竜騎士試合二日前・・・・。マイケル王。アルチュール少年。
おおよそ100年もの長きにわたって終わりそうにない戦争が続行しているせいか、エウロペ大陸にあっては、常に戦乱の煙が棚引いていることが恒常化してしまった。それゆえに無理矢理に終結させる必要もない、という空気が、上は王族から賤民たちまで、醸し出されてしまっている。
それゆえに、戦時中にこのような竜騎士試合を行うなどと後世からみれば悠長なことをやるような発想が生まれもする。
マイケル5世がシャンディルナゴルでそれを開催しようと思った理由は、戦況は圧倒的にリヴァプール側の圧倒的な優位であり、いつもでも王都ナルボンヌを伺える距離まで占領地域を拡大させた、そして、両軍の境界線上にある都市で開催する理由とは、ナント側の有力な竜騎士をも、こちらに寝返させるきっかけをつくる、言い換えれば彼ら、彼女らに仕官の道を開く、ということだが、最後の決戦を前にして傷ついた軍隊の修復を行うという意図があったとされる。
それだけなく先の内戦において、徹底的にナヴァロンにおける反マイケル王勢力を、それこそ根こそぎにしたものの、いまだ、軍内に蔓延る不穏な空気が浄化されたわけではなかった。
王にとって最高の腹心、ビアズリー卿とレイモン卿はいまだナヴァロンに居残っており、大陸に彼にとっては最高の手足を配置しなかったわけだ。
このことから、マイケル王は本気でエウロペを征服、ナント王位を継承するつもりなどなかったのだと主張する歴史家もいるぐらいだ。
そのことの真偽はともかく、当時のリヴァプール軍はエウロペ世界において最強で、異教徒が住まう領域にすら進軍しそうな勢いだったが、マイケル5世本人の手足となって動く竜騎士たちはその中のごくわずかでかしかなかったことはわかっている。
手足の補充のために開催したという説の裏付けともなっている。
歴史学者、歴史家と称する暇人たちの議論と関係なく、それぞれの時代の人間たちは、それぞれの時代で誰しも生まれながらの素質や境遇と相談しながらも、とにかくせいっぱい生きていた。ただ確かなことはそれだけだろう。
さて、竜騎士試合は二日後に迫っている。
マイケル王は執務室にてペンを握り、羊皮紙に向かっている。アルチュール少年は主君の手元を身じろぎせずに見つめている。そうすることが彼の義務だからだ。それを受ける王も慣れている。
少年が発する気の大きさなど、家格の程度は王の侍従として取り立てられるほど高いが、何の経験もない子供故に、象にとっての蟻のようなもので、忙しい仕事の気を紛らす程度の役割しか果たせない。
ペンを持つ指に少年の視線が発する熱を感じた王は、昨日、暇つぶしに遊んでやったことをおもいだして話題の俎上に載せた。
「アルチュール、そなたもそろそろ元服だな。竜騎士試合に参加してもよいころだ」
「陛下、わ、私は攻撃属性だとは・・・・」
「ならば、他に何ができるのか?それとも希望でもあるのか?そなたほどの濃さを血にもっていれば、努力次第で変更は可能かもしれん」
「へ、変更って・・最初から竜騎士になるとは宣言していませんが?」
「そうか、主君の気を紛らわせる属性というのは、貴族の能力にあっただろうか?」
少年の反論など想定していないことを証拠に、王は羊皮紙に書かれた、自分が今の今まで紡いでいた文章の中に舞い戻ってしまった。
またか・・・と思う。
この、リヴァプール王国に生まれた若者ならば誰でも憧れる、マイケル5世、アルチュールが侍従の一人に選ばれたときは、友人の貴族の子弟たちは誰しも羨望のまなざしをうけてきたし、彼自身もこれで人生が開けたと感じ 名門貴族に生を受けたものの、三男では、その名前を継ぐことは覚束ない。だが、王の侍従として仕えれば、新しい貴族家を創出させてくれるかもしれない。いまや、ナント王家は風前の灯なのだ。子供であってもそのくらいの状況は、貴族の子弟なれば読み取っている。
少年の輝かしい白昼夢は、王の一言で現実に引き戻された。
「そなた、ウオルシンカム公爵家を継ぐ覚悟があるか?」
「な、何をおっしゃいます?父は兄を継嗣に定めておいでです」
「そうか?人間というものはいつ死ぬかわからぬ。運命の神は優柔不断と聴いている」
少年は、主君の言葉から普段の冗談交じりとは打って変わって本気モードになっていると受け取った。
「へ、陛下とはいえ、我が家のことに口出しされるのは困ります」
「それだけ聞ければ十分だ。アルチュール」
「・・・・・・・・・・」
「それにしても王というのは、因果な商売だなと思っただけだ。望んでそうなった身だが・・・」
それだけ言うと、王はペンを置いて立ち上がった。少年に背を向けて、窓の外に視線を移す。ここから見える中庭で竜騎士たちや見習いが剣を干戈させていないことに、少年は感謝したが、王にとってみればそんなことはうっすらとも、脳裏に過らせていなかった。
彼は、アンヌマリーなる少女のことを思い浮かべていた。ヴェルヌイーイ大司教が報告してきた際には、母親と生き写しだったと評した。
「カルッカソンム侯爵のやつ、とんだ隠し玉を、こんなときに見せつけてくれるものだ」
亡き狂王の血を引く、一般的にはアントワーヌ王太子以外の存在。
その境遇の哀しさから同情はするが自分の敵とは思えなかった。王にとってナント王国という名前を思い浮かべたとき、まっさきに浮かぶのは、カルッカソンム侯爵の温和そうな容貌だった。前王亡きあと、5人の賢侯によって政治と戦争を取り仕切ってきたと聞くが、老女たちと、原始的な間諜らの報告、それを王自身の政治家としての判断、それらを併せ考えると、侯爵こそナント王国を事実上、切り回してきたのであり、マイケル王の敵手であるはずだった。
そんな彼が死に瀕しているという。
願ってもいない機会だと、リヴァプール側は思っているだろうと、マイケル王は自分たちを高見から俯瞰して述べてみた。格子窓ごしに名前も知らない白い鳥が横切るのが見えた。あの鳥のように単純な、そうもっとも強硬にナント王国に対して攻勢を主張する、ウオルシンカム公爵などはそう主張するだろう。彼とその長子は最前線に出ている。
彼が主君の本意を理解する可能性と、太陽が西から上るそれとどちらが高いだろう?
そのようなありえない比較をするほどに、王は公爵を信用していない。彼の三男にあのようなことを言った理由はその事実に帰結する。まだ若いアルチュールには期待できる部分が多そうだ。ちなみに次男は僧籍に入っている。ただ学問の世界に逃げ込みたいだけなのか、それとも聖職界から父親の野望の結実を助けたいのか、今のところ不明としか言いようがない。
公爵の未来のない欲望を押しとどめる目的も、今回の竜騎士試合の開催にないわけではない。かつて長子を侍従にと王は要請したのだが、初陣を早めたいので、というもっともらしい理由で辞退してきた。そのときの物言いが面白い。
「まことに陛下には心苦しいのですが、はやく戦に息子を慣らしたいとおもっております」
要するにこの戦が自分たちが生きている間には終わらないと思っているのだ。彼との駆け引きには、エセックス伯爵夫人と相対するように知性と品性が感じられなくて、王としても物足りない。王の思う通りにはさせない、という意味で、この大人しい三男を送り込んできた。おそらくは人質の意味はないぞと言下に主張しているのだ。なんという品のなさだろう。少なくとも、五分と相対しているのは不快だろう。
王は、机上に置かれている羊皮紙に目を向けた。そこには今回の竜騎士試合に参加志願者の氏名が書かれている。多くは偽名である。なんとなれば、それが古くからの慣行だからである。そんなことをしたら、あからさまに仕官や裏切りを募集しているように思われるではないか。それとなくオブラートに包んでことを進めるのが本当に貴族的なのだ。あの男はそれを理解しているようには思えない。
やはり、アンヌマリーという名前に王の注意は集中する。
古くからの友人であるエセックス伯爵夫人の娘だという。その下に彼女自身の名前が書かれているのは、いったい、誰に対しての当てつけだろう。
しかし王は無意識のうちに、この少女を竜騎士試合に招聘するために開催したかのように思われた。運命というやつだろうか。そもそも彼に老女の才能だとなかったはずである。だが、ある種の王者には運命を左右させるだけの力があると、ある町を占領した際に出会った呪術師に言われたことがある。それは未来を予測したり、相対している人の心を読んだりする能力とはおのずから性質が異なるというものだろう。
しかし自分が王者とは自嘲が止められなくなる。冷笑癖のある彼だからこそ、周囲に映る自分の顔というものを制御しなくてはならない。アルチュールはどんな目で自分をみているだろう、そういう視点のことだ。
当の、ウオルシンカム家の三男坊は主君の態度から不安を押し隠せなくなった。まさか、本気で自分に竜騎士試合に参加するように命令するわけでもなかろうが、万が一ということもありうる。
父親から、老女を介して試合に参加するように勧める言葉を賜ったとき、陛下が反対なさるという理由で断ったばかりなのだ。
王はほくそ笑んでいる。いやな兆候だ。間違っても自分は父親や長兄のような武人タイプではないのだ。そうかといって次兄のように僧籍に入るのも、自分には合わないような気がする。できれば吟遊詩人として諸国を漫遊する生活がしたい。
王の侍従という身分は、一時的にせよウオルシンカム家から出られた、というただ一点においては実益があったと思う。もしもあのままであれば、遅かれ早かれ、初陣を強制されたであろうことは火を見るよりも明らかだ。
「アルチュール・・・」
「は、はい、陛下・・」
観ようによっては猫のような笑顔をみせながら、恐ろしいことを言い出す主君の口が動いた。少年としては悪い兆候が現実となることを覚悟せねばならないのか。
「17歳の美少女が試合に参加を志望しているそうだが、それでもそなたは躊躇するつもりなのか?」
「は・・・」
試合の観覧に、ですか?という言葉を公爵家の三男坊は呑み込んだ。もっと幼い時代に両親に竜騎士試合を観覧するために連れて行かれ卒倒して以来、何度、親に誘われて、半ば強制だが、拒み続けてきた黒歴史がある。
普段は優しい母だが、そのときばかりは視線の温度が氷点下にまで下がるので、そのことだけは幼いアルチュールには耐えがたいことだった。
たとえ出場者の中に美少女がいたところでなんになろう。
そう思った瞬間に右手首を摑まれた少年は、羊皮紙の上に指を接地させられていた。
とたんに、頭の中に少女の姿が浮かんできた。
文字の中に、聖職者は映像や感情を埋め込むことができる。それを読み込めるのは、かなりレベルの高い貴族以外には不可能だが、ヴェルヌイーイ大司教はその能力においては右に出るものがないと言われている。
主君の美貌が近づく。伝わってくるオーラーまでもがやけに冷たい。
「どうだ?なかなかのものだろう?」
「・・・・・・・なんと」
王は、少年の反応を愉しむかのように笑う。
あきらかに彼はアンヌマリーを気に入っている。ごり押しで出場させられるかもしれない。つまらないやりとりだが、公爵から一本、取れるかもしれない。
「しかし、この娘と一次戦で立ち会えるとは限りませんが・・・・」
「王たる余が開催するのだぞ?アルチュール」
万事に付けて公明正大との印象を少年は持っていた。それが音を立てて崩れるのを如実に感じていた。