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聖女1  作者: 明宏訊
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竜騎士試合参加者控室にて

  竜騎士試合当日、アルチュール少年は一睡もできずに朝日を迎えた。必要以上に目を刺戟する眩しい陽光は、惨めな自分を嘲笑っているのか。

 リヴァプール王の侍従は邸内に一室を与えられて、そこに一人の召使いと数人の侍女を伴って住み込んでいる。

 若いときは寝起きが悪いものだ。いまだ頭に血が巡らずに、いやそのせいか、かえって漫然とした不安が彼の思考と感覚を支配している。

じつに、彼は長槍が自分に向かってくる恐怖と、アンヌマリーなる17歳の美少女への思慕、この二つに身体と心を割かれるような思いを味わっていた。

 いっそのこと、ナント軍が大挙してシャンディナゴルに殺到してくればよかった。

 だが、竜騎士道の暗黙の了解によって、あるいは、ミラノ教皇によって祝福されているゆえに、大会が終了するまでそんなことはありえない。もしもそんなことをすれば、アントワーヌ王太子は即位できないばかりか、エウロパ中の、皇帝、王、諸侯からそっぽを向かれるだろう。それ以前に教皇は迷うことなく、破門という伝家の宝刀を抜くにちがいない。

 彼のような若輩者でも、その身分に属するものならば理解していて当然のことである。実家から連れてきた使用人たちが、朝の儀式の用意をしている間、少年は自分の居場所に困っていた。いままでこのような葛藤に苦しめられたことはなかった。

 胸と腹の痛みが同時にやってくるとはいったいどういうことだろう。

 たとえ、彼の望み通りではなくても、双方の痛みを忘れさせる事態がやってきた。

 無表情な老女が彼の足元に跪いたのである。実家がよこしたのは、ウオルシンカム家に40年もの間忠実に仕えてきた老人、念のために付け加えておくと男子である。男であっても魔女は魔女と呼ばれるように老女も、男であっても老女と一般に呼ばれる。

老女というものは、吟遊詩人たちが無愛想の比喩に使うくらいだから表情に乏しいと相場が決まっているが、この老人は極め付けだった。冠婚葬祭、すべての報告がミイラのような固まった表情によって為される。だから、姿を見せただけでは、吉か凶なのかその区別はつかない。

「カルル、何事ぞ?」

「公爵殿からご連絡です」

 ウオルシンカム家に身を寄せていながら、あるいは、その地に住居を構えておきながら、唯一、公爵を主君と呼ばないことが赦されるのが老女と呼ばれる身分に属する者たちである。彼ら、彼女らは、その土地の領主に仕えるのではなく、ミラノ教皇にひいては、神に仕えている、という自負がある。

「さっさと、内容を」

「アルチュール殿の、今回のシャンディナゴル竜騎士試合にご参加のこと、家族より心から祝福申し上げます。ウオルシンカム公爵アンリ、母、マリー、長兄フランソワ、長女ミレーヌ・・・」

「もう、よい。そうだ、兄上からはないのか?」

 少年が兄上と呼んで、真っ先に家の人間ならば誰しも思い浮かべるのは、僧籍に入った次兄ランスである。幼いときはいつも一緒に遊んでいた。彼が僧籍に入るまではともに育ったといっていい。長兄フランソワや長姉とはあまりにも年齢差がありすぎた。

「ロンドン司教は遠方におりますゆえ・・・なかなかこちらまで届きませぬ」

 その物言いから、あきらかに兄は教会にヒエラルキーに組み入れられていることに、少年は眉間に皺を寄せた。

 ロンドンという過去、現在、おそらく未来永劫にあってリヴァプール国内においてとうてい重要視されることがありえないであろう町の司教、そういう身分に自ら望んで甘んじている兄について、少年は複雑な思いを抱いている。

「アルチュール殿、この程度のことで内心を表に表してはなりませぬ。場合によっては命にかかわることを理解されたい」

「わかっている。兄上に連絡を取れるものならば、取ってほしい。カルル・・・」

「やってみましょう。私からはこれ以上のご報告はありません」

「わかった。退出してよい」

 老女と入れ替わりに入室した、アルチュールよりも10歳は年下の少年が危なげに水の入ったタライを持ってきた。当然のことだが従子爵程度の貴族出身である。実家ならば、こういうことをされる身分である。

 王に仕えることで、少しでも彼の気持ちを理解できるようになったせいか、こういう時に労うことを覚えた。

「ごくろう、ルイ」

「は、はい・・・・ありがとうございます。若様」

 まだ母親が恋しい年齢だろうに、彼の実家も心無いことをする。顔を洗いながら公爵家の三男は尊い血を承って生まれてきた以上、このくらいの恐怖は引き受けるべきかと、常日ごろ、主君や親たちに言われてきたことを、思い出してみた。何と言ってもマイケル陛下の薫陶を受けているのだ、むざむざと、それも少女を相手に敗北を喫するわけにはいかない。

 少年はルイに命じて練習用の剣を運ばせた。柄に入っているから危険はないものの、それこそ危なっかしいという形容がこれほどふさわしい情景も難しいだろう。危うく落としてしまいそうな瞬間に助け舟ならぬ、手を差し出してやった。

「も、申し訳ありません・・・・若様」

 剣を構えると、恐縮するルイの震えた声など耳に入らなくなる。竜騎士試合では、このような狭い部屋には入らないほどに長い槍を使うが、騎士としての心構えは剣を構えることで生まれる。そう習ったし、確かに彼もそう思わないではない。

一瞬だけ、真の竜騎士になりえたような気がする。

ただ、仮想敵を部屋の壁の中央に位置する、彼らが奉ずる宗教のシンボルマークに想定した瞬間に、アンヌマリーなる金髪の娘を思い浮かべてしまった。思わず剣を落としそうになった。

「どうなさったのですか?具合でもお悪いのですか?」

「いや、なんでもない・・・そなた」

 何ということだろう。ルイの顔がアンヌマリーに見えてしまった。彼は茶色の、それもかなり濃い色の髪をしているにもかかわらずだ。部屋に入り込んだ朝日が偽金髪に見せていたという言い訳はこの際、通じない。

 血迷って、ルイが常日頃、気にしていることを行ってしまった。

「そなた、かわいらしい顔をしているな」

「若様・・・・!?」

 最初に出会ったときには、少女かと思って、「ルイと聞いたが、そなたの父上は本当に男子がほしかったようだな。本来ならばドレスが似合いそうだが、そこまでして無理やりに女竜騎士にする必要はあるまいに」とやや軽蔑混じりに言ってしまったものだ。大人そうだと思ったルイが泣いて抗議したのでちょっとした騒ぎになりかけたくらいだ。

 そのことを根に持っているわけはなかろうが、つい最近までなかなかルイは打ち解けてくれなかった。

 「ぁ、済まぬ。今日は、もしかしたら命を失うかもしれぬ、そんなことは そなたを侮辱する免罪符にならないかもしれないが・・・」

「竜騎士試合とはそれほど危険なのですか?」

「そりゃあ、何人も死人がでている。我がウオルシンカム公爵家でも、100年ぐらい前にひとり、亡くなっている」

 しかしこの場合の命の危険とは、アルチュールにとってべつものだという実感はあった。魂とか心という単語に入れ替えた方が適当なのだが、それをこんな子供に言えるわけがなかった。

「対戦相手のことを伺ってもよろしいですか?」

 アルチュールは、太陽の位置を確かめてからまだ時間はあると安心してから、寝具に座った。

「一次予選で当たる相手はアンヌマリーという女竜騎士だ。かなり強いらしい」

「しかし若様に敵うはずは・・・・・」

「そなたは、やさしいな」

 そう言われることは武門に生まれた者として意にそぐわず、あるいは、彼には傷になっていると知っているにも関わらず、この少年のやさしげな顔つきやしぐさを見るにつけて、自分と同じようにそちらの方向には合わないのではないかと思って、そういう言葉が口から思わず漏れてしまう。

ルイは、ウオルシンカム公爵家の家格から、そう見ているのであって、あくまでも直接に主人の剣の技量を目にしたうえでそう言っているわけではない。

 だが、自分のことを気にかけてくれる彼の優しさがこの上なく嬉しいのだ。

 侍女たちが運んできたパンと干し肉、野菜スープだけの軽い朝食を胃に流しこむと、ルイの、自分に対する励ましの言葉を背に受けながら自室を後にした。やけに剣が重々しく感じるのはきっと気のせいだろう。


 はたして、アルチュールが出場予定者の控室となっている地下室に向かうと、大会を主催する職員以外は姿を見せていなかった。蝋燭の暗い灯が、太陽の凶悪すぎる光と違って優しく微笑みかけてくれるような気がした。試合が始まる前にこうした地下に選手を誘うのは、大地の神が精神を安定させてくれるであろう、という信仰によるところが多いと主君が言っていたことを思いだす。

 ところが、六つ目の柱に足が辿り着いたところで、巨大な気を感じた。よくみると、七つ目の柱に竜騎士らしい人物が壁にもたれ掛っていた。影の様子から女性だろうと察しが付く。もしかしてアンヌマリー殿だろうか。出場予定者に若い女の人は一人だけだったような気がする。

 しかし、これほど大きな気にどうして今の今まで気づくことがなかったのだろう?そう訝しながら誰何した。

「尋ねる前に名乗るのがマナーではありませんか?・・・いや、これは失礼。大変に気分が高ぶっていましたので、私は、アンヌマリーといいます」

「私は、ウオルシンカム公爵が第三子アルチュールといいます」

「ほ、本名を名乗られるのですか?」

 蝋燭の灯に晒した顔は、どっきりするくらいに美しかった。これほど綺麗な異性はみたことがない。次代順に残っている肖像画や彫刻を見渡しても、あるいは、一族の容姿を見回しても、公爵家は代々ふっくらとした体形と容姿であり、お世辞にも美形揃いだと言われたことがなかった。むしろ恰幅がいいことを自慢にしているくらいである。

 アンヌマリーなる少女は明らかに困惑している。その理由を、荒々しい方法ながら教えてくれたのは、背後から響く低い声である。

「小僧、いや、若様よ、こういう場だと本名を名乗らないのもマナーなんだがな。本名を名乗れば、相手にも同じく名乗ることを強要することになるってわからないかい?オレは、因みにハンス・アンスバッハというものだ」

 無理矢理に粗野を装っているようにすら見える。いずれにしても少年などに真意を測らせないほど経験を磨いてきた人にちがいない。姿を見せたのは、筋骨隆々な竜騎士だった。

「よろしくお願いします・・・アンスバッハどの」

よろめくように竜騎士に向かって礼をする。

「付け加えさせてもらえばな、身分を明かすのはもっと無粋だぜ」

 ナント語のイントネーションの細かな違いが、ドレスデン人の響きを感じさせる。家庭教師の一人に神聖ミラノ帝国からはるばるやってきた貴族がいたから、少年にもわかった。少なくとも、それについては嘘をついているわけではない。そもそも、何もかも正直に言わないことがマナーではないらしい。しかし悪戯心が働いて質問してみることにした。

「アンスバッハどのは男性でいらっしゃいますか?それでも女性でいらしゃいますか?」

「うん・・・・!?」

 一体、何を質問しているんだ、という顔になり、貴族的な微笑を浮かべた。やはり、これがこの人の素顔に違いない。

「私は男性だよ、ご覧のとおり」

「変なことを言う子ね」

 アンヌマリーなる少女も笑った。

「いえ、すべてにおいて偽証しなければならないのかと、思ったのですよ」

 種明かしをするつもりはなかったが、その場に醸し出された空気がそうさせてしまった。それでも雰囲気が変わらないので、まじめな話に強制的に移行させることにした。

「アンヌマリーどのはどうして竜騎士試合に参加なさるのか、理由を伺ってもよろしいですか?」

「ふふ、おかしな子ねえ、そんな風にされたら答えにくいじゃないの。いいわ答えてあげる。私は陛下にお仕えしたいだけ」

自分にも質問されると身構えていたのか、もしも、そうならばあるていど人好きのする性格ということになろう、アンスバッハも口を開いた。

「余、いや、オレは、お前たちがやっている戦争を観察しにきた」

 アンスバッハは、どうしてこんなことを少年に打ち明けるのかと、訝った。それはリヴァプール王国、きっての名門貴族の息子だけのせいではあるまい。あきらかにアンヌマリーなる少女の影響も感じられる。

 この二人が醸し出す空気は、アンスバッハから、普段、ならば当然のように持ち合わせている警戒感を失わせる何かを隠し持っている。

 いったい、この少女は何者なのか、それに関する問いをハンスは、ある程度まで情報を得ていた。だが、まだ頭の中で具体的な言葉にしたくなかった。そうすることで他の可能性を否定してしまうからだ。

一方、アンヌマリーこと、ジャクリーヌは、どうして自分がこのような場所にいるのか、それすら理解していなかった。べつに精神的な病に罹患しているわけでもないので、これから竜騎士試合に参加すべく控えていることを忘れてしまったのではなく、自分が見えない手に引かれてここまで来たことはわかっているが、その正体に付いて摑みかねていただけのことだ。

 それについていえば、アルチュール少年にも同じことが言えるだろう。

 だだ、彼はそこまで内省的ではなかった。


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