女の、カルッカソンム侯爵への第一印象はそれほど、いや、それほどどころかかかなり悪いものだった。巨大な黒い影に見えたのは、夜の闇に消える紺のマントに身を包んでいたからだ。闇に身分を隠すならば黒よりも紺が最適だ。

 しかし少女には桎梏の黒にしかみえなかった。それが近づいてくると、両親をはじめとする大人たちが跪いた。今まで、村民のだれからもそのように仰がれる存在である両親が逆にそういう立場に換っている。それを、全く具体的な理由はわからないが、ありうべき姿に少女は思えた。

だが、一方でこの両親の娘という立場を、心が、身体が、忘れたわけもなく、両親に叱られると思って自分も同じ姿勢を取ろうとした。そのとき、母親が決定的な一言を口にした。

「あなたさまは、私たちに倣ってはいけません・・・」

 語尾は聞き取れなかったが、涙ぐんだように思えた。

 まるで天から降りてくるような声が、少女の名前を呼び、久しぶりだと言ったが、ジャクリーヌはそれを見知らぬ外国語のようにしか受け取れなかった。そして、両親の名前を、まるで墓碑銘をなぞるように言うと、二人はさらに畏まった。 

「我々は単なる土豪にございます・・」

 父親の声である。

つい先ほど聞いたばかりのはずなのに、何年ぶりに聞いたかのような気分になった。それは少女にとって新鮮な感覚だった。それはこの黒い影にも同じことがいえる。

「私は、赤い血の賤民などに大事な血族を預けたりはしない。端くれとはいえ、そなたらも貴族だ。自覚せよ」

両親はなおも畏まる。

 教会から聖職者が出てきて、両親と少女、そしてその大柄な黒いい影、彼に対する丁重さは普段の彼からとても想像できないレベルであった。しかしそれは少女に対する態度にも同じことが言えた。親しみやすい性格なはずなのに、完全に別人となってしまっている。

 古代の異教徒の有名な学者によると、この世のことはすべてほかの世界の似姿であって、この世のあらゆる有象無象は嘘であるらしいが、あたかも自分以外のすべてのものがそうなってしまったように見受けられる。だが、自分以外に、この黒い影は・・、彼は教会に入るなりマントを・・・取り去った。するとジャクリーヌが目の当たりにしたのは、立派な髭を蓄えた竜騎士だった。教会に入るまで気づかなかったが、彼は黒い仮面をかぶっていた。それをも取り去ったのである。少女は思わず抱きつきたくなった。それほど意外な優しさに満ちた顔つきだった。彼は少女に歩み寄った。


 彼は名乗って自分の身分を明かすと、少女が血族だとも言った。それは両親が真実の親ではないことを自ずから意味していたが、彼女はそれに関して何ら違和感を覚えなかった。すべてアプリオリに知っていたような気がする。だが、彼女とて6歳の少女、両親に対する愛着が嘘になるわけではない。

新たなる自我の発生にジャクリーヌは戸惑っていた。両親は、ないも男の足元にひれ伏している。

「よくぞ、わが血族を守ってくれた。これからも頼みたい。私もちょくちょくと姿を現す。これからは身分に相応しい教育をせねばならない」

 聖職者が口を挟んだ。

「閣下、大変に聡明な方です」

 聖職者は、普段、勉強で使っている言葉を使うように少女に促した。するとみるみるまに竜騎士の顔色が変わった。しかし怒り出したというのではなく、哀しみがその青い双眸に湛えられていた。彼も、少女と同じ言語を使った。「なんという、完璧な発音と文法・・・血のなせる業か?それとも?」

 竜騎士はとたんに目つき鋭く聖職者を睨み付けた。

「まさか無理強いしたわけでもあるまいな」

「いえ、そんなことはありません。まるでペンがインクを吸い取るような聡明ぶりでございます」

「そうか、それはよかった。この子にはその辺の属性があるのかもしれないな」

 言葉の音質を変えて、騎士は言った。

 ジャクリーヌが確かに理解していることは、自分には行く先の決定権がまったくない、ということだけだった。まだ運命という言葉自体は知っていても、その本質は全く理解していなかった6歳の少女、いや、いまだ幼女と言った方が適当かもしれない、そんな彼女は胸のつかえの本質を知った。

少女は衝撃の事実を知らされた。政治的な理由によって実母から引き離されたこと、侯爵本人がその企てに加わった人であること、ヴェルサイユ村は、ほぼ彼女のためだけに編成された人工的な村であること、それらを告げられたのである。「村民のほとんどは騎士階級なのだ」

 侯爵は付け加えた。そうなればジャクリーヌが自然と問いたく質問は決まってくる。「私の両親はどんな人たちなのですか?侯爵閣下」少女の振る舞いを見て、侯爵は機嫌を悪くしたが、それは彼女が理由ではなかった。「そなたたちはどのように彼女に接していたのだ?」

じろりと両親を睨み付けた。

「6歳まではふつうにお育てしろと言ったはずだが?子供はどのような身分に生まれようとも泥にまみれてくらすべきなのだ」

自分に対して敬語を使ったことに、ジャクリーヌは目敏く気づいた。

「私の両親は王家に連なる人なのですか?」

侯爵自身が遠いが王家に連なるもの。となれば・・・侯爵が敬語を使う対象としては、それ以外にありえない。6歳の子供がそれを洞察しているのだ。もはや、オトナの教育次第でどうしようもなるものではない。きっと、それこそが少女の属性なのだと侯爵は理解した。そして、それについても真実を告げねばならないと観念した。

「あなたさまのご生母は王妃さま、そして、父上は陛下・・・ナント王マクシミリアン2世陛下」

「それはかっこ付けということですね」

 今度は侯爵が驚愕する番だった。これが本当に6歳の子供だろうか?もしも男なれば、いや、そうでなくても次代の王を継ぐにふさわしいとナントの貴族たちはみなすにちがいない。

当時、ジャクリーヌの聡明さを侯爵はどのような顔で受け入れるべきなのか、迷った。対リヴァプール戦役は膠着から敗色が濃厚にすでになっていた。ただでさえ、王太子は、前王妃による心無い宣言のために信頼を失い、 有力諸侯の離反が、さすがに表には姿を見せないものの・・・水面下では、五賢侯と呼ばれるうちの一人である侯爵を苛立たせるほどに、貴族たちは仲間内で争い始めていたのである。そんなところにこの少女が投じられたら、どのような化学反応を示すだろうか?想像しただけで空恐ろしい。ヴェルサイユに隠匿するという自身の策は当を得ていた。

もしかしたらこのまま亡き者にすることが一番の良策ではないのか、侯爵は剣に手が伸びていた。完全な攻撃属性の貴族である彼ならば、指一本すら使わずに、そして、この場にいる誰にも知られずに目的を全うすることができる。しかしそれは貴族に対して無礼、いや、彼女は対等以上・・・そんな相手に剣以外の手段で殺すことはとうていありえないし、貴族たちも認めないであろう。頑是ない王太子の顔が浮かぶ。長男を筆頭に5人の息子を戦争で失った彼にとって、わが子とも思い養育してきた。完全に暗愚というならば、話は早かったのだが、事実はそうではなかった。

 なんとしても王太子を、全ナント貴族が納得するかたちで即位させたい。それが侯爵の人生の目的となっていた。だが、少女は殺すにはあまりにも、彼自身が冷酷になれなかった。というよりはあえて名声を気にしている自分に羞恥心すら感じた。結果として自らが養育係となることを決心した。

ジャクリーヌが事実を知らされたとき、四女はまだ乳飲み子だった。それゆえに家族の間に亀裂が生じた。彼女の秘密を知っている、当時はすでにハイティーンになっていた姉と兄、そして知る由もない四女である。彼女はこの村の所以も、そして、自身の正体すら知らされなかった。

 ジャクリーヌはその辺が気がかりだったが、必要以上に事実を知らせるべきではない、ということで両親の意見は一致していた。なお、富農を守っているかたちで農夫や牧童をさせられている騎士階級の人たちは、あくまでも軍事機密のために集められているにすぎず・・・・・重要なことはほとんど知らされていない。ヴェルサイユ村入りするときも紺色のマントで全身を隠していた所以である。ただ竜騎士を率いていたために、只者ではないことくらいは、彼らも推察できたことであろう。ジャクリーヌが事実を知らされてからは、みな、彼女を腫物でも・・・・扱うようになったために、四女たるマリーの焦燥はどんどん拡大していくことになった。それだけでなく毎週土曜の夜になると何処へともなく出かけていくのだった。本人は当然のこと、家族の誰に聞いても、満足な解答を得ることができなかったので、ついに、ある夜、ある決心をした。

 それは密かにジャクリーヌに付いて行こうと考えたのである。しかし以前から姉が異常に勘がいいことをマリーは知っていた。そのために最初は遠くから眺めるこしかできなかった。それでも、村はずれのとある祠で独り待っている彼女に、空から異形のものが飛んでくるのが見えた。


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