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聖女1  作者: 明宏訊
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位置情報:リヴァプール軍占領都市シャンディルナゴル。ジャクリーヌも試合を迎える。

 正式な竜騎士試合では、本物の戦と違って生死に関係していない分だけ、純粋に武人としてどちらが上なのか下なのか、その判別が何よりも大切になる。竜騎士にとって自尊心は何よりも大事なものゆえに、自分がこの世で誰よりも強いという、仮にそういう事実があったらば、の話にすぎないが、それよりも竜騎士道に基づいた自尊心の保持こそがなによりも尊ばれるし、本人もまたそれを望む。

 何となれば、力量は本人の努力が必ずしも第一ではなく、神によって授けられたものだからである。

 ジャクリーヌは、しかし、その、神によって授けられたものに慄いていた。

「そ、そんな・・・・・」

 少女は、竜に跨って宙空にある。

 そして、はるか足の下には少年が青い血を全身から吐いて転がっている。

 おそらく、これは自分の勝利を意味しているのだろう。

 もしかしてアルチュールは死んでしまったのだろうか?あの一撃で彼の長槍を落とした感覚はあった。しかし、自分の感覚、それをあくまでも信用しきれなかった。だからもう二撃目をお見舞いしてしまった。それが彼の右腰に激突し、あえなく竜から転げ落ちたのだ。

 一撃目は必要だったが、二撃目はそうではなかった。

 最初に歓声は上がった。そして、次にもたしかに歓声らしきものは上がった。だが後者はあきらかに少女を非難したかのように思われる。相手の力量を図り、それによって攻撃は左右されるべきである、いや、左右しなくてはならないのだ。それができなかった。

 相手の力量が図れなかったからこそ、無用な一撃で相手に与えなくてならないダメージを与えてしまった。もしかして、自分は本当に人を殺してしまったのだろうか?いや、戦うというこの世でもっとも尊敬される行為によって、相手を結果として死なしてしまうことは戦には付き物であるし、これまで数えきれない人間が名誉の死を賜ってきたこともまた子供でも知っている事実である。

 しかしアルチュールに与えられるのは、そんなたいそうなものではあるまい。

 観衆たちは、すでに少女の失敗に目を瞑っているようで、最初の歓声よりもはるかに大きな声で自分たちの感情を表現している。

 だが、そんなものは血まみれとなった少年を目の前にして、何の慰めにならなかった。

 少女は勝利者が上がるべき楼閣にはまったく目もくれずに、怪我人の元へと向かった。それは竜騎士道からすると、相手を侮辱する行為に該当する。無用な同情は、しかも勝利者によるそれは相手に唾を吐く行為にも等しいとされる。

 その知識が少女を踏み止まらせたが、その動きを試合会場の、そして、控室の、誰もが素手で受け止めた。

 歓声はその瞬間に重々しい雨雲に変わってしまった。

 ウオルシンカム公爵家の三男坊は、どうやら息を吹き返したようだ。おそらくは王家、もしくは公爵家お抱えの治療属性が駆けつけたことによって、一命を取り留めた。

 少女は、楼閣に上がって勝利の証たるヒヤシンスの葉でつくられた冠を授けられる。しかし、かつて彼女が観たり、あるいは聞いたりしたそれとはまったく別個のもののように思われた。観衆の視線がすべて敗者であるアルチュールに向かっているような気がしたからである。

 治療属性による献身的な施術により息を吹き返したことが知れると、まるで彼が勝利したかのような歓声が上がった。べつに少女はこのような栄誉を受けるためだけに戦ったわけではない。だが、たがが敗者に同情の念をかすかに示しただけで、このような屈辱を味合わせなくてもよいではないか、そうジャクリーヌは思うだけである。憮然とした思いを抱えながら、ほとんど誰からの拍手も受けずに、少女は、レオを従えて、勝利者が潜る門に入ろうとしていた。そのとき沿道からひとつだけ拍手が上がった。

「見事な試合でしたよ!」

「ケントゥリア人・・・無事だったのね」

 少女は、少年の名前を知らなかったので、そう呼ぶしかなかった。

「殿下、私はケントゥリア人ではありませんよ」

「名前を聴いていなかったわ」

「私が信仰する宗教では、成人した男女が名乗り合うときには結婚する同志だと決められているのです。ですから名乗れません」

「そんなことを言ったら、大人になったら誰も名乗り合えないじゃない」

「結婚していれば、名乗り合ってもいいのです」

「変な宗教!どこの世界の民族よ!?」

 ジャクリーヌは、かつて怪我をさせた相手でありながら、変に飄々とした態度をみせるこの少年にイライラしてきたのが原因か、試合上で受けた精神的な傷を、彼にぶつけることで癒そうとしていた。

 だが、言葉を交わすたびに相手のやり方に乗せられていくような気がする。だから、無視して過ぎ去ろうとした。こんな子供よりも、プランタジネット殿やアンスバッハ氏と話をした方が、一瞬だけだが、大人になったような気がするからだ。

 「もう、向こうに行ってよ!お仕着せの服なんていらないわ!」

 「そうつっけんどんにならなくてもいいでしょ?殿下?」

  少年は、自分の身体を低くして、あたかも奴隷が主人に示すような目をした。それは犬にも似ている、いわば、上目使いと呼ばれる視線だ。犬ならば可愛いとおもうが、それが人間、それも幼い子供ならいざ知らず、自分よりもいくらか年下、と言う程度の相手にされるのは屈辱以外の何ものでもない。

 そうでなくても、相手は自分のことは何でも知っていそうなのに、その逆はでない。そういう状態にいらいらしているのだ。

 ふいに、少年がアルチュールと重なってみえた。

 能力ではこちらが相手をあきらかに圧倒している。そのことが、試合場で感じた恐怖を呼び起こした。もしかしたら、あの時、ひとつ間違っていたら、アルチュールを死に至らしめていたかもしれない。

 その映像がリアルに浮かんで、少女は咄嗟に泣き叫びたくなった。自分は竜騎士に向いていないのかもしれない。それならこの少年と結婚して、異教徒の村にでも逃亡しよう。そう思って、後から考えればありえないほどばかばかしいことを口走った。

「名乗りなさいよ。あなたの妻になってあげる」

「は・・・・!?」

 はじめて少年をやり込めたような気がした。彼がしょげ返ったような顔をしたからだ。

「もしかして、自分を傷つけたことを気にしていらっしゃるのですか?殿下?」

「そう殿下、殿下と連発するのは止めてほしいのだが?」

「そうでした。ここは竜騎士試合場でしたね・・・」

 「それとも、私は誰からも注目されない存在だと、言いたいの?」

 「嫌味を言う元気があるなら、大丈夫でしょう、と姉なら言うでしょう」

 そのとき、少年が瀕死の状態に陥ったときに、「姉上」と口走ったことを思い出した。

「よほど頼りになるお姉さんがいるのね・・」

 少女はマリーのことを思いだしていた。彼女は妹であるが、彼女の立場から自分が頼りがいのある姉でいたかったし、いまもそう思ってほしいと感じている。

 このことを思い出してから、少年のことをさほど不快に思っていない自分を発見していた。ぜひとも友人になりたい。名前を聞き出したい。

 ところが、もういちど名前を聞き出そうと口を動かそうとしたところで、すでに彼は姿を消していたことに気付いた。彼女の目の前にいたのは、彼ではなくて、自分を見下ろすように佇立するプランタジネット殿の長身だった。

「お姫様、二回戦は始まっているのよ」

「そういう言い方はやめてください!」

 なにか圧倒される感じがいやで、少女は思わず言い捨てるような言い方をしてしまった。

「に、二回戦ですか・・・・・?」

「どうしたの?アンヌマリーさん、せっかく勝ったと言うのに随分な落ち込みようじゃない?」

 ジャクリーヌは、もう二度と長槍を手に持てないような気がした。そして、竜にはもう跨げないような気がした。誇り高い、あの動物は少女を乗せたとたんに振り落とすのではないか、そのような危惧が地面から足の上に這い上がってきて、腰を伝って胸まで達してくるような気がする。おそろしく長大な芋虫によって食い殺される妄想に襲われる。

 芋虫は、すでに流れてしまった少年の青い血を呑み込んでいるかもしれない。少女の臆病から地面に流れ落ちた汗を呑み込んでいるかもしれない。

 いい加減にここから逃亡したい。

だが、兜の下から垣間見える視線の輝きは、少女の足を釘づけにするだけの力、というか、むしろ圧力を備えている。

この状況を逆転できる口実を、少女は探していた。ちょうど、これから試合に参加する竜騎士が携える長槍の先が日光に反射した。その煌めきがひとつの言葉を少女の口をついて発させた。

「プランタジネット殿はどうして仮面を外されないのですか?」

「それは確信犯ね?つまりは、自分の言っていることがモラルに反しているとわかったうえで?」

アルチュールなる少年と比較していることは容易にわかる。そして、少女の方がより悪質だと主張していることも同様だ。しかしながら、それは非難とはすこしばかり色が違うような気がする。この人は、その正体はわかるはずもないが、あきらかに彼女に何かを教えようとしているのだ。

それにしてもどこかで出会ったような気がするのは、どうしてだろう。最初は錯覚かと思っていたが、言葉を交わす度に既視感を覚える。もしかしたら親近感ともいえるかもしれない。いや、そこまで行く寸前で、この人は自分を突っぱねているような気がする。

今回はどうだろうか?

そんなことを考えている合間にも、試合の状況は逐一、心の中に侵入してくる。おそらく意識がそれを求めているのだろう。自分はそれほどまでに戦いが好きなのだろうか?

アンスバッハどのが黒い甲冑に身を固めて出場している。互いが竜に乗って、わずか数分で勝負がついた。彼は自分に万全の信用を置いている。一撃で相手に勝利した、という感触を得たならば、まったく自分を疑うことはなく、相手に背中を向けていられる。なんという自分との違いだろうか。

「アンヌマリーさん、それほどあの男と比べる必要はないわよ」

まるで少女の心を読んだかのような口調である。

少女が沈黙を守っているとプランタジネット殿は畳み掛けてきた。

「あの控室で出会った誰と一番、戦いたい?竜騎士として純粋に」

「それは当然・・・・・」

お世辞でもなんでもなく、最初に浮かんできたのは、仮面を被った不思議な竜騎士の姿だった。そのことを素直に告げると、彼女は隠された顔を笑顔で歪めたような気がした。彼女はこう言って、次の試合に備えるように注意してくれた。

「それは光栄だわ、アンヌマリーさん、いや・・・殿。健闘を祈るわ」

 あまりにも月並みな言い方ながら、大事な人にそういわれるのと同程度の、いわゆる、言葉の力というものを備えているような気がした。


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