位置情報:リヴァプール王国占領地、シャンディルナゴル。竜騎士試合、ついに開幕。
舞踏会など貴族特有の正式な儀式や会合において、必要とされるマナーなどはカルッカソンム侯爵から学んだはずであって、実践もしたはずだが、いまのいま、プランタジネット殿と握手するまでは、それを実感することはなかった。いまこそ、本当の意味で彼ら、貴族の仲間入りが叶ったような気がした。
そんな思いに耽る少女を現実に引き戻したのは、アンスバッハのおちゃらけた声だった。
「さて、舞踏会でも始めますか?」
そちらを向いてみれば、さきほどの上品な発言や身のこなしはいったい何処へやら、ドレスデン訛りまるだしの、それもとても品がいいとは思えない言葉の羅列を投げつけてくる。しまいには手のひらを上に向けて、下卑た様子で舞踏のペアを迫ってくる。
当然のようにプランタジネット殿の一喝か一撃が襲うかとおもったが、はたして、そんなことはなかった。いったい、何処に行ってしまわれたのだろうか?と周囲を見回していると、ウオルシンカム家の坊ちゃんがすでに試合が始まっていることを教えてくれた。
「そ、そんな・・・・私、聞いてませんけど」
「お嬢さん、試合の進行は参加者が自発的に行うのがマナーですよ。進行係はいるにはいますがね、あの方ならばすべてわかっておられるはずです。なんといっても、ご自分の名前で竜騎士試合を開催なされたこともあると、そのような噂を聞いたことありますからね」
「そこまでご身分のあるお方なんですか?プランタジネット殿は?」
「少なくとも、偽名通りではないでしょう」
ジャクリーヌは知らないがプランタジネット家は、本当に存在する。だが、かつて、ナント王国はアキテーヌにあった土豪の家にすぎない。少女はその由来を聴こうと唇を舐めたところで歓声が耳に届いた。ここは地下にある控室なので抑えられてはいるものの、いや、それゆえに距離的にかなりある試合場からあれほど響くとは、その量的なすごさが推し量れるというものだ。
「だけど、試合前の宣言とかないんでしょうしょうか?」
ウオルシンカム家の三男坊が横から入ってきた。その代わりにジャクリーヌは、他の試合参加者の元に歩み寄った。どうやら好奇心が抑えきれなくなったらしい。
少年の疑問に対しては即答というかたちで降ってきた。
「そんな面倒くさいことを余に求めるつもりか?」
「・・・陛下?」
聞きなれた声は、少年が仕える主君のものだった。振り返ると、マイケル王が鎮座ましましていた、そうはいっても立ってはいたが。
身分からすると一般的には考えられないことだが、彼は一人の供回りもつげずに外出することすらあった。それを王家が接収している建物の敷地内ならば、朝飯前というところだろう。
王は、わざとらしいしぐさでアンスバッハに挨拶しようとした。
「お名前は?」
「ハンス・アンスバッハと言うものです陛下」
アンスバッハは思わず噴き出した。主君の意図を摑み切れずにあっけらかんとした顔をしていることが、大変にかわいらしく見えたのだ。彼はこの場の空気をまったく読んでいない。
しかし、アルチュール少年にしてみれば、彼が陛下を普段、呼び習わしている方法で呼び、竜騎士試合でのマナーを破ったことなど思いもつかないといった様子で、アンスバッハが自分を小馬鹿にしたことを怒っているようだ。
ちなみにジャクリーヌは、ほかの試合出場予定者と歓談することに夢中で、「陛下」といいう、貴族の世界ではじつに耳を引く音声が聞こえなかったようで、バルセロナ王国から来たという赤毛の竜騎士と戦についての議論に夢中になっていた。通常の状態であれば突然に出現した巨大な気を知覚したはずだが、あいにくと、この場にはアンスバッハやその他、大きな気を持ち合わせるものがひしめいていたので、それらと区別するのは難しかった。あるいは、注意がそちらに向かわなかった、と表現するのが適当だろうか。
少年の周囲に残っている、二人の大人は、もはや子供の感情などにはかかずらってはいない。
「ロクサーヌが勝つのでしょうな」
「当然でしょう?あいつに勝てる可能性のある竜騎士は私の見る所、そうはいない。この場では貴方だけでしょうな」
竜騎士試合はトーナメント方式で行われる。それゆえに一回負ければ敗退が決まる。ルールは簡単で、相手の長槍を地面に落とした方が勝利である。
この場にいる誰もが瞑想中の行者のように落ち着いている。それゆえに王とアンスバッハには、この子供たちがさぞかし浮いて見えるのだろうが、全体的にみれば、二人で会話をしている彼らとて目立っているのである。人間とは概して他人のことはよくみえるが、自分のことは見えぬもの。人生経験が豊富なこのふたりであっても、それは同様のようだ。
だが、外の試合には表だっては、あくまでも興味を示していないという点に至っては、二人とも行者たちとそれほど変わらない。この場に控える者たちの多くが、あえて観に行かずとも、気の流れだけで勝敗を見通していた。唯一、見抜いていないのは、例の三男坊だけだ。
ジャクリーヌは違う。
「プランタジネット殿が勝利なさった・・」
思わず声に出してしまったのは、ご愛嬌、あるいは若気の至りということで出場選手たちから容認されたようだ。
この場にいる多くの選手がマナーをわきまえているようで、少年が王を「陛下」と呼んでも、近づいてくるどころか、高貴の目を向けてくるものすらいなかった。少年は顔を真っ赤にすべきなのだ。しかし完全にあさっての方向を向いてただ、ひとり、むくれている様子を見せつけられると、さすがに将来が知れるとありがちな感想を吐きたくもなる。
ジャクリーヌは、といえば、大会参加者に対する興味で意識がそちらに向かっていないのか、そのあまりにも重要な二語は耳に入らなかったようだ。
少年がいる故に、ジャクリーヌの青臭さはこの薄暗い控室ではそうは目立たなかったが、一際、強い気をぷんぷんさせる謎の少女の存在は、やはり、ウオルシンカム家の三男坊とは別の意味で気を引いたようだ。
だんだんと周囲の大人たちが瞑想を止めて少女に近寄ってくる。
マイケル王は、その様子を、目を細めて眺めている。
「アンスバッハどの、あの少女は確かに他者を寄せ付けぬ何かを持っているようだ」
「私もそう思う。観察の価値がありそうだ」
言うことを訊かぬ桎梏の短髪を無理やりに押さえつけながら、アンスバッハは呻いた。
「どのようなご観察かな?一国の王としてはぜひとも耳に入れたいが」
「それはルール違反と言うもの」
アンスバッハは、薄闇のなかでもはっきりとわかるくらいにはっきりと、それこそ白い歯をむき出しにして笑って見せた。
「それは、それ・・たしかに・・・・そうだ、アルチュール、試合は次ではないか?ロクサーヌの試合は終ったぞ・・・・まったくどうしようもない子だな」
王は、慌てて階段に向かって走っていく少年の背中を眺めながら微苦笑する。鎧の背中に付いている紋章は、あれでも、リヴァプールきっての名門貴族、ウオルシンカム家のものなのだ。
彼に比較して悪いが、少女はすでに、さきほどはあれほど議論に熱を入れて参加していたというのに、今はもう姿を消している。おそらく試合の準備に余念がないにちがいない。なんというちがいだろうか?
王は、ロペスピエール侯爵夫人に対してみせる顔とは、また違った同性の友人ならにではみせる、特殊な渋面を作って愚痴った。
「あれは、見かけほど筋は悪くないのだがな・・・・・だが、アンヌマリーの敵ではあるまい」
「私も同意する。試合するだけかわいそうだな。あの子はこの大会に乗り気ではない様子だったじゃないか」
「一族のものたちが揃って、彼が一人前の竜騎士になることを願っている」
アンスバッハは、少年に対する同情を述べようとしたが、何かを感じて止めた。少年は係りの者に会場まで連れて行かれたようだが、どうやら、二人はすでに竜に乗って宙空にて対峙しているようだ。
「たしかに、貴方の言うとおりだ。筋が悪いわけ、ではない。これは、手合せしたかったな。幼きものを成長させるのが私の趣味でね」
「ハインリヒ・・おっと、アンスバッハ、そなたがか?エウロペ随一の喜劇詩人でもそこまで人の腹を破壊させる話は書けんぞ」
思わず友人の本名を明かしてしまいそうになった王は、笑ってごまかそうとした。
しかし、二人の神経の主だった束は、子供たちの試合に向けられている。
「あの坊ちゃん、なかなかやるではないか。あの少女の長槍の一撃を薙いだぞ」
「だが、あの一撃では長槍を落とす、というところまではいかない。せいぜいで身体を微動だに、ではなくその程度、揺らすだけだ。ほら、腰に一撃、受けてしまった」
「360度、視界を維持していないからああいうことになる。あのていどで息が上がっているぞ!未熟者めが」
「それでも、次の攻撃に備えたのは、さすがではないが、貴方は、武人としては一流だが、教師としては棒にも箸にも引っかからないのにな」
そこに二人の観戦を邪魔する一撃が、電流のように二人の心を突き抜けた。
「お二方、あまりじゃありません?いくら天下のお大尽とはいえ、将来を担う子供たちの必死の戦いを、そのような下卑た会話で汚すのは?」
「おお、ロクサーヌ。さすがに見事な試合だったな」
夫人の言葉など、蚊が刺すほどの威力もないとばかりに、アンスバッハは喜劇役者竜騎士の面目躍如の態度を貫こうとする。
そんなけったいなものは視界からも、聴界からも排除するという哲学の下に、ロクサーヌは、今度は自ら戦況報告を買って出た。
「ミッシェル、あの子も未熟ということでは、あの坊ちゃんとそう変わらないわ。ただし、相手が見せた弱みが、本物か、それとも偽証か、それを即座に見抜けないようじゃ、まだまだ、子供だわね。ほら、攻撃が遅い!!」
「ロクサーヌ、ちゃんと致命傷を負わせたじゃないか。槍は落ちたぞ!」
「ハンス、あまり甘やかさないでほしいわね。もしも、あれがあなただったら、あの子は血まみれになっていたわ・・」
「とんだ戦況報告だったな、我らとそう変わらんじゃないか?ロクサーヌ」
「ミッシェル、一緒にしてほしくないわね」
「そうかい、ロクサーヌ」
ロペスピエール伯爵夫人は、親友がすべてを見通している顔が憎々しくて、それこそ長槍を、あの端正な顔面に刺す衝動に駆られた。ふとアンスバッハが視線に侵入してきたので、思い出したことをそのまま言葉にしてみた。
「そう、ハンス、あなたの試合は次じゃない・・・