竜騎士試合。ジャクリーヌは、北方の国から来た白い肌の女竜騎士と対戦する。
ジャクリーヌの対戦相手となったエカチェリーナ・アシュケナージ殿は、たしかにここまで勝ち上がってきただけに今までとは勝手が違った。試合が始まって以来、防戦一方であって一方的に攻められるいっぽうだ。これでは、殺してしまうと息巻いたことが絵に描いた餅になったようなものだ。 追い詰められていたとはいえ、あんなことを吐いた自分が恥ずかしくなった。
相手の長槍が、いま、少女の腰のあたりをかすった。それだけでも、骨盤に直接激震が走る。おもわず呻いた。危うく落とさずにすんだのは奇跡というよいほかにない。おそらく、ジャクリーヌが太陽を背にしていたために、相手にとって逆光となり攻撃の度合いを削いでしまったからにちがいない。
それは、少女が中空で一回転し、相手と立場が入れ替わった結果、身を以て思い知らされたことである。
寸でのところで、地面に衝突しそうになる。一気呵成の攻撃をかわし損ねたせいだ。竜のレオの機転で助けられた。カルッカソンム侯爵から授けられた竜は、一級だとカトリーヌが言っていた。侯爵家が経営する竜牧場はエウロペ一だそうだ。他の竜に乗ったことがないので、あいにくと比較しようがないが。
こんなどうでもいいことに、思考が赴くというのは、現実逃避だろうが?だが、志向は別の方向にも動いていた。相手の動きのパターンを読んでいる。どうやら、右によりすぎる傾向がある。それを計算の考慮にいれるならば、今度の攻撃が読めるというものだ。
エカチェリーナ殿はとどめを刺しにかかる。
地面付近に滞留する少女の頭に向けて、長槍をもちなおし急降下してくるつもりだ。さきほどの計算からそれをジャクリーヌは見事に予見したのである。
一方、観衆は相手の味方である。それまでの経緯があるだけに、少女が青い血に塗れることを望んでいるにちがいない。
この試合会場そのものが、すべて少女の敵になっているようなものだ。それを逆転させる、そこまで行かなくても黙らせるには、ひたすらに、この一瞬にかけるしかない。
しめた、逆光ではない。
太陽はいくらか少女の視線から外れてくれた。右方に偏りがちな相手の動きは手に取るようにわかる。しかし、それを考慮にいれたうえで、反撃したら…エカチェリーナは長槍を携えて急降下してくる、今度こそ殺してしまうかもしれない。
そう思った瞬間に、仮面の竜騎士が脳裏に過った。
彼女は何かを叫んだ。その瞬間に何故か勇気が出て、少女は長槍を下から上に向かって投げた。会場はもちろんのこと、控室でさえが、煮え切らない空気が醸し出された。実戦ならばともかく長槍を落とした方が負けという竜騎士試合において、その行為は自ら敗北を宣言したようなものだからだ。
しかし、侯爵夫人は娘の行為にほくそ笑んだ。アンスバッハも同様だった。まさかそんなことをするわけがない。そういう行為をお互いに決死、あるいは決殺の状況でやることで意表を突くのだ。
ジャクリーヌの意図通りに意表を突かれたエカチェリーナは飛んでくる長槍を交わすことができずに、右肩に突き刺さることを余儀なくされた。思わず彼女の長槍は地面に落下の一途をたどった。
とたんに吹き出る青い血が少女にも降りかかる。
だが、少女は落ちてくる自分の長槍に意識を集中させていた。それゆえに、対戦相手の怪我に意識が向かわなかった。相手の長槍を振り落とさせたとはいえ、自分もそうなってしまえば引き分けとなってしまう。トーナメント方式では両者ともに敗北ということになってしまう。
少女は落ちてくる血に視界を邪魔されながらもどうやら自らが投げた槍を摑むことができたようだ。何か硬いものに触れ、かつ、摑んだものの、制御に失敗して眉間のあたりにかすり傷を負ってしまった。
対戦相手から感じたプレッシャー、その強さに怯えるあまり、痛みはまったく感じなかった。
結果として、一回戦においてアルチュール少年に与えたような同情は沸き起こらなかった。いや、たとえそうなったとしてもそれに気付かなかった。あまりにも抜けるように白い肌の竜騎士が強すぎた。
そのことを侯爵夫人は見抜いていた。それゆえ、アンスバッハに毒づいたものである。だが、娘の顔に傷を創ったことに気付いていたら、そんな呑気なことは言っておられなかったであろう。じっさい、彼女が帰ってとたんに、それを知った夫人は自分でも想像できない行動に出た。
すなわち、少女の顔を摑むと自分の胸に引き寄せて、まざまざと、本来ならば誇られるべき戦傷を注意深く確認しようとしたのである。
「プランタジネット殿?」
「いや、・・・・すまぬ」
娘の声に我に返った仮面の竜騎士は、彼女を、わざと乱暴に引き離した。そのとき、少女は、そうしないでほしいという強い思いが、胸の奥から沸き起こるのを感じたが、そういう気持ちを言葉にできずにまごまごするしかなかった。
怪我の手当を終えて控室におりてきたエカチェリーナはその様子を見ていた。アンスバッハに近づく。
「あのおふたりはいわくありげのようですね」
「貴公のおっしゃる通りだ」
それだけ言うとあれほど饒舌だった男が押し黙ってしまった。
その様子からだけでも、ここに出現した立体的な人間関係が見て取れるような気がした。この三人は目には見えない彫像の一角をそれぞれなしている。誰が顔で、胸、あるいは手足なのか、あるいは互いに重複しているのか、他人にすぎない彼女にはまったく理解できない。しかし聡明な彼女はそれを察することはできた。そして、すぐにその場から立ち去るという選択肢を選ぶこともできた。
その様子を見るなり、悪く思ったのかアンスバッハが声をかけた。
例の、演技で制御された軽い感じの高い声だ。
「ちょっと、待ちなされ、お若いの」
「なんでしょう?アンスバッハ殿?私は試合が全部、終わるまで帰りませんよ。これからはじまる試合を思うと竜騎士のはしくれとして、ぜひともこの目に焼き付けておきたいですからね」
アンスバッハはかけるべき言葉がみつけられずに押し黙ってしまった。どちらにしろ、余計な刺激は与えたくない舞台ではある。ふたりの問題はふたりで解決すべきであって、他人は、助言は可能だろうが、余計な口出しはすべきではない。それはアンスバッハの信条でもあった。そもそも、彼自身がされたくないことを、他人にはしないだけのはなしだが、一様、筋は通っている。
そこを、マイケル王も、そして、侯爵夫人も認めている。
エカチェリーナ殿には治療属性がよりそっている。三人の少女たちだが、そのどれもが年端もいかないことをたねに、「どうやら、私はこの子らの履修用の材料に過ぎないらしいわ」などと減らず口が叩ける分、状態はいいらしい。それでも傷口から青い血が流れているから、ジャクリーヌは心配になった。
それに拍車を掛けるように、少女たちはまるで医学の履修を本当にしているように、自問自答しながら治療しはじめる。
「この状態は何が必要でしょう?」
「瀉血です。かなりわるいものが出きっていません。運命腺がそう語っています」
「私が行います。瀉血が必要です」
「おまえら、ほんとうにだいじょうぶか?」
アンスバッハが笑い声混じりに口を挟んだ。
「あ、あなたたちの師匠はどちらに行かれたのかしら?」
さすがにエカチェリーナも心配になったのであろう。その声は上ずっていて、心なしか掠れている。ジャクリーヌに向かって挑んできたときと比較すると隔世の感がある。
治療属性、見習いらしい少女が説明する。
「イザボーさまはギョイエンヌさまの治療に専念されています」
その竜騎士は、彼女が散々痛めつけた相手だったので、それ以上、何も言えずに黙って治療を受けるしかなかった。
「きっと、イザボー先生が後からやってきて、診てくれるさ」
アンスバッハのからかいにエカチェリーナの剣幕は限界を超えそうになっていた。だが、そうなると同時に冷静な状況分析を加えるのはさすがといえよう。
「そ、それじゃ、私が本当に履修材料みたいじゃない?!しかし、イザボーというのは、将来有望な治療属性だとはきいたことがある」
さきほど説明した少女は、言葉の内容ではなく、口調で、いかにイザボーなる治療属性を尊敬しているかと示した。
「将来じゃありません。イザボーさまは今でもエウロペで最高の治療属性でいらっしゃいます」
ここにいない治療属性のことなど、エカチェリーナにはこの際、まったく関係ない。じ自分を、すくなくとも今は診てくれないのだから。
「ちょっと、あなた方は治療に専念して欲しいわね!」
種々の人間たちのやり取りの饗宴を見せつけられて、思わずこらえきれずに侯爵夫人は、仮面の下で吹き出してしまった。そして、とんでもないことを言い出したのである。
「あなたたちの免許皆伝を認めるとは、イザボーも、イザボーとやらもたいしたことなさそうね」
そのようなやりとりが交わされる中にあっても、ジャクリーヌの対戦相手はどうにか腕の傷が癒えていくようなので、少女もようやく人行き着くことが出来た。
「アンヌマリー殿とやら、こんなことで気をつかっていたら、戦場では身が持たないわよ。この私を負かしたということは、戦場で幾人の屍をのりこえないといけないのかわからないだから」
白い肌の竜騎士の言葉に、今度は、侯爵夫人が心配になった。カルッカソンム侯爵は死生観についてどこまで教えているのだろうか?あるいは追体験させているのだろうか?この様子では本来、貴族の子女がうけるべき教育を受けていないとみるしかない。
ジャクリーヌは、あきらかに、自分の、そしてそれ以上に他人の死を恐れている、あたかも賎民たちと同じように。
それは困るのだ。死んだ後に何が待っているのか、それに対する根拠を実感としてもっている竜騎士と、もしもその人物と同等の技量や体力や資質を持っていた場合、命を失うのは持っていない方であろう。それに精神の持ちようも、それを知る、知らないでは人生観に隔世の差があるだろう。
カルッカソンム侯爵、もはや口にもしたくないが、エベール伯爵夫人は何をやっていたのだ?
薄暗い部屋のなかでほぼ17年ぶりに出会ったとき、一瞬で、夫人は娘の人格を読み取った。悔しいがここまでよく育ててくれたとすら思わないではなかった。彼女が発する気は幼いながら美しく一本気だった。
もちろん、そのことと死生観とは必ずしも関係ないが、娘には自分のような苦痛に満ちた人生を送ってもらいたくないのだ。