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聖女1  作者: 明宏訊
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竜騎士試合、白熱のアンスバッハ対仮面の竜騎士戦。

 もしかして、今度こそ本当に死人が出るかもしれない。

竜騎士からぬ思いに身を震わせているのは、アンヌマリーこと、ジャクリーヌである。

 ここは、選手が控え室に使っている地下である。大地の神が守護、及び、癒してくれるというので歴史的に選手の控え室には地下が使われるのだと、今日の今日まで知らなかった。

いま、地上では、仮面の竜騎士とアンスバッハが宙空で対峙している。それは、自分と傍で座っているエカチェリーナ殿が戦ったときとは大人の喧嘩と子供のそれくらいの格差があるような気がした。


 少女は、両手を合わせて膝の上で震えていた。それを止めてくれたのは、いきなり横から伸びてきた白い手だった。さきほど、ジャクリーヌと死闘を演じた、エカチェリーナ・アシュケナージである。

 彼女が住まう国はほとんど太陽が指さないのだろうか?本当に白い。

こうして自分のそれと比較するとよくわかるのだが、寒い国の出身らしく永久凍土のようだ。しかしながらそれはとても温かいものだった。摑まれたとき、一瞬、冷たいと錯誤したのは自分自身が外部のものを一切拒絶していたせいかもしれない。

凍っていたのは、彼女の手ではなく、ジャクリーヌの心だった。彼女の手によって温められることによって、ようやく人としての感覚を取り戻す契機ができた。

しかも、彼女の優しさは押し付けがましいところはなく、わかりもしないのに、知ったかぶりをするようなところはなかった。

「怖いの?」

ただ、一言、そう質問してくれた。

「笑うかもしれないけど、今度こそ、死人が出るかもしれない。実戦じゃないのに、どうしてここまで真剣にやらないといけないの?私、わからないわ!」

 やりとりが進むに連れて、自分が激昂して行くことが不思議でたまらない。あたかも、行き場を失っていた水流が、妨害物が取り除かれたために、一気に下流へと怒濤のように流れ去って行くようだ。

ふと、優しい声が囁いた。

「ごめんなさいね、あなたは勇気がなかったわけじゃなかったのね」

ききなれない外国語訛りが、かえって、心を安らかにしてくれる。これが歌ならば、もっと、そうなれるだろう。

「エカチェリーナ殿、お国の歌でも歌ってくれない?」

「え?私が?!」

 ちょっと、出し抜けすぎただろうかと、少女は後悔した、リュートでもあれば、これで、一曲どう?と自然な誘い方ができたのだが。


 こんなことを話している最中にも、二人の剣豪は長槍を干戈させあっている。互いにぶつけ合う気の大きさは少女たちの予想をはるかに超えていた。本物の殺し合いにしかみえない。そういう思いがこのような会話に逃亡させたのだろう。


 エカチェリーナの、歌声と呼ぶにはあまりにも抑揚も戦慄もない響きが木霊する。いや、あくまでも彼女なりのものであろうが、両者ともに存在するのかもしれないが、あくまでも、彼女の閉じられた世界のみに通用する音楽理論であろう。

思わず肩甲骨が外れるほどの脱力感が肩にのしかかってくる。いままで、彼女が感じていた緊張がまるで嘘のようだ。

彼女の歌声は、強烈で、かつ、遠大だった。さきほど、この歌手を治療した 少女が、毛血相を変えて駆け込んできた。どうやら彼女たちが治療に使っている部屋にまで響いていたらしい。


「あなた、試合で殺さずに歌で殺すつもりですか?イザボーさまが治療に当たっておられるのですよ!」

その一言が、この白い肌の歌手の歌唱力を控え目に論評して居た。

しかし、一曲、終わったのちの、自己評価はこんなものだった。

「たいしたことなかった?そうね、怪我しているから、インパクトが欠けていたわ。それって、治療属性さん、あなたのせいじゃなくて?」

 暴走歌手の自己評価が終わるか、終わらないか、ちょうどそのときにふたりの竜騎士の全身を衝撃が貫いた。

ジャクリーヌはすでにエカチェリーナの言葉を聞いていなかったし、本人もじぶんのことばに耳を傾けていない。

 いま、競技場で二人の竜騎士が必死の激突を演じた。それにもかかわらず会場は沈黙している。あまりにも真剣勝負が、試合の度合いを超越しているせいだろう。彼らは、あたかも血なまぐさい戦場に身を置いている気分になっているにちがいない。

 少女が泣き叫んだ。

「と、止めないと、あれじゃ、ふたりとも死んじゃう!」

「何を馬鹿なことを言ってるの?!」

理性は、少女の言っていることを本気に取らないが、感情は、本当にそのような愚かな行為をしでかしかねないと告げている。あたかも、そんなことが現実化することを止めるためのように、はるか遠方の北国から来た竜騎士は、自分の方が、身体が大きいことを利用して、ジャクリーヌを背中から抱き留めた。

何を思ったのか、彼女は自分の口から何かを発した。それはここにいるあらゆる人々にとって外国語だった。だれひとりとしてしらなかったが、おそらく彼女の母国語であることは容易に想像が可能だった。


 なんて美しい声だろうか、歌唱と比較するとはまるで別人のそれのようだ。みなをうっとりさせる。


 魔法に呪文が必要などというのは、しょせんは、賤民たちの迷信にすぎない。だが、彼女の言葉があまりにも魅惑的だったせいかもしれない。ジャクリーヌをふくめた、みなが、幼い頃に聴いた乳母の子守歌をおもいださずにはいられなかった。何らかの魔法の果実とでも言うべき現象が起きるのではないかと、みなが期待した。


 だが、麻薬が効力を示すにあたっては、それなりの限界というものがある。北方の竜騎士の美しい声も、少女から激情を完全に奪い取る能力は持ち合わせていなかった。

激しいふたりの竜騎士による干戈が、少女の五感に何かを訴えかけると、少女の精神を再び過度に揺さぶらずにはおかなかった。

少女は思わず叫ばずにはいられなくなった。

「お、お願い、アンスバッハどの!…さまを殺さないで!」

 ドレスデンの竜騎士の槍先が仮面を掠めた、その瞬間にジャクリーヌの声は絶叫に変わった。彼女はもはや自分が何を口走っているのか、全く理解していない。だが、感情の奥深いところでは理解しているはずだ。


彼女を、まるで暴れ馬を御するように少女の背中に押し乗っている、エカチェリーナはすべてに気付いているだけに何も言えなかった。

あの仮面の竜騎士は、あえて否定もしなかった。はぐらかすこともしなかった。

 ジャクリーヌが声にならない声を届かせようとしている場所は、控え室から歩いて数分で到着するほど隣接している、闘技場である。

ふたりの竜騎士たちは、これから戦場を駆けずり回ってきた経験から得てきた経験の全てを出し切って対峙している。

ぶつかっていないときでさえ、見えない手足を使って格闘している。たとえ、戦場はおろか、武術というものに全く無縁なひとたちにすら、それを確信させるほどにこの戦いは迫真に満ちていた。

長槍というのは相手を攻撃するにはたいへんに不便な武器である。近接戦闘ではほとんど武器としての機能を果たさないというおまけつきなのだ。

限定された武器で試合を開催するからこそ、ある意味儀式的なトーナメントが可能なのである。魔法でもなんでもありならば、それは戦場で行えばいいのであって、観客や建物を含めて、何十にも魔法の防護を施したところで無意味であろう。ここは殺し合いの場所ではないのである。

  だが、二人ほどの巧者になると、たとえ使いにくい武器であっても、試合として見る人を納得させるものをつくりあげる。観衆たちは声もなく立ち尽くした。本物の戦場を経験したものですら、時というものを完全に忘れ去った。自分が生まれたことすら、いつか死に世から去りゆく存在であることまでも、彼らの頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまった。べつにそれが目的ではなかったであろうが、結果として、そのことに成功していた。


 ジャクリーヌは、不思議な感情に襲われていた。かけがえのないものを奪われるようなあるいは、もう少しで手に触れられそうなのに、それを摑もうとした瞬間に粉々に砕け散ってしまうような、じつに不思議な感覚である。

あのふたりがそれほど自分にとって重要な存在だろうか?

今日、この日まで出会ったこともないのだ。どちらかがこの試合で死んでしまうなどということは、少女にはとうてい想像できないことだ。それはカトリーヌがそうなることに近いように思われたが、ニュアンスの違いを否定できない。

 大事、重要な、という語の意味が違うのだ。

誰かが自分の手を握っていてくれる。お願だから、離さないでほしい。彼女は、カトリーヌとはまた違った意味で自分のことをわかっていて、このような行為に及んでいるのだと思う。その正体はまったくわからない。どうして、シャンディルナゴルにやってきて、この竜騎士試合に参加する気になったのか、何か見えない手に引かれてここでこうしているような気がする。

 マイケル王に謁見したいという、当初の目的は確かにあった。ナントの王太子の真逆に位置する、リヴァプール王というのがどのような存在なのか、確かめてみたいという気持ちは確かにあった。

それは、いま、彼女が置かれている状況を理解するためでもあった。しかしながら、今となってしまえば、あのふたりが激しくやりあってる状況下にあっては視界から外れてしまったのである。

どうにかして、あの殺し合いをやめてほしい。やめさせなければならない。

その思いが通じたわけでもないが、試合はあっけない終わり方を迎えた。干戈が収まり両者が中空で対峙したところで、アンスバッハが長槍を落としてしまったのである。

  とたんに会場は落胆のブーイングで溢れかえったが、控室は安堵の空気が広がった。それは、前者に比較して、後者においてはじっさいに戦場を経験したものが多い、いや、ほぼ、全員が戦場を経験している。アルチュールが治療室に送られているいまにあっては、ジャクリーヌだけが初陣を経験していなかった。

だが、少女は別の意味での戦場を実体験していた。

 戻ってきたアンスバッハはそう実感した。

 彼が入室するなり、少女は、彼にしがみ付いて何事か叫んだ。だが、ほぼ何を言っているのかわからなかった。とにかく冷静になるように彼と、近寄ってきたエカチェリーナが説得すると、ようやく彼から離れると深呼吸をすると、誰にでもわかる言葉で叫んだ。

「プランタジネット殿は!?」


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