位置情報:リヴァプール軍占領地、シャンディルナゴル。竜騎士試合。
控室に戻ると、係りの者たち、それらの多くは至急、各中級貴族家から集められた少年少女たち、いわば、王族、上級貴族たちの侍従や侍女たちであって、彼らの父母のいずれかは従子爵、従男爵の地位を得ているのが通例であり、彼らや彼女らは、それなりのプライドを以ってこの仕事に携わっている。
少年少女たちは食事の用意や、傷の手当をする治療属性の補助など、それぞれ与えられたり、自分自身で判断した仕事に全力で能力を投入したりしている。
ジャクリーヌ、アンスバッハ、ロクサーヌの三人はやはりつるんでいる。なお、マイケル王はすでに姿を消している。負傷したアルチュール少年は当然のことだが、主君の側に常に仕えるという、侍従にとってもっとも重要な仕事を熟せずに歯ぎしりすること、しきりである。
昼食が終わるなり、儀式の開始を始める重々しい儀式がなかったのと同様に、何の宣言もなく次の試合が始まった。
ジャクリーヌは無言を通し続けるふたりの機先を制して、口を開いた。
「随分と、数が少なくなりました・・・・」
しかし、それは単純に人数がいなくなった、ということだけを意味するわけではない。竜騎士たちの細々とした仕事を請け負うために、少年や少女たちが忙しく立ち回っているために、控室の人口自体はむしろ増えている。これから戦うという意気込みの前に彼らなど視界に入らないせいもあるかもしれない。
だが、閑散とした部屋は、かつての部屋の面積を思い出させないほどに広い。これまでは各国の竜騎士たちが所せましとひしめいていた。
いまでは、三人以外ではちらほらと散見できる程度にすぎない。装飾が簡素であることも、最初はそれほどさみしく感じはしなかったが、むしろ、試合を前にして浮ついた気持ちを抑えてくれる役割を大地の神とともに果たしてくれたが、いまでは寂寥感を否定できない。
しかしアンスバッハ殿の、小気味よい演技は多少なりともその場の空気を温めている。年少者に負けじと次から次へとピエロのように、人を笑わせる言葉や態度を繰り出してくる。
それに呆れたのか、仮面の竜騎士がついに口を開いた。
「アンスバッハ殿は試合に集中なさらなくてよろしいのか?」
「お二方の試合以外に興味がなくてね」
わざと無駄に敬語を盛られたことに苛立ったのか、道化を自称する竜騎士はそれらしくない言葉を吐いた。
それを耳にしたジャクリーヌが恐る恐る、自分の素直な気持ちを言葉にしてみた。自分を表現することで怯えを少しでも制御しようとしたのである。
「私とプランタジネット殿が戦うとは限りませんが?」
ロクサーヌは意地悪なことを言おうとほくそんだ。
「なるほど、私が勝つとは限らない」
「いえ、とんでもありません」
「まるで試合を放棄したようないいようね」
自分のことを棚に上げて、何を言うのかと、もしも、ロクサーヌが相手でなければ、問答無用に投げつけていたにちがいない。ところが、この人物は存在するだけで周囲を圧倒する、いわば、王の素質を身につけているにちがいない。
アンスバッハは、親友の意図を読んだようで、まるで石のように押し黙ってしまった。ここぞとばかり仮面の竜騎士は畳み掛ける。
「あなたのような、巨大な気を持っているくせに、勝利するきもちのないひとは、大会どころか戦場からも消えて欲しいものだわ。指揮官の戦術というものを惑わせるジョーカーでしかないのだから」
そのときに、横から要らぬ嘴が突っ込まれた。
「どうせ、いいお家の出身でいらっしゃるのだから、尼さんにでもなって、荘園の管理でもしてたらいいんだ。弱虫はな」
それはすでに敗北した竜騎士だった。これから帰ろうとしているところで、忘れ物の剣を探しに戻ったのである。ところが、このことが生涯忘れぬ苦痛を彼に感じさせる契機となった。
ものすごい閃光が走ったかと思うと、人大の光の玉が声の主に向かって飛んで行った。
思わず、仮面の竜騎士は叫んでいた。
「ジャクリーヌ、愚か者!!」
同時に彼女も光る玉となって、同じ方向に飛びさった。
少女を罵った報いが、もんどりを打って床に転がる程度で済んだのは、プランタジネットのとっさの判断あってのことだった。そうでなければ、控室は青い血で汚れていたにちがいない。しかしながらたがが17歳の子供にこんな目に合わされた竜騎士はただでは黙っていられない。
なおも立ち上がり、戦意を消滅させない竜騎士にロクサーヌの冷たい声が叩きつけられた。
「この衝突で彼我の実力の差がわからないとは、試合に出る資格すらない、殺されないうちに往ね!」
女王然と見下ろすロクサーヌを目の前にして、立ち続けられた竜騎士をこそ褒めるべきだろう。傍らからみていて、アンスバッハはそう思った。彼は竜騎士に近づくと声をかけてやった。
「お主だって、わかってるんだろう?あの仮面のねーちゃんに救われたことがさ」
ドレスデン男にそう言われて、あるていど事態を客観的に見ることができたのか、自分がいかに命の危険にさらされたのか、それを覚って下半身を濡らして立ち去った。
「おまえ、子供の時から変わらないな、このいじめっ子め」
「そなたの性格の悪さも同様だけどね」
二人の会話が、ジャクリーヌにとってみれば海の果てで起こっていることと、それほど変わらない。伝説では巨大な滝が無の滝つぼに向かって永遠に落ち続けているという。それほどまでに、少女は自分のことを世界から切り離していた。そうせざるを得ない事情は確かに彼女にあった。
いっそのこと無に向かって落ちる滝に流されてしまいたくなった。いま、自分は何をしたのだろう?何に対して怒ったのか、そのことさえ頭の中が麻痺して思い出せなくなってしまっている。
しかし、二人の会話を耳にしているうちにだんだん思い出してきた。そうだ、あの竜騎士は家のことを指摘した。そのことに少女は我慢が出来なかったのである。あたかもヴェルサイユ村のことを侮辱されたような気がした。 しかしそれは彼女が、貴族としてありうべき境遇によって育たなかったゆえに、持ち合わせてしまったコンプレクスなのだろうか?
そう考えたとたんに頭に過ったのは、カトリーヌの美貌だった。
彼女はまさにジャクリーヌのなかで貴族の象徴たる存在だった。あの竜騎士の言葉によって触発されたのは、親友に対する思いだったのだろうか?
少女の、胃に持たれそうな思考の連なりを断ち切ったのは、仮面の竜騎士の冷たい一言だった。
「試合なら会場でやりなさい。それすらわからない子供ならばさっさと立ち去りなさい」
しかし同時に肩に優しい圧力がかけられたのに気付いた。
「アンヌマリー殿、次の試合が近づいてますぞ」
「・・・・・・・」
「どうしたの?こわいのかしら?」
先ほどよりか、わずかに温度を取り戻した答えに対する返事は、少女にとって自分の口から迸っていながら、自分のものとは思えない響きに満ちていた。何者かが自分の中に侵入して、言わせているようにすら思えた。
少女の中で青い血に塗れたアルチュール少年の映像がありありと映し出される。
「このままじゃ、本当に殺しちゃう!」
少女の言葉に、怒ったのは同じく試合を待っている竜騎士だった。彼女は、ジャクリーヌを含めて四人だけ出場している女性のひとりである。
「ずいぶんなご自信ねえ?」
まだ成年に達したのか、それよりすこし若いか、そのくらいの年齢、少女と呼ぶにはと大人びているが、女と言うには若すぎる、そう表現すれば適当だろうとアンスバッハは思った。
「・・・・・・・・・」
彼女が近づくと、ジャクリーヌはほぼ無意識に左手を差し出していた。
「不思議な子ね」
「わかったわ、これでさきほどの無礼は赦してあげる。私の名前はエカチェリーナ・アシュケナージ」
そう言って、彼女は握手を受けた。ここは社交界の会場ではないのだが、少女にとってみればとても重要なことだった。はじめて自発的に、その理由や所以を正確に理解したうえで、貴族のマナーなるものを実行したような気がしたからだ。
エカチェリーナなる女性竜騎士は、抜けるような、という表現がこれほど適格な対象はないと思うほどに白い肌をしていた。そして、人の心を完全に見通してしまいそうな透明に近い青。顔のつくりはそれぞれ大きくて、一般的には美人とはいえない容貌だが、少女の目には好ましくおもえた。
彼女は、少女と別れて仮面の竜騎士とすれ違った、まさにその瞬間にこう彼女の耳に囁いた。
「貴方、あの子の母上さまでしょう?」
「心遣い、感謝するわ。寒いところで育った人は心まで冷たいというのは俗説だったのね」
アンスバッハはふたりのやりとりを盗み聞いていて、後でどうやって親友を嘲ってやろうと、その言葉の選択に勤しみはじめていた。
だが、その一方でジャクリーヌを励ますことも忘れない。
「アンヌマリー殿、試合が近づいてますぞ、心の準備はできてますか?」
「・・・・」
アンスバッハは、道化よろしく珍妙な表情を整った顔に乗せて、少女を励まそうと試みる。その芝居は見え透いていたが、彼の思いは伝わってきて、彼女を泣かせてしまった。それに畳み掛けるように、重たい女性の声が響く。
もちろん、アシュケナージ殿だ。
「さっさと用意をしなさいよ。いいかげん、大切な試合に水を差すような行為は止めてほしいわね」
「・・・・」
言葉づかいは粗雑だが、さきほどよりもずっと親しみや温度が備わっていた。
「ごめんなさい」
「ばか、お嬢さん、対戦相手に謝ってどうするのよ!ほら、黙っていないでなんとか言いなさい。戦う相手にふつう、どんな気持ちを抱く?」
「勝って見せるわ、きっと」
「そう、それでいいわ。受けて立つ、こちらも」
その様子をみて、今か今かと親友を嘲る時間が待ち遠しいドレスデンの竜騎士は、まるで姉妹同志だなあなどと、のんきなことを言っていた。
仮面の竜騎士のそれについての感想は、まったく容貌が似ていない同志だけど、という、ごく有り触れたものだった。