5*もふもふしました
「ところで人間、」
「…………なによぅ」
「いい加減私から離れろ。もう暖はとれたはずだ」
「やなこった」
「……、なぜだ」
「だってあったかいんだもん」
白い体毛は、発光シールみたいな明度でほんのりと光ってる。同様の抜け毛っぽいものが、二メートルくらい開けたそこら一帯に敷き詰められていた。まさに、動物の巣穴みたく。そのせいでその姿はおろか、洞窟周囲も目に痛くない程度に照らされている。
「ねえ、あんたってなんなの」
「……今更な問いであるな」
ふわふわと量の多い毛は、見た目は勿論手触りだって凄くいい。手入れの行き届いた毛長犬みたいな感じ。その割りには耳は三角形にピンと立ち、目の部分もくっきりと開いていることからして珍しい犬種だ。雑種だろうか。
「…………私はざっしゅとやらではない」
やっぱりこちらの考えていることがわかるらしい。
「そもそも、私はいぬではない。まったく、人界のものはどいつもこいつも私をいぬ、もしくはおおかみ呼ばわりしおって。私を肉食種と同一にするでない」
「じゃあ、なんなの」
「先ほども名乗った。我が一族は、強き角を象徴とする誇り高き光の獣」
「ひかりのけもの?」
「知らぬのか。これだからこの界の人間は無知無教養、っく、おぬしいきなり何を、」
「ほら~気持ちいいでしょ~」
「み、耳のうしろは卑劣だ、や、やめ」
ふわふわさらさらの毛並みは、獣と自分で言ってる割に獣臭がしない。代わりに漂うのは、香木っぽい不思議な芳香。
「っ、ねぐらに敷き詰める香草藁の、臭気だ、あ、もう、そこやめ、」
耳の後ろ、後頭部、脚の付け根、胴体側面。わっしゃわっしゃと良い匂いの毛玉を掻き毟ってやる。わんころの黒い瞳から涙が一粒零れた。いつの間にかごろん、と横になって腹見せてる。ちょっと驚いたことに、硬そうに尖っていた額の角がいきなりぐにゃりと地面に垂れた。そればかりか、大きさも変化した。ちっちゃい身体にアンバランスなくらいでかい角だったのに、寝転がった途端にあたしの指くらいに小さく縮まったのだ。面白くってそれをきゅっと抓んでみる。するとやつはびくんっと大きく身を痙攣させた。
「ぬ、うぅ、ふぁ、そ、そんなところをッ」
そいつが頭部を岩地に擦り付けるごと、角であったはずの物体もぐに、ぐに、と押し潰されながらあたしの指に挟まれてる。よくわからん現象だったが、わんころ自身はあんまり気にしてない風だったのであたしも気にしないことにした。言葉で拒絶しながらぐりんぐりんとツイスト気味に角寄せてくるし。撫でてくれと全身で訴えているわんころを無視するなんて手は無い。
「ほーれほれほれ。ここか? ここがええんか? あ??」
「お、おぬしぃいいいいいッ」
あたしが思うに、気持ちよさに蕩けてる動物の仕草って最高。特にわんころが腹見せながら前足招き猫みたいにしてるのってたまらん。この、「悔しいッ……でも、あんたならどうにでもしたっていいんだからねッ」とでも言いたげな風情。勝手なアテレコだけど。
十数分くらい撫で撫でわしわしした後、もふもふは腹見せ状態からよろよろと立ち上がり、また息を切らしながら言った。
「……おぬし、無力な人間の皮を被った魔の一族だな……!」
「は?」
「油断をしていた私が浅はかであった」
言うなり、硬さと大きさをいつの間にか取り戻していた角が突きつけられた。短い脚がびゅん!と後ろに飛びのき、威嚇をするように額を低くしている。ぱち、と表面にまた稲妻めいたものが光った。
「近寄るな、魔の手の持ち主よ!」
「いや、あんたさ、さっきまでその魔の手の持ち主相手に腹見せ状態だったじゃん」
「黙れッ」
無害な歯をむき出しにして威嚇してもやっぱりちっとも怖くない。体毛発光を照り返す黒い瞳も黒い鼻づらからも、ちっとも殺気は伝わってこなかったし。
「魔の手持つ輩よ、残念だったな! この岩の扉は既に閉ざされている。おぬしはこの洞窟から出られないのだ。今宵はねぐらに戻れぬぞ!!」
何より。
「明け方、氷霜が溶けてから外に出るがよい!」
ちまい身体をふわふわと覆う真っ白な体毛、そのもふもふは物凄くあったかいんだってこと、もうしってるし。
◆◆◆
『絵里ちゃん、またコロと喧嘩したの』
『うん。今日も撫でさせてくんなかった』
『こんなに制服汚れちゃって。ああ、無理に落とそうとしちゃ駄目よ。こうやって、染みは叩くの』
『芽衣子さん、ありがと』
『……どうして諦めないの? あの子、ご主人の山中さんしか懐かないのに。わたしも通わせていただいてしばらく経つけど、ぜんぜん慣れてくれないから諦めたのよ』
『慣れてくれないじゃなく、慣れたらおしまいだからだよ』
『え?』
『コロはね、ご主人様が第一だから。ご主人様はお人よしすぎるから、自分がその分しっかりしなきゃって思ってるんだよ。頑固なだけ』
『……そうなんだ』
『そうだよ。それにねあいつ、時間が無いんだ』
『どういうこと?』
『コロはあとちょっとで死んじゃう。でも、最後までご主人護ろうとしてる。だから、あたしも最後まで諦めてやんない。ぜったい撫でさせてもらう。諦めずに近づいてくる敵がいるとわかれば、あいつだってもっと生きて頑張ろうと思うでしょ』
『……絵里ちゃんは、たまに不思議なこと言うわね』
『そう?』
『ええ。まるで、動物の考えてることがわかるみたい』
◆◆◆
全部、わかるわけじゃない。わかるやつと、わからないやつがいる。
あたしがわかるのは、本当にごく一部だ。コロみたく、長く生きてるわんころの一部。それも、断片的にわかる程度。
目を合わせると、脳内であの不思議な声が響くのだ。
《ちかよるな》《ごしゅじんに》《ちかよるな》どこまでも純粋な、魂の叫びが。
コロは、あれから半年もしないうちに亡くなった。老衰だった。山中のおじいちゃんはおいおいと泣きながら、「犬が十八年も生きれば、大往生だよなあ」と言っていた。
けどあたしは知ってる。野良犬だったコロがおじいちゃんに拾われて一緒に暮らし始めたのは、十八年前。でも、実際に生きてた年数はもっともっと長かった。おじいちゃんが生まれるよりもっと前――ざっと百年は、余裕で生きてた。だから、本当は享年十八歳じゃなくて、享年百十八歳以上だってこと。
コロは戦争が終わりかけの時代、別の人間に山に捨てられて、それからずっと一匹で生きてきたんだ。寿命が近づいてからお人よしな人間と出逢い、残り少ない余生はこいつを護りつつ傍で過ごそうと決心して、また人里で暮らし始めたんだ。
コロは普通の犬として生きるのを望んでた。自分が長生きしすぎてる、不気味な動物だって自覚があったから。そのせいで前に飼われてた人間に捨てられたんだって、わかってた。だから今度こそはそんな哀しい思いしたくない、自分は只の犬として生きるんだって決めてた。そうして人間以上に高い知能を隠して、おじいちゃんの傍で頑固なただの番犬として一生を終えたいと考えていた。だから、あたしは何も知らない振りしてコロと最後まで闘った。それが礼儀だと思ったから。
そういう犬は、実は結構いた。本当は傍らの人間より長く生きてる、でもそのことを最後まで黙って過ごす。そうして、只の犬として死んでいく。ときに飼い主が自分より先に旅立つのを、ひっそりと看取りながら。
人間より長生きしてるわんころは、実は人間のことばもわかるし、喋れもする。コロは最後にあたしと闘ったとき、ぽつりと一言だけ洩らした。
「サトルとお前のような人間に出逢えただけで、『霊獣』になった甲斐があったよ」と。
サトルってのは山中のおじいちゃんの下の名前だ。れいじゅう……ってのはよくわからなかったけど、コロみたく喋れて長生きするわんころのことを、そう呼ぶんだろう。
じゃあこの正体不明のもふもふも。コロみたいな「れいじゅう」なのかな。本人は犬じゃないって言ってるけど。
そんなことを考えながら、あたしはいつしか瞼を閉じていた。